右手と魔法!

茶竹 葵斗

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逃亡

第二十七話 女心ってものを知らない男はごまんといるけれど

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 意識がどろりと浮上して、日和は思わずうめき声を漏らした。瞼を開くと、見慣れない天井が視界に入ってきた。ここはどこだろう。あれから、どうなったのだろう。起き抜けのだるい頭でなんとか考えてみたが、正影の顔が見えて思考は停止した。

「……ま、さ」
「日和……! 起きたんだな」

 続けて鳳凰も顔を出して、とりあえず無事らしいことにほっとした。気が抜けるとまた眠くなってしまいそうだったので、日和は体を起こそうと力を入れた。しかし上手く動けない。

「日和、無理するな。もう大丈夫だから」
「……ここは……?」
「近くに宿があったんだ。そこの部屋を貸してもらって、今休んでたとこ。よかった、ひよちゃんが目覚まして……もう少し寝たままだと思ってた」

 視線を動かすと、少し離れた畳の上に狷が座っていた。彼の赤い瞳と目が合うと、狷は少し目を細めてわずかながら表情をゆるめた。

「……あの人は?」
「逃げてったよ。……日和、オレも魔法を使えるようになった。みんなに守られてばっかりじゃなくなって、少し安心したんだ」
「……そう、なんだ」

 正影の言葉に日和はなんとも言えない複雑な感情をいだいた。もう既に遅いが、やはり正影を巻き込んでしまった。彼女はそれを受け止めているが、日和の不安はまだぬぐわれていなかった。

「みんなは大丈夫だった?……怪我してない?」
「大丈夫、お前は自分の心配をしてろ」

 そう言われてほっと 安堵あんどの息をつく。確かに皆は目立った怪我はしていないようだ。しかし、狷をもう一度見ると、彼の頬には刃物で切られたような傷が残っているのが見えた。

「……狷ちゃん、顔」
「このくらい問題ない」

 日和の言葉に間髪かんぱつ入れず答えた狷は、自分の頬に触れたがそれを治そうとはしなかった。

「……きれいな顔が台無しだよ」

 日和がそう言うものの、狷は反応を示さない。日和はまた息をつくと、動きづらいのを無視して布団の中でもぞもぞと 身動みじろぎをした。

「これからどうするの……?」
「とりあえず、今日はここで泊まらせてもらおうってことになったぜ。宿の人が飯も用意してくれるって」
「そっか……」
「ひよちゃん、動くの辛いだろ? まだ寝てていいからさ」

 そうは言われても、日和もじっとしたままではいたくなかった。確かに今は起きたところだし頭もぼうっとしているが、頑張れば動けなくはないはずだ。しかし起き上がろうとすると正影に制止されてしまう。

「休んでろって」
「でも……座りたいの」
「寝てる方が楽だろ?」
「座りたい」

 少し意地を張ると、正影は折れたようで何も言わなくなった。もう一度起き上がるために布団に肘をつくと、鳳凰が背中を支えて起き上がりやすいように助けてくれた。

「ありがとう」
「おう。無理しちゃダメだぜ?」

 鳳凰の言葉にこくんと頷く。ふと立ち上がってこちらへ歩み寄ってきた狷に、日和は目を瞬かせた。

「……狷ちゃん?」
「じっとしてろ」

 言われた通りにじっとしていると、そばにしゃがみ込んだ狷の手が頬に触れた。突然のことに思わずどきりと胸が跳ねた。目の前にいる彼の顔を直視できない。冷たくて、なのにどこかあたたかい手——。

「……もう大丈夫だろう。いつでも動けるはずだ」
「本当か?」
「後はこいつ次第だ」

 そう告げた狷の手が離れていって、日和はなんとも言えないむずがゆいような感覚を覚えた。今の会話だって上手く取り込むことができない。それどころではない、ような気がした。心臓がばくばくと音を立てて鳴っている。そんな日和のことなどつゆ知らず、狷はまたもといた場所に戻っていった。

「……日和? 大丈夫か?」
「うっ、うん、大丈夫」
「まだ休んでた方がいいだろ」
「……そうだね、少し」
「今日はここに泊まらせてもらおうぜ! 飯も用意してくれてるんだしさ、その間に日が落ちるじゃん」

 明るい鳳凰の声に思わず笑みがこぼれる。どのようにしてここへ来たのかは日和は知らなかったが、休めるのなら休みたい。少し怖いのだ。まだあの男の——疾風のことが忘れられない。あの時は結界を保つことに必死だったが、今思い返せば体が震えそうになって、日和は思考を無理やり停止させた。

「ご飯、楽しみだね」
「だな! 最近ジャンクフードしか食ってなかったからなー。こういうとこの飯っていい料理だろ?」
「いい料理って言い方もどうかとは思うけど、そうだろうな。……ちょっと古いから心配だけど」
「こういうとこだからこそうまいんだって!」
「分かんないぞ、ゲテモノが出てきたりして」
「ゲテモノ!? オレはゲテモノ好き!」
「マジかよお前がゲテモノだったか……」

 言い合う正影達から目を逸らし、日和は改めて狷へ視線を向けた。彼の赤い瞳はこちらを向いていて、簡単に目が合った。

「……狷ちゃん、ありがとう」
「……何がだ」
「さっき。また魔法を使ってくれたんでしょ?」

 日和の問いに狷は首を横に振った。

「使っていない」
「…………えっ」
「お前の様子を確かめただけだ」

 日和はぽかんと口を開けたが、次の瞬間にはむっと頬を膨らませて狷から顔を背けた。あれでは、自分は、自分の心だけがただ彼に振り回されただけだったのではないか。様子を確かめるだけならあんなことをしなくてもいいのに。彼は自分と異性同士だということを意識していないのかと思うと、なんとなく腹が立ってしまった。

「………………狷ちゃんの女ったらし」

 日和の言葉は誰の耳にも届くことなく消えていった。
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