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逃亡
第三十話 朝の微睡みから抜け出すのは名残惜しい
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あの後、気まずい雰囲気になりながらも床に就いた。狷はやはり椅子に座ったまま頬杖をついて目を閉じていた。彼の様子が気になりながらも、気付けば朝になっていた。障子越しに届く朝日はほんのりと柔らかく畳を照らしていた。
「……」
皆が起きているかどうか確認してみたが、誰もまだ目を覚ましていないようだった。狷もあの体勢のまま変わらず目を閉じている。起き抜けの重い体をのそりと起こすと、隣で眠っている正影が小さく身動ぎをした。皆が眠っている間に顔を洗って歯を磨いて、身支度をしよう。そういえば昨日は自分だけが横になっていた。今の状況とは正反対だな、とどうでもいいことを考えながら、日和は洗面所へ向かった。
用意を済ませて部屋に戻ると、狷が起きていた。眠そうな素振りを見せることなく日和を見た狷は、鳳凰達を一瞥してから日和の傍をすり抜け、洗面所へと歩いていった。狷も起きたのなら、そろそろ二人も起こした方がいいだろう。日和はまず正影のそばにしゃがみ込んで彼女の体を揺さぶった。
「正、おはよう。朝だよ」
「……んん……」
低く唸り声を漏らしながら、正影は寝返りを打つ。それを見守って、次に日和は鳳凰の体を布団越しにぽんぽんと叩いた。
「鳳凰、起きて」
「……んぁ……? 朝……?」
「うん、朝だよ。狷ちゃんももう起きてるよ」
鳳凰は意外にもすんなりと体を起こすと、大きく伸びをして欠伸を漏らした。残るは正影だ。彼女も寝起きが悪いというわけではないが、目を覚ましてから布団を出るのに時間がかかる。日和はもう一度正影の体を揺らして声をかけた。
「正ー! 起きてー!」
「んぅ……起きてるよ……」
意識はあるようだがまだ起きられないのだろう。このまま放っておいても問題はなさそうだ。日和は部屋へ戻ってきた狷に視線を変えて、ふわりと笑った。
「おはよう狷ちゃん」
それにやはり返事はなかったが、狷は日和へ赤い目を向けて答えていた。目を合わせることが彼の一種のコミュニケーションだと気付いたのは最近だ。鳳凰がのそのそと洗面所へ向かうのを見送って、日和は昨日もしたように障子を開いて外を確認した。宿のそばにある林は風で凪いでいて、暖かな日差しが光のナイフのように降り注いでいた。
「お天気だねぇ」
誰に言うでもなくそう呟くと、狷がそばへ寄ってきて同じように外を覗き込んだ。こうして見ると、彼は日差しよりも月明かりの方が似合っているような雰囲気を持っている。静かな湖畔に浮かぶ月のような、そんな雰囲気だ。対照的な彼の横顔と外の風景に、日和は目を細めた。
「そういえば、朝ご飯も用意してくれるのかな」
「……どうだろうな……」
布団の中から正影のくぐもった声が聞こえてくる。
「後で聞いてくる……」
「あ、いいよ正、私が聞いてくるね」
起き上がろうとしている正影に声をかけ、日和は窓から離れて部屋の扉の方へ向かった。
宿の仲居に聞いてみると、朝食も出してくれるようだった。宿主にも顔を見せたが、昨日は自分が気を失っていたのを知っていたので「よかったよかった」と嬉しそうに手を取ってくれた。話を終えて部屋に戻ると、鳳凰も正影も身支度を整え終えたようで三人は机を取り囲んで座っていた。
「お、おかえりひよちゃん」
「ただいま。朝ご飯も用意してくれてるんだって。また声かけてくれるみたい」
「至れり尽くせりだな」
少し嬉しそうな正影の横で、鳳凰も両手を上げてはしゃいでいる。ひとり冷静な狷は、日和を見つめたまま口を開いた。
「食事を済ませたらすぐにここを出る。昼までには師匠の家に辿り着きたい」
「うん、分かったよ」
こうして見つめられると昨夜のことを思い出してしまいそうで、日和は狷から目を逸らした。
「お金、どれくらいかかるのかな」
「……確かに。気にしてなかった」
「これだけ色々してくれてるんだったら……めっちゃ高そうじゃね?」
鳳凰の言葉に三人して顔を見合わせる。狷がため息をついたかと思うと、ズボンのポケットから三珠の入った袋と何枚かの紙幣を取り出した。——紙幣には諭吉の顔が印刷されている。
「ここの金は問題ない。何かあった時の為に忍ばせている」
「おおっ! さすが狷!」
「抜かりないな」
とりあえずは何とかなりそうだ。日和はほっと息をついて狷に笑いかけた。
「狷ちゃん、ありがとう」
「……」
狷は何も答えず、ただ日和をじっと見つめていた。
「……」
皆が起きているかどうか確認してみたが、誰もまだ目を覚ましていないようだった。狷もあの体勢のまま変わらず目を閉じている。起き抜けの重い体をのそりと起こすと、隣で眠っている正影が小さく身動ぎをした。皆が眠っている間に顔を洗って歯を磨いて、身支度をしよう。そういえば昨日は自分だけが横になっていた。今の状況とは正反対だな、とどうでもいいことを考えながら、日和は洗面所へ向かった。
用意を済ませて部屋に戻ると、狷が起きていた。眠そうな素振りを見せることなく日和を見た狷は、鳳凰達を一瞥してから日和の傍をすり抜け、洗面所へと歩いていった。狷も起きたのなら、そろそろ二人も起こした方がいいだろう。日和はまず正影のそばにしゃがみ込んで彼女の体を揺さぶった。
「正、おはよう。朝だよ」
「……んん……」
低く唸り声を漏らしながら、正影は寝返りを打つ。それを見守って、次に日和は鳳凰の体を布団越しにぽんぽんと叩いた。
「鳳凰、起きて」
「……んぁ……? 朝……?」
「うん、朝だよ。狷ちゃんももう起きてるよ」
鳳凰は意外にもすんなりと体を起こすと、大きく伸びをして欠伸を漏らした。残るは正影だ。彼女も寝起きが悪いというわけではないが、目を覚ましてから布団を出るのに時間がかかる。日和はもう一度正影の体を揺らして声をかけた。
「正ー! 起きてー!」
「んぅ……起きてるよ……」
意識はあるようだがまだ起きられないのだろう。このまま放っておいても問題はなさそうだ。日和は部屋へ戻ってきた狷に視線を変えて、ふわりと笑った。
「おはよう狷ちゃん」
それにやはり返事はなかったが、狷は日和へ赤い目を向けて答えていた。目を合わせることが彼の一種のコミュニケーションだと気付いたのは最近だ。鳳凰がのそのそと洗面所へ向かうのを見送って、日和は昨日もしたように障子を開いて外を確認した。宿のそばにある林は風で凪いでいて、暖かな日差しが光のナイフのように降り注いでいた。
「お天気だねぇ」
誰に言うでもなくそう呟くと、狷がそばへ寄ってきて同じように外を覗き込んだ。こうして見ると、彼は日差しよりも月明かりの方が似合っているような雰囲気を持っている。静かな湖畔に浮かぶ月のような、そんな雰囲気だ。対照的な彼の横顔と外の風景に、日和は目を細めた。
「そういえば、朝ご飯も用意してくれるのかな」
「……どうだろうな……」
布団の中から正影のくぐもった声が聞こえてくる。
「後で聞いてくる……」
「あ、いいよ正、私が聞いてくるね」
起き上がろうとしている正影に声をかけ、日和は窓から離れて部屋の扉の方へ向かった。
宿の仲居に聞いてみると、朝食も出してくれるようだった。宿主にも顔を見せたが、昨日は自分が気を失っていたのを知っていたので「よかったよかった」と嬉しそうに手を取ってくれた。話を終えて部屋に戻ると、鳳凰も正影も身支度を整え終えたようで三人は机を取り囲んで座っていた。
「お、おかえりひよちゃん」
「ただいま。朝ご飯も用意してくれてるんだって。また声かけてくれるみたい」
「至れり尽くせりだな」
少し嬉しそうな正影の横で、鳳凰も両手を上げてはしゃいでいる。ひとり冷静な狷は、日和を見つめたまま口を開いた。
「食事を済ませたらすぐにここを出る。昼までには師匠の家に辿り着きたい」
「うん、分かったよ」
こうして見つめられると昨夜のことを思い出してしまいそうで、日和は狷から目を逸らした。
「お金、どれくらいかかるのかな」
「……確かに。気にしてなかった」
「これだけ色々してくれてるんだったら……めっちゃ高そうじゃね?」
鳳凰の言葉に三人して顔を見合わせる。狷がため息をついたかと思うと、ズボンのポケットから三珠の入った袋と何枚かの紙幣を取り出した。——紙幣には諭吉の顔が印刷されている。
「ここの金は問題ない。何かあった時の為に忍ばせている」
「おおっ! さすが狷!」
「抜かりないな」
とりあえずは何とかなりそうだ。日和はほっと息をついて狷に笑いかけた。
「狷ちゃん、ありがとう」
「……」
狷は何も答えず、ただ日和をじっと見つめていた。
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