39 / 50
逃亡
第三十九話 わがままでもいいから
しおりを挟む
池の畔で膝を抱え蹲っていた日和は、近付いてくる足音にぴくりと反応した。振り返ることができないままでいると、気配がそばでしゃがみ込む。
「……日和」
声の主は正影だった。日和はやっと顔を上げると、正影を見てくしゃりと表情を歪めた。彼女が来て安心した。それと同時に込み上げたのは涙だ。それまでもずっと泣いていた日和だったが、正影の顔を目の当たりにするとまた涙が溢れてくる。正影は何も言わずただ日和を抱きしめた。あたたかな体温に目を瞑ると、つう、と頬に一筋涙が伝った。
「……話を聞いたのか」
「うん……」
正影には何もなかっただろうか。鳳凰のことだから、狷のように強引なことはしなかったのかもしれない。ちらりと正影の腕を見下ろすと、ちゃんとそこには腕があって、ああよかったとまた安堵した。日和から離れた正影は、日和の手を見下ろしてぎょっと目を丸くした。日和もつられて視線を落とすと「あっ」と声を漏らす。狷の傷に触れた手はまだ血がこべりついていて黒くなっていた。
「おま……それ」
「ち、違うの……私が狷ちゃんに怪我させちゃったの」
「……お前が?」
正影に先程までのことを説明する。勿論狷に告白したことは伏せておいた。こればかりは言うわけにはいかない。狷の気持ちだってある。自分一人の問題ではない。正影は真剣な顔をしたまま話を聞いていた。全て話し終えたところで正影はふう、とため息をついた。
「それで……お前はまた魔法が使えるようになったのか」
「うん……どうしてかはよく分からないんだけど」
「狷が半裸で帰ってきた理由がやっと分かったよ。おかしいと思ってたんだ。あいつ、何も言わずに書斎にこもるし」
正影の言葉が気になったが、日和はふるふると首を横に振って話を戻す。
「それで……正と鳳凰はどんなお話をしてたの?」
「そっちと同じだ。でもあいつは無理やり三珠を外そうとはしなかったぞ。二人で外そうとしてみたけど駄目だった」
「そっか……」
どうして狷は無理やりにでも三珠を外そうとしたのだろう。……やはり都合のいい方を取ろうとしたのだろうか。視線を落とすと正影の手が頭に乗せられた。
「お前は悪くないよ。……あいつは多分あいつなりに考えてそうしたんだろうな。不器用だし。でも日和に刃物を向けたのはいただけないな」
「狷ちゃんのことは責めないで」
そう言うと正影は渋い顔をしたが頷いてくれた。このままここに居続けるのも鳳凰達に心配されてしまうだろう。池でさっと手を洗い立ち上がった日和は、正影を見下ろして「戻ろう」と声をかけた。
屋敷に戻ると、椅子に座っていた鳳凰がばっと立ち上がって日和達に駆け寄ってきた。その表情はとても心配そうなものだった。
「大丈夫?」
「うん、大丈夫だよ。心配かけてごめんね」
目はまだ熱くて腫れぼったいが、日和は努めて平気な風を装った。これ以上不安にさせるのもよくない。いつまでも泣いていては駄目だ。そう言い聞かせて日和はぎこちないながらも笑ってみせる。日和の表情を見た鳳凰は眉を寄せたが、それ以上詮索しようとはしなかった。
「……狷ちゃんは?」
「あいつなら書斎にいるけど……今はあんまり関わらない方がいいと思うぜ? あいつ、なんかめっちゃ怒ってるっぽいから」
「そう、なんだ……」
怒らせてしまったのか。そう聞くと罪悪感に苛まれて、日和は肩を落とす。いきなりキスをしたのだ、それは怒ったり驚いたりするだろう。初めてだったのかな、と変なことを考えたが、そう言う問題ではないと自分を窘める。自分だって急にキスされれば驚いた後怒るのは想像に易い。……ちゃんと謝らなければ。
「書斎ってあっち?」
「そうだけど、もしかして行くつもり? やめとけって、絶対やめたほうがいい」
「でも、謝らなきゃ」
「別に今じゃなくてもいいんじゃないか?」
正影にも止められるが、日和はいてもたってもいられなかった。傷付けてしまったこと、口付けてしまったこと。全て自分のミスだ。熱りが冷めてしまってからでは遅い気がしたのだ。もう、以前のように話ができなくなるのではないかと。……どこまでもわがままだなあ、と思う。狷に言われた通りだ。彼はもっと怒るかもしれない。それでもいい。単純に、彼と話がしたい。
二人の制止を振り切って、日和は書斎の前に立った。謝ろう。彼を振り回したことを。決心を決めて、書斎のドアをノックした。
「……狷ちゃん?」
「……日和」
声の主は正影だった。日和はやっと顔を上げると、正影を見てくしゃりと表情を歪めた。彼女が来て安心した。それと同時に込み上げたのは涙だ。それまでもずっと泣いていた日和だったが、正影の顔を目の当たりにするとまた涙が溢れてくる。正影は何も言わずただ日和を抱きしめた。あたたかな体温に目を瞑ると、つう、と頬に一筋涙が伝った。
「……話を聞いたのか」
「うん……」
正影には何もなかっただろうか。鳳凰のことだから、狷のように強引なことはしなかったのかもしれない。ちらりと正影の腕を見下ろすと、ちゃんとそこには腕があって、ああよかったとまた安堵した。日和から離れた正影は、日和の手を見下ろしてぎょっと目を丸くした。日和もつられて視線を落とすと「あっ」と声を漏らす。狷の傷に触れた手はまだ血がこべりついていて黒くなっていた。
「おま……それ」
「ち、違うの……私が狷ちゃんに怪我させちゃったの」
「……お前が?」
正影に先程までのことを説明する。勿論狷に告白したことは伏せておいた。こればかりは言うわけにはいかない。狷の気持ちだってある。自分一人の問題ではない。正影は真剣な顔をしたまま話を聞いていた。全て話し終えたところで正影はふう、とため息をついた。
「それで……お前はまた魔法が使えるようになったのか」
「うん……どうしてかはよく分からないんだけど」
「狷が半裸で帰ってきた理由がやっと分かったよ。おかしいと思ってたんだ。あいつ、何も言わずに書斎にこもるし」
正影の言葉が気になったが、日和はふるふると首を横に振って話を戻す。
「それで……正と鳳凰はどんなお話をしてたの?」
「そっちと同じだ。でもあいつは無理やり三珠を外そうとはしなかったぞ。二人で外そうとしてみたけど駄目だった」
「そっか……」
どうして狷は無理やりにでも三珠を外そうとしたのだろう。……やはり都合のいい方を取ろうとしたのだろうか。視線を落とすと正影の手が頭に乗せられた。
「お前は悪くないよ。……あいつは多分あいつなりに考えてそうしたんだろうな。不器用だし。でも日和に刃物を向けたのはいただけないな」
「狷ちゃんのことは責めないで」
そう言うと正影は渋い顔をしたが頷いてくれた。このままここに居続けるのも鳳凰達に心配されてしまうだろう。池でさっと手を洗い立ち上がった日和は、正影を見下ろして「戻ろう」と声をかけた。
屋敷に戻ると、椅子に座っていた鳳凰がばっと立ち上がって日和達に駆け寄ってきた。その表情はとても心配そうなものだった。
「大丈夫?」
「うん、大丈夫だよ。心配かけてごめんね」
目はまだ熱くて腫れぼったいが、日和は努めて平気な風を装った。これ以上不安にさせるのもよくない。いつまでも泣いていては駄目だ。そう言い聞かせて日和はぎこちないながらも笑ってみせる。日和の表情を見た鳳凰は眉を寄せたが、それ以上詮索しようとはしなかった。
「……狷ちゃんは?」
「あいつなら書斎にいるけど……今はあんまり関わらない方がいいと思うぜ? あいつ、なんかめっちゃ怒ってるっぽいから」
「そう、なんだ……」
怒らせてしまったのか。そう聞くと罪悪感に苛まれて、日和は肩を落とす。いきなりキスをしたのだ、それは怒ったり驚いたりするだろう。初めてだったのかな、と変なことを考えたが、そう言う問題ではないと自分を窘める。自分だって急にキスされれば驚いた後怒るのは想像に易い。……ちゃんと謝らなければ。
「書斎ってあっち?」
「そうだけど、もしかして行くつもり? やめとけって、絶対やめたほうがいい」
「でも、謝らなきゃ」
「別に今じゃなくてもいいんじゃないか?」
正影にも止められるが、日和はいてもたってもいられなかった。傷付けてしまったこと、口付けてしまったこと。全て自分のミスだ。熱りが冷めてしまってからでは遅い気がしたのだ。もう、以前のように話ができなくなるのではないかと。……どこまでもわがままだなあ、と思う。狷に言われた通りだ。彼はもっと怒るかもしれない。それでもいい。単純に、彼と話がしたい。
二人の制止を振り切って、日和は書斎の前に立った。謝ろう。彼を振り回したことを。決心を決めて、書斎のドアをノックした。
「……狷ちゃん?」
0
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
俺だけ毎日チュートリアルで報酬無双だけどもしかしたら世界の敵になったかもしれない
宍戸亮
ファンタジー
朝起きたら『チュートリアル 起床』という謎の画面が出現。怪訝に思いながらもチュートリアルをクリアしていき、報酬を貰う。そして近い未来、世界が一新する出来事が起こり、主人公・花房 萌(はなぶさ はじめ)の人生の歯車が狂いだす。
不意に開かれるダンジョンへのゲート。その奥には常人では決して踏破できない存在が待ち受け、萌の体は凶刃によって裂かれた。
そしてチュートリアルが発動し、復活。殺される。復活。殺される。気が狂いそうになる輪廻の果て、萌は光明を見出し、存在を継承する事になった。
帰還した後、急速に馴染んでいく新世界。新しい学園への編入。試験。新たなダンジョン。
そして邂逅する謎の組織。
萌の物語が始まる。
万物争覇のコンバート 〜回帰後の人生をシステムでやり直す〜
黒城白爵
ファンタジー
異次元から現れたモンスターが地球に侵攻してくるようになって早数十年。
魔力に目覚めた人類である覚醒者とモンスターの戦いによって、人類の生息圏は年々減少していた。
そんな中、瀕死の重体を負い、今にもモンスターに殺されようとしていた外神クロヤは、これまでの人生を悔いていた。
自らが持つ異能の真価を知るのが遅かったこと、異能を積極的に使おうとしなかったこと……そして、一部の高位覚醒者達の横暴を野放しにしてしまったことを。
後悔を胸に秘めたまま、モンスターの攻撃によってクロヤは死んだ。
そのはずだったが、目を覚ますとクロヤは自分が覚醒者となった日に戻ってきていた。
自らの異能が構築した新たな力〈システム〉と共に……。
JKメイドはご主人様のオモチャ 命令ひとつで脱がされて、触られて、好きにされて――
のぞみ
恋愛
「今日から、お前は俺のメイドだ。ベッドの上でもな」
高校二年生の蒼井ひなたは、借金に追われた家族の代わりに、ある大富豪の家で住み込みメイドとして働くことに。
そこは、まるでおとぎ話に出てきそうな大きな洋館。
でも、そこで待っていたのは、同じ高校に通うちょっと有名な男の子――完璧だけど性格が超ドSな御曹司、天城 蓮だった。
昼間は生徒会長、夜は…ご主人様?
しかも、彼の命令はちょっと普通じゃない。
「掃除だけじゃダメだろ? ご主人様の癒しも、メイドの大事な仕事だろ?」
手を握られるたび、耳元で囁かれるたび、心臓がバクバクする。
なのに、ひなたの体はどんどん反応してしまって…。
怒ったり照れたりしながらも、次第に蓮に惹かれていくひなた。
だけど、彼にはまだ知られていない秘密があって――
「…ほんとは、ずっと前から、私…」
ただのメイドなんかじゃ終わりたくない。
恋と欲望が交差する、ちょっぴり危険な主従ラブストーリー。
あるフィギュアスケーターの性事情
蔵屋
恋愛
この小説はフィクションです。
しかし、そのようなことが現実にあったかもしれません。
何故ならどんな人間も、悪魔や邪神や悪神に憑依された偽善者なのですから。
この物語は浅岡結衣(16才)とそのコーチ(25才)の恋の物語。
そのコーチの名前は高木文哉(25才)という。
この物語はフィクションです。
実在の人物、団体等とは、一切関係がありません。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる