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逃亡
第四十六話 使命と揺れる心
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その頃、鳳凰は気を失ったままの正影を背負って街を歩いていた。目を覚ましたのは路地裏だ。人目につかないところでよかった。それにこの時間だし、正影を抱えていたとしても酔い潰れた友人を介抱しているように見えるだろう。それよりも鳳凰は焦燥感に駆られていた。——日和がいない。狷も一人でアレキサンダーと対峙しているのだろう。
狷は転移魔法を使って三人を強制的に別の場所へ飛ばした。結果的にそれは失敗してしまったようだ。日和だけがいないのだから。
彼の使った魔法は古代魔法と呼ばれるものだ。今自分達が日常的に使っている魔法は名称はないものの、近代的な魔法に分類される。古代魔法は使用する際に詠唱を必要とするものが多いがその分強力で、転移魔法のように物体を思い通りの場所へ転移させることができたり、変身魔法は自身の体を思いのままに変身させられる。鳳凰には古代魔法は使えなかった。師匠もまたそれを使うことができなかったからだ。魔法が使えるからと言っても、教えられたこと以外は鳳凰も知らない。
「……くそ」
意味はないと分かっていても無意識に言葉が零れる。早く日和と合流しなければ。しかし彼女がどこにいるかも分からないし、見当もつかない。恐らく失敗してはぐれたのは自分達のようだ。ここは全く身に覚えのない場所だ。そんなところにわざわざ転移をさせるとは到底思えない。
「……狷、ひよちゃん……無事でいてくれよ……」
——ぱたり、ぱたり。
床に赤いシミがいくつもできていく。立っているのもやっとだ。目の前は頭から流れる血が邪魔をして黒く見える。右腕は感覚がないし、身体中が軋んで痛みを訴えている。自分の息が近くて遠いところで聞こえて、狷はぎり、と歯を食いしばった。
壁際で項垂れる狷、そのそばで腕を組むアレキサンダー。狷は傷だらけだというのに、アレキサンダーは傷ひとつ付いていない。力の差は歴然だった。
「お前ってそんな弱かったっけ? なんか拍子抜けするわ」
「……っ」
「やっぱ魔法より妖力の方が強いんだよ。分かるだろ?」
アレキサンダーは両手を広げて狷を見下ろし笑う。
「魔法はもう時代遅れだ。だから負けるんだよ」
「……そんなこと、関係ない」
狷は俯いたまま掠れた声で呟く。時代など関係ない。魔法は魔法だ。気の遠くなるほど遥か昔から受け継がれてきたものだ。
「貴様などに価値を決めつけられるものではない……」
「あー、そう言われるとなんか言い返せないじゃん」
少し不満そうに言ったアレキサンダーは、ため息をつくとジャケットの内ポケットから小さなスキットルを取り出して蓋を開け、中身を呷る。
「うえ、まっず……やっぱ安い酒はだめだわ」
アレキサンダーはスキットルを逆さにして肩を竦める。零れる中身は狷の髪を冷たく濡らして、鼻筋を、顎先を伝い、血と混ざりながら少しずつ床に広がっていく。酒と血の匂い。……屈辱の匂い。狷は何も言えず床を見下ろすだけだ。
「…………」
「あれ、怒るかなーと思ったのに。まあそんな力も残ってないか」
頭上でかちりとオイルライターを使って火を点ける音が聞こえる。ふう、と息を吐く音の後、煙が目に入って無意識に眉を寄せた。
「そろそろ行かなくちゃな。三珠も手に入れらんなかったけど、今回の目的はここを消すことだし、まあいいか」
「……貴様の思うようにはさせん」
ぐ、と体に力を入れる。ここを失うわけにはいかない。自分達に残された、最後の砦。命に替えてでも守らなければならない。狷はありったけの力を振り絞り、腕を巨大な刃物に変える。
「もうやめとけよ、オレを倒す前にお前が死ぬよ?」
それでもいい。後悔することなどない。魔法という概念が守られるのなら、この命尽きたとて本望だ。その為に自分はいる。魔法を後世へ残す為。三珠を守る為。ここで力尽きても良い。自分の使命を果たしたのだ。
——狷ちゃん。
その時、確かに声を聞いた気がした。もう聞きなれてしまった声。太陽の咲くように笑う顔。自分が死んだと知れば、彼女は悲しむだろうか。きっと泣いてしまうだろう。容易に想像できる。彼女はどんなことにもいつも忙しなく心を動かしていた。そんな彼女のことを考えると、胸の辺りが締め付けられるのだ。決して不快ではないその感覚が何なのか、狷には理解できない。しかし、一つだけ分かったことがある。
生きねば。彼女の為に。
「……我、銀竜の名に於いて宣言す」
狷は静かに唱えた。
狷は転移魔法を使って三人を強制的に別の場所へ飛ばした。結果的にそれは失敗してしまったようだ。日和だけがいないのだから。
彼の使った魔法は古代魔法と呼ばれるものだ。今自分達が日常的に使っている魔法は名称はないものの、近代的な魔法に分類される。古代魔法は使用する際に詠唱を必要とするものが多いがその分強力で、転移魔法のように物体を思い通りの場所へ転移させることができたり、変身魔法は自身の体を思いのままに変身させられる。鳳凰には古代魔法は使えなかった。師匠もまたそれを使うことができなかったからだ。魔法が使えるからと言っても、教えられたこと以外は鳳凰も知らない。
「……くそ」
意味はないと分かっていても無意識に言葉が零れる。早く日和と合流しなければ。しかし彼女がどこにいるかも分からないし、見当もつかない。恐らく失敗してはぐれたのは自分達のようだ。ここは全く身に覚えのない場所だ。そんなところにわざわざ転移をさせるとは到底思えない。
「……狷、ひよちゃん……無事でいてくれよ……」
——ぱたり、ぱたり。
床に赤いシミがいくつもできていく。立っているのもやっとだ。目の前は頭から流れる血が邪魔をして黒く見える。右腕は感覚がないし、身体中が軋んで痛みを訴えている。自分の息が近くて遠いところで聞こえて、狷はぎり、と歯を食いしばった。
壁際で項垂れる狷、そのそばで腕を組むアレキサンダー。狷は傷だらけだというのに、アレキサンダーは傷ひとつ付いていない。力の差は歴然だった。
「お前ってそんな弱かったっけ? なんか拍子抜けするわ」
「……っ」
「やっぱ魔法より妖力の方が強いんだよ。分かるだろ?」
アレキサンダーは両手を広げて狷を見下ろし笑う。
「魔法はもう時代遅れだ。だから負けるんだよ」
「……そんなこと、関係ない」
狷は俯いたまま掠れた声で呟く。時代など関係ない。魔法は魔法だ。気の遠くなるほど遥か昔から受け継がれてきたものだ。
「貴様などに価値を決めつけられるものではない……」
「あー、そう言われるとなんか言い返せないじゃん」
少し不満そうに言ったアレキサンダーは、ため息をつくとジャケットの内ポケットから小さなスキットルを取り出して蓋を開け、中身を呷る。
「うえ、まっず……やっぱ安い酒はだめだわ」
アレキサンダーはスキットルを逆さにして肩を竦める。零れる中身は狷の髪を冷たく濡らして、鼻筋を、顎先を伝い、血と混ざりながら少しずつ床に広がっていく。酒と血の匂い。……屈辱の匂い。狷は何も言えず床を見下ろすだけだ。
「…………」
「あれ、怒るかなーと思ったのに。まあそんな力も残ってないか」
頭上でかちりとオイルライターを使って火を点ける音が聞こえる。ふう、と息を吐く音の後、煙が目に入って無意識に眉を寄せた。
「そろそろ行かなくちゃな。三珠も手に入れらんなかったけど、今回の目的はここを消すことだし、まあいいか」
「……貴様の思うようにはさせん」
ぐ、と体に力を入れる。ここを失うわけにはいかない。自分達に残された、最後の砦。命に替えてでも守らなければならない。狷はありったけの力を振り絞り、腕を巨大な刃物に変える。
「もうやめとけよ、オレを倒す前にお前が死ぬよ?」
それでもいい。後悔することなどない。魔法という概念が守られるのなら、この命尽きたとて本望だ。その為に自分はいる。魔法を後世へ残す為。三珠を守る為。ここで力尽きても良い。自分の使命を果たしたのだ。
——狷ちゃん。
その時、確かに声を聞いた気がした。もう聞きなれてしまった声。太陽の咲くように笑う顔。自分が死んだと知れば、彼女は悲しむだろうか。きっと泣いてしまうだろう。容易に想像できる。彼女はどんなことにもいつも忙しなく心を動かしていた。そんな彼女のことを考えると、胸の辺りが締め付けられるのだ。決して不快ではないその感覚が何なのか、狷には理解できない。しかし、一つだけ分かったことがある。
生きねば。彼女の為に。
「……我、銀竜の名に於いて宣言す」
狷は静かに唱えた。
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