右手と魔法!

茶竹 葵斗

文字の大きさ
47 / 50
逃亡

第四十七話 甘い林檎の赤と

しおりを挟む
 琴子と名乗った老婦はその後も日和に気を遣って色々と面倒を見てくれた。風呂は今日はもう薪を使ってしまったので、明日沸かしてくれると言う。寝巻きも用意してくれた。今は寝る前に一息つこうと言われ、居間にいるところである。

「林檎剥きましたよ。よかったら食べてね」
「……ありがとうございます」

 正直今落ち着いている場合ではない。でも琴子といると何故か心が落ち着いていくのを感じて、不思議な気分になる。どうしてこんなところに飛ばされたのだろう。狷が意図的にここへ飛ばしたというのなら、彼女とは知り合いなのだろうか。聞いてみようかとも思ったが、日和が口を開く前に琴子が話を始めてしまう。

「林檎も色々種類があって悩むわよねえ。あたしはしゅわしゅわした食感の林檎が好きなの。日和ちゃんはどんなのが好き?」
「あ、えっと……私は蜜の多いのが好き、です」
「まあ、そうなのね。いいわねえ。この林檎が口に合うか分からないけど、どうぞ食べなさいな」
「はい」

 促されるままに林檎に手を伸ばし、日和はそれを口に運ぶ。しゃくりとした歯応えの後、鼻に抜ける芳醇な香り。頬がほころぶ。

「おいしいです」
「そう、よかった」

 微笑む琴子に日和は遠慮がちに笑みをこぼす。こんな時だが、頭の中は狷や鳳凰達のことばかりだ。それはそうだろう。突然飛ばされたところが見知らぬ老婦の住む家の前だなんて。まだ少し落ち着けただけでもよくやっている方だ。……大丈夫だろうか。ふとした時に不安がぎって、日和の表情は曇る。そんな時、突然玄関の方だろうか、大きな物音がして二人してびくりと肩を震わせた。

「な、何かしら」

 琴子は日和にここにいるようにと言って、ほうきを手に持ち居間を出ていく。日和がその後を追おうとして立ち上がった瞬間、琴子の驚いたような悲鳴が上がった。

「狷ちゃん!」

 琴子の言葉に日和は耳を疑った。肌が粟立あわだつ。聞き慣れた名前が彼女の口から発せられたのだ。恐らく自分の思っている人物と同じだ。
 日和は居間から飛び出す。廊下には投げ出されたのだろう、箒が落ちている。その先、土間にしゃがみ込む琴子が見えた。彼女のそばに倒れているのは——。

「狷ちゃん……」

 見紛みまごうこともない銀の髪。それは今血にまみれている。琴子の隣に駆け寄って、日和も彼のそばに膝をつく。固く目を瞑る狷は息をしているのかも分からない。顔色もいつもより青白く、血色が悪い。

「狷ちゃん、狷ちゃん目を覚まして!」

 琴子は必死になって動かない狷に声をかけ続ける。日和はその横で何もできなかった。体が、息が震える。血の赤が網膜に叩きつけられる。この光景が現実味を帯びておらず、遠くで起こっているような気さえした。狷を抱き起こした琴子は、日和を見て焦った様子で口を開く。

「日和ちゃん、手伝って。この子を客間まで運ぶから……!」
「あ……っ、はい」

 慌てて小走りに琴子の後についていく。琴子は確かに「狷ちゃん」と言っていた。二人は顔見知りだ。疑問は確信に変わる。狷は彼女のいるこの場所へ意図的に日和を転移させたのだ。客間へ駆け込んだ琴子は、日和を振り返って眉を下げた。

「タオルを持ってくるからこの子をお願い」
「はい……っ」

 琴子に狷を託される。触れた彼の肌は氷のように冷たかった。死んでしまっているのではないか。そんな不安に駆られて、狷の顔に頬を近付ける。……かすかだが吐息が頬に触れる。それに心の底から安堵して、日和は胸を撫で下ろした。しかしまだ予断を許さない。このまま目を覚まさなかったら。

「狷ちゃん、起きて」

 弱々しい声で狷に話しかける。返事はない。狷の傷に手をかざす。少しでも傷が癒えたら。

「……起きてよ……」

 涙で狷の顔がぼやける。この頃泣いてばかりだ。彼の前でも涙を見せてしまった。あの時の彼の困惑したような顔が忘れられない。困らせてしまった。そして、あの男がやってきて。狷は日和達を逃した。こんなに満身創痍まんしんそういになるまで、一人で戦っていたのか。自分がもっと力になれていたら。ただ己の身を守って見ていることしかできなかった。

「……狷ちゃん……」

 謝るところではないと分かっていても、謝罪の言葉が頭に浮かぶ。手からあたたかい感覚が広がったが、傷が癒えているのかは確認できなかった。こんな時でも思うのはきれいな顔だな、なんてどうしようもないことだ。白いを通り越して青白いというのに、彼の顔はまるで人形のようで。
 そうしていると琴子が客間に戻ってくる。琴子は日和の隣に座ると、狷の髪にこべりついた血を濡れタオルで丁寧に拭いていく。

「大丈夫よ、大丈夫……」

 そう繰り返す琴子の言葉は、まるで自分に言い聞かせているようだった。
しおりを挟む
感想 3

あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

俺だけ毎日チュートリアルで報酬無双だけどもしかしたら世界の敵になったかもしれない

宍戸亮
ファンタジー
朝起きたら『チュートリアル 起床』という謎の画面が出現。怪訝に思いながらもチュートリアルをクリアしていき、報酬を貰う。そして近い未来、世界が一新する出来事が起こり、主人公・花房 萌(はなぶさ はじめ)の人生の歯車が狂いだす。 不意に開かれるダンジョンへのゲート。その奥には常人では決して踏破できない存在が待ち受け、萌の体は凶刃によって裂かれた。 そしてチュートリアルが発動し、復活。殺される。復活。殺される。気が狂いそうになる輪廻の果て、萌は光明を見出し、存在を継承する事になった。 帰還した後、急速に馴染んでいく新世界。新しい学園への編入。試験。新たなダンジョン。 そして邂逅する謎の組織。 萌の物語が始まる。

夫婦交換

山田森湖
恋愛
好奇心から始まった一週間の“夫婦交換”。そこで出会った新鮮なときめき

万物争覇のコンバート 〜回帰後の人生をシステムでやり直す〜

黒城白爵
ファンタジー
 異次元から現れたモンスターが地球に侵攻してくるようになって早数十年。  魔力に目覚めた人類である覚醒者とモンスターの戦いによって、人類の生息圏は年々減少していた。  そんな中、瀕死の重体を負い、今にもモンスターに殺されようとしていた外神クロヤは、これまでの人生を悔いていた。  自らが持つ異能の真価を知るのが遅かったこと、異能を積極的に使おうとしなかったこと……そして、一部の高位覚醒者達の横暴を野放しにしてしまったことを。  後悔を胸に秘めたまま、モンスターの攻撃によってクロヤは死んだ。  そのはずだったが、目を覚ますとクロヤは自分が覚醒者となった日に戻ってきていた。  自らの異能が構築した新たな力〈システム〉と共に……。

JKメイドはご主人様のオモチャ 命令ひとつで脱がされて、触られて、好きにされて――

のぞみ
恋愛
「今日から、お前は俺のメイドだ。ベッドの上でもな」 高校二年生の蒼井ひなたは、借金に追われた家族の代わりに、ある大富豪の家で住み込みメイドとして働くことに。 そこは、まるでおとぎ話に出てきそうな大きな洋館。 でも、そこで待っていたのは、同じ高校に通うちょっと有名な男の子――完璧だけど性格が超ドSな御曹司、天城 蓮だった。 昼間は生徒会長、夜は…ご主人様? しかも、彼の命令はちょっと普通じゃない。 「掃除だけじゃダメだろ? ご主人様の癒しも、メイドの大事な仕事だろ?」 手を握られるたび、耳元で囁かれるたび、心臓がバクバクする。 なのに、ひなたの体はどんどん反応してしまって…。 怒ったり照れたりしながらも、次第に蓮に惹かれていくひなた。 だけど、彼にはまだ知られていない秘密があって―― 「…ほんとは、ずっと前から、私…」 ただのメイドなんかじゃ終わりたくない。 恋と欲望が交差する、ちょっぴり危険な主従ラブストーリー。

吊るされた少年は惨めな絶頂を繰り返す

五月雨時雨
BL
ブログに掲載した短編です。

あるフィギュアスケーターの性事情

蔵屋
恋愛
この小説はフィクションです。 しかし、そのようなことが現実にあったかもしれません。 何故ならどんな人間も、悪魔や邪神や悪神に憑依された偽善者なのですから。 この物語は浅岡結衣(16才)とそのコーチ(25才)の恋の物語。 そのコーチの名前は高木文哉(25才)という。 この物語はフィクションです。 実在の人物、団体等とは、一切関係がありません。

処理中です...