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排水溝の男
日野尚美の失踪について
しおりを挟む「ちょっと投げやり過ぎるんじゃない?」
雑誌の新刊をポンと机に投げ捨て桑村はそう言った。事務所には私と桑村の二人しか残っていない。
桑村千登世。
彼女は我が編集部唯一の女性社員だ。ホラーとエロを追求する、いやホラーにエロスを求める我が編集部のカラーに相応しくおよそ年頃の女とは思えないセクハラおやじのような性格をしている。
たまたまサミットで編集長と出会い意気投合しそのまま入社してきた桑村は存分に甘やかされており、今もこうして仕事をサボり他人の原稿を漁っている。
「レポートなんて言うからには考察をしろよね。考察を」
桑村が言っているのは『異常姦見聞録』についてだ。本編に当たる体験談と私、眞鍋星一郎による補足コメントで成り立つコーナーだ。
どうも桑村は私のコメント内容に不足を感じているようだ。
「別に構わんだろ。私のコメントは補足程度で十分のはずだ」
「それで、どうなの?それ」
桑村は指をピストルの形にしてディスクの上に置かれたビデオテープを撃ち抜いた。
私の元へ送られてきた件のビデオテープ。そこには無残に犯される少女の姿が記録されていた。それも明らかに普通では無い異形の存在にだ。
「本物だよ」
「前はコスプレAVとか言ってなかった?」
それは初見時の意見だ。確かには私は初め、素人がハンディカメラで作ったおふざけだと思った。そうでなくとも質の低い体験談が幾つか届いていたのだ。鵜呑みにはしなかったし、第一意図が不明だった。
しかし、その後の追加調査により、私はこれを本物と判断するに至り、雑誌へ掲載した。
だが私は追加調査で知り得た情報の殆どを公開する事は出来なかった。私の中のある考えがそれを止めさせたのだ。
「雑誌には書いてないんだが、追加調査で色々分かったんだ。丁度、誰かに話したいと思っていた所だ、聞くか?」
「勿論よ」
即答だった。仕事はいいのかと、思わず苦笑いが溢れる。
「まず、このビデオが本物と仮定した場合だ。写っている少女は拉致監禁の被害者と言う事になるだろう」
「確か、足を折られてたんだっけ?」
「あぁ。撮影者の指示に従順に従っているようだが、合意の上には見えなかったな」
「そう言えば私、ビデオ見てないんだけど。見てもいい?」
ひょいっとビデオテープを持ち上げる。貴重な資料に対して雑な扱いだがそれを咎める必要は無かった。
「残念だが、映像を見ることは出来ない」
「なんでよ」
「そのビデオテープだが、一度再生した後壊れた」
「うわ出たよ」
桑村の口角がぐぃっと吊り上がる。ニタニタと迫るような迫力のある笑みだ。怪談話を聞いている時、彼女はいつもそんな顔をしている。
「怪異から送られてくる映像は一度しか見れない。定番だねー」
確かに、一度しか再生できないビデオや、見るたびに写るものが変わる写真などは心霊モノでは定番のアイテムだ。桑村が食いつくのも分かる。だが、残念ながら今回のものはその類では無い。
「人為的な仕掛けさ。一度再生したらテープが損傷するように細工されていた」
「何それ、つまんな」
「まったくだ。再生環境を用意するのにどれだけ手間を食ったか」
「何?リサイクルショップ梯子でもした?」
「そんな所だ。おかげで残せたのはこれだけだ」
ファイルから写真を取り出して広げて見せる。鑑賞中にその様子をスマホで撮影したものだ。その中から映像が映っているものを選び拡大した。
その中には手長人と称された異形の腕がしっかりと映っているものもある。
「これを掲載に使ったのね」
「まぁな」
「話が脇道に逸れたな。調査の話に戻ろう。それでこの映像が誘拐犯によるものとするとだ。この少女は行方不明者として存在する事になる」
「特定は無理でしょ。行方不明者なんて年間何人出てると思ってるのよ」
「あぁノーヒントでは無理だな。私も手掛かりがなければ探そうとも思わないよ。これを見てくれ」
取っておいた茶封筒を見せる。ビデオレターが入っていたものだ。川にでも落としたのか紙質がごわごわになっている。表面にはこの事務所の住所が鉛筆で書かれていた。汚い字だった。
「あ、宛名が書いてある」
この手の郵便物は宛先不明というのが定石だ。
意外に思ったのだろう、桑村は腑に落ちない表情だ。
「この住所行ったの?」
「もちろん訪問した。ごく普通の家だったよ」
「というと?」
「この封筒自体には覚えはあるそうだ。仕事で使うものだそうで、使った後は捨てたと言っていた。一応聞いてみたが、ウチの事務所の事は知らなかった」
「つまり、ビデオの送り主は捨てられた封筒を再利用したってこと?」
「そうだ。送り主がこの住所の付近に居る可能性は高い筈だ」
私はファイルから一枚の写真を取り出して見せた。それは行方不明の張り紙だ。あどけない笑顔を見せる少女が写っている。
名前は日野尚美、十八歳。
「この子は?」
「付近であちこちにこのポスターが貼ってあった。一年前に行方不明になったらしい」
「映像の子?」
「雰囲気は似てたと思う。映像自体一度しか見れてないかな。断言は出来ない」
「うーん勿体ない。次からは録画しながら見ることだね」
「肝に命じておくよ」
そんな機会が二度もあると思えないけどな。
「ここからはこの少女、日野尚美失踪事件の情報だ。市内の高校に通うごく普通の女子高生。失踪当日の最後の目撃情報は通学路だ。朝練のため朝早く出ていたそうだが、叫びながら走っていた姿が目撃されている」
「ただごとじゃない感じね」
「あぁ。だから直ぐに警察沙汰になった。それに……」
「行方不明になった翌日だ。こんなものが、少女の自宅へ届けられた」
「えっ何これ……うげー」
「悪質だろ?」
表情を歪め、嫌悪感を露わにする。無理もない。そこに写っていたのは女物の下着と、付着した白い液体だ。それはクロッチの部分にべったりとこびりつきけして落ちない汚れを染み込ませていた。
日野尚美の最後の目撃証言とこの物証により、失踪事件は事件性が高いと判断された。当然警察の捜査が行われたが実を結ぶ事はなかった。
「これは酷いわね。これは心折れるわ」
「俺もそう思ったが、どうやらこれは見た目通りのものでは無いようだ」
「どう言うこと?」
「成分分析にかけた所、この液体の正体は汚水だったんだ」
「は?汚水?」
「下水に溜まってるようなやつだ。それを吐露して汚れをジェル状にしたものが画像の液体だ」
「何それ?本格的に意味わかんないんだけど」
「俺もだ。誰が何の為にそんなものを作ったのか訳が分からん。ただ……」
ディスクに広げられた写真を眺める。ピントのずれたぼやけた風景。光源は少なく、かろうじてコンクリート造りだと分かる。
「ビデオテープの映像。撮影された場所が下水道なんじゃないかと思う。失踪現場の調査でも辺りが水浸しになっていたり、ドブ溝の蓋が外されていたりと奇妙な点が見られたそうだ。まるで下水に引き摺り込まれたような形跡だな」
人をさらうのに下水を選ぶ。人間の手段では無い。
「それがビデオに写った怪異の正体?手長人だっけ?」
「そう命名した。私がこのビデオテープを怪異の仕業と判断した理由は以上の日野尚美失踪事件の存在だ」
「こじつけ段階だけど確かに繋がりはあるわね」
送られた封筒の住所。
その地域で起きた失踪事件。
失踪現場の異常性。
映像と事件の合致点。
断定するには苦しい点が多く、証拠も無いがビデオテープがただの悪戯やお遊びでは無いと判断するには十分だった。
「だが、実際に事件があり、被害者がいるのであればそれを詳しく記事にするのは思い留まってな。事件の事は伏せ、ビデオテープの内容だけのレポートとさせて貰った」
「成る程、だいたい分かったわ。それにしても成分分析ねぇ。よくそんな情報手に入れたわね。アンタにそんなツテあったっけ?」
「いや。実はな、俺や当時の警察なんかよりよっぽどこの事件を調べている奴がいてな」
私は更にもう一枚の写真を見せた。太った中年の男だ。一目で外見に気を使っていないのだと分かる、生えっぱなしの顎髭と脂汗の浮いたギトギトの髪がなんとも小汚い。
「彼がこの事件を知る事は容易だった。なんせ犯人として疑われていたんだからな」
「何者なの?」
「日野尚美のストーカーだ」
そう。この男、津久田政義こそ日野尚美失踪事件における情報提供であった。
「数年前にこの男はストーカー事件を起こし逮捕されていた。不法侵入でな」
「アクティブタイプのストーカーね。どおりで」
桑村は一人納得したように肯いた。
「失踪の当日、取り調べを受けたがアリバイがあった為すぐに疑いが晴れたそうだ」
「犯人じゃない。玄関のパンツとかコイツならやりそうに見えるんだけどね。眞鍋はコイツと会ったんだっけ?」
「あぁ、向こうから接触してきた。表向きは、更生して慎ましく過ごしているようだが、日野尚美への執着は健在だった」
「事件を知った彼は独自に調査を開始した。それは今に至るまで続いている。成分分析や警察の動向なんかも彼からの情報だ」
「よく協力してくれたわね。聞いた印象ではマトモとは思えないけど」
「そうでもないさ。彼も少しでも手がかりが欲しいだろうしな。ビデオを売る事で協力を約束してくれたよ」
私は試さなかったがフィルムから何か読み取れるかもしれないと、津久田氏はビデオテープに期待を寄せている様子であった。
「売るの?コイツに?」
「あぁ。もう映らない以上、持っていても仕方がないだろう。もし何か分かったら連絡を貰うことになっている。後は彼に任せるとするよ」
私は写真をまとめるとファイルに閉じた。まだ謎は残るが、この件はこれで終わりとさせて貰う。
ディスクの上にはまだ別のファイルが複数並んでいる。
「仕事はまだ沢山あるからな」
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