百合蜜ヲ啜ル。

黄金稚魚

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十一話 夜蝉が哭く

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 一ヶ月前、七月。緑の人生を大きく歪める事となったX-DAY。

 あの夕方の公園で起きた出来事は緑にとってあまりに多くの感情を一変に抱え込む事となってしまった。

 その晩、緑は寝付けずにいた。


 パッチリと開いた目は天井のシミを数えられそうなほど鮮明に見える。

 無理に目を閉じていてもどこか落ち着かない。
 ベットの上に置かれた小さな目覚まし時計をチラリと見る。時計の短針が二時を指していた。

「月花のせいだ」

 あれから何時間も経っているのに頬の熱はまだ醒めない。
 緑の独り言は、寝り切った夜の部屋に響き、それが少し不気味に感じた。

 静かに黙っているとジー、ジーと虫の鳴く音が聞こえる。
 夏の風情とは言うけれど緑はとても好きにはなれなかった。なぜならその音色は繁殖欲に飢えた求愛の叫びだからだ。

 それに煩い。薄い壁は外の音を容易に通す。

 前の家では気にならなかったのに。そうぼやき天井を見上げだ。

 思えばこのぼろ屋にも随分と慣れたものだ。まだ半年も経たないのに前の家の天井がどうだったのかもう忘れてしまっていた。

 こつん。こつん。と小石が当たるような音が窓の外かは聞こえた。
 最初は気にしていなかった。しかしその音は何度も聞こえて来た。丁度、ノックをする様に断続的に繰り返される。

 誰かが窓を叩いてる?
 それあり得ないと思い浮かべた言葉を否定する。緑の部屋は二階だ。
 音は途切れる事なく続き、それは次第に大きくなっているように思えた。

 大きな虫でもいるのだろうか。
 次に思い浮かんだ光景は厭な実体を持って緑の脳裏にこびりついた。

 虫。
 
 虫神……。


 そうだ。大きな虫なんてこの町には幾らでも居る。この町に来てから幾度となく目撃した化け物共の姿が次々に思い浮かぶ。

 確認しなければ。
 もう気のせいだとは思えなかった。そこにアレは居ないのだと確かめなければ寝られそうになかった。

 ベットから降りると緑は窓の縁に立った。

「夜更なんてするもんじゃない」

 勇気を奮い立たせる為に呟いたのは取るに足らないような日常的な独り言だった。
 緑はそっとカーテンの端をめくった。














 ーーーいた。



 ガタンと大きな音を立て倒れた。尻餅をついた姿勢のまま緑の視線は窓の外へと釘付けになっていた。
 悲鳴は出なかった。いや、緑は咄嗟に手で口を覆い、悲鳴を押し殺していた。
 けして暑さのせいでは無い汗が緑の背を冷やす。


 水平に並んだ二つの眼球が窓の外から覗いている。ぎょろぎょろと金魚鉢の中で黒い玉が動いているような、不自然な動き。
 眼球の複眼が一斉に緑の姿を写す。

 こつん。こつん。

 音が響く。太い木の枝のような前足がかしゃかしゃと動いている。忙しなく動く足の動作は見ていると引き込まれていくような感覚を覚え、緑は視線を外した。

 平べったい体を窓に押しつつけ、巨大な蝉が窓の外から身を乗り出していた。

 
 目隠亜蔵。その名前もその姿も緑の脳裏に刻まれて新しい、トラウマ。
 あぁ、出来ることならその存在を忘れたかった。二度と出会いたく無かった。

 ごん!ごん!

 窓を叩く音は次第に激しくなっている。獲物を見つけた猛獣のように執拗に窓を叩いている。その動きた叩くと言うより殴ると形容する方が相応しい。

 ペキ……。


 とても厭な音がした。表面のある一点が小さく窪みそこから髭のようなヒビが広がっている。

「そんな……なんで」

 なぜ虫神が現れたのか。どこで目を付けられた。緑を動揺が支配する。
 
 目隠亜蔵は刻々と窓を叩き、ヒビを広げている。窓を割られるのも時間の問題だった。

「落ちつけ、落ちつけ私」

 緑はクローゼットの中から竹刀を取り出した。

 虫神の中には夜這いを好む種が居る。月花が緑に教えてくれた事だ。
 最悪の想定。その備えは頼りなく、緑の腕に合わせて情けなく震えていた。

 バキバキとガラスが割れていく。生まれた隙間から腕の一本が伸びて部屋の壁を掴んだ。

 入られた。

「嫌ぁあああ!」

 入り込んだ足目掛け緑は竹刀を投げる。しかし、巨大な虫の神に対し緑の力は余りに非力だった。
 竹刀は目隠亜蔵の足に当たると、軽い音を立ててその場に落ちた。

 窓につっかえながら目隠亜蔵の部屋に侵入した。巨大な蝉の外皮は金属のように頑丈でガラス片も意に介さない。ベリベリと縁へ残っていたガラスが剥がされる。

 部屋の中でバチバチと羽を鳴らし目隠亜蔵が直立する。近くまで迫った目隠亜蔵の体はひどく強大に見えた。

 ついに逃げ出すことも出来なくなった緑は覚悟を決めた。決めてしまった。追い詰められ、狭まった思考が一つの答えを導き出した。

「月花……」

 咄嗟に浮かんだその名を声に出して噛み締める。
 不安になる度に「大丈夫」と囁きかけてくれる、一緒に居るだけで安心させてくれる先輩の姿はここに無い。

 今、緑は独りだ。
 独りで戦わなくてはならない。

 ベットの上で低く構えヘッドライトを強く握りしめる。狙うは頭部。蝉の頭部は脆く取れやすい。緑は頭が外れ地面を跳ねる蝉の姿を緑は思い浮かべた。

「来い。これを食らわせてやる」


 緑は覚悟を決めていた。人間と同等かそれ以上の巨体サイズを持つ虫。それも神と呼ばれ崇められるその存在と戦う覚悟をであった。


 しかし、ふと、脳裏にとある言葉が過ぎった。
 それは緑がこの町に越してきてから何度も聞かされていた言葉だった。
 皺くちゃになった老人がこれまた皺枯れた声で囁くのを聞いていた。


 ーーー虫神様を拒んではならない。


 その言葉は呪いの様に緑の体を雁字搦めにした。

「何で……?」

 今まで気にしてすら無かった老いた忠言が緑に重くのし掛かる。


 ーーーもし拒めばどうなる?



 腹部から刺又のような形をした器官が飛び出てがつんと緑の頭が掴まれる。それは頭の形に沿って伸びるとヘルメットのようにガッチリと頭を固定する。
 それは一部の昆虫が交尾の際に使用する把握器クラスパーと呼ばれる器官であった。

「嫌!助けて父さん!誰か!」

 把握器を被せられた緑は既にパニック状態に陥った。助けを求めて叫び手にしたヘッドライトを出たら目に振り回して抵抗するが虫神の堅い外皮には傷一つ付けられない。
 把握器クラスパーはクレーンのように徐々に吊り上がっていき緑の身体も同じように持ち上げられていく。
 

 いつの間にか目隠亜蔵は壁際に移動していた。
 足の関節を通常とは逆に百八十度回転させるとスパイク状の爪を壁に立てかけガッチリと固定した。
 お腹を突き出すような、人間で言えばブリッジに当たる姿勢だ。


「こいつッ!じゃない?!」

 
 では何か?

 緑には分からない。理解できない異形の神が緑を捕える。

 六本の内四本が目隠亜蔵自身を固定するために使われた。残りの二本は緑の身体に抱き締めている。
 身動きが封じられた緑の視界ではさらなる絶望が進行していた。

 目隠亜蔵が身を屈める。その突き出した尾の先から赤褐色をしたグロテスクな突起物が迫り出してくる。
 鋭さを感じる円錐形状のペニス。それがゆっくりと近づいてくる。

 把握器は緑の瞼を固定していた。緑には瞬きすら許されない。

「まって……なんでソレを使うの?」

 浮かんだ疑問を口にする。果たして緑の口から出たのは思い浮かべた言葉か、それとも意味をなさぬ叫びか。

 目隠亜蔵の把握器にはペニスに似た形状の突起物が内蔵されている。
 しかし、それを目隠阿蔵は使わなかった。


 ーーー目隠亜蔵は自分に合う穴を作る。


 ぷちゅり。
 脳がぞわぞわする厭な音。水晶体が割れ水が弾けた。


「うわぁああああああ!!」

 絶叫。生まれて一度も出した事がないであろう限界を超えた声量。緑は命を出し切るかのように叫ぶ。

 しかし、緑の叫びは無意味だ。



 ぐっちょ。
 ぐっちょ。
 

 ぐっちょ。
 ぐっちょ。
 
 目隠亜蔵が腰を振る。その度に緑の眼孔が抉り取られる。血と粘液がペニスに引っ張られる。
 どろりと混じったピンク色が虫のペニスに引かれ溢れる。

 脳が搖れる。
 ペニスが出し入れられる度にじんじんと麻痺したような感覚が頭に響く。

 緑の叫びは中断される。目隠亜蔵のピストンが緑を黙らせたのだ。


「あ、あ、あ……」

 
 なぜか痛みは無かった。しかし、それが何を意味するか考える余地は与えられない。

 緑の耳音で爆音が鳴り響いていた。その音は外に漏れる事無く、緑の脳へ直接叩き込まれる。
 蝉の声だ。

 思考を全部覆い尽くすような大音量。緑の意識が刈り取られていく。

 ぷしゅっ。

 緑の股から小金色の尿が勢いよく噴き出した。パジャマのズボンを濡らし、足元に水溜りを作っていく。

「あ、あ、あ……」

 緑は自分が放尿している事すら気づいていない。

 目隠亜蔵はピストンを続ける。水音は蝉の声に掻き消されもはや聞こえない。
 だが目隠亜蔵は機械のような正確さでペニスを眼孔に擦り付ける。

 目隠亜蔵がひときわ大きく腰をった。思いっきりねじ込まれたペニスがドスと鈍い音を立ててぶつかる。

「おぉぉ?おぉぉおおお?!」

 脳へ直に叩き込まれた刺激に緑の意識が覚醒した。




「あっああ!……誰か……助けて!」

 緑は叫ぶ。自分の声すらもう聞こえていない。全てが蝉の声に塗りつぶされていた。

 もう限界だ。最後の力を振り絞り、緑は手を伸ばした。この部屋の出口。その扉へ伸ばした手が空を掴む。
 扉には届かない。部屋と家族のいる家を隔てるその扉は少し空いていた。


 緑は意識を失う瞬間、それと目が合った。扉の隙間に血走った目が浮かんでいた。



「助けてよ」
 


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