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睡蓮の町(完)

光ある蟲の教会

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 赤褐色の沼に沈んだ小さな町。沼を進んだその先へとマナはたどり着いていた。

 天を覆う黒い霧が唯一途切れた光射す地。そこには大きな教会が存在していた。沼にその半身を沈めながらも堅牢なその教会はその機能を維持している。

「光ある蟲の教会」

 教会に入る時、マナは金で彩られたレリーフを見つけた。レリーフに刻まれた文字をマナは思わず読み上げていた。かつてそこには別の名前があったようだが、その名前は削り取られていた。そして、上から新たに「光ある蟲の」と書き加えられている。

 マナはそれ以上はさほど気にすることもなく、教会へと入って行った。

 白く整えられた地面に泥のついた足跡を残す。

 大理石で造られたこの教会はきっと町で一番大きな建物であったのだろう。造りは堅牢で沼に浸かっている下層部もその内部までは泥の進行を許す事は無かった。教会内部は驚くほど清潔であり、そして静かであった。

 ぺたぺたと一人分の足跡を残してマナは教会の奥へと進んだ。床にはもれなく塵が積もっており、それは長い間誰もここを訪れていない事を意味していた。少なくとも、人間は。

 やがてマナは、教会の核心部たる聖堂へとたどり着いた。聖堂は長い時間が過ぎた今もなお重々しく威厳あるその風格を保っていた。

 高い窓から入り込む光がスタンドグラスを通過し虹彩を描き出している。その光は複雑に屈折し、とある一箇所に集約されていた。
 そこは聖堂の中でも最奥にある祭壇だ。あらゆる角度から投影された虹色のカーテンがまるで祭壇を守るヴェールのように振る舞っている。
 祭壇の上には飾り気のない本が一冊、安置されていた。

 天の光は、その本を照らしているのだ。

 あれが欲しい。
 マナはその本の元へと、歩みを進めた。


「魔女だ、魔女が来たぞ!!」

 光蟲の声。
 聖堂の天井には光蟲がびっしりと張り付いていた。

 天井だけではない。この部屋の至る所に光蟲は居た。空から降り注ぐ日の光に紛れ彼らの光は目立たない。
教会全体を明るく照らすその光に比べれば光蟲の放つ光はなんとも弱々しいものだ。たがそれがカモフラージュとなり、マナは既に自分が囲まれている事に気付いていなかった。

 光蟲達は一斉に飛び出しマナの体に纏わりついた。
歓喜をマナの上で這い回る事で表現し、カサカサと不快な音を立てる。マナは手で払うが光蟲は次々に飛んでくる。周囲を集団で跳び回られたマナは、虫の竜巻に閉じ込められた状態だった。光蟲に塞がれて前も後ろも見えず、移動することもままならない。出鱈目に突撃を繰り返し、マナの身体に止まってはカサカサと騒ぎ立てる。そして骸骨のような顔で不気味に笑うのだ。

「捕らえろ!捕らえろ!死なない魔女だ!」

 ついにマナはベルトからリボルバーを引き抜いた。そして、手頃な一匹、マナ目掛けて突っ込んできた光蟲へ狙いを定めた。

 引き金は直ちに引かれた。

 銃声は羽音を掻き消すように響き、マナの目前まで迫ったその光蟲は体液と蟲の破片が飛び散し、死骸となった。

 マナが発砲すると、マナに纏わりついていた光蟲が一斉に動いた。光蟲達はマナから離れると囲むように壁や床へと張り付いた。

 取り囲んでいた光蟲が居なくなり、塞がれていた視野が元に戻る。そして、祭壇へ向かっていたマナの前には先ほどまでは居なかった大型の生物が立ち塞がっていた。

 それは二匹のトカゲだった。

 トカゲは光沢のある黒色で、ぶよぶよとした皮膚に覆われている。その皮膚のせいで全身のシルエットは曖昧でずんぐりむっくりな印象を受ける。
そして、トカゲの平べったい頭には太いパイプが煙突のように刺さっていた。
 このトカゲの全長は人よりも大きく、口を開ければマナを丸ごと飲み込めようにも思える。

 二匹のトカゲの間を通り抜け光蟲がマナの前まで飛んでくる。光蟲は人間同士が会話をする距離まで近づくとぴたりと止まった。

「魔女よ、和解を申し入れる」

 その光蟲がそう言うと、周囲を取り囲んだ他の光蟲達も口々に喋る。

「我々は知能ある存在」
「無益な争いを好みはしない」
「聞くのだ、魔女よ」

 マナは少し考えるそぶりをした後、ゆっくりと銃の構えを解いた。

「分かったわ、どうぞ聞かせて」

 そうだ、それで良い。光蟲は骸骨の歯をガチガチと鳴らして笑う。


「争うべきでは無いのだ。なぜならば我らは賢者であり、そなたは無能たる人間種。さらに群である我らと個であるそなた。例え、魔女であろうとも、戦いは意味をなさない。ならば和平を受け入れ共存の術を教授するのだ」

「一つ訂正よ」

 遮って指を一つ立てる。

「何度も言ったけど、私は魔女では無い。魔女は悪魔の夫を持った超越者よ。私はそれじゃないわ」
「では、そなたは何だ?」
「私はマナよ。それだけの存在」

 光蟲は暫し、停止した。周囲ではひそひそと話し声が聞こえる。秘密の相談であろう、マナには聞こえない。

「承認した」

 やがて、観念したかのような神妙な口ぶりで光蟲が答えた。

「良いわ、じゃぁ続きを、共存とやらを話して」

「簡単な事である。無価値なる自我と引き換えに、その産袋を受け渡すのだ」

 マナの表情は変わらない。目線を動かし、一番近場の光蟲がどれなのかを探している。

「その身体を十全に扱うには人間の脳ではいささか機能不足。重石である脳を捨て、子宮を開き、未来永劫我ら偉大なる賢者の種を繁栄させよ。それが産袋を持つものの務めなのだ。全てを委ね、我らの子を産め」

 光蟲の台詞が終わると、マナはリボルバーを構え直した。目の前の光蟲を撃ち殺すのに躊躇は無く、五秒もかからなかった。

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