そう言えばの笹岡くん。

織緒こん

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それから編

和泉くんは胃が痛い

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 笹岡雄大ささおかゆうだいは、激しく動揺していた。晴れて恋人になった伊集院いじゅういん隼人はやとにデートに誘われたからだ。

 生まれて初めてのデート。日曜日にふたりで出かけるって、デートだよね?

 笹岡は不安になった。

 なにを着ていけばいいんだろう。お小遣いはどのくらい持っていればいいんだろう。部屋まで迎えに来てくれるって言ったけど、ホントにそれでいいのかな。

 朝風呂はなんとなく続けている。付き合うと決めた翌日はさすがにドキドキしたけれど、伊集院はいつもの通り⋯⋯いや、ちょっとだけ甘いくらいで。

 本人は気付いていないがなんとなく腰のものを隠しがちになっていて、伊集院は「俺をそう言う意味で意識している!」と内心で悶えている。

 それはさておき、笹岡は初めてのデートに戸惑って、誰かに相談することにした。

 誰か。

 それはやっぱり、頼れる弟だろう。

「なぜ来る」
「呼びつけるのも悪いと思って」

 寮の自室で緑林学園生徒会長、和泉いずみ御幸みゆきは「そういうことじゃない」と肩を落とした。相談されること自体が嫌なのだ。

チャラ男会計伊集院のことは、本人に聞け」
「まだ何も言ってないのに、わかるんだ。御幸君はやっぱりすごいねぇ」

 ほにゃんと微笑まれて、落とした肩がさらに落ちる。和泉は頭を抱えたくなった。

 笹岡が和泉の親衛隊に勘違いから私刑されそうになった一件から、風紀委員の助言で自分たちの関係を公にした。父母の結婚により継兄弟になったのだと言えば、笹岡はあっという間に親衛隊の警戒対象から外れた。むしろ、媚びられた。

 そこへ持ってきて会計を務める伊集院が、堂々と「口説いてる真っ最中です」宣言をかまし、拳闘部員の坪倉つぼくら真斗まさとが「抜け駆けすんな」と噛み付いた。

 クラスメイトは「そう言えばいたっけ」の笹岡が、突然イケメンふたりにアプローチを掛けられているのに驚いた。本人は困ったように眉をハの字に下げている。

 なんであんな地味なのがと、クラス全員の心が一致したところで、爆弾が落とされた。

「ハの字も可愛いけど、笑って?」

 伊集院が笹岡の眉間にチュッと唇を落とした。キャアアァァアッとチワワの悲鳴が上がり、一般生徒がどよめいた。冗談とか悪戯じゃなく、会計様は本気で地味な笹岡を落とそうとしている!

「会長様のお身内とは言え、あんなにお地味でいらっしゃるのに!」

 チワワのセリフはもはや意味不明だ。会長の身内は責められないが、地味にイケメンを掻っ攫われるのは豪腹だ。そんな気持ちがストレートに詰まった言葉である。

 しかし騒動はそれで治らない。

「伊集院君、駄目」

 小さく呟いた笹岡の眼差しが、とろりと揺れた。

 とんでもない色気だった。これはまずい。

「駄目なのは、雄大でしょ。俺のことは隼人って呼ばなきゃだし、そんな色っぽいカオ俺だけに見せなきゃだし⋯⋯ね」
「⋯⋯恥ずかしいよ、は、は、隼人」
「んーーーーッ、可愛い!」
「俺を無視するんじゃない!」
「当て馬、まだいたの?」
「誰が当て馬だ、エセチャラ男!」

 なんだ、このカオス。思いもよらぬ笹岡の色気と、本領発揮の伊集院、暑苦しい坪倉。

 クラスメイトは呆然とした。

 笹岡って、地味なだけで平凡じゃなくね?

 と言う囚人監視の中で取り付けられた伊集院と笹岡のデートは、生徒会長の親衛隊によって速やかに和泉に知らされた。

 別に知りたくなかった。

 夕食を終えて部屋に戻ると、風紀委員長万里小路までのこうじしずかからのメールだ。

『お前のお兄ちゃん、そろそろ親衛隊でも作んなきゃまずいよ』

 あの地味に、親衛隊? 和泉は未だ、笹岡の色気とやらに遭遇したことがない。ぽやっとしてお人好しなのはわかる。継兄弟として付き合いやすくもある。

 だが地味だ。

 気持ちを切り替えて、明日の予習でもしようと思い立った時、部屋の扉が控えめにノックされた。副会長か、補佐か、なにか急ぎの資料かと扉を開けると、ぽやんと微笑む笹岡がいた。

 廊下を歩く奴らに見咎められるのを気にして招き入れると、ありがとうとふんにゃり笑う。和泉の新しい兄は彼の母親に似てふわふわと笑うから、なんとなく無碍にできない。

 で、なんの用だと尋ねれば。

「伊集院君に誘われたんだけど、初めてのお出かけってどうすればいいのかな」

 勝手にしろ。

 他になにを言えばいいのだろう。

「は、は、隼人って名前で呼べって言われたり、いろんなことがありすぎて、どうしていいのか分からなくて。どんな格好がいいのかも悩んでて⋯⋯」

 だから、勝手にしろ。

 それか、伊集院に聞け。そうだ、それがいい。和泉は元凶に丸投げすることにした。

「⋯⋯伊集院に行き先を聞いて、それに合わせたドレスコードにすれば良い。現金は万札はある程度崩しておけ。心配なら親父のカードを貰ってるだろう。それ以前に財布なんぞ持たなくても、伊集院が全部出すだろうがな」
「えっ。駄目だよ、奢りなんて。僕たち学生なんだよ。ワリカンでしょ」

 正論をぶちかまされたが、セレブ御用達全寮制学園の生徒の言葉とは思えない。奢って奢られて当たり前だと思っていた和泉は、ちょっと驚いた。

「⋯⋯ちょっと待て」

 伊集院のデートプランと笹岡の中学生レベルのデート予想に、激しく行き違いがある気がする。和泉はなんとなく握り締めたままだったスマホのアプリを開いて、伊集院にメッセージを送った。

『週末のデートは完全お子さま仕様でいけ』
『えー、なんで?』
『学生のデートはワリカンだとほざくお子さまだからだよ』
『ゆーだ、そこにいるの?』
『いる。て言うか、ゆーだってなんだ』

「和泉君、スマホの文字打ち早いねぇ」

 笹岡が感心して眺めていると、和泉の部屋の扉が叩かれた。部屋の主がチッと舌打ちをする。

「開いている!」

 誰だかわかっているのか、嫌そうに応えると入ってきたのは伊集院だった。和泉は予想に違わぬ登場にもう一度舌打ちし、笹岡は突然乗り込んで来た相手を見て、顔を真っ赤にした。

「いじゅ⋯⋯隼人君、和泉君に用事? なら、僕帰るね」
「エライね、雄大。ちゃんと隼人って呼んでくれた」

 部屋から出て行こうとした笹岡を引き留めて、伊集院が甘やかに言った。

 誰だ、此奴は。伊集院の皮を被った別人じゃないのか? 和泉は彼の背中にファスナーがあるのじゃないかと疑った。もちろん、あるはずもない。

「雄大こそ、御幸に用があったんでしょ。待つよ」

 和泉に用なんか無いくせになにが『待つ』だ。

「ちょっと週末の相談をしてて⋯⋯。どこに行くのか教えてもらっていい? ドレスコードはある?」
「おしゃれしてくれるの? 嬉しいな」

 和泉は空気になった。いちゃつくな、俺の部屋だ。そして彼は知る。風紀委員長の懸念の意味を。

「おしゃれなんて、そんな⋯⋯」

 とろりと滴る、眦の色気。

 これかーーっ!

 ほんのり染めた恥じらいの薄紅色が、一瞬にして空気を変えた。継兄よ、地味はどこに置いてきた? これは学生寮に住まわせておいていい生き物なのか? これが傾国なのか?

「雄大はどんな服持ってるの? 一緒に選ぼうか?」
「ほんと? 迷ってたからたすかるな」
「待て! そこは当日のお楽しみで! 俺が選んでやる!」
「そっか、それもそうだね。隼人君、楽しみにしてて」

 服選びにかこつけて部屋に入り込むつもりだった伊集院は、笹岡に見えない角度で和泉に怨みがましい視線を向けた。

 ヤバい。継兄がチャラ男に喰われる。

 このままでは新しい母に顔向けができない!

 こうなったらデートプランまで口出ししてやる。健全に、明るいうちに寮にたどり着ける、清く正しく美しいプランを考えるんだ!

 キリキリ痛む胃を部屋着の上から押さえ、和泉は近隣のデートスポットを検索すべく、スマホの画面をタップした。
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