花咲く君は戀に惑う《一旦完結》

織緒こん

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 馴染みの酒場はいつにも増して賑やかだ。クリサンセマム――マムはそこかしこに飾られたいろとりどりの花をぼんやり眺めながら、隅っこでちびちび飲んでいる。視線の先にいるのは甘い顔立ちの冒険者で、本日の主役だ。貸し切りで結婚祝いをしている彼は、告白すらできなかったマムの恋のお相手である。

 親から受け継いだ花屋を営むマムは、好きな男の結婚祝いに呼ばれた。「最後の餞ってやつかなぁ」なんて思いながら貸し切った酒場を花で飾ったのはマムだ。彼の恋心に全く気づかない男は伴侶とともに「ありがとな!」と彼の元にやってくる。男よりひとまわり大きい伴侶を見て、自分は全く男の好みではないと再認識する。

 パーンは腕の立つ冒険者だ。四人組のパーティを組んでおり、結婚相手はその中のひとりだった。剣士のパーンよりも頭ひとつ分大きいがっしりした大男だが、人好きのする優しい笑顔であれこれとパーンの手助けをしている。あれほどの偉丈夫が好みなら、花屋の主人などなよなよしていてお呼びでないだろう。

「マムのおかげで良い祝いの席になったよ。ありがとな。随分おまけしてくれたんじゃないか?」

 祝い酒で赤く染まった頬を弛めて、パーンは礼を言った。友人として祝いの席に呼んでくれただけでなく、家業の花屋を信頼して会場の飾り付けを任せてくれたのが嬉しい。

「バレたか。ご祝儀だと思ってくれよ」

 パーンが支払った花の代金と飾り付けの手間賃は、相場よりも相当色がついていた。それに見合う上等な花を必死で集めた結果、うっかり予算を上回ってしまったのはお見通しらしい。

「他の招待客にも挨拶して歩くんだろう? 俺のことはいいから、こんな時でもなきゃ会えない人を優先しなよ」

 マムは鼻の奥がツンとするのを堪えて言った。

「悪いな。今度礼をするよ」
「いいよ。ご祝儀だって言ってるだろ。おめでとう、幸せそうで俺も嬉しい」

 祝い客の波に消えていく後ろ姿に祝いの言葉を贈ったマムは、手にしたグラスの酒を喉に流し込んだ。氷が溶けてすっかり薄くなったそれは、ちっとも酔いを運んで来ない。醜態を晒すほど飲んで恋心を忘れたい気持ちと、礼儀正しい花屋の主人の仮面を守りたい気持ちで揺れる。ぐちゃぐちゃな気持ちを持て余したマムは、会場を抜けることにした。壁に打ち付けられた杭に、招待客の上着が掛けられている。ずらりと並んだそれらの中から、マムは迷わず自分の上着を見つけた。酔客はどれが自分のものなのかわからなくなって大騒ぎするので、襟に割符がピン留めしてある。割符を外してカウンターの回収箱に放り投げていると、男に声をかけられた。

「花屋のお兄さん、帰るならどっかで飲み直さない?」

 歌うような朗らかな声には、振り向かずいられない何かがあった。そこにいたのはマムよりも頭ひとつ分大きい細身の男だった。恐ろしく美形である。特に話した覚えはないが存在は忘れようがない。パーンの冒険者パーティのひとりだった。

「えっと、どなたかはわかるんですが、初めまして?」
「はははっ、正直者だね。適当に話を合わせたりしないの、好きだなぁ」

 軽やかな笑い声は弾けるようだ。怪訝そうなマムに気を悪くするでもなく、彼は持っていた上着から割符を留めるピンを外して、ぞんざいに回収箱に投げ込んだ。

「俺はパーンとパーティを組んでるウィステリア。花屋のお兄さん、名前を聞いても?」

「クリサンセマムです」
「パーンがマムって呼んでるね。俺もいい?」

 断る理由もないので了承するとウィステリアは「ありがとう」と言って笑った。

 選んだ酒場はこぢんまりしていて、祝い酒が振舞われて賑やかだった店とはまるで違う静けさに満ちていた。ここにはマムが飾った花はないが、代わりに緻密に織られたタペストリーが飾られている。カウンターに並んで落ち着くと、マムはようやくウィステリアを観察した。

 身長はパーンの伴侶より少し低い。あの偉丈夫は規格外に大柄だったので、ウィステリアもかなり高身長だ。癖毛を後頭部で結えていて、キリッとした眉の下には眠たげな印象の瞳。オレンジ色のランプの灯りでは色を確認することはできないが、光を弾いて輝いている。以前遠目で見た時に、日に焼けた肌が異国めいていると思ったのを思い出す。

「そんなに見られると、照れちゃうなぁ」

 そうは言うが、ウィステリアに不快そうな様子はない。

「今更なんですが、パーンのパーティって顔面強い……。街の人が丸腰でも魔王に勝てそうって言うのがわかります」

 冒険者パーティ《命のかがやき》は有名だった。強さはもちろんだが、全員がとんでもない美形なのだ。マムはパーンと友人だったが、彼曰く「俺が一番地味だよ」とのことだ。平凡顔のマムは「鏡を見てこい」としか言えなかったが、確かに目の前にいるウィステリアは、異国情緒あふれる美しい男だ。派手な顔貌の部類に入る。

「流石に顔面だけじゃ、勝てないでしょ」
「そりゃそうですが……」

 ウィステリアが「はははっ」と軽やかな笑い声を立てた。特徴的な笑い方は楽しげで、マムの沈んだ心を浮上させる。

「パーンで耐性がついてなかったら、ウィステリアさんと並んでカウンターで一杯なんて無理でしたよ」
「なんで?」
「平凡の目には眩しすぎて」

 冗談めかして言ったが半ば本心だ。身体は平均的な中肉中背。水を張って花を入れたバケツを運ぶのは毎日で、それなりに力はあるが冒険者には敵わない。顔だって、どこにでもある普通の顔だし、髪も目もありきたりな焦茶色だ。

「まいった。君、無自覚なんだ!」

 ウィステリアはグラスの酒を一気に煽った。注文の前に水や炭酸水で割りもせずに提供されたところを見ると、彼はこの店の常連なのかもしれない。ガツンと音を立てて天板に置くとカウンターの向こうで店の主人が片眉を上げた。グラスは高価である。

「何がですか?」

 マムは静かにグラスを置いた。
「君のどこが平凡なの? 目鼻立ちは整ってるし、身だしなみは清潔感がある。物腰が柔らかくて相手に不安を感じさせないのが良いね」
「花屋がお客様を不安にさせてどうするんです?」

 整った目鼻立ちだなんて目の前の美形に言われても、審美眼を疑うだけだ。物腰が柔らかく見えるのは客商売をしているからだろう。なんだかおかしくなって、マムは笑った。

「笑うと目尻が下がって、もっと優しそうになるね」

 ウィステリアはマムのグラスと自分のグラスで音を鳴らした。主人が無言で差し出した新しいグラスには、並々と濃い色の酒が注がれている。彼は酒に強いらしい。マムの友人でウィステリアのパーティ仲間であるパーンもそれなりに飲む。冒険者には酒豪が多いのだろうか。

「蒸留酒を溶かしたチョコレートみたいな色だね」

 なんのことだかわからず、マムは首を傾げた。突然の話題転換かと思ったがそうではなかった。

「瞳の色」
「そんな例え、初めてされました」
「そう? めちゃくちゃ甘そうだけど」

 弾む声音で告げられると、マムは口を開けて閉じた。何かを言おうとしたが、混乱して言葉が浮かばない。ひとまず落ち着こうと目を閉じて深呼吸をしていると、遮った視界の向こうでウィステリアが声を殺して笑う気配がする。目を開けるとやはり彼は口を押さえて肩をゆらしていて、美しい顔貌に親しみが浮かんだ。

「揶揄いました?」
「まさか! 君があんまり自分に無頓着だから、おかしくなっただけさ」
「おかしいなら普通に笑ってください。あなたの笑い声、割と好きです」

 長く患った恋に引導を渡されたばかりの彼は、失恋相手の仕事仲間と酒を飲むという変な状況に陥っている。軽やかに「はははっ」と笑うウィステリアの声は、マムの屈託を弾き飛ばすようだ。

 マムがグラス一杯の水で薄めた酒を飲む間に、ウィステリアは並々と注いだ混ぜ物なしの酒を五杯流し込んだ。ウィステリアは面白おかしく冒険者家業の失敗談を語る。滔々と自分語りをするでなく、巧みな話術で共通の友人であるパーンの話題を盛り込んだ。気づけばマムもすっかりのせられて、花屋にくる面白い客の話をしたり水を入れたバケツが重いと愚痴を言ったりした。

 支払いはウィステリアがさっさとすませてしまい、店の主人も「払わせておけ」とマムが財布を出すのを止めた。飲んだ量も濃度を考えればマムの支払いは微々たるものである。

「誘ったのは俺だし、また一緒に飲んでくれたらいいよ」

 頭ひとつ大きい男はとなりに立っても威圧感がない。冒険者だから鍛えているはずなのに、彼の雰囲気がそうさせるのか。

「通り道なんだ」

 そう言って笑う彼はふわふわと踊るように歩く。ふたりはマムの自宅方面に向かっている。歩きながらウィステリアは自分は魔法剣士だと言った。細身で無骨な剣など握れるように見えないが、魔法剣士なら合点がいく。剣や刀は時代を経たり鍛冶師の強すぎる情念を浴びて鍛えられた時、強い魔性を帯びることがある。それらの剣はいかなる剛腕の持ち主でも、鞘から抜くことすらできないという。しかし剣の魔性と相性のいい人間なら、子どもでも抜くことができるのだ。実際に子どもに抜かせる大人は滅多にいないが、魔法剣士が使う剣とはそういうものというのが一般的な認識である。

「俺の魔剣、綺麗だよ。抜くと歌うんだ」
「剣が歌うんですか?」
「そうだよ」

 肯定するウィステリアの声音も歌のような心地よさだ。夜闇を照らす丸い月がふたりの穏やかな会話を見ている。背中に伸びる長い影がぴったり寄り添うように見えたが、マムは気づかず言葉を紡いだ。

「見てみたいって言うのはやめておきます。だって剣を抜くときは物騒な時なんでしょう?」
「マム君には危ない目に遭って欲しくないから、見せられないねぇ」

 月影の下でふたりは目を合わせて笑った。

「魔法剣士って、不思議ですね。花屋なんて見たままの花屋ですよ」
「見たままの花屋でない花屋があったら、それはそれで怪しい」
「それは確かに!」

 今夜はひとりで泣くのだろう。そう思っていたが、マムは笑顔で自宅兼店舗に帰ってきた。それもウィステリアに送られて。のんびり歩いていたはずなのにあっという間に感じられて、彼はウィステリアに感謝した。今朝の目覚めは最悪に憂鬱だった。自分で引き受けたとはいえ、片思いの相手の結婚祝いの会場を飾り付けるなんて。

「送ってくださって、ありがとうございます」

 マムは穏やかな気持ちで礼を言った。

「ちゃんと戸締りするまで見てるから、早く家に入りなよ」
「若い女性じゃないんですから……」
「冒険者の俺から見れば、若いお嬢さんも君もたいして変わらないよ。最近は色々物騒だからね」

 ダンジョンに潜ったり魔獣を討伐したりしている彼の言うことはもっともだ。マムはありがたく心配を甘受して、もう一度礼を言った。

「それじゃ、おやすみ」
「はい、おやすみなさい」

 誰かに就寝の挨拶をしたのはいつぶりだろうか。マムは不思議と満ち足りた気持ちで扉を閉めてかんぬきをおろした。だから彼は知らない。通り道だと言っていたはずのウィステリアが来た道を引き返したことも、上機嫌で歌う彼の口からぽろりぽろりと花が散っていることも――


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