上 下
2 / 12

呉服屋さんは今日も大変-2

しおりを挟む
 迷う時間ももったいなくて、無難な居酒屋チェーン店に決める。半個室になっているので、多少職場の愚痴を言っても周りの迷惑にならないだろう。

 自分用に冷奴と大根サラダを頼む。あとは結城の好きに選ばせたら、最初からシメのおにぎりセットを頼んでいた。ししゃもフライと唐揚げは外せないらしい。俺も好きだがこの時間には無理だ。それより野菜も食え。

 今どきは『まずビール』とはいかない。そもそも俺はビールが好きじゃないのでハイボールを注文すると、結城も同じものを頼んだ。

「お前の好きにしていいんだぞ」

「……大島店長、言いかた」

「何がだ?」

「俺もハイボール、好きなんすよ」

「なんだ、気が合うな」

 すぐにハイボールと枝豆が出てきて、ひとまずグラスを鳴らして喉を潤す。炭酸のぱちぱち弾ける感触が心地いい。

「で、塩沢チーフな」

 飯を食いながら嫌な話はしたくないが、結城を誘ったのは塩沢チーフの話をするためだ。彼は弱者を標的にして仕事を押し付ける困ったおっさんだ。結城は堂々とした青年で決して弱者じゃないが、入社三ヶ月の新入社員だ。若いイケメンというだけでしゃくに触るらしい。店長の俺が目を離した隙を狙って、結城に厄介な仕事を振っている。こいつは俺に告げ口をしたりはしないが、他のスタッフが全部報告してくる。あのおっさんは『店舗さん』と呼ばれる店舗採用の契約社員を顎で使うので、嫌われているからだ。

「チーフには注意しておくよ」

 俺の言うことなんか聞き入れやしないが、放っておくわけにはいかない。今日は採寸ミスのお客様のクレームだったのだが、塩沢チーフは入社三ヶ月の結城に対応を押し付けてバックヤードに引っ込んでしまったのだ。どんな職種だって、三ヶ月の新人にクレーム対応なんて荷が重い。

「俺みたいな若造が謝罪したんで、佐藤様は自分が蔑ろにされたと思われたんでしょうね」

 結城は枝豆の殻を律儀に殻入れに入れながら、ため息をついた。そうなんだよ、専門知識が必要な呉服屋だ。扱っている商品の性質上、若手よりも貫禄あるベテランが出るほうがお客様の安心感も強い。俺が遅い昼飯から店に戻ると激昂する佐藤様と丁寧に謝り続ける結城、そしてバックヤードで緊急性のない書類整理をする塩沢チーフがいたんだよ。そのとき赤城さんはDM発送のために郵便局にお使いに出されていて不在だった。これも塩沢チーフが顧客に発送するご案内DMだったらしいけどな。

「塩沢チーフ、見た目は貫禄あるからちょっとだけ結城と交代して謝罪してくれたらいいのに」

 ついでにチーフの名刺でも渡してくれりゃ、あのタイプのお客様はすぐに鉾を収めるんだよ。実際俺が『店長・大島祥悟』って名刺を渡したら、すぐに静かになったし。

「それに袖丈が左右で違うなんて、結城じゃまだわからないだろう」

「すみません」

「いや、俺たちだって想像もしなかったもんな」

 佐藤様は新規のお客様で、長襦袢の仕立てを承ったんだ。担当するご案内係は塩沢チーフでも結城でもない別のスタッフだが、あいにく今日はシフトが休みだった。今回のクレームは仕立てた長襦袢の袖丈が短くて、色無地の振りから飛び出してくるというものだった。店頭でお手持ちの色無地の寸法を測り、それを元に長襦袢の寸法を割り出したのでピッタリサイズのはずだった。それがなぜかサイズが合っていない。ベテランスタッフでも首を傾げる案件を、塩沢チーフは結城に丸投げしたんだよ。俺がいない隙にね。

 結局その場で着物の寸法を計り直したところ、佐藤様が数十年前にご自分で仕立てたという色無地は、袖丈が左右でずれていた。ちなみに佐藤様は花嫁修行で一着仕立てただけで、和裁士ではない。俺たち呉服屋にとって着物とは左右対称なのが当たり前で、袖丈を片方測れば問題ないはずだった。承ったときに測った袖が短いほうだったので、長いほうの袖に合わなかったのだ。着物を仕立てるときに袖丈が一寸(四センチ弱)も違ったら気づくだろう……とは、お客様に言ってはいけない。

「なんにせよ、消費者センターに電話される事態に陥らなくてよかったよ」

「大島店長が冷静に寸法を計り直してくれたおかげです。俺、とにかく謝るしかできなくて」

 結城は正直に入社三ヶ月目で知識が足りないことを説明したらしい。原因究明をしてから連絡する旨を伝えても怒りが増すばかりで、バックヤードの塩沢チーフに助けを求めても「そのくらい自分で対処しろ」と突き放してちっとも店頭に出てこなかったとか。女性スタッフが通りすがりの男性に怒鳴り散らかされていても出てこない男だ。相手が結城ならさもありなん。

「こうなったら、店長が帰ってくるまで謝り倒すしかないと思ってたんですよ」

「頑張ったなぁ。よしよし」

 手を伸ばして、テーブルの向かいに座る結城の頭を撫でる。半個室は程よい狭さでテーブル越しでもちゃんと手が届いた。きちんとセットされた短髪は、夜になっても清潔感を保っている。しっかりした髪質は俺のふわふわの髪の毛と違って、禿げる心配はなさそうだ――って、悲しくなることは考えるな、俺。

 佐藤様は自分が縫った色無地が失敗作だったことが露呈して、最終的にあちらが謝罪をして帰っていった。それでも最初に採寸を怠ったのはうちの店なので、お直しは無料で承ると申し出たが断られた。長襦袢はそのままにして、着物の袖丈を直すことにするそうだ。代金を頂戴して色無地をお預かりする。佐藤様をお見送りしていたらしれっと塩沢チーフが店頭に出てきたので、ひとまず注意はしてみたが、彼は返事もせずにフンと鼻を鳴らした。叱りつけたい気もするが彼は自分のしたことを棚に上げて、声高にパワハラだと叫ぶだろう。

「店長、よしよしって、やめてくださいよ」

 ちょっと考え事をしながら撫でていたら、手が止まっていた。その間結城の頭の上に乗せたままだった手を、彼が掴んで引き剥がした。乱暴さはない。いっそ丁寧だ。

「うわ、ほっそ……」

「お前の手がでかいんだ」

 掴まれた手首は結城の指に余る。俺は痩せ気味かもしれないが、成人男子の手首だ。骨ばっていて細いわけがない。

「で、いつまで握ってるんだ?」

「うわぁ、すみません!」

 まじまじと掴んだ手首を眺めていた結城は、焦ったように手を離した。ハイボールのせいか耳が赤い。俺は自分の手首を反対の手で掴んでみたが、ギリギリ回り切る程度だ。やはり結城の手はでかいな。

「赤城さんや白峰チーフからも報告が上がってるんだが、塩沢チーフの言動が辛かったら俺に言えよ。一応、上長だからな」

 おっさんには舐められ切っているがな。

「辛いって言うか、理不尽だなって思うことは多々ありますよ。入社三日目に、着物を着装してないのをめちゃくちゃののしられましたし、持ってないなら買えっていきなり五十万円近いローンを組まされそうになりましたし」

「あぁ、それな……」

 俺がシフトに入ってなくて塩沢チーフが店責だった日だ。エルダーアドバイザーの村山さんがバックヤードから怒り心頭のメールを寄越してきたんだった。村山さんは定年後も勤務形態を変えて勤めてくれているベテランお姉さんで、さすがの塩沢チーフも彼女を怒らせたくはないようだった。

「本社での研修がまだなのに、自装が下手だとか、トルソー着付けも出来ないなんて使えねぇとか、散々言われましたよ。なら、塩沢チーフが教えてくれればいいのに」

 まったくだ。とは言え、塩沢チーフがトルソー着付けをしている姿をみたことがない。もしかしたら手順を忘れているのかもしれない。俺が頼んでも店舗さんに丸投げだからな。自分でやらないので、腕は落ちる一方だろう。

 結城は本社研修を経て努力した結果、充分な時間があれば綺麗にトルソー着付けが出来るようになった。スピードは後からついてくるが丁寧さは最初から心がけなきゃならんので、結城の着付けの覚えかたは理想的だ。

「ちょっとだけ給料を貯めたんで自分サイズの仕事着が欲しいんすよ。店長にもらった着物の寸法を直すのと、ポリエステルや木綿で新しく仕立てるの、どっちがいいと思います?」

 店頭には和装で立つのが鼓乃屋の方針だ。新入社員は手持ちの着物が少ないので、先輩が譲ることも多い。俺も入社した時に配属先の店長からもらったので、次に繋いでいく。丈が違いすぎるのはご愛嬌だ。

「そうだなぁ。お前の和洋ミックス、お客様に好評なんだよな。今あるのはそのままにして、汚れてもいいポリでいいんじゃないかな。若手は着物を着てようがなんだろうが、荷物搬入やゴミ出しをしなきゃならないし。お前だったらデニム着物に革ベルトもいけてると思うよ」

 本社からもヤング層へのアプローチを強化するよう指示が出ている。あまりにも細かい決まりごとに着物自体を敬遠する人がほとんどなので、新しいファッションは常に提案していかなきゃな。

「ここぞというときに着るいい着物は、いつか一着持てばいい。お前の年齢で高額なローンを組んで、絹の着物を何枚も買い続けられる人はあんまりいないよ。それよりも着物はこんなにお洒落で素敵だって、お客様にお伝えできる装いが大切だ」

 もちろん実家がお金持ちだったり若くして一発当てたお客様もいるだろうが、そう言う人にぶち当たるのは運だ。

「うちの店はお姉さんたちが『伝統スタイル』をお客様にご提案してくれてるから、若手は好きに楽しんでいいんじゃないかな」

 コスプレ気分で着物を着たっていいと思うし、カジュアルなら尚更だ。そういう考えの気楽に着物を楽しみたい人が、古い決まりごとにひるんで着物自体を面倒くさいと思うんだよな。

「だいたい今の着装スタイルって、上流階級の着物が元になってるんだよなぁ。庶民は麻の単を通年着倒して、擦り切れたところは継いで、色んな柄を楽しんでいたはずなのに」

 そういう着物は使い潰して、最後はオムツになって雑巾になるから残らない。現存する古い着物は公家や武家の奥方や子女のために作られた美術品のようなものばかりで、そんなの一般庶民が日常の生活で真似をしようったって無理だろ?

「大島店長って、本当に着物が好きなんですね」

「悪い、語っちゃったな。酒が入るとつい……長井チーフよりはマシだぞ」

 一期後輩の長井はマニアと言っていいほどの紬好きで、紬の産地と技法を語り出すと止まらない。素敵な着物を奥さんにプレゼントするのが趣味という男だ。最近娘が生まれて赤ん坊に絹の着物を誂えようとして、奥さんに叱られたとしょぼくれていた。

「言うほど飲んでなくないですか?」

「このグラスを飲み切れるかあやしい程度には、弱い」

「うっわ、可愛いっすね。居酒屋チェーンのハイボールなんて、めちゃくちゃ薄いのに」

「可愛い言うな。上長だぞ」

「業務中ちっとも偉ぶらないのに、ここで上長って言いますか?」

 結城が大袈裟に肩をすくめた。顔は笑っている。

 店長の俺まで権力を主張したら、スタッフが萎縮して営業にならないじゃないか。マジで塩沢チーフをなんとかしないと、駅ビル店は崩壊してしまう。耐えきれなくて辞めていった店舗さんの補充で採用されたのが、テーブルの向かいで一杯目のハイボールを飲み切ったイケメンだ。

「お前は仕事の覚えはいいし、塩沢チーフにアレだけ意地悪されてもへこたれないし、これからも頑張ってほしいなぁ」

「しばらく辞める気ないんで、『決意のお誂え』です。今度シフトが一緒になったとき、反物を選んでくれませんか?」

「選ぶもなにも、店にあるメンズは数に限りがあるから、自分で好きなの選べばいいよ。それに、頑張ってほしいとは言ったけど、ストレスでどうにかなりそうだったらスッパリ辞めろよ?」

「なんすか、それ。店長の立場って人員が足りないから辞めるなっていうもんじゃないんすか?」

 店長の立場ねぇ。店長として俺が一番にしなきゃならないのは、塩沢チーフの振る舞いを改めさせることだ。本社の総務人事部に報告はしているが、なにしろ部長以上の役職持ちが根性論で育った世代だからな。彼の問題行動を問題だと思っていないのが問題だ。今時の若い者は辛抱が足りないなんて、時代錯誤にも程がある。

 ため息と共に、たいして減っていないハイボールをちびりとやる。

「店長、これと交換しましょう」

 俺の前に置かれたのは、冷たい烏龍茶だった。いつの間に注文したんだ? 結城の大きな手が、俺の手からハイボールのグラスを奪ってゴクゴク飲んだ。

「それ、飲みかけ……」

「風邪とか引いてないでしょ? 感染ったりしないから、平気です」

「いや、そうじゃなくて……」

 他人の飲んだグラス、平気なたちなんだな。俺も潔癖じゃないが、上司の飲みさしを飲む部下ってあるか? うーん、女性スタッフ相手はなしだな。長井は入社したころに潰れるまで飲んだ仲だからありか? 塩沢チーフの飲みさしは絶対ない。あの富士山口が飲んだグラスを想像するだけで眉根が寄る。結城は──嫌悪感は湧かないな。

「これ以上飲んだら、電車に乗れなくなっちゃいますよ」

「まぁ、それはそうかもしれないけど」

 そうなったら駅前のビジネスホテルにでも泊まるさ。平日ど真ん中だし、一部屋くらい空きがあるだろう。そんな話をしながら俺はちまちまと冷奴をつつき、結城は握り飯にかぶりついた。「あ、シャケだ」とつぶやいている。

 今日のところは俺の奢りだ。初クレーム対応と塩沢チーフのイビリに耐えたお疲れさんのご褒美だ。上長に格好つけさせろと威張ってやったら、結城は笑って「ご馳走様です」と言った。人好きのするいい笑顔だ。

 もともと落ち込んだ様子はなかったが、から元気ってこともある。俺がこの店に転勤してくる前に、塩沢チーフが原因と思われる退社騒動が三件あったからな。様子を見ておいてやりたかった。辞めてしまった店舗さんは本部の聞き取りに、体調を崩したとか家族の介護などの理由をあげていたが、家族と同居している二十代の独身女性が祖母の介護のために仕事を辞めるか?
 
 若い女性スタッフのフォローは白峰チーフに頼んでいる。俺が個人的に飯に誘うのはまずい。どうしたって閉店後になるので女性とのサシ飲みには向かない時間だからだ。そうなると俺が誘うのは長井か結城になるわけだが、長井は呑気だし奥さんの元に一刻も早く帰りたいヤツなのであまり心配していない。

 ほろ酔いで電車に乗って、俺のほうが先に降りる。結城はもうひとつ先の駅が最寄りらしい。案外近いな。

「お疲れさん。また明後日な」

「お疲れさまです。店長に反物を見立ててもらうの、楽しみにしてますね」

 扉が閉まるとガラスの向こうで結城が会釈をするのが見える。顔を上げたところに手を振ってやれば、笑顔が返ってきた。懐こい青年だ。あれほど人好きのする好青年を嫌うなんて、塩沢チーフは彼の若さを妬んでいるんだろうか? 相手が女性でも同じだから、関係ないか……

 自宅まで夜風を浴びながら歩く。ほてった額に心地いい。駅から徒歩で十分ちょっとで自宅にたどり着いた。レトロな外観のカフェだ。父さんと母さんが昭和と平成の移り変わりのころに開店した店で、俺はコーヒーの匂いに包まれて生まれ育った。母さんが他界してからは、今は父さんがひとりで商っている。

 真夜中に近いが、酔い覚ましにコーヒーでも飲もうか。この時間にカフェインを摂取するのは良くないが、身体が慣れている。多少眠りが浅くなるだろうが、目が冴えるほどじゃないだろう。

 父さんはとっくに眠っているが、うちのキッチンにはその日挽いた豆の残りがある。ジャムの空き瓶に入れられた豆は、ちょうど一杯分だ。明日は休みだが、カフェの手伝いはしなきゃならないな。なんとなく出たあくびを噛み殺しながら、マグカップの上にドリッパーをセットした。豊かに香るコーヒーの匂いに包まれながら、俺の手からハイボールを取り上げた大きな手を思い出す。

「……まったく、ひとまわりも年の離れた新人に心配されるなんてな」

 結城のことを考えて思わず笑いが込み上げる。あぁ、酔っ払ってるな、俺。なんで夜中に爽やかな青年を思い出して笑っているんだろう。父さんを起こさないよう必死で声を抑えるが、笑いの発作はしばらく治らなかったのだった。
しおりを挟む
1 / 5

この作品を読んでいる人はこんな作品も読んでいます!

弱みを握られた僕が、毎日女装して男に奉仕する話

BL / 完結 24h.ポイント:333pt お気に入り:10

愛して、哀して、胎を満たして

BL / 連載中 24h.ポイント:92pt お気に入り:141

王子様から逃げられない!

BL / 完結 24h.ポイント:6,283pt お気に入り:341

意味が分かると怖い話まとめ【解説付き】

ホラー / 連載中 24h.ポイント:255pt お気に入り:4

屋烏の愛

BL / 完結 24h.ポイント:49pt お気に入り:11

顔の良い灰勿くんに着てほしい服があるの

恋愛 / 連載中 24h.ポイント:21pt お気に入り:0

処理中です...