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魔王と女帝、ときどき店長-1

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 呉服展示販売会をアテンドする鼓乃屋スタッフは、着物着装の指示が出ている。一泊の荷物を牽いて着物で移動するのは人目を惹く。久しぶりに和装で自宅を出たら、近所のおばちゃんに「あらあら、京都にでも旅行に行くの?」なんて聞かれて曖昧に笑っておいた。

 加賀友禅をお勧めしたいお客様をアテンドするのに、店長がデニムやポリエステルの着物を着るわけにはいかない。白っぽい単衣結城紬に紋紗の単羽織、外歩きで足袋が汚れても気にならないよう黒足袋をチョイスした。

 ……結城紬。真綿の紬は暑いが施設の中はクーラーが効いていると信じよう。結城紬ををチョイスしたのに深い意味はない。どうせこれから顔を合わせる他店スタッフも、男性陣は大島紬か結城紬だ。紬の王様と女王様は、俺たちの世代は自邏じらで一枚は買わされている。

 俺が大島紬を着ていると「大島が大島を着ている」と揶揄われるので結城紬を選んだが、昨夜の結城が脳裏に浮かんで仕方がない。押し付けられたペットボトルのミルクティーは飲めなかった。すっかり常温だが、喉が渇いたときのためにキャリーの中に突っ込んできた。

 集合場所は東京駅の有名な待ち合わせ場所だ。和装の男女が数人見えて、すぐに鼓乃屋のスタッフだとわかった。俺の元上司、路面店の久米島くめじま店長が俺を見つけて片手を上げた。定年近い男性だが本社に席を設けず現場にいる人だ。俺は駅ビル店に転勤してくる前、路面店でチーフをしていたんだよ。

「おぅ、大島。大島紬は着てこんかったんか?」

「久米島店長がそれを言うと思ったから、やめたんですよ」

「そうか、つまらんな」

 久米島店長がニシシと笑った。食えないジジイだ。ロマンスグレーをオールバックにして、泥大島の長着に夏江戸小紋の羽織を着ている。粋な遊び人のような人だ。でも彼がいてくれて助かる。株式会社鼓乃屋が創業したときから在籍する久米島店長が相手では、塩沢チーフも腰が低い。

「おはようございます、大島店長。久米島店長」

 相変わらずの美女オーラを発して、駅ビル店のリーダーチーフが合流する。小柄だがしゃんと背筋を伸ばして立つ着姿は、着物雑誌の表紙のようだ。無地のお召しに季節を先取りした紅葉柄の帯を締めて、紗の羽織は狢菊だ。夏着物の生地を羽織に仕立てたんだろう。

「別嬪さん、おはようさん」

「おはようございます。二日間、頑張りましょう」

 久米島店長と俺の挨拶を受けて、白峰チーフはにっこりと微笑んだ。とても四十歳を超えているとは思えない美貌の彼女は、入社二年目から全店売り上げトップ・テンを下回ったことがない。さすがの着こなしは立っているだけで華がある。

 アテンドスタッフはお客様より早めの集合時間が設定されている。各店舗スタッフがやや揃い、催事企画部の部長を囲んで簡易的な朝礼が始まる。まだ来ていないスタッフは、待ち合わせ場所がわからないお客様をご案内してくる予定だ。塩沢チーフは駅ビル店の最寄駅でふたりのお得意様と待ち合わせて、ここまでいっしょにやってくることになっている。社用のスマホに無事にピックアップしたと、スリーショットの画像付きでメッセージがきている。おっさんが張り切りすぎていて、しんどい。

 そうこうするうちにお客様もちらほらやって来て、あちこちでお出迎えの挨拶と参加へのお礼の言葉が聞かれるようになって、集団の輪が膨れ上がった。各店のスタッフとご招待客、本社の社員を合わせてざっと百人だ。修学旅行並みだな。

 路面店時代に俺がご案内していたお客様と再会したり、駅ビル店の留守番スタッフのお客様に挨拶しているうちに、出発の時間が近づいてきた。全店で急なキャンセルも数件あったが、全員との連絡が取れたことで移動する。ゾロゾロと和服の集団が移動するのを最後尾付近から眺めながら、新幹線ホームで待ち合わせしたほうがよかったんじゃないかと思った。そこは催事企画部が立てたタイムスケジュールなので、余計なことはお口チャックだ。

 合流した塩沢チーフがご案内してきたお客様も指定席に着き、無事に挨拶を終えて一息つく。喉が渇いたな。なんか飲むか……少し迷って、コンビニで買ってきたジャスミンティーを飲むことにした。まだ冷たくて、朝から喋り通しの喉が潤う。キャリーケースのミルクティーは非常食にしよう。って、飲み物は非常食とは言わないのか、と自分にツッコミをかました。

 お客様はほぼ女性で、半数が和装での参加だ。せっかくの金沢だし、鼓乃屋のスタッフは間違いなく和装なので気後れせずに着てみたとの声がある。和装で出かけるときに気になるのは、やっぱり連れの存在だろう。着ている本人が気にしなくても、連れ立って出かける相手は行動を制限されると感じるようだからな。

 気を使われることに気を使う、と言うのが、着物好きが出かける上でのネックだ。その点呉服屋のスタッフは着物を着たまま段ボールだって担ぐからな。

 外国人旅行客に話しかけられたり写真を撮られたりしながら、和やかに新幹線の旅を楽しんでもらう。鼓乃屋スタッフは通路を行ったり来たりしながら、お客様が退屈しないように喋り続けた。ちなみに塩沢チーフと目があったが、挨拶はしてこなかった。坊やちゃんの俺のほうから挨拶するべきだと思っているようだ。お客様や他店の店長の前でもある。俺はこちらからは絶対に挨拶しないと決めた。

 早めの昼食を新幹線の中でとり、いよいよ金沢にやって来た。明日の展示販売会でどれだけ気持ちよく購入してくれるかは、今日の観光にかかっていると言っていいだろう。幸い塩沢チーフは馬が合うお客様との関係は良好だ。スタッフを相手にしたときの尊大さは露ほども見せないので、そこのところは安心している。でなければ店長にまで上り詰めない。

 着物を着るのは久しぶりのお客様も多いので、女性スタッフはさりげなく帯の歪みを直して差し上げたり、階段を歩く際の所作を教えたりしている。そこは俺たちが口を出すとセクハラの危険もあるので白峰チーフにおまかせだ。お茶の先生をされているお客様などは、こちらが教わることも多い。

 金沢駅は木造の荘厳な鼓門が素晴らしい。鼓乃屋は勝手に鼓の文字をなぞらえて、今回の金沢ツアーを盛り上げている。催事企画部の部長が先頭でお客様にそんな説明をしているが、大人数のため聞いているお客様は少ない。

 流石にこの人数で集団行動は無理だ。店舗ごとに分かれて、それぞれ観光することになっている。ここからは他店の先輩社員や本社のお偉いさんとは別行動になるので、塩沢チーフが俄然張り切るだろう。

 駅ビル店は駅からあまり移動しない計画を立てた。荷物を先にホテルへ送って、まずは鼓門の前で記念写真を撮った。その後兼六園へ向かう。金沢駅東口からバスが出ているが始発なので大体座れる。お客様は全員座っていただいて、他の乗客があらかた座ったところで空いた席に白峰チーフを……と思ったら、年寄りぶって塩沢チーフが座った。ここはレディーファーストだろうに。

「白峰ちゃんも祥悟も若いからなぁ。俺もうおじさんだから」

「あら。鼓乃屋のスタッフさんて、仲がよろしいのね。店長さんのこと、お名前で呼んでいらっしゃるの?」

「おっと、いけませんね。白峰ちゃんは妹みたいなものだし、祥悟は新入社員のころから面倒を見ているので、つい」

 頭を掻きながら照れ笑いをする塩沢チーフを見て、お客様たちが笑いさざめいた。チラリと白峰チーフを横目で見ると、美しく微笑んでいるが視線がブラックホールに吸い込まれているようだ。美女が微笑みながら怒りマックスって、マジ怖いな! 白峰チーフは時々ちゃん付けて呼ばれているが、俺は名前呼びなんてされたことねぇよ。だいたい俺は店長で白峰チーフはリーダーチーフだぞ。ここにいる駅ビル店スタッフの中で一番の下っ端は塩沢チーフだ。偉ぶるつもりはないが、日頃の小さな上司イビリの被害者としては地味にイラつく。

 バス移動中は白峰チーフにお喋りを任せることにして、お客様に断って社用スマホを取り出す。SNSをチェックすると、店責を任せた長井チーフから連絡が入っていた。午前中から振袖客が二組ご入店で、ご試着におおわらわとの報告だ。振袖選びは時間がかかるので、開店すぐのご試着開始でも契約までは無理か。お嬢様が気にいるコーディネートを頑張ってくれ。

『お疲れさま。頑張って』

 短い返信をするとすぐに既読マークが付いた。続けてピロンと画像が現れる。ピースサインをする振袖のお嬢様の左右に、やり切った表情の結城と赤城さんの姿だ。

『イェーイ』

 長井チーフ、これは一応仕事の報告では? 気楽な一言はこの振袖コーディネートが決定したと思っていいんだな。思わずプッと吹き出してしまって、皆さんの注目を浴びる。

「すみません。店に残してきた長井チーフの定期報告が、あんまりにも気が抜けていて。店長に報告するのに『イェーイ』ってなくないですか?」

「長井君らしいわね」

 当たり障りなく、スマホチェックも仕事のうちだとアピールすると、長井チーフのお得意様が笑った。彼のお客様は朗らかな方が多い。

「せっかく山田様がご参加くださったのに、長井が留守番で申し訳ないです」

「いいのよぅ。長井君にはお土産を買って行くわね!」

 楽しんでいただけているようで何よりだ。

 混雑を避けて美術館前のバス停で降りると入り口までは少し歩くが、すでに情緒ある風景なのでお客様からの不満はなかった。兼六園は素晴らしかった。社用スマホのカメラ機能が大活躍である。天気にも恵まれてそぞろ歩きにはもってこいの日和だ。ゆっくり一時間ほど散策して記念写真を撮りまくり、お客様のSNSへ送る。以前はデジタルカメラで撮影したものをいちいちプリントしてご来店時に差し上げていたのだが、便利になったものだ。

 このころになるとお客様にも疲れが見えてくる。そのへんのベンチに座ってペットボトルを配るわけにも行かないので、あらかじめ調べておいたカフェに誘導する。実は結城が口コミを集めてメールで送ってくれた店だ。旅行雑誌にも載っているらしく、数名のお客様がきゃあとはしゃいだ声を上げた。女性はいつまでも若々しくて元気だ。

 ここはお客様がご自分で支払いをすることになっていて、各々好きにケーキセットなどを注文してもらう。スタッフはもちろん業務中なので、喉を潤す程度だ。観光地価格のコーヒーは値段の割に至って普通の味だった。ケーキはお客様の前に並ぶ色とりどりのケーキは芸術品のように美しいので、カフェと言いつつメインはSNS映えするケーキなんだろう。父さんの店とはコンセプトが違う。

 お客様同士もすっかり打ち解けて、スタッフが介入しなくても話が弾んでいる。比較的年齢が近いご婦人ばかりなので、なかなか結婚しない息子さんへの愚痴や生まれたばかりの孫のことなど話題は尽きないようだ。

 この隙にSNSをチェックすると、長井チーフからの定時連絡がきちんと送られてきていた。今度は村山さんと郡上さんが振袖のお嬢様と写っている画像が添付されていて、吹き出しの中には『こっちもイェーイ』の文字がある。振袖のコーディネートをみてざっと金額に当たりをつける。すごいな、今日の売り上げ目標は軽くクリアじゃないか。スマホを白峰チーフと塩沢チーフに回して画面を確認してもらったが、ふたりの反応は正反対だった。白峰チーフは微笑んで頷いたが、塩沢チーフはなんと眉を眇めて舌打ちをしたのだ。
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