聖女の兄は傭兵王の腕の中。

織緒こん

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寝台と腕(かいな)と我が儘と。

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 傭兵団の正体が大公領の騎士団だと言うことは、バレてはならない。当然だ。理由を言われれば納得する。ギィは城砦には帰ってこない⋯⋯こられない。

 ギィは夜闇に紛れて何通かの手紙を寄越した。そのうちの一通は俺宛てだった。書けないけど読める異世界謎チートのおかげで、彼のメッセージは無事に俺に伝わった。

『俺の部屋の寝台は、好きに使ってくれ』

 ⋯⋯馬鹿。ベッドがあったって、アンタの匂いがしないんじゃ意味がないだろう?

 ギィの部屋の鍵は三本あるそうだ。金庫の中に一本、家宰のキノさんの懐中ふところに一本、そして王子付きの侍従長が一本。そのうちの王子付きの侍従長が管理している鍵を、なぜかシュウさんが持っていた。本来の持ち主はギィと一緒に王都に赴く際、シュウさんに預けて行ったのだと言う。

 馬鹿なんて言いながら、それでもギィの部屋にやって来てしまった。あるじのいないベッドはシーツが冷たくて、なんとなく寂しい。

「継ぎの間に控えておりますので、お部屋にお帰りになるようならベルを鳴らしてください」

 シュウさんはベッドのサイドボードの上にある、ガラスでできた持ち手付きの小さなベルを指し示した。俺の人生の中で、こんなものを使う日が来るなんて思ってもみなかった。さすが王子様の部屋だ。

 そんな夜を幾日か過ごして、冷たいシーツが自分の体温でぬくもっていくのを切なく思った。ベルを使うことはなく、朝日が昇るころにひとりで自分の部屋に戻る。俺の部屋はギィの部屋に近いので、わざわざ仮眠しているシュウさんを起こすことはないと思ってのことだ。⋯⋯なぜかシュウさんは扉の前に立っているけれど。

 ギィから貰った手紙への返事は、シュウさんに代筆してもらった。口述筆記って言うんだっけ? ギィ宛ての手紙の内容を、シュウさんに知られるのは恥ずかしい。結局当たり障りのない言葉を選んで手紙を書いてもらった。シュウさんは俺が言えない心の声を書き足すことはできない。だって、書いてもらった手紙は、謎の翻訳チートで読むことができるんだもん。一番伝えたいことはぐっと飲み込んだ。

 今夜もミヤビンに就寝の挨拶をして、ギィの部屋に向かう。

 居間を通り抜けて、真っ直ぐに寝室に向かうとドアノブに手をかけた。押し開こうとして手が止まる。五センチほどの隙間から、人の気配がした。

 侵入者?

 バクバクと音を立てる心臓を宥めすかしながら、そっと扉を元に戻す。五センチ開けた時点で相手にはバレているだろうけれど、なるべく音を立てないように後退さる。大声を出すべきか、刺激しないように静かにしているべきか⋯⋯。二歩三歩と退がると後ろに控えていてくれたシュウさんにぶつかった。一瞬存在を忘れていたので、口から心臓が飛び出すほど驚いた。

「⋯⋯誰か、いる」

 息を殺して小さな声で訴えると、シュウさんがクスクスと笑った。なんで?

「大丈夫ですよ。⋯⋯殿下、こそこそなさるから、ルン様が怯えてしまわれましたよ」
「殿下?」

 コニー君じゃないだろう? この気配はもっと、覇気があるっていうか⋯⋯。

「ギィ?」

 いや、まさか。だって、王子様の姿では帰ってこられないし、傭兵が出入りするのもはばかられるんだろう?

「ただいま、ルン」

 寝室の扉が開かれて奥から姿を現したのは、まさしくギィ本人だった。いないはずの人を目の前にして、俺は呆然と立ちすくんだ。

 城砦を出て行ったときは王子様然として煌びやかに装っていたのに、初めて会ったときのような無骨な革鎧を身に着けて無精髭を生やしている。まるっきり傭兵団の副団長だ。

「おかえりと言って迎えてくれないのか?」

 ギィが微笑んだ。

「⋯⋯本物?」
「こんなむさ苦しい男の偽物がいたら、暑苦しくてたまらないだろう」
「⋯⋯いや、傭兵団にはいっぱいいたよ」

 腕を広げていざなわれて、俺は吸い込まれるようにその場所に収まった。大きな身体にすっぽり包まれて呆然とした心地のまま、確かめるようにギィの背中に手を回した。回りきれない胴の太さに、本物のギィだと確信できた。

「ただいま、ルン」
「⋯⋯おかえりなさい」

 もう一度、今度はささやくように言われて、俺はようやっと返事を返す。ぎゅうぎゅうとしがみつくように抱きついて、ギィの匂いを胸に吸い込む。すえた汗と湿った革の臭いは決していい香りではないけれど、神殿近くの仮宿でいつも傍にあった安心できる匂いだ。

 しばらく何も言わずにギィの体温を感じていたけれど、多分それどころじゃない。なんでギィがここにいるのか問いたださなきゃ。いや、ここ、ギィの部屋なんだけど。問題はそこじゃない。

「傭兵が城砦に出入りしてちゃ、まずいんじゃないの?」

 腕を弛めてギィとの間に隙間を作る。視線を合わせようとすると、俺は自然に彼を見上げる姿勢になる。ギィの手は俺の腰に回ったままだから、ちょっと背中を反らせて手を彼の胸に当てて身体を支えなきゃならない。

「俺の部屋には、脱出用の隠し通路があるんだ。そこを逆行してきた」

 何でもないように言われて、妙に納得する。確かに王位継承権を持つ大公の嫡子に与えられる部屋だ。そんな仕掛けがあってもおかしくはない。

「だからって、危ない真似をしちゃダメじゃないか」
「⋯⋯会いたいと思ってくれたんだろう?」
「え? あの、そんなこと⋯⋯」

 優しく微笑まれて、胸が痛くなる。会いたいと思ったけれど、ギィが帰ってこられないとわかってからは、一度も口にしていない。

「手紙に書いてあっただろう? ⋯⋯ルンの国の言葉で」

 え? 何で読めるの? そんな馬鹿な⁉︎

 この世界の誰も読めない文字。シュウさんに代筆してもらった手紙の最後に、なんとか覚えたジュナイヴ語のスペルでサインをして、その後ろにカタカナで『ルン』と書いた。それから、小さく『会いたい』と。

「どうして? この世界の誰も読めないはずなのに」
「お前さんの世界からは、もうひとり来ているだろう?」

 それにしたって、サインを終えたあとはすぐにシーリングをしたから、ミヤビンの目に触れる機会はなかったはずだ。⋯⋯まさか。

 ハッと思い至って振り向くとシュウさんがにっこり微笑んだ。

「あまり難しい記号ではありませんでしたので、思い出しながら書き出してビン様にお見せしました。意味を教えていただいて、それを私からの手紙で殿下にお知らせしたんですよ」

 いーやーッ! しれっとシュウさんが種明かしをして、俺はその一瞬でボボっと頭に血を昇らせた。顔が熱い。

「シュウさん! 何てことするんですか⁈」

 両手で顔を覆う。冷たい手のひらに熱が伝わる。何てことだ、恥ずかしいにも程がある!

「だからって、何で帰ってくるんだ⁈ 城砦にギィがいたらダメなんでしょう? 宰相に見つかったらどうするの⁈」

 恥ずかしさを誤魔化すように大きな声を出してみたけれど、自分で言って慌てる。見つかったらどうするんだよ⁈

「そうだな、何度もは帰ってこられない。だからこの一度を大切にしたい」

 ギィが熱っぽく言った。手首を掴まれて顔を覆っているのを引き剥がされる。赤くなっているはずのほっぺたを見られたくなくてそっぽを向くと、屈み込んだギィの唇が耳を掠めた。

「俺たちは王都を捨てることにした」

 耳に吹き込まれた声は熱かったのに、その言葉は冴え冴えと冷たかった。

「傭兵として潜伏し、機を見て陛下を奪還する。宰相はかの御方おんかたを立てることで己が身の正当性を主張している。国のいしずえは城ではない。陛下だ。毒に冒され宰相の傀儡に甘んじておられる陛下を、お救い申し上げねばならないんだ」

 王子様だ。

 無精髭を生やして薄汚れた革鎧を身に着けていても、この人は生まれながらの王族なんだ。国をわたくしする奸臣を放っておくなんてしない。

「次に会えるのは、陛下をお救い申し上げたあとだ。だからその前に、ルンの元気な顔を見ておきたかった」

 ギィは俺の手首を掴んでいた手をほっぺたに移した。たなごころやわく包み込まれて、俺は再び顔が熱くなるのを感じた。そして目頭が熱くなるのも。

「⋯⋯俺の泣き場所は、あんたのベッドなんかじゃない。この腕の中だって言ったのは、ギィじゃないか」
「そうだな」
「行っちゃイヤだなんて言わない。俺も連れて行け」
「いい子だから、城砦にいてくれ。ここが一番安全なんだ」

 勝手にほっぺたを濡らす水滴を、ギィの唇が拭う。いつまで経っても子ども扱いだ。

「俺が傍にいたら、大義名分にならないか? 傭兵の隣に聖女っぽい人間が並んで立っていたら、宰相の陣営が揺れたりしない?」

 欲得で繋がるだけじゃなく、宰相の善人面に騙されている人だっているだろう。そういう人々を宰相から引き離すきっかけになれたらいい。

「馬鹿なことを言うな。ビンはどうするんだ?」
「それこそ、ここが一番安全なんだろう? 俺がギィと一緒に行けば、ビンちゃんを隠し切ることもできると思わない?」

 奴らは召喚された聖女におまけの兄がくっついてきたことを知らない。だったら、カリャンテ大公領に捜索の手が回ってきたときに、俺がまったく違う場所でウロチョロしてやればいいと思うんだ。性別はともかく見てくれは聖女っぽいらしいから。

「本物の聖女が宰相の手に落ちたらお終いでしょう?」

 ミヤビンの貞操の危機のみならず、宰相への王位譲渡への道が開いてしまう。

「⋯⋯ダメだ。この間と違って、労働の依頼ばかりを隠れ蓑にするわけじゃない。紛争地域を拠点にするつもりなんだ」
「だったら尚更、俺を連れて行けよ。どうせ飯マズなんだろう? 胃痛や腹痛でいつもの力の半分も出せないんじゃあ、あの世が近いじゃないか」

 ギィが一瞬固まった。やっぱり飯マズなんだ。王都に向かうときは王子様御一行だったから、それなりのお宿で美味しい食事をしていたはずだ。帰りもそのつもりだったから料理人は連れて行っていないし、若い奴らの当番制なんだろう?

「それでも同行は許さない。ここで安全に守られていてくれ」
「寂しくて死んじゃうから、イヤ」

 我が儘って言われても構わない。会いたいと願った想いを叶えて嬉しがらせたんだったら、最後まで責任とって傍にいさせてくれよ。

 涙がまた、ほっぺたを伝って落ちた。
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