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涙とキスと永遠の愛の言葉。
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「ルン、自分が言っている意味を、理解しているのか?」
「⋯⋯俺が戦闘に巻き込まれる可能性があるのは、理解しているよ」
「違う、そこじゃない。俺の傍らにあるのならルンの身体に新たな傷など、髪の毛一筋ほどのものとて付けさせはしない」
ギィの手が俺の背中を撫でた。寝間着越しでも、ゴツゴツした力強さを感じられる手だ。彼は衣の下にある、左の肩甲骨の上から右の腰骨まである傷痕をとても気にしている。この傷はギィに出会う前のものだから、彼が気にする必要はないと思うのだけれど。
でも戦闘に巻き込まれることじゃないのなら、なんだと言うのだろう。
「他に何かあった? あ、ビンちゃんは置いていくよ。ここは安全だし、俺が囮になるんだったら別の場所にいたほうがいいよね?」
「それも違うが、そんなに簡単に自分を囮にするようなことを言うんじゃない」
うわ、藪蛇だった。ギィが気にしていなかったところをつついてしまったようだ。怖い表情で覗き込まれる。心配してくれているのがわかるから怖くないけれど。
「ルンは俺がいないと寂しくて死んでしまうのか?」
「え、そこ⁈ そこは恥ずかしいから聞き流してよ‼︎」
「聞き流せるものか!」
視界が真っ暗になった。
何が起こったのか一瞬わからなくて、呼吸を忘れた。⋯⋯そうじゃない、俺の背中に回ったギィの腕の力が強すぎて、胸が苦しい。逞しい胸におでこを押し付けるようにして抱き寄せられているのに気付く。
「今のルンは飢えた狼の前で、腹を出して寝ている兎だ」
「⋯⋯例えがわからないよ」
狼の前になんて飛び出したりしないよ。俺は死ぬ気なんてないからな!
「わからないのか? お前の世界では、男を狼に例えたりはしないのか?」
身体が浮き上がった。軽々と抱き上げられてお尻の下から腕一本で支えられる。安定のお父さん抱っこだ。ギィの肩に手を置いて見下ろすと、下からギラつく視線が突き刺さる。眦の下がった優しい笑顔じゃない。餓えた瞳だ。
「⋯⋯会いたかったのは、お前だけじゃないってことだ」
どう言うこと?
首を傾げた俺の後頭部に、ギィの自由なほうの手が添えられる。ぐっと引き下ろされたと思ったら。
唇が触れた。
ほんの瞬きの間のキスは、気のせいかと思うほどすぐに離れた。ギィがちろりと自分の唇を舐めたのを見て、現実の出来事だと理解する。あまりの色気に眩暈がした。
どうしてギィはこんなことをするんだろう。
「今すぐにでも妃に迎えたいのを、我慢している俺の身にもなれ」
妃? ⋯⋯って王族の奥さん?
「異なる世界に迷い込んできたばかりで混乱しているだろうから、煩わせないように我慢していたというのに、人の努力を無駄にしやがって」
歯噛みするギィの言葉が俺の頭を素通りしていく。俺は目も口もぽかんと開いて、色気の滴る男臭い顔を見下ろした。
「聞いているのか? 俺はお前を好きだと言っているんだ。そんな相手に『会えないと寂しくて死んでしまう』なんて言ったからには、覚悟ができてるってことなんだろうな?」
「⋯⋯覚悟?」
「俺に愛される覚悟だ」
⋯⋯俺は夢を見ているんだろうか?
「ギィに愛されるって、ギィは俺を好きなの?」
「愛している」
「⋯⋯愛してるって、好きってこと?」
意味は理解している。けれど、俺に向かってその言葉が紡がれたことが理解できない。だってミヤビンと俺はギィに保護された被保護者で、俺が勝手に彼のことを好きになっちゃっただけだ。
「好きだ、愛している。どれだけ叫んだら、伝わる?」
「⋯⋯わかんない。混乱してる。ギィが俺を好き? 俺がギィのことを好きだから、都合のいい夢を見ているんじゃなくて?」
半ば自分に問いかけるように呟くと、見下ろす先でギィが笑った。
「ギィガルシュ⋯⋯俺の真名はギィガルシュ・シュシュリー・カリャンテだ」
「真名⋯⋯?」
真名って、あの、真名? 一生に一度、たったひとりに捧げる、真名?
「呼んで、ルン」
真摯に懇願されている。
「お願いだ。ギィガルシュと呼んでくれ」
「⋯⋯ダメ、シュウさんに聞こえちゃう」
「もうとっくに部屋を出て行ったよ。ここにいるのは俺とお前だけだ」
何度か口を開けて閉じる。緊張しすぎて息が苦しい。本当に、俺がギィの真名を口にしていいんだろうか?
躊躇っていると、引き寄せられて唇が重なった。今度はすぐに離れていかず、何度か喰まれた。最後にギィの舌がちろりと唇を舐めてきて、羞恥に唇を噛み締めた。本当に、ギィは俺を好きなのか?
「ギィ⋯⋯ガルシュ」
この世界の人々が、生命の次に大切にしている名前を恐る恐る口にする。ほとんど呼気に紛れて掠れた声だったのに、ギィはとろりと嬉しげに眦を下げた。
「もっとだ。何度でも呼んで。それが出来るのはルンだけだ」
「ギィガルシュ」
「愛している。ルン」
どんな愛の言葉より、明かされた真名が俺を縛る。
「⋯⋯桜木薫だよ。俺の名前は桜木薫。桜のように薫香高くあれって意味」
桜の花は香らない。香るのは葉っぱだ。桜餅の香りって言ったらわかりやすいかな。
「サクラギカオル?」
「薫。カオルだよ。桜木の家に生まれた薫。カオルンとかルンルンって呼ばれてたから、ルンって名乗ったんだ」
「そうか、カオルか。不思議な響きだ。美しい名前だな」
嬉しい。この世界に来て、名乗ることがなかった俺の名前。生まれて最初に両親から贈られたプレゼントだ。元の世界から持ってこられたものは、俺の身体と名前だけ。その大切な名前をギィが呼んでくれた。
そうか、真名ってこういうことか。自分だけの大切な名前を大切な人に伝えるという行為は、正しく捧げると呼ぶのにふさわしい。
抱き上げられているせいでギィよりも高い位置にある俺の目から、ぽたぽたと雫が滴った。俯いたからほっぺたを伝わらずに、ギィの頬に降り注ぐ。
「ルン、俺だけのカオル。愛しているから連れていけない」
「イヤ。気づかれないつもりの我が儘を叶えたギィが悪い。真名を言い逃げするなんて許さないからな。俺も一緒に行く」
我慢して待っているつもりだったのに、会いに来たギィが悪い。挙句、真名を告げるだけ告げてトンズラするなんて冗談じゃない。
「我が儘を言わないでくれ」
困ったような、けれど怒りは感じない微笑みでギィの眦が下がった。日に焼けた目尻に浮かぶ皺を見て、ほやっと「好きだな」って思った。
「ギィにしか我が儘言わないよ」
涙でにじむ視界にに見切りをつけてぎゅっと目を閉じて、コツンとおでこをギィの同じ場所にくっつけた。
「俺の泣き場所、ここなんだろう?」
「⋯⋯泣くな。いや、矛盾しているな。お前の泣き場所は俺の腕の中だけなのに、今、お前の泣き顔が切ない」
俺の流れる涙を唇で拭いながら、ギィが苦しげな声を漏らした。ゆらゆらと揺れて、彼が数歩歩いたのがわかった。すぐにソファーに腰掛ける気配がして、俺はギィの膝の上に下ろされた。向かい合って彼の太腿に跨るように座らされて、背中に回った手で引き寄せられた。
ギィの胸に縋るように抱きしめられて、温もりに安堵する。
「ギィはさっき、『愛される覚悟はあるのか』と尋ねたよね。その言葉、そっくり返すよ。愛されるのなら、宝石箱にしまわれて、たまに愛でられる特別な指輪のようにはなりたくない。俺は魔法は使えないけれど、魔法使いにとっての聖蹟輝石のようにいつもギィの傍にいたいと思う」
傍にいられない時間が、俺の恋心を育てた。我ながら、少女漫画のヒロインみたいな思考が恥ずかしい。
「ねぇ、ギィガルシュ。こんな俺に愛される覚悟はある?」
俺だけに許された、ギィの真名を音で綴る。顔を上げると背中を伸ばして、見下ろす彼の唇を俺のそれでかすめた。
「⋯⋯参った。ルンの気持ちが俺に傾いている自信はあったが、これほどとは。嬉しいが、状況が悪い」
自分からキスを仕掛けて恥ずかしくなった俺は、ギィの甘ったるい声に顔をそむけた。張り詰めた強張りが弛んで甘さしか感じられない声は、顔をそむけてギィの口元に晒された耳に直接注ぎ込まれる。
「一緒に行く⋯⋯最善は、そこから選びたい」
俺の願いは、キスで閉じ込められた。
「⋯⋯俺が戦闘に巻き込まれる可能性があるのは、理解しているよ」
「違う、そこじゃない。俺の傍らにあるのならルンの身体に新たな傷など、髪の毛一筋ほどのものとて付けさせはしない」
ギィの手が俺の背中を撫でた。寝間着越しでも、ゴツゴツした力強さを感じられる手だ。彼は衣の下にある、左の肩甲骨の上から右の腰骨まである傷痕をとても気にしている。この傷はギィに出会う前のものだから、彼が気にする必要はないと思うのだけれど。
でも戦闘に巻き込まれることじゃないのなら、なんだと言うのだろう。
「他に何かあった? あ、ビンちゃんは置いていくよ。ここは安全だし、俺が囮になるんだったら別の場所にいたほうがいいよね?」
「それも違うが、そんなに簡単に自分を囮にするようなことを言うんじゃない」
うわ、藪蛇だった。ギィが気にしていなかったところをつついてしまったようだ。怖い表情で覗き込まれる。心配してくれているのがわかるから怖くないけれど。
「ルンは俺がいないと寂しくて死んでしまうのか?」
「え、そこ⁈ そこは恥ずかしいから聞き流してよ‼︎」
「聞き流せるものか!」
視界が真っ暗になった。
何が起こったのか一瞬わからなくて、呼吸を忘れた。⋯⋯そうじゃない、俺の背中に回ったギィの腕の力が強すぎて、胸が苦しい。逞しい胸におでこを押し付けるようにして抱き寄せられているのに気付く。
「今のルンは飢えた狼の前で、腹を出して寝ている兎だ」
「⋯⋯例えがわからないよ」
狼の前になんて飛び出したりしないよ。俺は死ぬ気なんてないからな!
「わからないのか? お前の世界では、男を狼に例えたりはしないのか?」
身体が浮き上がった。軽々と抱き上げられてお尻の下から腕一本で支えられる。安定のお父さん抱っこだ。ギィの肩に手を置いて見下ろすと、下からギラつく視線が突き刺さる。眦の下がった優しい笑顔じゃない。餓えた瞳だ。
「⋯⋯会いたかったのは、お前だけじゃないってことだ」
どう言うこと?
首を傾げた俺の後頭部に、ギィの自由なほうの手が添えられる。ぐっと引き下ろされたと思ったら。
唇が触れた。
ほんの瞬きの間のキスは、気のせいかと思うほどすぐに離れた。ギィがちろりと自分の唇を舐めたのを見て、現実の出来事だと理解する。あまりの色気に眩暈がした。
どうしてギィはこんなことをするんだろう。
「今すぐにでも妃に迎えたいのを、我慢している俺の身にもなれ」
妃? ⋯⋯って王族の奥さん?
「異なる世界に迷い込んできたばかりで混乱しているだろうから、煩わせないように我慢していたというのに、人の努力を無駄にしやがって」
歯噛みするギィの言葉が俺の頭を素通りしていく。俺は目も口もぽかんと開いて、色気の滴る男臭い顔を見下ろした。
「聞いているのか? 俺はお前を好きだと言っているんだ。そんな相手に『会えないと寂しくて死んでしまう』なんて言ったからには、覚悟ができてるってことなんだろうな?」
「⋯⋯覚悟?」
「俺に愛される覚悟だ」
⋯⋯俺は夢を見ているんだろうか?
「ギィに愛されるって、ギィは俺を好きなの?」
「愛している」
「⋯⋯愛してるって、好きってこと?」
意味は理解している。けれど、俺に向かってその言葉が紡がれたことが理解できない。だってミヤビンと俺はギィに保護された被保護者で、俺が勝手に彼のことを好きになっちゃっただけだ。
「好きだ、愛している。どれだけ叫んだら、伝わる?」
「⋯⋯わかんない。混乱してる。ギィが俺を好き? 俺がギィのことを好きだから、都合のいい夢を見ているんじゃなくて?」
半ば自分に問いかけるように呟くと、見下ろす先でギィが笑った。
「ギィガルシュ⋯⋯俺の真名はギィガルシュ・シュシュリー・カリャンテだ」
「真名⋯⋯?」
真名って、あの、真名? 一生に一度、たったひとりに捧げる、真名?
「呼んで、ルン」
真摯に懇願されている。
「お願いだ。ギィガルシュと呼んでくれ」
「⋯⋯ダメ、シュウさんに聞こえちゃう」
「もうとっくに部屋を出て行ったよ。ここにいるのは俺とお前だけだ」
何度か口を開けて閉じる。緊張しすぎて息が苦しい。本当に、俺がギィの真名を口にしていいんだろうか?
躊躇っていると、引き寄せられて唇が重なった。今度はすぐに離れていかず、何度か喰まれた。最後にギィの舌がちろりと唇を舐めてきて、羞恥に唇を噛み締めた。本当に、ギィは俺を好きなのか?
「ギィ⋯⋯ガルシュ」
この世界の人々が、生命の次に大切にしている名前を恐る恐る口にする。ほとんど呼気に紛れて掠れた声だったのに、ギィはとろりと嬉しげに眦を下げた。
「もっとだ。何度でも呼んで。それが出来るのはルンだけだ」
「ギィガルシュ」
「愛している。ルン」
どんな愛の言葉より、明かされた真名が俺を縛る。
「⋯⋯桜木薫だよ。俺の名前は桜木薫。桜のように薫香高くあれって意味」
桜の花は香らない。香るのは葉っぱだ。桜餅の香りって言ったらわかりやすいかな。
「サクラギカオル?」
「薫。カオルだよ。桜木の家に生まれた薫。カオルンとかルンルンって呼ばれてたから、ルンって名乗ったんだ」
「そうか、カオルか。不思議な響きだ。美しい名前だな」
嬉しい。この世界に来て、名乗ることがなかった俺の名前。生まれて最初に両親から贈られたプレゼントだ。元の世界から持ってこられたものは、俺の身体と名前だけ。その大切な名前をギィが呼んでくれた。
そうか、真名ってこういうことか。自分だけの大切な名前を大切な人に伝えるという行為は、正しく捧げると呼ぶのにふさわしい。
抱き上げられているせいでギィよりも高い位置にある俺の目から、ぽたぽたと雫が滴った。俯いたからほっぺたを伝わらずに、ギィの頬に降り注ぐ。
「ルン、俺だけのカオル。愛しているから連れていけない」
「イヤ。気づかれないつもりの我が儘を叶えたギィが悪い。真名を言い逃げするなんて許さないからな。俺も一緒に行く」
我慢して待っているつもりだったのに、会いに来たギィが悪い。挙句、真名を告げるだけ告げてトンズラするなんて冗談じゃない。
「我が儘を言わないでくれ」
困ったような、けれど怒りは感じない微笑みでギィの眦が下がった。日に焼けた目尻に浮かぶ皺を見て、ほやっと「好きだな」って思った。
「ギィにしか我が儘言わないよ」
涙でにじむ視界にに見切りをつけてぎゅっと目を閉じて、コツンとおでこをギィの同じ場所にくっつけた。
「俺の泣き場所、ここなんだろう?」
「⋯⋯泣くな。いや、矛盾しているな。お前の泣き場所は俺の腕の中だけなのに、今、お前の泣き顔が切ない」
俺の流れる涙を唇で拭いながら、ギィが苦しげな声を漏らした。ゆらゆらと揺れて、彼が数歩歩いたのがわかった。すぐにソファーに腰掛ける気配がして、俺はギィの膝の上に下ろされた。向かい合って彼の太腿に跨るように座らされて、背中に回った手で引き寄せられた。
ギィの胸に縋るように抱きしめられて、温もりに安堵する。
「ギィはさっき、『愛される覚悟はあるのか』と尋ねたよね。その言葉、そっくり返すよ。愛されるのなら、宝石箱にしまわれて、たまに愛でられる特別な指輪のようにはなりたくない。俺は魔法は使えないけれど、魔法使いにとっての聖蹟輝石のようにいつもギィの傍にいたいと思う」
傍にいられない時間が、俺の恋心を育てた。我ながら、少女漫画のヒロインみたいな思考が恥ずかしい。
「ねぇ、ギィガルシュ。こんな俺に愛される覚悟はある?」
俺だけに許された、ギィの真名を音で綴る。顔を上げると背中を伸ばして、見下ろす彼の唇を俺のそれでかすめた。
「⋯⋯参った。ルンの気持ちが俺に傾いている自信はあったが、これほどとは。嬉しいが、状況が悪い」
自分からキスを仕掛けて恥ずかしくなった俺は、ギィの甘ったるい声に顔をそむけた。張り詰めた強張りが弛んで甘さしか感じられない声は、顔をそむけてギィの口元に晒された耳に直接注ぎ込まれる。
「一緒に行く⋯⋯最善は、そこから選びたい」
俺の願いは、キスで閉じ込められた。
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