聖女の兄は傭兵王の腕の中。

織緒こん

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旗印と民衆と蝶の翅。

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 子どもたちを戦場いくさばに連れて行きたくない。しかし王太子と聖女は、城を取り戻す旗印だ。幼い王子様はさらに幼い聖女をエスコートして、王都の中央通りを行く。王子と聖女が乗る屋根無しの馬車を牽く馬は、兜と帷子で武装している。戦車チャリオットというそうだ。

 それに付き従うカリャンテ大公子のギィは、騎士の正装をしている。傭兵に身を窶していたときの鞣革なめしがわの胸当てとは全く違う、美々しい拵えだ。

 逃げ出していた箒とビア樽──もとい宰相と侯爵が再び城に戻ったと知らせに来たのは、カリャンテ大公が潜ませていた間者だ。女中さんとか料理人とか……俺とシュウさんの生活が快適だったのはそのおかげもあったのだ。

 コニー君は幼いながらにきちんと正装をした。ミヤビンは短い髪を神業で結い上げて、ふんわりしたワンピースを着ている。レースとフリルがまるで妖精のようだ。ふたりが装っているのは、王都に残っているわずかな民に見せるためだ。彼らは領地を持たない貧乏貴族だったり、地方に頼る伝手のない市井の民だったりする。少ない食べ物を融通しあって暮らしてきた彼らの前に、救い主は姿を現した。

 行方不明の果てに死亡の噂が流れた王太子が、黒髪の幼女をともなって戦車チャリオットで進む。しかも、しばらく前に聖女だと噂になった少女まで従えて。

 俺は黒髪を晒してギィとお揃いのマントをしている。人々はあの日の少女が傭兵に向かって愛を叫んだのを思い出したようだ。

「そういや、二日前に魔術師の塔が崩れたよな」
「聖女様が奪われたとかなんとか、噂で聞いたぞ」
「……いやぁ、お姉ちゃんのほう、どう見たってギィ王子と揃いの誂えじゃねぇか」
「奪われたんじゃなくて、助け出されたんじゃないか?」

 始めは隣あった者同士でヒソヒソ囁きあっていた声が、次第に大きくなる。

「宰相様が言うにゃ、大公様が王様を亡き者にして王位を簒奪しようとしてるって」
「じゃあ、なんで大公様のところのギィ王子が王太子様と一緒にいるんだ?」
「王太子様が亡くなりなさったというのは、なんだったんだ?」
「宰相様が嘘を……?」

 言葉はうねりとなって民衆の間に広がった。囁きはやがて叫び声に変わり、王太子と聖女を讃える万歳が湧き起こる。彼らは俺たちの隊列の後に列を成し、共に王城への道を進んだのだ。

 狂気にも似た熱気が追いかけてくる。俺は怖くなって、傍らのギィのマントを掴んだ。流石に手を繋いだりするのは、ギィの威厳を損なう。けれどギィはマントを掴んでいた俺の指先を引き寄せて絡めた。コニー君がミヤビンをエスコートするのと同じようにされる。

 わあっと歓声が上がった。

「彼らにとって、ルンとビン、どちらが聖女でも構わないんだろう。ふたりの聖女が王家についている……それが全てだ」

 ギィの声は淡々としている。何か思うところがあるのだろう。俺の性別を誰も疑問に思っていないことが不満だが、今は些細な問題だ。

 民衆は城門の前で騎士に押し留められた。傭兵団のみんなだ。むさ苦しいおっさんはどこにもいない。王族を護る、映えある騎士団の姿だ。

 辿り着いた謁見の間は、前回来た時よりも寒々としている。人気ひとけがないって、こんなにももの寂しいんだ。天井のシャンデリアさえ、くすんで見える。正面の玉座には魔術師のローブを纏ったヌゥトが気怠げに座っていて、その足元に絨毯で巻かれた宰相と侯爵が転がっていた。

 異様な光景に、先頭をいくミヤビンがたたらを踏んだ。そりゃそうだ、おっさんの簀巻きなんてそうそう見るもんじゃない。

「おかえりなさいませ、王太子殿下。未来の国王陛下よ、あなたが座るべき玉座を奪った馬鹿な男を、どうか惨たらしく殺してくれませんか?」

 ヌゥトの声は歌のように響いた。天井がドーム型になっている謁見の間は、発言者の声がよく聞こえるように設計されているのかもしれない。入り口から玉座までの距離はずいぶん遠いのに、ヌゥトの一言一句、しっかりと俺の耳に届いた。こんな人間の生命をやり取りする場所に、コニー君とミヤビンを連れてくるのは反対だった。こんな体験、児童虐待だ。しかしここは現代日本ではない。これはいずれ王となるコニー君には、避けて通れないものだ。

「僕の大事な聖女に、恐ろしい言葉を聞かせないでください。あなたは自分の命を僕たちに摘ませるために、こんな馬鹿げたことを始めたのですか?」

 コニー君がミヤビンの背中をそっと撫でた。

「始めたのは僕じゃないよ。母上さ。そこの棒切れみたいな男に無理やり嫁がされた、哀れな哀れな王子様」

 ヌゥトは立ち上がって、転がっている宰相に踵を乗せた。強く踏みつけたり蹴ったりはしない。それでも息子に無礼を働かれた宰相は、顔を真っ赤にして喚き散らした。

「ヌゥト! 実の父に何をするのだ‼︎ お前に玉座をやろうとした恩を、仇で返すか⁈」
「僕に玉座? 笑わせないでください。その前に自分で座ろうとしていたくせに。王家の血を一滴も持たぬ、薄汚い奸臣が……ッ!」

 ヌゥトの長いローブがはためいた。まるで足元から風が湧き上がったかのようだ。彼の身体を光の風が取り巻き、ギュンギュンと音を立てる。衝撃で簀巻きになった宰相と侯爵が転がった。玉座は十段ほどの階段の上にあったので、ふたりは漫画みたいにゴロゴロと転げ落ちた。ぎゃあとかうげぇとか、蛙が潰れたみたいな声だ。

 そういえば、ギィに蛙の唐揚げを作ってあげる約束を、ほったらかしたまんまだ。

「親子喧嘩に儂を巻き込むなぁぁぁッ‼︎」

 階段を全て落ち切っても、侯爵は止まらない。ビア樽体型をカーペットで簀巻きにされているので、ドラム缶が転がっているように見える。珍しく、言っていることは共感できた。親子喧嘩に巻き込むな、なんて、全くもってその通りだ。

 玉座の上でヌゥトが腕を突き出した。鎖に繋がれたアミュレットが揺れる。遠目でよく見えないが、多分ヌゥトの聖蹟せいせき輝石きせきだ。

「ルン、すまぬ」

 ギィが短く言って俺の手を離した。控えていたシュウさんとフィーさんが前に出てきて、壁のように立ち塞がった。ふたりの隙間から覗くとギィはコニー君とミヤビンの前に仁王立ちになっていた。謝らなくたっていいのに。ギィは自分の仕事を全うしているだけだ。ここで俺を庇って子どもたちをほったらかす男だったら、こっちから捨ててやる。

「ふふふ。ギィ王子。君が羨ましいよ。僕の母上は君と同じ王弟の子だというのに、生まれたときから母親の怨嗟の言葉を塗り込まれて生きてきた。その割にはまともだとは思うけど、やっぱり普通の母親にはなれなかったよ。幼い僕に自分たちを見捨てた王家を呪えと言い聞かせて育てたんだからね」

 ヌゥトが一歩踏み出した。彼の足元から噴き上がる風は、一段と激しさを増す。ローブがバタバタと音を立てた。

「僕は疲れたんだ。もう、終わりにしようと思う……君はまなの君と結ばれたんだろう? 王族が愛し愛された存在を失うことになったら、母上も喜ぶだろうね。君の大事なまなの君、僕と一緒に旅立ってくれないかな」
「貴様……そのために一度ルンを返したのか?」
「ふふふ。君はまなの君の温もりを抱いて、一生独り身で過ごす? それとも新しい恋人を作る?」

 一歩、また一歩と階段を降りてくる。シュウさんが剣に手をかけて、俺をさらに後ろに下げた。コニー君とミヤビンをギィから引き剥がしたフィーさんは、すでに鞘から抜いている。白刃が煌めいた。……目眩を起こしている場合じゃない。トラウマなんてクソ食らえだ!

「アロンから封印環を預かってきたのだがな……おとなしく魔力を封印させてくれないか?」

 ギィが掲げた手のひらに、品のない原色の石を連ねたアクセサリーがいくつも乗っている。アロンさんは身体の首という文字がつく場所全部に封印環が付けられていた。ギィが持っているのもそのくらいの数があるんじゃないか? アロンさんが用意したってことは、彼はヌゥトの魔力を封じるのにこれだけ必要だと思ったんだ。

 風がドンと音を立てた。ヌゥトの足元の化粧レンガを巻き上げて。彼を中心にクレーターが出来上がっている。

「そんなことをしたら、僕を捕らえて裁判をして、美しく毒杯でも寄越すんだろう? 今すぐ民衆の前に放り出して、石礫でもくれるっていうなら考えてもいいけどね」

 ヌゥトは「ふふふ」と笑って緩やかに両手を広げた。柔らかに穏やかに影を抱きしめるように……

 武器を持っていなくても、彼は魔術師だ。彼の母親──レン様の魔法をこの目で見た俺は、身体に力が入る。ギィはまだ剣も抜いていない。抜いたとしても、魔法と剣でどうやって戦うんだ? 不安に思っていると、ギィが封印環を放り投げた。

 白刃一閃!

 何が起こったのか。気付けばヌゥトの懐間近にギィの大きな身体が迫っている。ギィの巨躯とヌゥトの優美な肢体が対照的だった。

 ギィのマントとヌゥトのローブが、蝶の翅のようにひらめく。俺は場違いにも、それを美しいと思った。
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