鳴かない蝉と回転灯籠

織緒こん

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鳴かない蝉と回転灯籠

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 蝉さえ鳴くことを忘れた八月の茹だる暑さの中、はじめは随分と久しぶりに修二しゅうじと会った。ふたりは血縁上は又従兄弟に当たるのだが、修二の両親が彼の大学進学を機に離婚して、母親と共に出て行ってから六年間も音信不通だった。春に修二の父親が亡くなったときも連絡がつかず、新盆になってようやく線香を上げにきたのだ。

 亡くなった修二の父親は肇の父親の従兄弟である。それぞれの祖父が本家から出て分家をしている。修二には兄がいて、父親についてこの土地に残ったので彼が跡を継いでいる。肇は修二の兄、圭一が好きではない。酒癖が悪く、親戚が集まる席で高校生の肇にも無理やり飲ませようとするからだ。

 圭一は黒いネクタイを締めて現れた弟を見て、遺産をガメに来たのかと暴れた。本家の男連中と肇の父と姉婿が押さえつけたが大声で喚くため、法事に集まっていた女子どもはいっとき奥に隠れたほどだ。その騒動も修二が遺産放棄に来たと表明すると、あっという間に収まった。圭一は弟に向かってよく帰ってきたとまで言ったので、親戚一同呆れ返ったのだった。

 本家の表の間を借りて法事を終えた後、修二はすぐに帰ろうとした。とは言えこんな山奥までタクシーを呼べばいくらかかるかわからないし、大人の男は皆酒を飲んでいる。田舎者の親戚連中は折角だから泊まっていけと騒いだ。だが本家には既に二十人近くが宿泊予定の上、酔っ払いが数人寝落ちるのが分かりきっている。圭一の家に行くつもりのない修二を見兼ねて、本家に一番近い肇の家に泊めることになったのだ。肇の父親は寝落ち組で、母親は飲み食いした後の片付けに残っている。

 高校三年生の肇は受験勉強を口実に、さっさと宴会を抜け出した。圭一が修二に絡むので、もちろん彼も連れて。本家の刀自がラップをかけた皿盛りと寝間着のストックを持たせてくれたので、圭一に見つからないうちにそそくさと本家を出る。

「流石に夜は肌寒いな」
「えぇッ? 嘘だぁ! まだ、蒸し暑いじゃないか」

 修二が何気なく呟くと、肇は目をパチクリさせた。修二よりも頭ひとつ分大きく育ったが、変わらない彼の少年らしさに修二は懐かしげに目を細めた。

「……そうか、肇にはコレが普通だもんな。俺が住んでいるところは夜になるとアスファルトから熱が上がってくるんだ。蒸し暑さはここの昼間の比じゃないね。夜でもなんとなく空は明るいし、こんなに落ちてきそうな星なんて見えないよ。懐かしいなぁ」
「今、東京だっけ?」

 修二が自分の住む場所に延々と呪詛を吐く。便利で仕事にもやり甲斐を感じているが、夏の暑さだけは何年住んでも許せないのだと言う。

「慣れない、じゃなくて、許せないんだ」

 言い回しが可笑しくて、肇は笑った。

 日が落ちてからの帰宅になるのを見越して、門灯は点けたままになっていた。肇が玄関戸を勢いよく引くと、ガラガラと砂を噛んだ音がする。施錠はされていない。

「相変わらず不用心って言うか、おおらかな土地だよなぁ」
「去年この辺で、空き巣被害が何軒かあったよ。笑っちゃうんだけど、被害にあったのは全部、玄関の鍵をしてた家だったんだ」

 施錠された家は確実に留守宅だ。この辺の家は数世代が一緒に住んでいるのが当たり前なので、平日の昼間、家人が出払っているような時間でも留守番の老人が居たりする。人の気配がしなくてもひっそりと仏壇の前に座っていたりするので、そういう家は狙われなかったようだ。

 肇は台所のテーブルに大皿を置くと、風呂の給湯スイッチを押した。本家に向かう前に支度はしておいたのだろう。

「汗かいてるでしょ。お風呂入って着替えちゃってよ。ワイシャツは洗濯機に突っ込んでいいよ……ってクリーニング派? 自宅派?」
「クリーニング。こだわりと言うより、アイロンを掛けるのが壊滅的に苦手なんだ」
「あはは、俺、得意だよ。今洗ったら夜のうちに乾くから、突っ込んでおいてよ」

 それぞれ風呂を済ませると、肇は家族のものも纏めて洗濯機に入れてスイッチを押した。

「洗濯ネットか。実家で母さんが使ってたけど、俺の家には無いな」

 修二が言う実家は、圭一がいる家ではない。六年前に夫と離婚した彼の母親の実家だ。そこから出て、ひとり暮らしをしているようだ。

「修兄、今、何してんの?」
「大学を出た後は、普通のサラリーマン」
「そっか、東京だよね?」
「そうだよ」

 仏間につながる縁側で風に涼みながら、ふたりはとりとめなく話をした。六歳の歳の差がある彼らは田舎暮らしの親戚付き合いにおいて、面倒を見る者と見られる者の関係だった。家族は多いが兼業農家も多く、平日は会社勤め、休日は農作業に終始する。子どもたちは自然と年長者が年少者の世話をするようになる。

 面倒見のいい修二は肇たちの世話をよくしたが、年子の圭一は駄賃だけ貰って部屋に閉じこもって漫画ばかり読んでいた。そのくせそれを小さな子が大人に言うと隠れて殴るので、肇と同じ年ごろの従兄弟再従兄弟連中には嫌われている。大人になって酒を飲むようになるとますますウザく絡んでくるので、これから先好感度が上がることもないだろう。誰もが圭一の前では言わないが、どうせなら母親が連れて行ったのが長男だったらよかったのにと思っていた。

 本家で持たされた寝間着は、旅館の浴衣と違ってガーゼ素材のものだった。年寄りが着ていそうな寝間着だが、都会で生活する修二が着るとお洒落に見える。
ふいに彼は腰を上げて仏壇の前に移った。

「美春ばあちゃん、俊之じいちゃん、ご無沙汰だね。あの世で元気にしてる?」
「修兄、あの世なのに元気かって聞くのおかしくない?」
 回転行灯の柔い光を受けて修二がお鈴を鳴らす。
「気分の問題だよ。あの世でも仲良くしていてくれりゃ、嬉しいじゃないか」
「あはは、今はこの辺で大好きな水羊羹でも食べているんじゃないか? 胡瓜の馬に乗ってきてるだろう?」

 肇の祖母は水羊羹が好物で、夏の間は仏壇の前に欠かさない。後でご相伴に預かりたいので、肇は保冷剤を詰めたビニールごと供える。それを面白そうに修二がつつくので、肇は頬を赤らめた。

「この牛と馬は肇が作ったの?」
「当たり前でしょ。修兄に教わって初めて作った八歳の夏から、これは俺の役割だ」

 仏壇に飾られた胡瓜の馬と茄子の牛は、夏の暑さで少しずつ萎れている。

「ちゃんと精霊馬の足のほうが長いね。尻尾も横着しないでトウモロコシの髭で作ってる。俺が教えたまんまだ」
「……修兄のことを忘れたことなんてなかったよ」
「俺が教えたこと、だろう。日本語は正しく使えよ、受験生」
「誤魔化すなよ」

 肇は真っ直ぐに修二を見た。若さに任せた情熱が瞳の中でゆらめいている。

「幼稚園のころの俺のプロポーズ、受けてくれたのは修兄だろう?」
「いや……あれは、ずっと仲良しなのと結婚が何たるものかを勘違いしていたからじゃないか。肇が小学生になるころには、勘違いは修正されていたよね」

 幼い子ども時分の思い出話のはずだ。修二はそう思った。大好きだから一緒にいよう。大好きだから結婚しよう。小さな子どもが大好きなパパママと結婚したがるのは一種の通過儀礼だろう。

「修兄の高校の卒業式の日に、ちゃんとプロポーズしなおしたじゃないか。返事はくれなかったけどね」

 六年前の三月、修の卒業式の日に、肇は貯めた小遣いをはたいて花束を買った。田舎道を自転車に乗って商店街まで行くのは、ここらの子どもには大冒険だ。町に一軒しかない花屋で卒業祝いと間違われながら買った花束を渡して、一世一代の決心でプロポーズしたのに──。

「俺の小学校の卒業式の日……家に帰ったら親戚中が大騒ぎだったよね」

 卒業祝いどころじゃなかった。修二の母が夫に離婚届を突きつけたのだと誰もが驚いて言葉を無くす中、修二の母親は引越し業者を招き入れて荷物を運び出して行ったのだという。肇は修二の進学先は地元の大学だと聞いていたが、実際は県外だった。その引越し準備に紛れて母親の引越し準備も進められていたらしい。

「母さんは二十年住んでも、この土地に馴染めなかったからね」
「そんなのガキだった俺にはわからなかったよ。ただ、修兄が何も言わずにいなくなっただけだ。……ねぇ修兄。俺は今でも修兄が好きだよ」
「何を言っているんだ。受験生だろう?」

 肇は畳の上で修二ににじり寄った。その分のけ反った修二の声は焦りのためか上擦っている。

「だからだよ。このタイミングで修兄に再会出来たんだ。修兄のところに転がり込めるよう、何がなんでも東京の大学に受かってやる」

 肇は言いながら、修二の肩を押した。抵抗もなくコロリと仰向けに倒れた年上の男は、自分を見下ろす大きな男の中に燻った熾のような熱を見た。

「アイロンが苦手? そんなのわかってるよ。修兄、面倒見はいいけど意外と不器用で、家事は苦手だったじゃないか。洗濯物を畳むのだって、丁寧なのに微妙に下手くそでさ」
「下手くそってなんだ」
「そのまんまだよ。それから迂闊なとこも変わってない。俺のカマかけにあっさり乗ってくるし。アイロンかけてくれる彼女はいないんだよな?」
「悪かったな! 彼女いない歴イコール年齢で!」
「……本当に迂闊だな。この体勢で、それを言っちゃう?」

 仰向けに寝転ぶ修二の足の間を陣取った肇は、ニヤリと男臭く笑った。修二には田舎の純朴な男子高校生のはずの肇が、知らない男に見えた。

「ねぇ、修兄。好きだよ。物ごころついてから、俺のお嫁さんは修兄だって決めてたよ」
「お…お嫁さん? 子どものころから? お前がなりたかったんじゃなくて、俺が?」
「男子たるもの、好いた相手をお嫁さんにしたいと思うのは本能だろう?」
「俺も男子だ!」
「それでも! ずっと好きなんだ!」

 田舎の夜風を切り裂くように叫んで、肇は修二の側頭部の両側に手を着いた。提灯の光がくるくる回って、まるで明滅しているようだ。肇が覆いかぶさると修二は咄嗟に目を閉じた。ギリギリまで迫る吐息を感じて奥歯を噛み締める。しかし唇が触れることはなく、そろりそろりと目を開けると焦点が合わぬほど近くに肇の顔があった。

「ふぅん。顔を背けるんじゃなくて、目ぇ閉じちゃうんだ。修兄って綺麗で格好いいって思ってたけど、可愛かったんだな」

 肇はギラギラと野生動物のように目を光らせて言った。修二はカッと頬を紅潮させて顔を背けた。指摘されてようやく逃げることを思いついたのか、肇の身体の下から逃げ出そうともがく。

「修兄、好きだよ」

 温くて湿った肉厚の舌が、露わになった修二の喉を辿った。甘く歯を立てられて吸われる感触に、胸の奥がひゅっと縮んだ。

「ねぇ、修兄。なんで何も言わずにいなくなったの? やっぱり俺がガキだったから?」
「やっ、そこで喋るな!」
「やだ。答えをくれるまで、ここから離れない」

 修二の抗議など意に介せず、同じ場所をチュッと音を立てて啄ばんだりペロリと舐め上げたりを繰り返す。

「ひ……」

 修二は弱々しい悲鳴を漏らしながら、首筋で遊ぶ不埒な舌を止めようともがくものの、大きな身体はびくともしない。高校卒業と共に運動らしい運動をしてこなかったサラリーマンが、現役男子高校生に腕力で叶うわけがなかった。

「男同士だとか、俺が子ども過ぎたとか理由があるのなら、あのときそう言って断ればよかったじゃないか。なのに修兄は何も言わずに消えた。……なんで?」
「は、麻疹……麻疹みたいなものだと、思ったんだっ。んぅ、も、やめろって!」

 肇は苛立たしげに舌打ちをし、修二の首にやわりと歯を突き立てた。

「!」

 修二は、急所を噛みちぎられる恐怖と得体の知れない寒気に襲われて身をすくませた。

「俺の気持ちを勝手に想像したんだよね。まぁそれはいいや。一旦置いておこう。ねぇ、修兄の気持ちは? 気持ち悪かった? 怖かった?」
「どうしたらいいのか、わからなくなったのに決まっているだろう! あのときの俺は、親の離婚に振り回された十八歳のガキだったんだよ!」

 十二歳の少年にプロポーズされた十八歳の少年は、混乱したまま逃げ出したのだと言う。虚を突かれて、肇は動きを止めた。

「……修兄、可愛すぎかよ。自分で言うのもなんだけど、俺、十八歳だけど修兄を押し倒す程度にはふてぶてしいよ」
「押したお……ッ?」
「今まさに押し倒してるでしょ? はぁ、マジで予想外に可愛すぎて鼻血が出そうなんだけど」

 肇は上体を起こして修二を見下ろした。精悍な顔付きが回転灯に照らされる。田舎の静かな夜、六つも年下の再従兄弟がやけに大人っぽく見える。

「ねぇ修兄。俺のこと、嫌いじゃないでしょ?」

 とろりと色気さえ滲ませて囁く。すっかり混乱した修二はうろうろと視線を彷徨わせたが、肇が馬鹿なことを言い出したので我に返ることができた。

「例えば……えぇと、圭一さんにこうされたらどう思う?」
「気色の悪いこと言うなよ!」
「でしょ?」
「それ以前に、兄弟だろ!」
「ふぅん、兄弟じゃなかったら、男でもいいんだ」
「誰でもいいわけじゃないからな!」

 修二は常識と倫理を説いたつもりであったのに。

「……やっぱり修兄は迂闊だ」

 色っぽい吐息を漏らしながら、肇が淡く笑った。

「俺ならいいんだ」
「──馬鹿」

 馬鹿なことをと言おうとしたが、その言葉は肇の口の中に消えた。口を開いたタイミングで重なったキスはその瞬間からディープだ。側頭部にあったはずの肇の手は修二の髪の毛を優しくかき回し、つながった唇からは水を含んだ音がする。

「……はっ…………ん……ぅ……」

 ピチャピチャと仔猫がミルクを飲むような音の隙間で、修二の苦しげな息継ぎの声がする。生まれて二十四年、恋人がいたことがないという告白の通り、キスに慣れぬ様に肇は興奮した。

 キスを解くと飲み込みきれない唾液が顎を伝った。それを肇がべろりと舐め上げると、修二は小さく身体をこわばらせた。

「ねぇ、修兄。俺のこと、少しは好きでいてくれた?」
「好きは好きだけど、弟みたいなものだろう。あのころの肇は身長だって百五十センチなかったし、声変わりだってしてなかった。それで欲の混じった好意を持っていたら、俺はどんな変態だよ」

 肇の問いかけに答える修二の声音は弱々しい。

「じゃあ、今の俺は? 身長は百八十センチ越えたし、声変わりだってしてる。誕生日は七月だからもう成人だし、来年の春には高校を卒業するよ」
「…………知らない男の顔をするんじゃない。ドキドキするじゃないか」
「修兄、迂闊で可愛い。もっとドキドキしてよ」

 再び唇が重なったが、修二は歯をきつく食いしばっていた。肇は宥めるように労わるように、根気よく舌で誘った。やがて慣れぬキスに酸素を求めた隙をついて侵攻を果たすと、甘ったるい声が修二の鼻から抜けた。それに気をよくしたのか、肇の手は修二の寝間着の上を官能的に辿り、乱れて割り開かれた裾を捲り上げた。太腿を直接なぞりあげると息が乱れる。

「んあ……ん」
「俺、東京の大学に行くよ。ちゃんと将来やりたいことのために選んだ大学だから、修兄は自分を責めないでよ」
「ま、待て……なんで、俺の住んでるとこ、知ってんの?」
「住所は知らない。ざっくりしたエリアだけだよ」
「だから、なんでそれを知って……あっ」

 会話の最中も手のひらが柔い太腿を往復していて、肇の指が鼠蹊部を掠めた瞬間に修二の口から甘い声が漏れた。

「修兄、本当に迂闊。親戚連中には音信不通だったけど、高校の同級生とはSNSで繋がってたじゃないか。児玉三兄弟の一番下、俺の同級生だよ」

 児玉三兄弟の長兄は修二の小学校から高校までの同級生だ。修二の父親が亡くなったことも、彼から知らせが行ったはずだ。児玉家の兄弟も修二の兄にはいい感情を持っていなかったので、肇はこっそりと修二の近況を聞いていた。

「お陰で中一から目標を定めて受験勉強に取り組めたから、希望大学は射程圏内だ」
「お前……本当に、本気なの?」
「酷いな、本気以外に見えるの?」
「ひゃああぁんッ」

 問いかけに問いで返しながら、肇は遂に修二の中心に触れた。手のひらに包んだ、ゆるく萌したものにニンマリと笑う。

「よかった、感じてる。可愛いよ」
「馬鹿っ。触られたら、誰だってこうなるだろう? なるよな? あれ? なるよな⁈」
「恐怖とか嫌悪とか感じてたら、縮こまると思うよ」
「え? え? あっ、待って」
「もう待たない」
「ああぁッ」

 肇のガチガチになった滾りを同じ場所に擦り付けられて、修二の背が弓のようにしなった。緩んだ衿元から、美しい曲線を描く薄い胸が曝け出されて肇を誘う。彼は導かれるように慎ましく胸を飾る尖りに唇を寄せた。本家の刀自に持たされた寝間着は、情熱を持て余す男子高校生の前には防御力ゼロだ。共布で作られた腰紐をあっさり解かれて、前が全開になる。胸先を舐められて鎖骨を甘噛みされ、滾りを押し付けられながら脇腹をなぞられて、修二の手は溺れる者のように空気を掻いた。やがて藁を掴むように肇の首に取り縋る。

「待って、待ってよ……んぅ……、こんな、身体から……なんて、やだ!」

 涙に濡れた声音に、肇はようやく動きを止めた。上体を起こして修二を見下ろす。薄い胸が酸素を求めて上下していて、眦は盆提灯の幻想的な明かりを反射して濡れていた。

「あのさ、修兄。それ心を通じ合わせてからならいいってことだよね。俺とすること自体は嫌じゃないんだろう? やっぱり俺のこと好きなんじゃん」
「嘘だ。俺はそんな、少女漫画の主人公みたいにチョロくない」

 小さくイヤイヤするように首を振る姿は、どうしようもなく肇の雄を刺激する。そんなことは露ほども思わぬのか、修二は唇をキュッと噛んで視線を背けた。

「……ヤバい、俺の中の修兄に可愛いが上書きされまくってんだけど」
「うるさい! とにかく肇は俺の可愛い弟であって、恋愛対象じゃなかったんだ」
「じゃあ、成人した又従兄弟に一目惚れしたってことにすりゃいいじゃん」
「ひ、一目惚れ? だとしても、美春ばあちゃんと俊之じいちゃんの前でするのは嫌だ!」

 くるくる回る盆提灯の灯りと、くゆる線香の香り。仏壇には肇が作った精霊馬と精霊牛が先祖の霊に侍っている。確かにこの場所は、現世うつしよの愛の営みには向かぬ場所だった。肇は「それもそうか」と呟くと、畳と修二の背中の隙間に手を入れて驚くべき腕力で抱きあげた。

「え? あ? ちょっと?」

 修二は突然の浮遊感に恐怖を感じたらしく、咄嗟に肇の首を支えにする。首っ玉に抱きつかれた格好になって、肇はニンマリと笑った。

「迂闊なのは俺の前だけにしてよね。ここでだったら、いつ母さんが帰ってくるかわからないから、すぐに解放されたかもしれないのに」
「は?」

 自分より小柄とはいえ大人の男を軽々と抱いて、肇はのしのしと階段を登った。器用にドアのノブを回して部屋に入ると、明かりも点けずに狭いシングルベッドに修二を下ろす。勉強机の上にあったリモコンでクーラーのスイッチを入れると、呆然とする年上の可愛い男に再び覆いかぶさった。

「最後までするのは、受験が終わったご褒美でいいよ」

 受験終了のご褒美と合格祝いと高校卒業祝い、それから大学入学祝い、と肇はひとつずつ指折り数えた。

「最低でも四回は修兄をプレゼントしてね。もちろんその後は、ちゃんと恋人同士だから修兄から求めてくれたら嬉しいな」
「じゃあ、今こうなっているのはなんだよ!」
「ん~、受験勉強の陣中見舞い? ……なんて、嘘。俺が修兄のことを好きすぎて、暴走してるだけ」

 肇は懇願する様に囁いて、修二の胸に額を押し付けた。

「好き、好き、すげぇ好き」

 声音が熱い。修二は肇の切ない告白に言葉が詰まって、胸元にある年下の男の頭をかき抱いた。

「一緒に住んだら洗濯するし、アイロン掛けるし、飯だって作るよ。仕事で疲れてる日はがっつかないし、手加減するから」
「待て待て待て! 最初キュンとしたのに、後半おかしいだろう⁈ うっかり最後までしないならいいかと思ったじゃないか‼︎」

 修二は揺らぎかかった自分に慄きながら、腕の中の肇を押しのけようともがいた。しかしそれは叶わない。

「……うっかり? ……最後まで? それはお許しをもらったってこと?」
「あ……」

 唇を唇で塞がれて──修二は全身を舐められて喰まれてなぞられた。身体中、肇の舌と手が触れていないところなど残らぬ程に。後はただ、高く細く啼き声を上げるだけ……。

 蝉の声がする。夏の虫は涼しさを感じる短い時間に、懸命に存在を主張しているのだろう。修二が子どものころには真昼間に鳴いていたのに、昼間の気温が高すぎて朝しか鳴かない。

「朝……」

 あまり爽やかに感じない目覚めを迎えた修二は、掠れ切った自分の声に驚いた。寝乱れたシーツは夏の暑さのせいで温い。

 締め切った扉の向こうから、話し声が聞こえる。

「あらぁ、あんたの部屋じゃ狭いでしょうに。下の広いところにお布団出してあげればよかったじゃない」
「勉強を教えてもらってるうちに、ふたりして寝落ちたんだよ」

 しゃあしゃあと母親に言ってのける肇の声に、修二は苦笑した。

「……捕まっちゃったな」

 呟いて、はだけた寝間着の胸元を見る。花びらが散る生白い肌に赤面する思いだ。

 来年の盆休みは、ふたりでこの家に帰省するのだろう。遠くない未来を想像して、修二はため息を漏らす。後で住所と連絡先を教えなくてはと考えたとき、ドアが開いて肇が入ってきた。

「起きてた。おはよう、修兄」

 ちゅっとごく自然に唇を重ねる。平然と朝の挨拶をする高校生が憎たらしい。

「送り火を焚いたら、母さんが駅まで車を出してくれるってさ。とりあえず、朝飯食べよう。本家のばあちゃんが持たせてくれた皿盛りだけどな」
「……この声、小母さんになんて説明するんだよ」
「クーラーで風邪ひいた?」
「お前、本当に憎たらしい」
「でも、逃げないでくれるんだ」

 修二は何度も繰り返されるキスを、逃げずに受け止めた。

「こらぁ! ふたりとも早く下りてらっしゃい! 朝ご飯よぅ!」
「母さん! 宿酔いに響くから声のボリューム落としてくれ!」

 階下から修二の両親の声が響く。

「小父さんと小母さんは変わらないなぁ」
「楽しそうでいいだろう? 俺たちもあんな風になろうな」
「馬鹿」

 なじる声は──甘かった。




〈おしまい〉


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みんなの感想(1件)

井幸ミキ
2023.07.16 井幸ミキ

こんにちは。

迂闊な年上さんと、暴走しつつもほんとに嫌なことはしない情熱的な年下くんに、にやにやきゅんきゅんしました💓

織緒こん
2023.07.16 織緒こん

迂闊な受け、大好物です! 純朴に見えて策士な攻めも同じくです!

解除
1 / 5

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