子どもじゃないから、覚悟して。~子爵の息子、肉屋の倅を追い詰める。~

織緒こん

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番外編

レースとオーガンジーと甘い香り。

仕立て屋姉弟にまつわるアレコレ

 夜闇の中、書物机の周りだけ灯された明かりが黒い影を伸ばしている。うふふふふふ、と笑い声を忍ばせているのはトーマスの姉、スージーだ。トーマスは姉の部屋の入り口からそれを見て、深々とため息を漏らした。

 スージーは黙って立っていれば美人だし、職業柄とてもお洒落だ。ただ、行動がとても残念である。今だって、ちょっとセクシーな部屋着で夜の寝室にいるのに、くふくふ笑うたびに揺れる肩が不気味だ。

「姉さん、明日は朝から打ち合わせでしょ。職人さんだけじゃなくて、お城の侍従官様のお遣いで侍女さんも来るんだから、早く寝なよ」

「うふふふふ、ウィレム殿のお赦しさえいただければ、こんなお衣装もあんなお衣装もお作りできるのに! ご本人様はいらっしゃらないのね⁈」

「⋯⋯后子ごうし殿下から、離れたりなさらないと思うよ」

 侍従官が工房に来るのなら、后子ごうし殿下のお供としてだろう。そして后子ごうし殿下ご本人は、スージー渾身の意匠デザインの夜着は決して選ばないだろう。

 明けて翌朝、トーマスの工房に集まったのは女性ばかりで、工房の主人であるはずのトーマスは隅っこで小さくなった。大きな生地を扱う関係で、姉の仕事場より断然広いので場所の提供をしたわけだが、午前中から女性のキャピキャピした空気に当てられて、トーマスは既に疲れを感じていた。

「ねぇ、ナァコ様! 夜着は私たちの好きにしていいのよね⁈ ウィレム様はお赦しくださってるのよね‼︎」

 王城の侍女は貴族の令嬢や令夫人が務めるものだ。掴みかからんばかりのスージーにトーマスは冷や冷やしながら、寛大な侍女に感謝した。

「わたくしは后子ごうし殿下付きではありませんわ。王の私室を管理させていただいております。殿下のお部屋ではなく陛下のお部屋にご用意させていただくお品には、わずかばかりでございますが権限を持たせていただいております。それに陛下より『可愛らしいものを見繕ってやってくれ』と、申しつかってまいりましたわ」

 柔らかに微笑んで王城の侍女が言って、スージーは鼻息を荒くした。また鼻血を吹きそうで怖い。

「事後ッ! 脱がせるための夜着じゃなくて、労るための夜着ッ! 着せやすくてそそられる⋯⋯朝の光の中で脱がせたくなる意匠デザインねッ‼︎」

 興奮して叫ぶように言うので、弟は姉の顳顬こめかみの血管も心配だ。

「あのぅ。そうしたら、素材はオーガンジーではなくて、うちのレースを使っていただけませんか?」

 真っ赤な顔をしておずおずと手をあげたのはレース工房の跡取り娘だった。彼女の作るレースは既に父を越えたと評判である。いささか引っ込み思案ではあるが、出来上がった商品には自信を持っている。

「オーガンジーは全体が透けますでしょ? それに比べて、見えそうで見えないレースってドキドキしませんか?」

 俯いてぽしょぽしょ恥ずかしげに言っているが、内容はエロい。

「オーガンジーはウィレム様に着て欲しいかも。最高級のニーシン織の薄物が手に入ったのよ」

 生地問屋の若女将が見本帳を捲って該当のぺーじを開いてバーンと見せた。レース職人と違って人妻は堂々としている。蜻蛉か蝉の翅の様な繊細で美しい素材だった。裁縫師としてトーマスは興味を覚えたが、会話に加わる勇気はない。

「ねぇねぇ、ナァコ様。ウィレム様の旦那様ってどんな方?」

「そうですねぇ、とても、とても真面目な方です」

 生地問屋の若女将はスージーと同じくらい遠慮がない。それに気を悪くするでなく、侍女は微笑んだ。『とても』を繰り返すところに含みがあった。

「うふふ。じゃあその、堅物を落とすのに、こんなデザインはどうかしら?」

 スージーが画帳を捲って布面積は多いが透け透けの意匠デザインを見せると、女性たちはきゃーッと悲鳴を上げた。

「下着! 下着はレースで!」

 叫んだのはレース職人の娘ではなく、生地問屋の若女将だった。

「すみません、わたくしディンチ伯爵様のお屋敷に出入りしている調香師です。若様ご夫妻の侍従さんにご贔屓していただいてるんですが、どうもウィレム様に気に入っていただいて、后子ごうし殿下にもお使いいただいているみたいなんです。⋯⋯夜着のイメージに合わせた香りなどセットにして献上してはいかがでしょうか?」

 落ち着いた雰囲気で話したのは、薬師の妻だった。夫が営む薬局で三人の子どもを育てながら、美容液や香油の調合をしている。腕は確かで、薬を服用するほどではないがなんとなく体調が優れない人々に頼りにされている人物だ。

「ええ、ウィレム殿から預かって、王の私室の寝室にご用意させていただいていますよ。伸びもよろしくて香りもよいと、陛下がことのほかお喜びです。質が悪い香油は繊細な場所を傷つけますから、近々直接取引させていただこうかと相談しておりましたのよ」

「もったいのうございます」

 上品な会話が交わされているものの、取引されるのは閨のための香油だ。⋯⋯大事なことなのだろうが、トーマスは女性たちの堂々とした会話に怯んだ。

「それでですね、トーマスさん」

 調香師に突然話を向けられて、トーマスはのけぞった。

伯爵家の侍従バスチアンさんが、柔らかな木綿の夜着が欲しいとおっしゃってましたのよ。婿フレッド様の寸法で、上衣の丈を少し長めに⋯⋯そうですね、シルヴェスタ様の膝よりちょっと上くらいですか。婿様のいつもの絹の夜着の型紙を改良出来ます?」

「それ、彼シャツ⁈ ひと組の夜着を上下わけっこね‼︎ 旦那様のシャツ着てダボダボの袖! 裾は伸ばすのに肩は直さない、ずり落ちるの前提の夜着! トム、今すぐ縫いなさい! 今ある型紙で出来るでしょう⁈」

 スージーが横から身を乗り出した。鼻血がぶしゃっと噴き出して、トーマスはその辺にあった生地の切れっ端を姉の鼻に突っ込んだ。

「あの三十路とは思えない、童顔! 愛されてしっとりツルツルのお肌! 会うたび色っぽくなる腰のくびれ! 絶対細くなってるから、また今度採寸し直さないと!」

「うちの香油で全身マッサージしていただいてるみたいですよ。最近、ご夫君のお兄様のもご注文いただいてますから、そちらのお下着や夜着もご注文が入るのではない?」

「⋯⋯き、騎士団長様からご注文が」

 トーマスはうっかり口を開いてしまった。女性陣の視線が一気に集中して、彼は椅子から転げ落ちた。

「それ、本当⁈ なんで黙ってるのよ‼︎」

「(姉さんが鼻血噴くからだよ)」

「声が小さい!」

 詰め寄られたが大きな声でなんて言えない。騎士団長が宰相補佐官補佐と連れ立ってきたなんて、もっと言えないけれど。

「うふふ、ひとまず后子ごうし殿下の夜着はコレ! 伯爵様の若様はソレ! 侍従官様は⋯⋯残念、注文が入ってないわね。いずれ旦那様に渡すツテを探すとして、それまで我慢よ!」

 画帳にコンテで殴り描きながらスージーがヒートアップして、女性陣のテンションも上がった。

「子爵家のご次男様にはコンナノどう⁈」

 はガウンのような前開きの長衣で腰をリボンベルトで留めている。確かに着せやすいがちょっと寝返りをうったら太腿は丸出しになりそうだ。

 は一見普通の夜着なのに、肩はずり下がって袖は指先しか見えていない。ズボンがないから寝返りどころか座っただけで下着が見えるだろう。

 トーマスが一番引いたのはで、巷でベビードールとか呼ばれている代物だった。意匠デザイン画はフリルを抑えてはいるが丈は太腿ギリギリだし、絶妙に透けている。

「これに仄かに香りをつけたら、素敵な夜の時間を過ごせると思いません?」

「あら、素敵ですわね」

 調香師と侍女がおっとり微笑みあう横で、レース職人が無言でこくこくと頷いている。スージーと生地問屋の若女将は、画帳と生地見本帳を付き合わせてああでもないこうでもないと、騒いでいる。

 トーマスは途方に暮れた。

 ⋯⋯縫うの僕?

 姉ほど突き抜けることのできない弟は、愕然とするのだった。
 
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