経験値ゼロ

神山 備

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男が女に服を送る理由

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「更紗、重っ。いつまでも抱きついてないで下りろよ」
「言われなくても、下りるわよ。あ、ママ手を貸して」
 マイケルさんが走り去ったとたんそう言う正巳を睨みながら、私はママに手を貸してもらってやっと地に足をつけ、二人に支えながら家に入った。とりあえず一番座りやすい椅子のあるダイニング向かいながら、
「正巳、マイケルさんに何であんな失礼なこと言うのよ」
と正巳に文句を言う。あんたは私のなんだって言うんだ、弟でしょうが。いまさらあんたに敬ってもらおうなんて思ってないけど、せめて人のことを持ち物みたいに扱うなって言うの。
「更紗こそどういうつもりなんだよ。あんなやつがいるんだったらなんで見合いなんてしたんだ」
そしたら正巳はそう反論した。
「それはママが勝手ににセッティングしたんだから。私のせいじゃないわよ。それに、マイケルさんとはそんな関係じゃないわ」
それに対して、私はむくれながらそう答え、
「そうなのよね、更紗ちゃんに内緒でお話進めちゃったのよ」
とママがちゃんとフォローを入れてくれたけど、それでも正巳は納得しない。
「マイケル?俺にはたけるって言ってたぞ」
あ、そうか。マイケルさんは日本名を名乗ったんだっけ。
「マイケルさんのママはイギリス人だもん。英名も持ってんの」
私はそう説明する。知ってるのはとりあえずそれだけだけど、それだけでもマイケルさんと私が以前から知り合いっぽく聞こえるから不思議。それを聞いた正巳は、
「へぇへぇそうですか。けどな、あいつさっき着いたとき、更紗を待ってた俺をものすごい眼でにらんでたぞ。あれは完全に飢えた雄の眼だね。更紗は天然だから気づいてないだけさ」
と面倒臭そうに言う。でも、飢えた雄の目って、何。それはあんたの目が腐ってんでしょうが。
「そんなことないって」
そうよ、マイケルさんにはちゃんとすてきな家族がいるもん、悲しいけど。その時、改めて私を見たママがいきなり素っ頓狂な声を上げた。
「あら、更紗ちゃん、着物はどうしたの?」
「えっ、着物? あ、マイケルさんの車の中だ。病院の後、着替えたの。足が不自由だと着物じゃつらいだろうって……」
それを聞いた正巳の目が怪しく光る。
「あいつが買ったのか」
と言われて、ちょっと悪寒が走った。
「う、うん……」
私は、ぎくしゃくっと頷く。
「ほらみろ、あいつ更紗落とす気満々じゃん」
それを聞くと、正巳はにやっと笑ってそう言った。
「どうしてよ」
「男が女に服を贈るのは脱がすのが目的だってのは、心理学では常識だろ」
「そんなの統計上の問題でしょ。すべての人に当てはまるって訳じゃないわ」
「いや、俺なら間違いなくそれ目的だぞ。それに、この服どうみてもブランドの一点物じゃないか」
う、鋭い。まさしくブランドの一点物ではあるんだけどね。男のあんたが、なんでそれを知ってんのよ。
 そうか、あんたは会社のかわいい部下の退路を用意周到に絶って囲い込むようにゲットした腹黒上司だもんね。それくらいはリサーチしてあるってことか。けど、それがすべての男の常識だとは思わないでね。マイケルさんはお店を知らないからの外商買いなんだから。
「ねぇ、更紗ちゃんそれで着物はちゃんと畳んであるの?」
そこでママが私たちの会話にそう割って入る。 
「デパートでちゃんと畳紙もらって、畳んであるわよ」
私がそう言うとママは、
「それなら良いわ」
とホッと胸をなで下ろす。どうでも良いけど、拘るとこそこ??
「ったく、更紗の貞操の危機だってのに、何をのんきなことを……」
と正巳も頭を抱えている。
「貞操の危機も何も、それでまとまってくれるのなら、いいんじゃない? 相手の男性が救世主に見えるってもんだわ」
それに対して、ママはしゃらっとそう言った。天使顔だけに救世主って……何気に酷くない?

「ま、とにかくご飯にしましょ。更紗ちゃん、マイケルさんには連絡着くんでしょ。着物のこと、食べたら電話しておきなさいよ。正巳くんも食べるでしょ?」
と言うと、正巳は、
「いや、俺は美奈子がちゃんと用意してるだろうし帰るよ。
あー、一日ムダに振り回されたぜ」
と言ってとっとと愛妻の待つ自宅へと帰っていった。おお、おお帰れ帰れ、幸せ者めが!

 この後パパが仕事(パパの仕事はカレンダーに関係ないシフト制)から帰ってきた。ママはこのお見合いをパパにも言ってなかったらしく、(パパに言ったら絶対に反対するだろうから)パパには私がお出かけした先で怪我をしたことにした。たぶん、ことの顛末を正直に話せば、きっと正巳と同じかそれ以上の反応をするだろうから、私にとってもその方が都合が良かったし。
 そして、この日、この足で二階に上がっても下りるのが大変だろうということで、私はリビングのソファーベッドで寝ることになった。
 夜中、慣れない空間で眠れない私は、マイケルさんの携帯番号を見つめながらため息をついていた。確かに着物は返してもらわなきゃいけないんだけど。でも、
『渡した紙、捨ててください』
という言葉と、あの傷付いた様な瞳を思い出すと、私はその夜、マイケルさんに電話をかける勇気はついぞ持てなかった。

 ……そしてその翌日……
「おい更紗、起きろ!」
私は朝6時、と叫ぶ正巳の電話に叩き起こされた。
「何なのよ、正巳」
「おまえ今、リビングだよな。今すぐテレビつけろ、4チャンだ」
 まぁ、準備に時間がかかるけど、今日は病院に行ってから出勤するつもりだったから、もう少し寝ているつもりだったのに。そう思いながらとりあえずママが枕元に置いてくれていたテレビのリモコンのボタンを押す。

 私は、そこに映し出されたテレビのエンタメコーナーの話題に思わず息を呑んで固まった。
 何故かと言うと、
『あのイケメン青木賞作家、市原健の熱愛発覚。怪我をした彼女を実家まで優しくエスコート』
という見出しの下、エンタメボードに、家の前で私をお姫様だっこしたマイケルさんの写真が掲載されたスポーツ紙が張り付けてあったからだ。
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