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第一章

第一話 「諸刃のペン」

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「寝太の将来の夢って、何なの?」
 どんなことにでも興味津々な幼子のように、エンドルフィンはそのスカーレットの瞳をまんまるに見開いて、俺の顔を覗き込んできた。
 俺は一瞬言葉に詰まったが、彼女が唯一気の知れた友達であったことをふと思い出す。
「そうだなぁ……母さんは俺に、東大に入って大手企業に就職しろって言ってるな。けど父さんは逆に、なりたいと思う道に進めって言ってた気がする」
「じゃあ、寝太は何になりたいの?」
 原っぱに足を投げ出して空を見上げるエンドルフィンは、視線を空に向けたままぶっきらぼうに言った。
 よほど俺の返答に失望したのか、なんとなく愛想が悪い。
 どこか俺を試しているような態度に思え、俺はちょっとムッとする。
「俺は…………漫画家になりたい」
「どうして?」
「人の心を動かせる……からかな?」
 自信なくそう言うと、やっとエンドルフィンは俺の方に向き直った。
 そして人差し指をまっすぐに立て――
「ペンは剣よりも強しって言葉、知ってる?」
 唐突に質問を繰り出した。
 もちろんそれくらい知っている。
 剣などの暴力を使って無理やり従わせるより、ペンで書いた記事を広めるほうが多くの人を動かしやすいって意味だろ?
「知ってるよ、マスコミのことだ」
「ええ、確かにそうね。でも、寝太はまだ気づいてない」
 気づいていないとは、どういうことだ。
 これ以外の意味でもあるのか?
 それとも、エンドルフィンが唐突に語り始めた理由についてのことか?
「ペンっていうのはね、剣と同じで諸刃なのよ」
「えっ、それってどういう……」
「悪い奴がプロパガンダに悪用すれば、みんなはそちらに扇動される。でも善い人が活用すれば、みんなを導くことができるってこと。どうして私が今こんな話をするか、わかる?」
 なるほど、そういうことか。
 それでやっと気が付いた。
「俺の将来の夢について……だな」
「そう、寝太はやっぱり漫画家が向いてると思う」
 意外な励ましに一瞬照れそうになったが、恥ずかしいのでクールなフリをしておく。
「そうかな、エンドルフィンはそう思うか?」
「うん。私は剣でしか戦えないけど、寝太にはその才能がある。無駄にしちゃ絶対にダメよ」
 なんか普通に嬉しいんだが、ちょっとオーバーに褒めすぎではないのか?
 確かにエンドルフィンには自作漫画を見せたことはあるが、そこまで褒められるような内容だった自信がない。
 まあでも、人間ポジティブシンキングが大事だって父さんが言ってたし、素直に受け取っておこう。
「俺もそう思う。この世界をよりよくするために、この才能を使いたい!」
 いつもより遥かに勢いを付け、俺は壮大な表情で高らかに宣言した。
 はあ……宣誓ってなんか、気持ちいいなぁ――!
「さすが寝太、伸びしろという名の才能だけは素晴らしいわ」
 は……今なんか聞こえた気がするんですけど。
「宣誓中悪いんだけど、この前のあの漫画、メッチャ下手クソすぎてイクほどエクスタシーだったわ!」
「黙れえええええええええええええええええええええええええ!」

 ――はっ、と俺は目を覚ました。
 慌てて周りを見回すと、どうやら校内の訓練場二階のベンチで眠っていたらしい。
 久しぶりに懐かしい夢を見た、と感傷に浸っていたのだが――
「春、なんでお前の太ももが俺の右側頭部に当たってるんだ?」
「居眠りをする時は、同い年くらいの可愛い美少女の膝枕で眠ることによって新陳代謝が活性化し、脳内にβエンドルフィンが放出され、自分の二の腕を枕にした場合と比べて平均寿命が二十三時間延びるという世界的な研究が……」
「そ、そうか……ていうか二十三時間って短いな」
 ゆっくりと上半身を起こした俺は、おもむろに隣にいる春に目をやった。
 肩にギリギリかからない程度の艶やかな漆黒の黒髪に、長いまつげにふち取られ黒々と澄んだ瞳。そして右目尻にある涙ぼくろが、一際アクセントを醸し出した端整な顔立ち。
 日本人女性らしい控え目なパイ乙が素晴らしく似合うこの美少女は、俺の保育園の頃からの幼馴染み、霧島春きりしまはるだ。
 見た目は確かに可愛いのだが、実を言うと精神疾患を患っている。
 何度アドバイスしても同じことを相談してきたり、何かとずっと一緒にいたがる。
 スープが冷めない程度の距離というものを知らないらしい。
「私、世間一般ではヤンデレっていうらしい。寝太、私の気持ちに答えないと、92.5%の確率で股間部に修復不可能なほどの深刻なダメージを被って、戦線を離脱する羽目になる」
 よくもまあそんな無表情で次から次へとウソ情報を製造できるな、一周回って尊敬するわ。
「自覚症状があるヤンデレなんてあってたまるか! お前はヤンデレじゃなくて、普通に病んでるんだよ。まあ俺も言える立場じゃねえけど」
 俺はちょっと(どころではないかもしれないが)頭が逝っちゃってる春を置いといて、吹き抜けになっている廊下の柵から一階を見下ろした。
「性天使と戦う上で最も大切なことは、本能を捨て去ることだ」
 高校一年のASAT新人隊員の教育のため、顧問兼隊長の比喩氏胸子ひゆうじきょうこ先生が場内に声を響かせていた。
「人間は本能的に、急所である頭部や心臓を守ろうとする。だが、性天使相手の場合はわけが違う。敵も味方も、一番に守るべき物は股間だ! 大事なことだからもう一度言うが、脳や心臓以上に股間を守れ!」
 ドスのきいた先生の声に合わせて、一年生たちが一斉に謎の構えを連続的に行っている。
 足を開いたかと思えば今度は腰を前後に振ったり、はたまた尻を突き出したり、俺を除いて基本的に女子しかいないASAT隊員がする動きにしては、やや恥ずかしいものが多い。
 確かに何も知らない一般人が傍から見れば、新興宗教の儀式か何かと勘違いされるかもしれない。
 だがこれは、れっきとした戦闘訓練なのである。
 近接玉響たまゆら式対性天使格闘術、通称キン=タマの、な!
「キン=タマとは、ボクシングや柔道、少林寺拳法に至るありとあらゆる格闘技の膨大な金的のデータから生まれた戦法だ。敵に股間がある限り、その動きは統計的確率で予測可能である。キン=タマでは、常に自分と相手、双方の股間の未来位置を予測しろ。そうすることで、最高の効率をもって最大の数の敵を去勢できる。また敵からの金的は、考えることもなく反射的に回避可能となる」
 そんなキン=タマを駆使し、戦闘装具と呼ばれる飛行型パワードスーツで性天使と戦うのが、俺たちASAT(対性天使部隊)の役目だ。
 だが、俺にはその目的の意義を信じることができない。
 性天使が極悪非道な侵略型異星人であるなど、五年前までの性天使の態度からは想像も付かないのだ。
 テロが発生し、新たな法律ができた直後、俺はエンドルフィンと離れ離れになった。
 彼女が今どこで何をしているのかはわからない。
 でも少なくとも、性天使が悪い奴らだとは思えない。
 ではどうして現在ASATに、男子では超不利な試験にクリアしてまで所属しているのか。
 その理由は俺自身もわかっているが、どうしても抗うことができない。
 
 ――世間体――

 このたった三文字で表された言葉に俺は、生まれてからずっと支配されてきた。
 誰かが勝手に作った正義、倫理、道徳、そして公序良俗。抗うことも疑うことも許されない、魔の経典。
 普通って何? 常識って何? 幼い俺は、そんな疑問を持つことすら、許されなかったのである。
 エンドルフィンを庇って触法少年として補導された俺は、中学の間ずっと性犯罪者としていじめられてきた。
 それにより、俺の汚名返上を図る母親のスパルタ教育もさらに加速した。
 高校も地方随一の進学校であるこの芽島高校を受験させ、大学受験に有利と聞いてこのASATに入隊させたのである。
 このままじゃ俺はこの間違った世間に取り込まれちまう。いや、もうすでに半分以上融合し始めている。
 それだけは、何としてもそれだけは阻止しなければ、俺の魂は死んだも同然だ。
「寝太、どこへ行くの?」
「野外演習場だよ。最近、ストレス溜まってんだ」
 上層部の嫌がらせで押し付けられた旧式の戦闘装具、Fe-4EJ改ファントムを装着し、俺は屋内訓練場を出た。
 屋外演習場とは隣同士で、そこから見えるグラウンドには、部活の朝練に励む生徒の姿がちらほらと見える。
 みんな、どんな思いで毎日同じことを繰り返してるんだろう。
「寝太、待って、私も」
 その声に後ろを振り返ると、新型戦闘装具のFe‐15Jイーグルを装着した春が後を追って来ていた。
 彼女の装備しているイーグルは俺のファントムよりも新しく、性能も全てにおいてファントムを凌駕している。
 さすがに同期で俺だけファントムなのは納得がいかないが、そこはまあ許そう。
 でもなあ、なんで俺だけ62式言うこと機関銃なんだああああああああ!!
「寝太、何するの?」
「まあとりあえず、スキミング飛行の練習でも……」
 俺がそう言うと、春はいきなり「必要条件でも十分条件でもない」ことを言い出した。
「なら、競争。勝負には賭けが必要」
 なんか誘導尋問な気がするのは俺だけか?
 ていうかそもそも、勝負に賭けって必要なのか?
「ダメだ。62式機関銃と89式小銃じゃ、完全に不公平だ」
「機動力の競争、ダメ?」
 おいおい、上目遣いしても無駄だぞ。
 機動力つったって、ファントムとイーグルじゃ結局俺が不利じゃねえかよ。
「とりあえず聞くが、何を賭けるんだよ」
「お互いの、クロッチアーマーの、クンカクンカ権を賭けて勝負」
 何言ってんだこいつ……。
「寝太の使用済みクロッチアーマー、訓練で蒸れた汗の匂い、クンカクンカしたい」
 何言ってんだこいつ…………。
「だからあなたのパンツを……」
「わぁったよ! そんなに嗅ぎたいのかよ!」
 ちなみに春の言うクロッチーアーマーとは、戦闘装具唯一の被装甲部分、装甲パンツのことだ。
 戦闘装具に搭載されているジェットエンジンは小型で、非常に限定的な推力しか確保されていない。
 だからこそ装備を軽量化して機動力を上げる必要があるのだが、もちろん全身に装甲を施すと重すぎて機動力がカスみたいになる。
 そのため、バイタルパートとなる股間だけに装甲を施し、それ以外の場所はケブラー繊維のスク水みたいなので対応しているのだ。
 そんな装甲パンツ、クロッチアーマーなのだが、超硬質チタン合金とセラミック装甲、そして強化ビニール繊維などをサンドイッチ状に重ねて作られたコンポジットアーマーが現代の主流だ。
 中には敵の成形炸薬対消滅弾に対応するため、コドモウム爆薬を詰めた箱を貼り付け、リアクティブアーマーとする場合もある。
 どっちにしろ、現代の戦車に利用されている技術をふんだんに盛り込んだ、世界最強のパンツであることには間違いない。
「だが気を付けろ、あんまりハァハァしてるとコードキーパーに反応しちまうぞ」
「大丈夫、私が寝太のクロッチアーマーをクンカクンカしたいのは、性欲による衝動ではなく、食欲だから」
 何言ってんだこいつ………………。
「…………」
 春に対する反応に困りながらも、俺は一つだけ気になることを思い出した。
「なあ春、お前はどうしてASATに入ったんだ?」
 幼い頃からいつも一緒についてくる春に対し、ただ普通に疑問に思っていたことの一つだ。
 同じ学校に通って、同じ部隊にまで配属されたことに色々と気になる点がある。
 もしかすると俺に――という期待も少なからずあるが、そもそも今の状態では物理的に勃てないことを思い出してため息をつく。
 それに俺には、エンドルフィンがいるんだ。
 浮気はダメ、ゼッタイだ。
「寝太がいるから」
 ――――ッ!?
 いやいや、待て待て待て、だからと言って決まったわけじゃない。
「なんで俺がいると入る理由になるんだ?」
「それは……答えられない。言ったら二人とも消されてしまう」
 は? 
 まあいい、聞かなかったことにしよう。
「そうか……それならいいよ」
 実を言うと、よくもないんだけどね。
 俺が呆れ気味に春から目線を逸らし、一度だけため息をついた、その時――

 ウゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥ――――!!

「――ッ!?」
 学校中、いや町中を揺るがすほどの耳障りなサイレンが鳴り響いた。
 妙に短調で、戦時中の空襲警報が中途半端になったような不気味な音。
 敢えて不安を誘うことにより、住民の緊張感を煽るサイレン。
 いわゆるJアラート、国民保護サイレンだ。
『第二種性天使警報発令、第二種性天使警報発令、八王子市全域にシェルター避難指示が出ています。その他の多摩地域内の住民の皆様は、速やかに屋内退避してください。繰り返します……』
「性天使……」
 また、戦わなくちゃならないのか。
 何の恨みもない性天使を、萎やさなければならないのか。
 ここで出撃を拒否すれば、俺は裏切り者で臆病者な非国民としてみんなに叩かれるだろう。
 ホントはそうすべきなんだ。
 でも今の俺にはできない。
 世間体の呪縛が、解けない限り。
「寝太、出撃……」
「……ああ、わかってる」
 言い訳と自己嫌悪の狭間に取り残されながら、俺は重い足を一歩前に踏み出した。


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