まおうさまは勇者が怖くて仕方がない

黒弧 追兎

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グラスネス

5話

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 少し町の外れにある酒場の外観は樽で周囲を埋め、蔦が巻きついた如何にもなもので勇者の整った容姿から見ればかけ離れた場所だった。けれど、躊躇なく蔦を剥いで扉を開ける様子から行き慣れた酒屋らしい。
 いつ、勇者の気紛れで斬られるか怖くてならないセーレは勇者の行動を闇を映すと語られてきた紫の目で見張っていた。もちろん、それは攻撃をするためではなく、即座に逃げるためである。

「おお!!ナヴィじゃないか、魔物斬滅はもういいのか?」
「他にやる事ができた。久しぶりだな、ブノワ」

 真っ暗な店内から響いた快活な声は知らない名前を呼んで勇者に駆け寄った。
 酒場の店主であるブノワは勇者よりも背が高く、二の腕の辺りで無くなった布の下から見える筋肉は力を入れずとも盛りあがり、会う人に屈強なイメージを与えるだろう。生やされた髭と掌から見える剣の痕が拍車をかけていた。
 酒場の店主よりも戦士という呼び方の方が似合いそうなブノワは勇者の後ろに立つ一回り小さな人影を見つけた。

「おや、そちらさんは?」
「ひ、っ」

 先ほどブノワが口にした魔物斬滅の言葉が届いてしまったセーレは引き攣った悲鳴をあげて後ずさる。
 いつの間にか明かりが点いた店内はよく見ると、刀身が剥き出しの刀や短剣、樽と大きさが変わらない斧などのさまざまな人間の武器が壁に掛けられている。もちろんそれらは魔物を倒すように作られた物だろう。
 武器単体にすら睨まれているような感覚に陥ったセーレは声を出せずに、足元の木目調を眺めて気を逸らす。

「んー?どうした?」
「お腹が空いてるようなんだ。何か作ってくれないか」
「そうなのか、もちろん」

 無言で微かに布を震えで揺らすセーレを覗き込んだブノワは勇者の一言で厨房に戻った。店内に慣れた様子の勇者がカウンターに座り、隣の椅子を引いた。
 正直、勇者の隣には座りたくないが拒否するのも怖いセーレは浅く腰を掛ける。

「ナヴィ、今は川魚しかないんだが大丈夫か」

 厨房からズレた勇者の視線にとりあえずセーレは何度も首を上下させた。何かわからないけれどこの状態で拒否できるわけがない。
 さっきから店主が呼ぶ名前はもしかしなくとも勇者の名前なのだろうか。確認する勇気はないけれど。手持ち無沙汰に木目のささくれを数えて精神を落ち着かせる。もはやその姿に魔王の尊厳などは存在せず、怯える子兎そのものである。

コトンッ

「はいよ」
「……?、っ?」

 目の前に置かれた魚の丸焼きにセーレは目を丸くして固まった。セーレの掌よりも一回りほど大きいそれはこんがりと皮を焼かれて、空虚な瞳がセーレを見つめている。
 二つと一つの視線を感じて疑問符だらけの焦った脳内で、セーレは銀のナイフで湯気を立てる腹を突き刺した。ジュワ、と滲んだ脂は人間であればその味を想像して頬を緩めるだろうが、セーレにとっては疑心の対象である。そもそも魔物は獣食中心であり、わざわざ水に入って腹に溜まらないちまちまとした魚を捕食する習慣などあるはずがない。降りた町で果実を好んだセーレであっても建物に入ったことは一度だって無く魚料理など知らなかった。

「、食べれないのか?」
「ぁ、ぇ……たべる、?」

 「これを?」小さく呟いたセーレはナイフを動かして身を露出させる。獣には存在しない柔らかく解れた身は食べるという概念から外れている。幼児のようにナイフで魚を突くセーレは変わらない現状に覚悟を決める。俺を魔物だと知らないこの店主が毒を入れるはずがなく、俺を見つめる視線に悪意は含まれていない。
 その瞬間、布を外さずに魚と対峙するセーレにブノワが善意と疑問で布に手を掛ける。けれど、最悪は重なってセーレに降りかかる。

「なあ、その布邪魔じゃないか?、あ」

パサッ

「……な、ぁ、ッぅえ!?っ~~ー?!?!」

 顔を上げたセーレに掛かった手が布を脱がせてしまう。するりとすり抜けた布はぱさりと音を立てた。
 店内に晒される艶のいい黒髪と真っ白の丸く曲がった角。挙句に動揺して揺れる瞳は魔を象徴とし紫の瞳である。人間には無い角と焦りに空いた口から覗く牙もブノワの目にはっきりと映ってしまった。

「ぁ、ッあば、ひっ!?んぶっ!」
「ナヴィ、そいつ……魔物か?」

 ぐるぐると目を回し動揺したセーレが椅子から立ち上がる前に布を被せた勇者。勢いよく後頭部に当たってしまった勇者の手に頭を揺らしたセーレが鈍痛に呻く。
 無言で睨み合う緊迫した空間の中、塞がれた視界で息を殺す。勇者に殺されないとしてもブノワに殺される可能性が存在する。一瞬で武器に辿り着くこの場でブノワの晒された筋肉は最大限に活躍することだろう。

「あぁ、セーレというんだ」

 静寂を切り裂いたのはセーレを紹介する勇者の声だった。セーレとは異なる緊張感を纏った声は僅かな含羞を滲ませた。無意識に力が込められた手に頭を鷲掴みにされたままのセーレは再度の鈍痛に小さく呻り、勇者への恐怖を蘇らせた。やはり、警戒すべきは勇者である。

「……そうか、はっ、はははは!!」

 数十秒ほど止まっていた酒場は溌剌と響く声に溶かされた。和らいだ表情の勇者とは反対にビクリと身体を跳ねさせたセーレはカミラとの平和で退屈な日々を走馬灯のように思い出していた。
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