まおうさまは勇者が怖くて仕方がない

黒弧 追兎

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グラスネス

10話

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 日が翳る町では店仕舞いが始まり、見物人も少ない。おざなりに商品をしまう店先にローブを被った人物が果実を指差した。売れるのならと交換した店主にローブの人物が口を開く。

「最近、この町に勇者が滞在していると話を聞いたんだが」
「あぁ、勇者さまなら歩いてたねえ」
「一人で?」
「いや、男か女かわからんが一人連れてたよ」

 「これくらいの」と背丈を表す手にピクリと眉間を動かした男はローブを翻した。真っ赤な果実を握る手が果汁に染まり、道に滴る。鬱陶しく払った果実を含む表情は苦々しく歪んでいた。



「勇者さま!お嬢さんに冷たいプレゼントはどうです?」

 真っ赤な衣服と色が似たガラスの奥を指差した店主が勇者の気を誘う。どうやら顔が隠された姿はふわりと舞う裾が相まって女だと認識されてしまうようで勇者に掛けられる客引きは軽いものになり、冷やかしも増えていた。存外な扱いも含まれる声に反応しない勇者の機嫌を伺うセーレはやめてほしいと願うばかりである。
 そんな騒々しい露天で勇者が歩みを止めた。突然に間隔を空けていなかったセーレは寸でのところで前のめりに接触を回避した。

「、っ」
 
 あぶない、勇者にぶつかるところだったと脂汗を一瞬にして浮かべて見上げれば、勇者は硬貨を店主に渡していた。それは先ほど軽快に声を掛けた店主で嬉しそうに応対すると二段の丸が乗った三角を勇者に渡す。上は真っ赤で下は白をした二段は不安定なように見えるが落とされずに勇者の手に移され、セーレの目の前に現れた。

「え、?」
「見てたから。これも果実を使ってる」
「あ、はい」

 呆気にとられて受け取れば掌に冷たさが伝わる。柔らかそうな斜面は暑さに気が取られて、ピンクの雫を三角に垂らす。
 食べ物であることは判断したけれど、本当に勇者の行動が分からない。一瞬、セーレが視線を寄越しただけで買ってしまうなんて。どうしよう、やっぱり勇者は太らせて食べる類の人間だったのかもしれない。それならば、できるだけ食べない方がいいけど、それで激情を買ったら元も子もない。
 逡巡を繰り返すセーレだが、人間の食べ物の甘さを知ってしまった脳内は好奇心を芽生えさせてしまった。

「、?……、ぁ、えっぁわ」

 滴る甘い雫が指先を濡らす。もう少しだけ思考に浸りたかったが、べたべたに染められていく掌に慌てて舌を伸ばしはじめた。甘くて冷たくて舌から消える液体はセーレにとって新たに得る感触で夢中になって含んでは液体になるまで溶かして喉を鳴らす。裾の中ではゆらりゆらりと尾が舞って、削られていく斜面に勇者が目尻を緩めた。

「それはアイスだ。気に入ったか?」
「っあいす、」

 復唱しては凝視して唇を舐める。名前を覚えようと冷えた口を動かす反応はセーレの好みに陳列されたことを知るには明白だった。あっという間に平らになったそれは躰を牙に砕かれて飲み込まれる。汚れた指先を舌で拭いながら、セーレがつい、と視線をずらした先にはガラスの奥が映し出されていた。

「明日も買おうか」
「あぇ、っそんな、いらな」
「他の味もきっと美味しいから」

 誘惑には勝てなかった。おずおずと頷いて見上げる瞳には勇者の思惑を探る意思が込められていた。勇者といえど、魔王に使う硬貨など一枚も無いはずなのにやっぱりおかしい。今更すぎる疑問に悩まされたセーレだが、砂糖の余韻にふわふわと頭が回らず同じ疑問だけがぐるぐると脳内を駆けていた。
 元より、原因も対策も考えるのはカミラでセーレの仕事はたまにくる部下と遊んでいただけだった。故に、セーレには答えの出ない疑問は早めに放棄する癖が根を張っていた。

「帰ろう」

 町に沿うO字の巨大な露天の端まで歩けば、閑静な町の外れが見え始める。酒屋までの道は木が生い茂り、少し距離がある酒屋は町から確認できない。歩きずらい裾に心なしか脚を高く上げて勇者の後を着いていく。

「ははははっ!ナヴィ、お前やるなぁ」
「、?」

 慣れたように勇者と共に店内に入ったセーレを見ると厨房から顔を覗かせたブノワが快活な笑い声を響かせた。露天の人々と同様にセーレの姿を上から下へと視線を這わせて、満足げに頷いた。ブノワはセーレが男であると知っているはずなのに、どちらかといえば女物のように感じられる衣服には違和感はないらしい。
 あまりにも愉快そうに勇者を煽てるブノワに真っ赤なこの衣服にはそれ以上の他の要素があるようで、首を傾げた。

「ああ、悪い。なんでもないんだ」

 あからさまに誤魔化すブノワにそのままのセーレだったが、何やら食べ物らしきものが夕飯だと告げられれば興味をなくした。
 それに、この衣服はセーレの好みなど反映されておらず、着せられるままに着たもので、拘束された存在では脱ごうと考えることすらない。歩きずらさと周りの目を含めなければ、普段とは異なる服装に気分転換にすらなっていた。魔王城で着せられるマントはどれも重たくて引き摺るばかりだったから。

「魚が好きみたいだったから、でっかい魚買ってきたぞ」
「おぉっ、さかな……」

 ブノワが掲げたそれは皿を3枚繋げても乗せられないほどの巨体であった。凝視した瞳が瞳孔を開いて涎が口内に滲む。刃が入れられていく巨体を少し身を乗り出して観察する姿はすっかり人間の食物に警戒心を解いている。慣れたように大人しく椅子に座しては、隣の勇者の気配に震えることは無くなっていた。
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