江戸の兄弟 ~遠山金四郎と長谷川平蔵~

ご隠居

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再会 ~御前御用のふたり~ 2

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 さて、「御前御用」が終わりを告げると、皆、ホッとしたような表情を浮かべた。とりわけ名を披露ひろうする役目をおおせ付かった勝手掛かってがかり老中の水野みずの忠成ただあきらがそうである。

 本来、こうした儀式における名前の披露ひろうは儀式進行役である奏者番そうじゃばんの仕事であった。実際、従六位じゅろくいに相当する布衣ほい役未満の役職の任命については奏者番そうじゃばんが名前を披露ひろうし、しかも将軍からではなく老中より申し渡されるのであった。

 それが布衣ほいの役ともなると、将軍から直々じきじきに申し渡されるのであった。ゆえに名前の披露ひろうも老中が行うことになる。布衣ほいの役とはそれだけ重いものと言え、ゆえに旗本なれば誰もが望むポストと言えた。

 ともあれ忠成ただあきらは無事に大任を果たせたことでホッとすると同時に、奏者番そうじゃばん時代を思い出したものである。この忠成ただあきらもかつては奏者番そうじゃばんであった時代があり、あらゆる儀式において名前を披露ひろうしたものである。無論、「カンニングペーパー」を持ち込むことなど許されず、すべて暗記しておかねばならなかった。

 そして今もまた、それは同じであった。すなわち、45人の名前を暗記しておかねばならなかったのだ。流石さすが忠成ただあきらは45人もの名前を覚えるのに苦労した。いや、本来ならばこれは月番老中の仕事であり、今月は植村うえむら駿河守するがのかみ家長いえながが月番老中であるのだが、何しろ家長いえなが御齢おんとし72、その年で45人もの名前を覚えろと言ってもそれは無理というもので、そこで急遽きゅうきょ忠成ただあきら白羽しらはの矢が立ったというわけだ。

 忠成ただあきらは老中の中で唯一人ただひとり中奥なかおく兼帯けんたいを命ぜられていた。かつて、十代将軍・家治の治世ちせい、田沼意次がそうであったように、今は忠成ただあきら中奥なかおく兼帯けんたいを命ぜられていたのだ。つまりは将軍のお気に入りというわけだ。

 何しろ中奥なかおくは将軍の言わば「プライベートエリア」であり、表向おもてむきのトップである老中と言えども中奥なかおく役人でない以上、勝手に立ち入ることは許されず、しかし、こと中奥なかおく兼帯けんたいを命ぜられると、中奥なかおく役人としての性格を付与ふよされ、つまりは中奥なかおく役人と同様、中奥なかおくに自由に立ち入ることが許されるのだ。ゆえにこの中奥なかおく兼帯けんたいを命ぜられる老中は将軍のお気に入りなのである。わざわざ自分の気に入らない老中に中奥なかおく兼帯けんたいを命じるはずもないからだ。

 さて、ホッとしていたのは将軍・家斉いえなりより小納戸こなんど拝命はいめいした45人にしても同様であった。いや、44人と言うべきか。

 45人のうちのひとり、長谷川平蔵は唯一ゆいいつの例外と言え、平蔵は「御前御用」が終わるや、真っ先に頭を上げて、大欠伸おおあくびを一発かましたものである。これには隣に座っていた遠山金四郎も思わずギョッとさせられたものである。

 金四郎は豪傑ごうけつおもむきがあるが、平蔵には及ばない。その金四郎でさえ、平蔵の態度にはギョッとさせられたのだから、他の者は正に、「推して知るべし」であろう。陪席ばいせきしていた老中さえもそうであった。何しろ平蔵の大欠伸おおあくびは比較的、離れた場所にいた老中にまで届いてしまったのだから。

 一方、平蔵はそんなことはお構いなしに真っ先に立ち上がったかと思うと、

「おい、金四郎、さっさと出ようぜ」

 金四郎を見下ろしながらそう言った。声をかけられた金四郎は思わず周囲を見回したものである。もしかして平蔵の「仲間」と思われたのではないか、と。

 案の定、小納戸こなんどに任じられたばかりの43人は金四郎の方へと振り返った。金四郎は思わずうつむいた。恥かしさもあるが、それ以上に今後の出世に差し障りがあるのではないかと、金四郎はそれを案じたのだ。

 すると平蔵は金四郎の俯く姿からそうと察したのか、「ちっ」と舌打ちをしたかと思うと、

「ったく、情けねぇなっ、おいっ!」

 平蔵は金四郎の左肩をその右足でもって小突いたのであった。武士としてこれ以上の屈辱はないであろう。いや、金四郎にしてみれば武士として、と言うよりは、

「男として…」

 その意識の方が強く、それも瞬間的に感じられた。それは本能的にと言い換えても良かったかも知れない。

 金四郎はそれからやはり本能的に立ち上がるや、平蔵に鉄拳をお見舞いしていた。それで金四郎は我に返った。

 人をなぐった時の独特の感触、それが拳に伝わり、金四郎は我に返ると、

「何という、馬鹿なことをしてしまったのか…」

 そう後悔したものである。これでは自ら出世をふいにするも同然だからだ。

 だが同時に金四郎はひどく懐かしい感触に襲われもした。金四郎が平蔵をなぐったのはこれが初めてではないからだ。7年前にも一度、平蔵をなぐったことがあったからだ。いや、正確にはなぐり合った。それも一度ではなく、それが二度もなぐり合い、今のでさしずめ、三度目のなぐり合いと言えた。
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