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鳥居耀蔵
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さて、最初に挑発したのが平蔵だとしても、金四郎に撲られて大人しくしているような平蔵ではなかった。
平蔵は金四郎の拳が己の頬にめり込むや、実に嬉しげな様子を覗かせたかと思うと、
「らくしなったじゃねぇかっ」
そう言って己の拳を金四郎の頬にめり込ませた。
金四郎も平蔵も懐かしさと可笑しさが込み上げてきて呵呵大笑した。
そして二人は体をはなすと、示し合わせたわけでもないが、肩組みをした。もうどうにでもなれ…、金四郎はそう思い、一方、平蔵は金四郎のそんな刹那的な、いや、金四郎の本来、あるべき姿、偽りのない姿に再び、呵呵大笑した。
だがここは仮にも殿中…、江戸城本丸の表向、それも中奥に最も近い黒書院である。すぐ傍には臣下最高の席とも称される溜之間がある。
そのような格式ある場所にてこのような「狂態」を演じれば当然、厳重注意されることは免れ得ず、この場合もそうだった。
「ここをどこだと心得ておるっ!」
肩組みをする金四郎と平蔵に対して、後ろよりそう怒声を張り上げる者がいた。
それで金四郎も慌てて平蔵から離れようとしたものの、しかし、平蔵の方がそれを許さず、もう逃すまいと、そう言わんばかりの強い力でもって金四郎を捕えたまま、顔だけ声の、それも怒声の主の方へと回したので、金四郎もやむなく平蔵から離れることを諦めた上で、平蔵に倣う格好で同じ方向へと顔だけ回した。
するとそこには平蔵にも金四郎にも見覚えのない顔が、それでも心底、怒っている様子であることはその紅潮させた顔面から一目でそうと察せられる、その顔が浮かび上がった。
「あっ?誰だ?てめぇ…」
平蔵は更にその者を怒らせるような言葉を吐き、金四郎の方がハラハラさせられた。
当然、その男は「まずはその方から名乗るのが筋であろうがっ!」と言い返した。
だがそれに対して素直に従うような平蔵ではない。平蔵は漸くに金四郎から離れたかと思いきや、
「ああ?何だ、てめぇ…、やんのか?」
平蔵は両手の指をポキポキ鳴らして、威圧する始末であった。到底、将軍の御側近くに仕える小納戸の所業とも思えなかった。
「おい、よせっ」
金四郎が思わず平蔵を注意したものの、しかし、やはりと言うべきか、それに素直に従うような平蔵ではない。
このままでは己のみならず、目の前にいるこの男とも撲り合いを演ずるのではあるまいかと、金四郎は本気でそう案じた程であった。
するとそこで、「何をしておる」と声が入った。さしずめ、「水入り」のようなその声に金四郎は、それにその男もホッとしたのとは対照的に、平蔵にしてみれば正に、
「水を差された…」
それも同然であり、折角の喧嘩を邪魔する奴はどこのどいつだと、平蔵は今にもそう言いたげな様子でその声の主へと、「ああっ?」とやはり威圧するような声を出して振り向いた。
するとそこには北町奉行の榊原主計頭忠之が立っていた。金四郎と、それにその男は慌てて榊原忠之に対して叩頭してみせたものの、平蔵はそれとは正反対にガンを飛ばし、あまつさえ、
「誰だ、てめぇは?」
遂に北町奉行の榊原忠之に対してまで、「てめぇ」呼ばわりする始末であり、これには流石に金四郎も耐え切れずに、「おい」と注意しようとしたものの、しかし、それよりも早くに忠之の笑い声が上った。
「これは面白い男よ…」
正に余裕綽々、さしずめ、
「大人の余裕…」
といったところであろうか。しかしそれは平蔵が最も忌み嫌うものであり、平蔵は「けっ」と吐き捨てるようにそう言った。
一方、男は忠之に対して擦り寄るように、「これはこれは榊原様…」とそう声をかけたかと思うと、深々と頭を下げてみせた。
「その方は…」
名を尋ねる、つまりは頭を上げるよう促した榊原忠之に対してその男は頭を上げるなり、
「中奥番を相勤むる鳥居耀蔵|忠耀にて…」
そう自己紹介したのであった。
それで金四郎もその段になって漸くにその男が鳥居耀蔵だと知ることができたのであった。
平蔵は金四郎の拳が己の頬にめり込むや、実に嬉しげな様子を覗かせたかと思うと、
「らくしなったじゃねぇかっ」
そう言って己の拳を金四郎の頬にめり込ませた。
金四郎も平蔵も懐かしさと可笑しさが込み上げてきて呵呵大笑した。
そして二人は体をはなすと、示し合わせたわけでもないが、肩組みをした。もうどうにでもなれ…、金四郎はそう思い、一方、平蔵は金四郎のそんな刹那的な、いや、金四郎の本来、あるべき姿、偽りのない姿に再び、呵呵大笑した。
だがここは仮にも殿中…、江戸城本丸の表向、それも中奥に最も近い黒書院である。すぐ傍には臣下最高の席とも称される溜之間がある。
そのような格式ある場所にてこのような「狂態」を演じれば当然、厳重注意されることは免れ得ず、この場合もそうだった。
「ここをどこだと心得ておるっ!」
肩組みをする金四郎と平蔵に対して、後ろよりそう怒声を張り上げる者がいた。
それで金四郎も慌てて平蔵から離れようとしたものの、しかし、平蔵の方がそれを許さず、もう逃すまいと、そう言わんばかりの強い力でもって金四郎を捕えたまま、顔だけ声の、それも怒声の主の方へと回したので、金四郎もやむなく平蔵から離れることを諦めた上で、平蔵に倣う格好で同じ方向へと顔だけ回した。
するとそこには平蔵にも金四郎にも見覚えのない顔が、それでも心底、怒っている様子であることはその紅潮させた顔面から一目でそうと察せられる、その顔が浮かび上がった。
「あっ?誰だ?てめぇ…」
平蔵は更にその者を怒らせるような言葉を吐き、金四郎の方がハラハラさせられた。
当然、その男は「まずはその方から名乗るのが筋であろうがっ!」と言い返した。
だがそれに対して素直に従うような平蔵ではない。平蔵は漸くに金四郎から離れたかと思いきや、
「ああ?何だ、てめぇ…、やんのか?」
平蔵は両手の指をポキポキ鳴らして、威圧する始末であった。到底、将軍の御側近くに仕える小納戸の所業とも思えなかった。
「おい、よせっ」
金四郎が思わず平蔵を注意したものの、しかし、やはりと言うべきか、それに素直に従うような平蔵ではない。
このままでは己のみならず、目の前にいるこの男とも撲り合いを演ずるのではあるまいかと、金四郎は本気でそう案じた程であった。
するとそこで、「何をしておる」と声が入った。さしずめ、「水入り」のようなその声に金四郎は、それにその男もホッとしたのとは対照的に、平蔵にしてみれば正に、
「水を差された…」
それも同然であり、折角の喧嘩を邪魔する奴はどこのどいつだと、平蔵は今にもそう言いたげな様子でその声の主へと、「ああっ?」とやはり威圧するような声を出して振り向いた。
するとそこには北町奉行の榊原主計頭忠之が立っていた。金四郎と、それにその男は慌てて榊原忠之に対して叩頭してみせたものの、平蔵はそれとは正反対にガンを飛ばし、あまつさえ、
「誰だ、てめぇは?」
遂に北町奉行の榊原忠之に対してまで、「てめぇ」呼ばわりする始末であり、これには流石に金四郎も耐え切れずに、「おい」と注意しようとしたものの、しかし、それよりも早くに忠之の笑い声が上った。
「これは面白い男よ…」
正に余裕綽々、さしずめ、
「大人の余裕…」
といったところであろうか。しかしそれは平蔵が最も忌み嫌うものであり、平蔵は「けっ」と吐き捨てるようにそう言った。
一方、男は忠之に対して擦り寄るように、「これはこれは榊原様…」とそう声をかけたかと思うと、深々と頭を下げてみせた。
「その方は…」
名を尋ねる、つまりは頭を上げるよう促した榊原忠之に対してその男は頭を上げるなり、
「中奥番を相勤むる鳥居耀蔵|忠耀にて…」
そう自己紹介したのであった。
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