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重村の暴走 ~ライバル・島津重豪より先んじて家格の上昇を狙う伊達重村は意知に味方する~ 大奥の事情 3
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玉澤は夫・兵部が跡継の座から追われた後も引き続き、兵部の妻として、
「甲斐甲斐しく…」
兵部の世話を焼いたものである。それは決して兵部のためなどではなく、我が子・半蔵のためであった。
両親が離婚したとなれば、半蔵の薫育の上からも好ましくないと、半右衛門から諭されたためであり、玉澤としても愚かな夫でもある兵部がどうなろうとも、それこそ野垂死にしようとも一向に構わず、それゆえそのような兵部との離婚には何ら躊躇はなかったものの、しかし大事な我が子である半蔵の教育上、離婚は宜しくないとなれば、玉澤としては大変不本意ではあったが、それでも夫唱婦随を装うことにも吝かではなかった。
いや、半右衛門としては玉澤にはそれ以上に夫・兵部の「御目付役」を期待していたのだ。
兵部は跡継の座を我が子・半蔵に奪われた後も引き続き、いや、前よりも一層、博打に興ずるようになった。
兵部は確かに嗣を除かれはしたものの、しかし、兵部に替わる跡継となる半蔵の実父に当たるのだ。
そのような兵部が未だに博打に興じている、しかも前よりも一層、博打に興ずるようになった…、そんなことが公儀に知れたら、やはり駒井の家も無事では済むまい。
そこで半右衛門は玉澤に対して、兵部の妻として、兵部の「御目付役」を期待したのであった。
否、「御目付役」と言えば聞こえは良いが、実際には、
「兵部にこれ以上、博打に興じさせないためにも慰さめてやって欲しい…」
とどのつまり、兵部を今まで以上に抱いてやって欲しいと、そういうことであった。
玉澤は元来、淡白な気性であり、夫に抱かれるよりは得意の裁縫などをしていた方が性に合い、それを手内職として結構な小金を稼いでいた。
だが夫・兵部にはそれが気に入らなかったのであろう。いや、寂しかったと言うべきか。
妻に相手にされぬ寂しさから、博打に走り、あまつさえ、妻が手内職で稼いだ小金にも手をつける始末であり、そこには多分に、妻を振り向かせたいとの思惑もあったであろう。
だが玉澤はそのような幼児性丸出しの夫・兵部を全くと言って良い程に相手にせず、正に、
「ガン無視…」
そのような始末であり、それに対して兵部も遂に跡継の座を我が子・半蔵に奪われるまで博打に狂ったのであった。
そして兵部・玉澤夫妻にとって舅に当たる半右衛門もその様子を間近で具に目の当たりにしてきただけに、兵部の乱行にはその妻・玉澤にも幾許かの原因があると思っていたそうで、そこで己が半蔵を旗本としてその薫陶を授け、そして見事、半蔵が家督を継いで、
「一廉の…」
旗本になるまでの間だけでも、兵部に博打を止めさせるべく、その「御目付役」を勤めて欲しいと、玉澤に頼んだそうな。つまりは妻として兵部に抱かれてやって欲しいと、頼んだわけである。
それに対して玉澤はと言えば、舅である半右衛門のその頼みは、
「おぞましい…」
その一語に尽きたものの、しかし大事な我が子である半蔵のためなればと、玉澤は愛息の半蔵が駒井の家を継ぐまでの凡そ2年もの間、我慢に我慢を重ねて夫・兵部に求められるままに抱かれ続けたものである。博打を止めて貰うための代償であった。
そして晴れて明和元(1764)年の11月に愛息・半蔵が駒井の家を継いで、
「一廉の…」
旗本になったのを見届けた玉澤は躊躇なく夫・兵部と離婚に踏み切った。
否、兵部は勿論、妻との離婚には絶対に応ぜぬ構えを示し、その上、
「どうしても離縁すると申すのであらば従前の如く、博打に興じてこの駒井の家を潰してやろうぞ…」
玉澤をそう脅す始末であった。いや、それは駒井の家を継いだ半蔵への脅しともなったであろう。
成程、如何に駒井の家は半蔵が継いだとは言え、兵部は半蔵の実父であり、その兵部が再び博打に興じ、そのことが公儀に知れたならば、駒井の家も無事では済むまい。
いや、流石に改易になることはないであろうが、それでも減禄…、知行を幾分、削られるやも知れなかった。
兵部はそれを見越して妻子を脅したのであった。所謂、
「モラハラ夫…」
そのはしりのような男であった。
だが玉澤は、そして半蔵もそんな脅しに屈することはなく、半蔵は家臣に命じて父・兵部を取押えさせるや、かねて秘密裏に造作していた座敷牢に父・兵部を押し込めたのであった。
もっと早くにこうすべきであったと、半蔵は父・兵部を座敷牢にぶち込むや、母・玉澤に詫びたそうな。
確かに半蔵の言う通りだが、しかし、半蔵が一廉の旗本になるまではやはり、父を座敷牢にぶち込むのは好ましいものではなかった。例えその父が如何にろくでなしだったとしてもだ。
だが半蔵は最早、一廉の旗本に成長した。それゆえろくでなしの父・兵部を座敷牢へとぶち込むことに何ら遠慮はいらなかった。
「甲斐甲斐しく…」
兵部の世話を焼いたものである。それは決して兵部のためなどではなく、我が子・半蔵のためであった。
両親が離婚したとなれば、半蔵の薫育の上からも好ましくないと、半右衛門から諭されたためであり、玉澤としても愚かな夫でもある兵部がどうなろうとも、それこそ野垂死にしようとも一向に構わず、それゆえそのような兵部との離婚には何ら躊躇はなかったものの、しかし大事な我が子である半蔵の教育上、離婚は宜しくないとなれば、玉澤としては大変不本意ではあったが、それでも夫唱婦随を装うことにも吝かではなかった。
いや、半右衛門としては玉澤にはそれ以上に夫・兵部の「御目付役」を期待していたのだ。
兵部は跡継の座を我が子・半蔵に奪われた後も引き続き、いや、前よりも一層、博打に興ずるようになった。
兵部は確かに嗣を除かれはしたものの、しかし、兵部に替わる跡継となる半蔵の実父に当たるのだ。
そのような兵部が未だに博打に興じている、しかも前よりも一層、博打に興ずるようになった…、そんなことが公儀に知れたら、やはり駒井の家も無事では済むまい。
そこで半右衛門は玉澤に対して、兵部の妻として、兵部の「御目付役」を期待したのであった。
否、「御目付役」と言えば聞こえは良いが、実際には、
「兵部にこれ以上、博打に興じさせないためにも慰さめてやって欲しい…」
とどのつまり、兵部を今まで以上に抱いてやって欲しいと、そういうことであった。
玉澤は元来、淡白な気性であり、夫に抱かれるよりは得意の裁縫などをしていた方が性に合い、それを手内職として結構な小金を稼いでいた。
だが夫・兵部にはそれが気に入らなかったのであろう。いや、寂しかったと言うべきか。
妻に相手にされぬ寂しさから、博打に走り、あまつさえ、妻が手内職で稼いだ小金にも手をつける始末であり、そこには多分に、妻を振り向かせたいとの思惑もあったであろう。
だが玉澤はそのような幼児性丸出しの夫・兵部を全くと言って良い程に相手にせず、正に、
「ガン無視…」
そのような始末であり、それに対して兵部も遂に跡継の座を我が子・半蔵に奪われるまで博打に狂ったのであった。
そして兵部・玉澤夫妻にとって舅に当たる半右衛門もその様子を間近で具に目の当たりにしてきただけに、兵部の乱行にはその妻・玉澤にも幾許かの原因があると思っていたそうで、そこで己が半蔵を旗本としてその薫陶を授け、そして見事、半蔵が家督を継いで、
「一廉の…」
旗本になるまでの間だけでも、兵部に博打を止めさせるべく、その「御目付役」を勤めて欲しいと、玉澤に頼んだそうな。つまりは妻として兵部に抱かれてやって欲しいと、頼んだわけである。
それに対して玉澤はと言えば、舅である半右衛門のその頼みは、
「おぞましい…」
その一語に尽きたものの、しかし大事な我が子である半蔵のためなればと、玉澤は愛息の半蔵が駒井の家を継ぐまでの凡そ2年もの間、我慢に我慢を重ねて夫・兵部に求められるままに抱かれ続けたものである。博打を止めて貰うための代償であった。
そして晴れて明和元(1764)年の11月に愛息・半蔵が駒井の家を継いで、
「一廉の…」
旗本になったのを見届けた玉澤は躊躇なく夫・兵部と離婚に踏み切った。
否、兵部は勿論、妻との離婚には絶対に応ぜぬ構えを示し、その上、
「どうしても離縁すると申すのであらば従前の如く、博打に興じてこの駒井の家を潰してやろうぞ…」
玉澤をそう脅す始末であった。いや、それは駒井の家を継いだ半蔵への脅しともなったであろう。
成程、如何に駒井の家は半蔵が継いだとは言え、兵部は半蔵の実父であり、その兵部が再び博打に興じ、そのことが公儀に知れたならば、駒井の家も無事では済むまい。
いや、流石に改易になることはないであろうが、それでも減禄…、知行を幾分、削られるやも知れなかった。
兵部はそれを見越して妻子を脅したのであった。所謂、
「モラハラ夫…」
そのはしりのような男であった。
だが玉澤は、そして半蔵もそんな脅しに屈することはなく、半蔵は家臣に命じて父・兵部を取押えさせるや、かねて秘密裏に造作していた座敷牢に父・兵部を押し込めたのであった。
もっと早くにこうすべきであったと、半蔵は父・兵部を座敷牢にぶち込むや、母・玉澤に詫びたそうな。
確かに半蔵の言う通りだが、しかし、半蔵が一廉の旗本になるまではやはり、父を座敷牢にぶち込むのは好ましいものではなかった。例えその父が如何にろくでなしだったとしてもだ。
だが半蔵は最早、一廉の旗本に成長した。それゆえろくでなしの父・兵部を座敷牢へとぶち込むことに何ら遠慮はいらなかった。
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