上 下
147 / 162

重村の暴走 ~ライバル・島津重豪より先んじて家格の上昇を狙う伊達重村は意知に味方する~ 大奥の事情 3

しおりを挟む
 玉澤たまさわおっと兵部ひょうぶ跡継あとつぎからわれたのちつづき、兵部ひょうぶつまとして、

甲斐甲斐かいがいしく…」

 兵部ひょうぶ世話せわいたものである。それはけっして兵部ひょうぶのためなどではなく、半蔵はんぞうのためであった。

 両親りょうしん離婚りこんしたとなれば、半蔵はんぞう薫育くんいくうえからもこのましくないと、半右衛門はんえもんからさとされたためであり、玉澤たまさわとしてもおろかなおっとでもある兵部ひょうぶがどうなろうとも、それこそ野垂死のたれじににしようとも一向いっこうかまわず、それゆえそのような兵部ひょうぶとの離婚りこんにはなん躊躇ちゅうちょはなかったものの、しかし大事だいじである半蔵はんぞう教育上きょういくじょう離婚りこんよろしくないとなれば、玉澤たまさわとしては大変たいへん不本意ふほんいではあったが、それでも夫唱婦随ふしょうふずいよそおうことにもやぶさかではなかった。

 いや、半右衛門はんえもんとしては玉澤たまさわにはそれ以上いじょうおっと兵部ひょうぶの「御目付おめつけやく」を期待きたいしていたのだ。

 兵部ひょうぶ跡継あとつぎ半蔵はんぞううばわれたのちつづき、いや、まえよりも一層いっそう博打ばくちきょうずるようになった。

 兵部ひょうぶたしかにのぞかれはしたものの、しかし、兵部ひょうぶわる跡継あとつぎとなる半蔵はんぞう実父じっぷたるのだ。

 そのような兵部ひょうぶいまだに博打ばくちきょうじている、しかもまえよりも一層いっそう博打ばくちきょうずるようになった…、そんなことが公儀こうぎれたら、やはり駒井こまいいえ無事ぶじではむまい。

 そこで半右衛門はんえもん玉澤たまさわに対して、兵部ひょうぶつまとして、兵部ひょうぶの「御目付おめつけやく」を期待きたいしたのであった。

 いや、「御目付おめつけやく」と言えばこえはいが、実際じっさいには、

兵部ひょうぶにこれ以上いじょう博打ばくちきょうじさせないためにもなぐさめてやってしい…」

 とどのつまり、兵部ひょうぶいままで以上いじょういてやってしいと、そういうことであった。

 玉澤たまさわ元来がんらい淡白たんぱく気性きしょうであり、おっとかれるよりは得意とくい裁縫さいほうなどをしていたほうしょうい、それを手内職てないしょくとして結構けっこう小金こがねかせいでいた。

 だがおっと兵部ひょうぶにはそれがらなかったのであろう。いや、さびしかったと言うべきか。

 つま相手あいてにされぬさびしさから、博打ばくちはしり、あまつさえ、つま手内職てないしょくかせいだ小金こがねにもをつける始末しまつであり、そこには多分たぶんに、つまかせたいとの思惑おもわくもあったであろう。

 だが玉澤たまさわはそのような幼児性ようじせい丸出まるだしのおっと兵部ひょうぶまったくと言ってほど相手あいてにせず、まさに、

「ガン無視むし…」

 そのような始末しまつであり、それに対して兵部ひょうぶつい跡継あとつぎ半蔵はんぞううばわれるまで博打ばくちくるったのであった。

 そして兵部ひょうぶ玉澤たまさわ夫妻ふさいにとってしゅうとたる半右衛門はんえもんもその様子ようす間近まぢかつぶさたりにしてきただけに、兵部ひょうぶ乱行らんぎょうにはそのつま玉澤たまさわにも幾許いくばくかの原因げんいんがあるとおもっていたそうで、そこでおのれ半蔵はんぞう旗本はたもととしてその薫陶くんとうさずけ、そして見事みごと半蔵はんぞう家督かとくいで、

一廉ひとかどの…」

 旗本はたもとになるまでのあいだだけでも、兵部ひょうぶ博打ばくちめさせるべく、その「御目付おやつけやく」をつとめてしいと、玉澤たまさわたのんだそうな。つまりはつまとして兵部ひょうぶかれてやってしいと、たのんだわけである。

 それに対して玉澤たまさわはと言えば、しゅうとである半右衛門はんえもんのそのたのみは、

「おぞましい…」

 その一語いちごきたものの、しかし大事だいじである半蔵はんぞうのためなればと、玉澤たまさわ愛息あいそく半蔵はんぞう駒井こまいいえぐまでのおおよそ2年ものあいだ我慢がまん我慢がまんかさねておっと兵部ひょうぶもとめられるままにかれつづけたものである。博打ばくちめてもらうための代償だいしょうであった。

 そしてれて明和元(1764)年の11月に愛息あいそく半蔵はんぞう駒井こまいいえいで、

一廉ひとかどの…」

 旗本はたもとになったのを見届みとどけた玉澤たまさわ躊躇ちゅうちょなくおっと兵部ひょうぶ離婚りこんった。

 いや兵部ひょうぶ勿論もちろんつまとの離婚りこんには絶対ぜったいおうぜぬかまえをしめし、そのうえ

「どうしても離縁りえんするともうすのであらば従前じゅうぜんごとく、博打ばくちきょうじてこの駒井こまいいえつぶしてやろうぞ…」

 玉澤たまさわをそうおど始末しまつであった。いや、それは駒井こまいいえいだ半蔵はんぞうへのおどしともなったであろう。

 成程なるほど如何いか駒井こまいいえ半蔵はんぞういだとは言え、兵部ひょうぶ半蔵はんぞう実父じっぷであり、その兵部ひょうぶふたた博打ばくちきょうじ、そのことが公儀こうぎれたならば、駒井こまいいえ無事ぶじではむまい。

 いや、流石さすが改易かいえきになることはないであろうが、それでも減禄げんろく…、知行ちぎょう幾分いくぶんけずられるやもれなかった。

 兵部ひょうぶはそれを見越みこして妻子さいしおどしたのであった。所謂いわゆる

「モラハラ夫…」

 そのはしりのような男であった。

 だが玉澤たまさわは、そして半蔵はんぞうもそんなおどしにくっすることはなく、半蔵はんぞう家臣かしんめいじてちち兵部ひょうぶ取押とりおさえさせるや、かねて秘密裏ひみつり造作ぞうさくしていた座敷ざしきろうちち兵部ひょうぶめたのであった。

 もっとはやくにこうすべきであったと、半蔵はんぞうちち兵部ひょうぶ座敷ざしきろうにぶちむや、はは玉澤たまさわびたそうな。

 たしかに半蔵はんぞうの言うとおりだが、しかし、半蔵はんぞう一廉ひとかど旗本はたもとになるまではやはり、ちち座敷ざしきろうにぶちむのはこのましいものではなかった。たとえそのちち如何いかにろくでなしだったとしてもだ。

 だが半蔵はんぞう最早もはや一廉ひとかど旗本はたもと成長せいちょうした。それゆえろくでなしのちち兵部ひょうぶ座敷ざしきろうへとぶちむことになん遠慮えんりょはいらなかった。
しおりを挟む

処理中です...