上 下
158 / 162

福井藩主・松平重富は若年寄に内定した田沼意知の排除について実弟・一橋治済と相談する。3

しおりを挟む
定邦さだくにのことだ、意知おきともがことをたして定信さだのぶけるべきかいなか、相当そうとうなやはずだ…」

「そはまた何故なにゆえに?」

まっておるではないか。左様さようなことを定信さだのぶければ、定信さだのぶのことだ。またぞろ田安たやすの家にもどりたい、などとすやもれぬぞ…」

 治済はるさだ重富しげとみにそうわれて、おもわず「あっ」とこえげた。たしかにそのとおりであったからだ。すなわち、

「将軍・家治いえはる一橋ひとつばし治済はるさだ豊千代とよちよあらた家斉いえなり家基いえもとわる次期じき将軍にえるべく、家基いえもところしたのではないかとにらみ、そこで奏者番そうじゃばん意知おきとも若年寄わかどしよりへとすすませて、家基いえもと真相しんそう探索たんさくさせようと、もっと言えば治済はるさだ家基いえもとごろしの首魁しゅかいであると、そのあかしてさせようとしている…」

 そのことが定信さだのぶへとつたわれば、いまでも田安たやす家の当主とうしゅ未練みれんのある定信さだのぶのことである、

かりに、治済はるさだである家斉いえなり次期じき将軍にえるべく、家基いえもところしたのだとすれば、将軍・家治いえはる養嗣子ようししにおさまった家斉いえなり当然とうぜん廃嫡はいちゃくとなり、そうなればふたたび、次期じき将軍の空席くうせきとなる…」

 そうかんがえて、田安たやす家にもどることをつよのぞむにちがいない。それもまえよりも一層いっそう、である。なにしろ今度こんど次期じき将軍のかっていたからだ。

 これで定信さだのぶれて田安たやす家にもどることが出来できれば、つまりは田安たやす家の当主とうしゅにおさまることが出来できれば、定信さだのぶにも次期じき将軍のめぐってくる機会チャンスめぐまれるからだ。

 定信さだのぶ明日あすには養父ようふである定邦さだくに共々ともども御城えどじょう登城とじょうし、将軍・家治いえはる拝謁はいえつし、定邦さだくに家督かとくいで白河しらかわ藩主はんしゅとなることが将軍・家治いえはるみとめられる予定よていであった。

 そのようなおり意知おきとも若年寄わかどしよりへとすすけん定信さだのぶみみはいれば、最悪さいあく定信さだのぶ養父ようふ定邦さだくに家督かとくぐことが将軍・家治いえはるより直々じきじきみとめられるそのにて、養子ようし縁組えんぐみ解消かいしょうならびに田安たやす家にもどることを将軍・家治いえはる直訴じきそするともかぎらない。

 無論むろんたとえそのような事態じたいになったとしても、将軍・家治いえはる定信さだのぶの「直訴じきそ」をみとめることはよもやないとはおもうが、しかし、家督かとく相続そうぞくけん確実かくじつ延引えんいんとなり、そうなれば一刻いっこくはやくに養嗣子ようしし定信さだのぶ家督かとくゆずりたいとつよねが定邦さだくにおおいにこまるにちがいない。

 定邦さだくにもまた病弱びょうじゃくであり、そのうえおのれ当主とうしゅつとめる白河しらかわ松平まつだいら家の家格かかくげるべく、一刻いっこくはやくに八代はちだい将軍・吉宗よしむねまごたる定信さだのぶ家督かとくゆずりたいとつよねがっていることは周知しゅうち事実じじつであった。

 治済はるさだはそのことにおもいたり、おもわず「あっ」とこえげた次第しだいであった。

 成程なるほどすくなくとも定信さだのぶ家督かとくがせるまでは…、明日あす、将軍・家治いえはるより定信さだのぶあらたな白河しらかわ藩主はんしゅになることをみとめてもらうまでは、定邦さだくにとしてはなんとしてでも意知おきともけん定信さだのぶみみにはれまいと、そうほっするにちがいなかった。
しおりを挟む

処理中です...