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田沼意知暗殺への途 ~一橋治済は自らの手を汚すことにする~
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その夜―、定信が養母である寶蓮院の「訓戒」により意知暗殺を断念した日、11月22日の夜、一橋屋敷の大奥にては治済がいつもの如く、物頭の久田縫殿助と侍女の雛の二人と密談に及んでいた。
「どうやら、田安の壽桂尼にしてやられたわ…」
治済は苦笑交じりにそう告げた。
それは今日の夕暮れ前、夕七つ(午後4時頃)のことであった。
田安家大奥にて仕える廣敷用人の竹本又八郎より情報が齎されたのであった。
即ち、松平定邦が田安家を訪れ、大奥にて田安家の「女主」である寶蓮院と面会に及び、それから暫くしてから、廣敷用人である己が寶蓮院の命で北八丁堀にある白河藩の上屋敷へと差遣わされ、定信を呼びに行かせられたと、それも大奥にて待受けていた寶蓮院と定邦の許へと連れて行ったと、そのことが竹本又八郎より一橋サイドへと―、治済に対して伝えられたのであった。
具体的には、竹本又八郎直筆の書状が又八郎の妻女の泰によって届けられたのであった。
田安家廣敷用人の竹本又八郎は実は一橋家廣敷用人の竹本権左衛門正孫の兄に当たる。
のみならず、又八郎が妻女の泰は田安家番頭の中田左兵衛正綱の実妹に当たり、その中田左兵衛のもう一人の妹、泰の妹にも当たる勇は何と、一橋家にて徒頭として仕える久野三郎兵衛芳矩の妻女であったのだ。
それ故、田安家廣敷用人の竹本又八郎は義兄でもある田安家番頭の中田左兵衛共々、一橋家とは、それも治済とは所縁があった。
いや、「治済との所縁」という点では今一つ、その中田左兵衛の妻女の仁にしても、やはり一橋家にて番頭の下で組頭を勤める山本十郎左衛門胤将の娘といった具合であり、それ故、田安家の表向の出来事については中田左兵衛より、奥向―、大奥の出来事については竹本又八郎より、夫々、泰を介して一橋家へと伝えられる仕組であった。
しかもこの場合、泰が書状を―、田安家の出来事が認められた書状を携えて一橋屋敷へと足を運ぶのではない。
実際に一橋屋敷へと書状を届けるのは「鷹」であった。
実は泰は女であり乍、鷹匠も顔負けの「鷹使い」であった。
それもその筈、泰の父―、田安番頭の中田左兵衛や泰兄妹の父である中田助作正盛は鷹匠であった。
中田助作もまた、田安家にてその始祖である宗武に鷹匠として仕え、その折、嫡子の左兵衛のみならず、泰にも鷹の扱い方の「手解き」をしたのであった。
その後、中田左兵衛や泰が一橋家に、治済に取込まれるや、分けても泰が父より伝授された「鷹使い」の技を大いに活用したのであった。
無論、中田左兵衛も妹である泰に負けぬ程の「鷹使い」ではあったが、しかし、左兵衛は田安家においては番頭という要職にあり、その左兵衛が自ら、鷹を飛ばす様な真似をすれば人目につき過ぎる。
その点、泰ならば鷹を飛ばしても人目につくことはない。
何しろ泰は外の田安家臣の妻女と同じく、常日頃、田安家の中にある組屋敷にて暮らしており、数多の田安家臣の妻の一人に過ぎない泰のことなど誰も気にも留めてはいなかったからだ。
それ故、鷹を飛ばしたところで―、夫である廣敷用人の竹本又八郎より大奥での出来事を聞かされ、それを書状に認めて、飼っている鷹にそれを括り付けて一橋屋敷へと飛ばしたところで、誰にも気づかれなかった。
ちなみに、そうして泰より遣わされた鷹を受取るのは番頭の下で組頭を勤める、中田左兵衛の岳父でもある山本十郎左衛門の仕事であった。
山本十郎左衛門もまた、「鷹使い」、それも一橋家の始祖である宗尹に鷹匠として取立てられ、組頭として今に至るので、泰より飛ばされた「鷹」を受取るには正にうってつけと言えよう。
いや、その書状には田安家大奥にて、松平定邦が陪席の下、寶蓮院と定信との間で如何なる会話が交わされたのか、そこまでは認められてはいなかった。
つまりは竹本又八郎もそこまでは把握出来なかったということだ。
それと言うのも書状によれば、寶蓮院は竹本又八郎に命じて定信を連れて来させるや、その又八郎に座敷の扉という扉を全て開けさせた上で、又八郎を下がらせたからだ。
これは意知も使った「密談」の常套手段であり、事実、又八郎はそれ故に、盗み聞きなど出来なかった。
いや、だからこそ、寶蓮院と定信との間で意知暗殺について会話が交わされたことを裏付けてもいた。
寶蓮院がそうまでして―、「盗聴防止対策」を講ずるということは、余人に聞かれてはまずい会話ということであり、それは意知暗殺に関する会話を措いて外には考えられなかった。
それも定信の養父である松平定邦までが陪席していたということは、寶蓮院が定信に意知暗殺を断念させる会話に相違ない。
しかも定信は寶蓮院との会話の最後に、寶蓮院に対して深々と平伏してみせた当たり、それに対して寶蓮院もさぞ満足気な様子を浮かべていた辺り、定信が意知暗殺を断念したと見るべきであろう。
竹本又八郎は「盗聴」こそ出来なかったものの、しかし、「盗撮」は可能だった様で、遠目からだが奥座敷での寶蓮院と定信とのやり取りを具に観察し、それを妻女の泰が聞取り、書状に認めたのであった。
「越中殿が山城殿暗殺を断念されたということは、上様が企みに…、己が上様に操られていたことに気付いたからでござりましょうなぁ…」
雛はそう言った。この場合の「上様」とは勿論、治済を指していた。
「まぁ、尤も、気付いたのはあの、壽桂尼であろうがの…」
治済もそう応じ、この場合の「壽桂尼」とは勿論、寶蓮院を指していた。
「いや、壽桂尼…、寶蓮院がことよ、定信めに山城暗殺を断念させた後には、御城へと…、本丸大奥へと上がり、上様に面会を求めてこの儀、上様に告口致すであろうぞ…」
治済のこの「見立て」は正しく、寶蓮院は御城の諸門が閉じられてから半刻(約1時間程)も経った暮の六つ半(午後7時頃)に「通御判」を携えて、密かにそれも一人、田安屋敷を抜出し、御城本丸大奥へと上がり、上様もとい将軍・家治に附属する上臈年寄の高岳に家治への面会を求めたのであった。
事前の予約もなしに将軍・家治への面会を求めるなど非常識の誹りは免れ得ず、寶蓮院もそれは重々、承知していたが、しかし緊急事態であることを伝え、何とか家治との面会に、それも「サシ」での面会に漕ぎ着け、その場で治済の「企み」もとい定信を嗾け、唆して意知暗殺を謀ろうといていることを告げたのであった。
それが正に今頃であった。
「だとしたら如何にも拙いのではござりますまいか?上様が企みを上様に…、公方様である家治公に悟られましては…」
久田縫殿助がそう応じた。それがまともな反応と言うべきものであろう。
だが雛はそれとは正反対の反応を示した。
「いえ、これは好機…、絶好の機会やも知れませぬぞえ…」
雛のその言葉に久田縫殿助は雛の意図を量りかね、
「絶好の機会とな?」
思わず、そう聞返していた。治済も久田縫殿助同様、雛の真意が分からなかった。
「左様…、されば上様は…、寶蓮院殿より上様が企みを告げられし家治公はきっと、越中殿が山城殿暗殺を断念せしにもかかわらず、上様はそうとも知らずに、今でも越中殿は山城殿暗殺の執念に燃えている…、左様に上様が誤解しているものと、家治公は左様に思召されている筈…」
雛がそう「絵解き」をして見せると、治済も「成程っ」と膝を打ち、
「家治公が注意が、この治済から逸れると、左様に申したい訳だの?」
雛に確かめる様にそう尋ねた。
すると雛も、「御意」と応じた上で、
「されば越中殿は山城殿暗殺を断念したとは申せ、いつまたその熱が…、山城殿暗殺の熱病が再燃するとも限らず、上様もそこを懸念あそばされるに相違なく…」
そう応じた。
「家治公が注意は主に越中殿に向けられ、上様には注意が向けられることはない…、よもや、そなた…、上様が自ら、山城殿暗殺を仕掛けるには絶好に機会だと…、その意味で好機、絶好の機会などと申したのか?」
今度は久田縫殿助が雛に確かめる様に尋ねた。縫殿助の口調には怒気が混じっていた。
それも当然ではあった。何しろ上様こと治済の手を汚させようとしているからだ。
だが雛は平然と、「如何にも…」と応じた。
意知暗殺に関しては治済は今や完全に「ノーマーク」、将軍・家治の注意から外れていよう。
家治の注意は今や、定信に注がれるに相違なく、そうであれば治済が自ら動くに、つまりは治済が自らの手を汚すには絶好の機会と言えよう。
久田縫殿助もその「理屈」は理解していたが、しかし、主君と仰ぐ治済の手を汚させることに流石に躊躇した。
一方、治済はと言うと、自らの手を汚すことに何ら躊躇はない様子であった。
「それで山城めが息の根を止められるのであらば、それに越したことはない…」
治済はどこまでも極めて「実利的」な人間であった。
「と申してもだ、まさかにこの治済が自ら、山城めを刺殺す訳にもゆくまいて…」
治済は確かに「実利的」な人間であり、自らの手を汚すことも厭わない性質だが、しかし、そこまで手を汚すつもりはなかった。
久田縫殿助にしても、主君である治済にそこまで手を汚させるつもりはなかったので、「当たり前でござりまする」と即座にそう応じた。
「されば、誰ぞの…、定信めに替わる誰ぞに山城めを討果たさせるとしてだ、誰が良いかの…、まさかに不逞の浪士共でも雇うて、山城めが登下城時に襲わせる訳にもゆくまいて…」
治済は独り言の様にそう呟いた。
確かにその通りの話であった。これで仮に意知が住まう相良藩上屋敷が御城から離れた場所にあれば不逞の浪士共、つまりは失業中の浪人を雇って、意知が登城、或いは下城、何れかの時を狙って、意知を討果たすという手もあろう。
だが実際には相良藩の上屋敷は御城からは目と鼻の先、大手御門の直ぐ傍にあるのだ。
それ故、意知が登城時、或いは下城時に浪人共が意知を襲おうとしても、その前に取押さえられるのがオチであった。
例えば大手御門外の周辺、それこそ大手御門から相良藩の上屋敷までの道中は日中は大手御門番は元より、神田橋御門番の目が光っているのだ。
そうであれば浪人共が登下城時の意知を襲おうとしても、その場にて彼等門番に取押えられるか、或いは斬り伏せられるのがオチであろう。
いや、その前に意知の登下城時を狙おうとすれば、その近辺にて、つまりは大手御門外や或いは神田橋御門内にて意知を待受けねばならず、しかし、大手御門外、或いは神田橋御門内という「一等地」に浪人共が集まって意知が来るのを、その行列を待っていれば嫌でも目につくといもので、やはり例えば門番から「職務質問」、誰何を受けることになろう。
斯かる次第で浪人共を雇うというのは―、浪人共に意知を討果たさせるというのは失敗する危険性が極めて高い。
「それよりはやはり…、城内にて討果たさせるが一番か…」
治済がやはり独り言の様にそう呟くと、久田縫殿助も正しく同感であり、「御意」と応じた。
「然らば、具体的には誰が適任ぞ?」
治済からのその下問に対して、久田縫殿助は、
「やはりここは番方が適任かと…」
そう即答して、治済を頷かせた。
城内―、御城内にて意知の暗殺を仕掛けるとすれば畢竟、御城に勤める幕臣に意知を討果たさせることを意味していた。
幕臣には文官である役方と武官である番方があり、このうち、意知を仕留めさせるには役方と番方のどちらが相応しいか―、役方と番方のどちらがより、意知の暗殺に成功するかと問われれば、武官である番方を措いて外にはないだろう。
久田縫殿助は、番方が適任と応えたのは斯かる事情により、その縫殿助は更に、
「番方…、五番方の中でも新番士が相応しいかと…」
そう補足して、治済を頷かせた。
武官である番方は大番、書院番、小姓組番、新番、小十人組番の5つの番方に分かれており、これを「五番方」と称する。
その「五番方」のうち、御城は本丸御殿における勤務があるのは、つまりは殿中の警備を職掌とするのは大番を除いた「四番方」、書院番と小姓組番、新番と小十人組番の4つの番方であった。
そしてこの「四番方」の勤務場所だが、書院番は虎之間、小姓組番は紅葉之間、そして小十人組番は紅葉之間の直ぐ隣の檜之間といった具合に、中奥から離れているのに対して、新番の勤務場所である新番所は中奥に近い場所、つまりは若年寄の執務室である次御用部屋の直ぐ傍にあった。
だとするならば、成程、久田縫殿助が言う通り、「五番方」の中でも新番の士こそが意知を仕留めさせるに最適任と言えた。「五番方」の中でも新番、それに所属する士が一番、若年寄に近い場所にいるからだ。
「新番なれば…、矢部主膳殿に相談あそばされましては如何でござりましょうや…」
それまで黙っていた雛がそこでまた口を挟んだ。
それに対して治済も同じことを考えていたので、深く頷いた。
「どうやら、田安の壽桂尼にしてやられたわ…」
治済は苦笑交じりにそう告げた。
それは今日の夕暮れ前、夕七つ(午後4時頃)のことであった。
田安家大奥にて仕える廣敷用人の竹本又八郎より情報が齎されたのであった。
即ち、松平定邦が田安家を訪れ、大奥にて田安家の「女主」である寶蓮院と面会に及び、それから暫くしてから、廣敷用人である己が寶蓮院の命で北八丁堀にある白河藩の上屋敷へと差遣わされ、定信を呼びに行かせられたと、それも大奥にて待受けていた寶蓮院と定邦の許へと連れて行ったと、そのことが竹本又八郎より一橋サイドへと―、治済に対して伝えられたのであった。
具体的には、竹本又八郎直筆の書状が又八郎の妻女の泰によって届けられたのであった。
田安家廣敷用人の竹本又八郎は実は一橋家廣敷用人の竹本権左衛門正孫の兄に当たる。
のみならず、又八郎が妻女の泰は田安家番頭の中田左兵衛正綱の実妹に当たり、その中田左兵衛のもう一人の妹、泰の妹にも当たる勇は何と、一橋家にて徒頭として仕える久野三郎兵衛芳矩の妻女であったのだ。
それ故、田安家廣敷用人の竹本又八郎は義兄でもある田安家番頭の中田左兵衛共々、一橋家とは、それも治済とは所縁があった。
いや、「治済との所縁」という点では今一つ、その中田左兵衛の妻女の仁にしても、やはり一橋家にて番頭の下で組頭を勤める山本十郎左衛門胤将の娘といった具合であり、それ故、田安家の表向の出来事については中田左兵衛より、奥向―、大奥の出来事については竹本又八郎より、夫々、泰を介して一橋家へと伝えられる仕組であった。
しかもこの場合、泰が書状を―、田安家の出来事が認められた書状を携えて一橋屋敷へと足を運ぶのではない。
実際に一橋屋敷へと書状を届けるのは「鷹」であった。
実は泰は女であり乍、鷹匠も顔負けの「鷹使い」であった。
それもその筈、泰の父―、田安番頭の中田左兵衛や泰兄妹の父である中田助作正盛は鷹匠であった。
中田助作もまた、田安家にてその始祖である宗武に鷹匠として仕え、その折、嫡子の左兵衛のみならず、泰にも鷹の扱い方の「手解き」をしたのであった。
その後、中田左兵衛や泰が一橋家に、治済に取込まれるや、分けても泰が父より伝授された「鷹使い」の技を大いに活用したのであった。
無論、中田左兵衛も妹である泰に負けぬ程の「鷹使い」ではあったが、しかし、左兵衛は田安家においては番頭という要職にあり、その左兵衛が自ら、鷹を飛ばす様な真似をすれば人目につき過ぎる。
その点、泰ならば鷹を飛ばしても人目につくことはない。
何しろ泰は外の田安家臣の妻女と同じく、常日頃、田安家の中にある組屋敷にて暮らしており、数多の田安家臣の妻の一人に過ぎない泰のことなど誰も気にも留めてはいなかったからだ。
それ故、鷹を飛ばしたところで―、夫である廣敷用人の竹本又八郎より大奥での出来事を聞かされ、それを書状に認めて、飼っている鷹にそれを括り付けて一橋屋敷へと飛ばしたところで、誰にも気づかれなかった。
ちなみに、そうして泰より遣わされた鷹を受取るのは番頭の下で組頭を勤める、中田左兵衛の岳父でもある山本十郎左衛門の仕事であった。
山本十郎左衛門もまた、「鷹使い」、それも一橋家の始祖である宗尹に鷹匠として取立てられ、組頭として今に至るので、泰より飛ばされた「鷹」を受取るには正にうってつけと言えよう。
いや、その書状には田安家大奥にて、松平定邦が陪席の下、寶蓮院と定信との間で如何なる会話が交わされたのか、そこまでは認められてはいなかった。
つまりは竹本又八郎もそこまでは把握出来なかったということだ。
それと言うのも書状によれば、寶蓮院は竹本又八郎に命じて定信を連れて来させるや、その又八郎に座敷の扉という扉を全て開けさせた上で、又八郎を下がらせたからだ。
これは意知も使った「密談」の常套手段であり、事実、又八郎はそれ故に、盗み聞きなど出来なかった。
いや、だからこそ、寶蓮院と定信との間で意知暗殺について会話が交わされたことを裏付けてもいた。
寶蓮院がそうまでして―、「盗聴防止対策」を講ずるということは、余人に聞かれてはまずい会話ということであり、それは意知暗殺に関する会話を措いて外には考えられなかった。
それも定信の養父である松平定邦までが陪席していたということは、寶蓮院が定信に意知暗殺を断念させる会話に相違ない。
しかも定信は寶蓮院との会話の最後に、寶蓮院に対して深々と平伏してみせた当たり、それに対して寶蓮院もさぞ満足気な様子を浮かべていた辺り、定信が意知暗殺を断念したと見るべきであろう。
竹本又八郎は「盗聴」こそ出来なかったものの、しかし、「盗撮」は可能だった様で、遠目からだが奥座敷での寶蓮院と定信とのやり取りを具に観察し、それを妻女の泰が聞取り、書状に認めたのであった。
「越中殿が山城殿暗殺を断念されたということは、上様が企みに…、己が上様に操られていたことに気付いたからでござりましょうなぁ…」
雛はそう言った。この場合の「上様」とは勿論、治済を指していた。
「まぁ、尤も、気付いたのはあの、壽桂尼であろうがの…」
治済もそう応じ、この場合の「壽桂尼」とは勿論、寶蓮院を指していた。
「いや、壽桂尼…、寶蓮院がことよ、定信めに山城暗殺を断念させた後には、御城へと…、本丸大奥へと上がり、上様に面会を求めてこの儀、上様に告口致すであろうぞ…」
治済のこの「見立て」は正しく、寶蓮院は御城の諸門が閉じられてから半刻(約1時間程)も経った暮の六つ半(午後7時頃)に「通御判」を携えて、密かにそれも一人、田安屋敷を抜出し、御城本丸大奥へと上がり、上様もとい将軍・家治に附属する上臈年寄の高岳に家治への面会を求めたのであった。
事前の予約もなしに将軍・家治への面会を求めるなど非常識の誹りは免れ得ず、寶蓮院もそれは重々、承知していたが、しかし緊急事態であることを伝え、何とか家治との面会に、それも「サシ」での面会に漕ぎ着け、その場で治済の「企み」もとい定信を嗾け、唆して意知暗殺を謀ろうといていることを告げたのであった。
それが正に今頃であった。
「だとしたら如何にも拙いのではござりますまいか?上様が企みを上様に…、公方様である家治公に悟られましては…」
久田縫殿助がそう応じた。それがまともな反応と言うべきものであろう。
だが雛はそれとは正反対の反応を示した。
「いえ、これは好機…、絶好の機会やも知れませぬぞえ…」
雛のその言葉に久田縫殿助は雛の意図を量りかね、
「絶好の機会とな?」
思わず、そう聞返していた。治済も久田縫殿助同様、雛の真意が分からなかった。
「左様…、されば上様は…、寶蓮院殿より上様が企みを告げられし家治公はきっと、越中殿が山城殿暗殺を断念せしにもかかわらず、上様はそうとも知らずに、今でも越中殿は山城殿暗殺の執念に燃えている…、左様に上様が誤解しているものと、家治公は左様に思召されている筈…」
雛がそう「絵解き」をして見せると、治済も「成程っ」と膝を打ち、
「家治公が注意が、この治済から逸れると、左様に申したい訳だの?」
雛に確かめる様にそう尋ねた。
すると雛も、「御意」と応じた上で、
「されば越中殿は山城殿暗殺を断念したとは申せ、いつまたその熱が…、山城殿暗殺の熱病が再燃するとも限らず、上様もそこを懸念あそばされるに相違なく…」
そう応じた。
「家治公が注意は主に越中殿に向けられ、上様には注意が向けられることはない…、よもや、そなた…、上様が自ら、山城殿暗殺を仕掛けるには絶好に機会だと…、その意味で好機、絶好の機会などと申したのか?」
今度は久田縫殿助が雛に確かめる様に尋ねた。縫殿助の口調には怒気が混じっていた。
それも当然ではあった。何しろ上様こと治済の手を汚させようとしているからだ。
だが雛は平然と、「如何にも…」と応じた。
意知暗殺に関しては治済は今や完全に「ノーマーク」、将軍・家治の注意から外れていよう。
家治の注意は今や、定信に注がれるに相違なく、そうであれば治済が自ら動くに、つまりは治済が自らの手を汚すには絶好の機会と言えよう。
久田縫殿助もその「理屈」は理解していたが、しかし、主君と仰ぐ治済の手を汚させることに流石に躊躇した。
一方、治済はと言うと、自らの手を汚すことに何ら躊躇はない様子であった。
「それで山城めが息の根を止められるのであらば、それに越したことはない…」
治済はどこまでも極めて「実利的」な人間であった。
「と申してもだ、まさかにこの治済が自ら、山城めを刺殺す訳にもゆくまいて…」
治済は確かに「実利的」な人間であり、自らの手を汚すことも厭わない性質だが、しかし、そこまで手を汚すつもりはなかった。
久田縫殿助にしても、主君である治済にそこまで手を汚させるつもりはなかったので、「当たり前でござりまする」と即座にそう応じた。
「されば、誰ぞの…、定信めに替わる誰ぞに山城めを討果たさせるとしてだ、誰が良いかの…、まさかに不逞の浪士共でも雇うて、山城めが登下城時に襲わせる訳にもゆくまいて…」
治済は独り言の様にそう呟いた。
確かにその通りの話であった。これで仮に意知が住まう相良藩上屋敷が御城から離れた場所にあれば不逞の浪士共、つまりは失業中の浪人を雇って、意知が登城、或いは下城、何れかの時を狙って、意知を討果たすという手もあろう。
だが実際には相良藩の上屋敷は御城からは目と鼻の先、大手御門の直ぐ傍にあるのだ。
それ故、意知が登城時、或いは下城時に浪人共が意知を襲おうとしても、その前に取押さえられるのがオチであった。
例えば大手御門外の周辺、それこそ大手御門から相良藩の上屋敷までの道中は日中は大手御門番は元より、神田橋御門番の目が光っているのだ。
そうであれば浪人共が登下城時の意知を襲おうとしても、その場にて彼等門番に取押えられるか、或いは斬り伏せられるのがオチであろう。
いや、その前に意知の登下城時を狙おうとすれば、その近辺にて、つまりは大手御門外や或いは神田橋御門内にて意知を待受けねばならず、しかし、大手御門外、或いは神田橋御門内という「一等地」に浪人共が集まって意知が来るのを、その行列を待っていれば嫌でも目につくといもので、やはり例えば門番から「職務質問」、誰何を受けることになろう。
斯かる次第で浪人共を雇うというのは―、浪人共に意知を討果たさせるというのは失敗する危険性が極めて高い。
「それよりはやはり…、城内にて討果たさせるが一番か…」
治済がやはり独り言の様にそう呟くと、久田縫殿助も正しく同感であり、「御意」と応じた。
「然らば、具体的には誰が適任ぞ?」
治済からのその下問に対して、久田縫殿助は、
「やはりここは番方が適任かと…」
そう即答して、治済を頷かせた。
城内―、御城内にて意知の暗殺を仕掛けるとすれば畢竟、御城に勤める幕臣に意知を討果たさせることを意味していた。
幕臣には文官である役方と武官である番方があり、このうち、意知を仕留めさせるには役方と番方のどちらが相応しいか―、役方と番方のどちらがより、意知の暗殺に成功するかと問われれば、武官である番方を措いて外にはないだろう。
久田縫殿助は、番方が適任と応えたのは斯かる事情により、その縫殿助は更に、
「番方…、五番方の中でも新番士が相応しいかと…」
そう補足して、治済を頷かせた。
武官である番方は大番、書院番、小姓組番、新番、小十人組番の5つの番方に分かれており、これを「五番方」と称する。
その「五番方」のうち、御城は本丸御殿における勤務があるのは、つまりは殿中の警備を職掌とするのは大番を除いた「四番方」、書院番と小姓組番、新番と小十人組番の4つの番方であった。
そしてこの「四番方」の勤務場所だが、書院番は虎之間、小姓組番は紅葉之間、そして小十人組番は紅葉之間の直ぐ隣の檜之間といった具合に、中奥から離れているのに対して、新番の勤務場所である新番所は中奥に近い場所、つまりは若年寄の執務室である次御用部屋の直ぐ傍にあった。
だとするならば、成程、久田縫殿助が言う通り、「五番方」の中でも新番の士こそが意知を仕留めさせるに最適任と言えた。「五番方」の中でも新番、それに所属する士が一番、若年寄に近い場所にいるからだ。
「新番なれば…、矢部主膳殿に相談あそばされましては如何でござりましょうや…」
それまで黙っていた雛がそこでまた口を挟んだ。
それに対して治済も同じことを考えていたので、深く頷いた。
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