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田沼意知暗殺への途 ~一橋治済は自らの手を汚すことにする~

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 その―、定信さだのぶ養母ようぼである寶蓮院ほうれんいんの「訓戒くんかい」により意知暗殺おきともあんさつ断念だんねんした、11月22日のよる一橋ひとつばし屋敷やしき大奥おおおくにては治済はるさだがいつものごとく、物頭ものがしら久田ひさだ縫殿助ぬいのすけ侍女じじょひな二人ふたり密談みつだんおよんでいた。

「どうやら、田安たやす壽桂尼じゅけいににしてやられたわ…」

 治済はるさだ苦笑くしょうじりにそうげた。

 それは今日きょう夕暮ゆうぐまえ、夕七つ(午後4時頃)のことであった。

 田安たやす大奥おおおくにてつかえる廣敷用人ひろしきようにん竹本たけもと又八郎またはちろうより情報じょうほうもたらされたのであった。

 すなわち、松平まつだいら定邦さだくに田安たやすおとずれ、大奥おおおくにて田安たやすの「女主おんなあるじ」である寶蓮院ほうれんいん面会めんかいおよび、それからしばらくしてから、廣敷用人ひろしきようにんであるおのれ寶蓮院ほうれんいんめいきた八丁堀はっちょうぼりにある白河藩しらかわはん上屋敷かみやしきへと差遣さしつかわされ、定信さだのぶびにかせられたと、それも大奥おおおくにて待受まちうけていた寶蓮院ほうれんいん定邦さだくにもとへとれてったと、そのことが竹本たけもと又八郎またはちろうより一橋ひとつばしサイドへと―、治済はるさだたいしてつたえられたのであった。

 具体的ぐたいてきには、竹本たけもと又八郎またはちろう直筆じきひつ書状しょじょう又八郎またはちろう妻女さいじょやすによってとどけられたのであった。

 田安たやす廣敷用人ひろしきようにん竹本たけもと又八郎またはちろうじつ一橋ひとつばし廣敷用人ひろしきようにん竹本たけもと権左衛門ごんざえもん正孫まさたかあにたる。

 のみならず、又八郎またはちろう妻女さいじょやす田安たやす番頭ばんがしら中田なかた左兵衛さへえ正綱まさつな実妹じつまいたり、その中田なかた左兵衛さへえのもう一人ひとりいもうとやすいもうとにもたるゆうなんと、一橋ひとつばしにて徒頭かちがしらとしてつかえる久野くの三郎兵衛さぶろべえ芳矩よしのり妻女さいじょであったのだ。

 それゆえ田安たやす廣敷用人ひろしきようにん竹本たけもと又八郎またはちろう義兄ぎけいでもある田安たやす番頭ばんがしら中田なかた左兵衛さへえ共々ともども一橋ひとつばしとは、それも治済はるさだとは所縁ゆかりがあった。

 いや、「治済はるさだとの所縁ゆかり」というてんではいまひとつ、その中田なかた左兵衛さへえ妻女さいじょじんにしても、やはり一橋ひとつばしにて番頭ばんがしらもと組頭くみがしらつとめる山本やまもと十郎左衛門じゅうろうざえもん胤将たねまさむすめといった具合ぐあいであり、それゆえ田安たやす表向おもてむき出来事できごとについては中田なかた左兵衛さへえより、奥向おくむき―、大奥おおおく出来事できごとについては竹本たけもと又八郎またはちろうより、夫々それぞれやすかいして一橋ひとつばしへとつたえられる仕組システムであった。

 しかもこの場合ばあいやす書状しょじょうを―、田安たやす出来事できごとしたためられた書状しょじょうたずさえて一橋ひとつばし屋敷やしきへとあしはこぶのではない。

 実際じっさい一橋ひとつばし屋敷やしきへと書状しょじょうとどけるのは「たか」であった。

 じつやすおんなでありながら鷹匠たかじょう顔負かおまけの「鷹使たかづかい」であった。

 それもそのはずやすちち―、田安たやす番頭ばんがしら中田なかた左兵衛さへえやす兄妹きょうだいちちである中田なかた助作正盛すけさくまさもり鷹匠たかじょうであった。

 中田なかた助作すけさくもまた、田安たやすにてその始祖しそである宗武むねたけ鷹匠たかじょうとしてつかえ、そのおり嫡子ちゃくし左兵衛さへえのみならず、やすにもたかあつかかたの「手解てほどき」をしたのであった。

 その中田なかた左兵衛さへえたい一橋ひとつばしに、治済はるさだ取込とりこまれるや、けてもやすちちより伝授でんじゅされた「たか使づかい」のわざおおいに活用かつようしたのであった。

 無論むろん中田なかた左兵衛さへえいもうとであるやすけぬほどの「鷹使たかづかい」ではあったが、しかし、左兵衛さへえ田安たやすにおいては番頭ばんがしらという要職ようしょくにあり、その左兵衛さへえみずから、たかばすよう真似まねをすれば人目ひとめにつきぎる。

 そのてんやすならばたかばしても人目ひとめにつくことはない。

 なにしろやすほか田安家臣たやすかしん妻女さいじょおなじく、常日頃つねひごろ田安たやすなかにある組屋敷くみやしきにてらしており、数多あまた田安家臣たやすかしんつま一人ひとりぎないやすのことなどだれにもめてはいなかったからだ。

 それゆえたかばしたところで―、おっとである廣敷用人ひろしきようにん竹本たけもと又八郎またはちろうより大奥おおおくでの出来事できごとかされ、それを書状しょじょうしたためて、っているたかにそれをくくけて一橋ひとつばし屋敷やしきへとばしたところで、だれにもづかれなかった。

 ちなみに、そうしてやすよりつかわされたたか受取うけとるのは番頭ばんがしらもと組頭くみがしらつとめる、中田なかた左兵衛さへえ岳父がくふでもある山本やまもと十郎左衛門じゅうろうざえもん仕事しごとであった。

 山本やまもと十郎左衛門じゅうろうざえもんもまた、「鷹使たかづかい」、それも一橋ひとつばし始祖しそである宗尹むねただ鷹匠たかじょうとして取立とりたてられ、組頭くみがしらとしていまいたるので、やすよりばされた「たか」を受取うけとるにはまさにうってつけと言えよう。

 いや、その書状しょじょうには田安たやす大奥おおおくにて、松平まつだいら定邦さだくに陪席ばいせきもと寶蓮院ほうれんいん定信さだのぶとのあいだ如何いかなる会話かいわわされたのか、そこまではしたためられてはいなかった。

 つまりは竹本たけもと又八郎またはちろうもそこまでは把握はあく出来できなかったということだ。

 それと言うのも書状しょじょうによれば、寶蓮院ほうれんいん竹本たけもと又八郎またはちろうめいじて定信さだのぶれてさせるや、その又八郎またはちろう座敷ざしきとびらというとびらすべけさせたうえで、又八郎またはちろうがらせたからだ。

 これは意知おきとも使つかった「密談みつだん」の常套じょうとう手段しゅだんであり、事実じじつ又八郎またはちろうはそれゆえに、ぬすきなど出来できなかった。

 いや、だからこそ、寶蓮院ほうれんいん定信さだのぶとのあいだ意知暗殺おきともあんさつについて会話かいわわされたことを裏付うらづけてもいた。

 寶蓮院ほうれんいんがそうまでして―、「盗聴とうちょう防止ぼうし対策たいさく」をこうずるということは、余人よじんかれてはまずい会話かいわということであり、それは意知暗殺おきともあんさつかんする会話かいわいてほかにはかんがえられなかった。

 それも定信さだのぶ養父ようふである松平まつだいら定邦さだくにまでが陪席ばいせきしていたということは、寶蓮院ほうれんいん定信さだのぶ意知暗殺おきともあんさつ断念だんねんさせる会話かいわ相違そういない。

 しかも定信さだのぶ寶蓮院ほうれんいんとの会話かいわ最後さいごに、寶蓮院ほうれんいんたいして深々ふかぶか平伏へいふくしてみせたたり、それにたいして寶蓮院ほうれんいんもさぞ満足気まんぞくげ様子ようすかべていたあたり、定信さだのぶ意知暗殺おきともあんさつ断念だんねんしたとるべきであろう。

 竹本たけもと又八郎またはちろうは「盗聴とうちょう」こそ出来できなかったものの、しかし、「盗撮とうさつ」は可能かのうだったようで、遠目とおめからだが奥座敷おくざしきでの寶蓮院ほうれんいん定信さだのぶとのやりりをつぶさ観察かんさつし、それを妻女さいじょやす聞取ききとり、書状しょじょうしたためたのであった。

越中殿えっちゅうどの山城殿やましろどの暗殺あんさつ断念だんねんされたということは、上様うえさまたくらみに…、おのれ上様うえさまあやつられていたことに気付きづいたからでござりましょうなぁ…」

 ひなはそう言った。この場合ばあいの「上様うえさま」とは勿論もちろん治済はるさだしていた。

「まぁ、もっとも、気付きづいたのはあの、壽桂尼じゅけいにであろうがの…」

 治済はるさだもそうおうじ、この場合ばあいの「壽桂尼じゅけいに」とは勿論もちろん寶蓮院ほうれんいんしていた。

「いや、壽桂尼じゅけいに…、寶蓮院ほうれんいんがことよ、定信さだのぶめに山城暗殺おきともあんさつ断念だんねんさせたのちには、御城えどじょうへと…、本丸大奥ほんまるおおおくへとがり、上様うえさま面会めんかいもとめてこの上様うえさま告口致つげぐちいたすであろうぞ…」

 治済はるさだのこの「見立みたて」はただしく、寶蓮院ほうれんいん御城えどじょう諸門しょもんじられてから半刻はんとき(約1時間程)もったくれの六つ半(午後7時頃)に「とおりばん」をたずさえて、ひそかにそれも一人ひとり田安屋敷たやすやしき抜出ぬけだし、御城えどじょう本丸大奥ほんまるおおおくへとがり、上様うえさまもとい将軍しょうぐん家治いえはる附属ふぞくする上臈じょうろう年寄どしより高岳たかおか家治いえはるへの面会めんかいもとめたのであった。

 事前じぜん予約アポもなしに将軍しょうぐん家治いえはるへの面会めんかいもとめるなど非常識ひじょうしきそしりはまぬがず、寶蓮院ほうれんいんもそれは重々じゅうじゅう承知しょうちしていたが、しかし緊急きんきゅう事態じたいであることをつたえ、なんとか家治いえはるとの面会めんかいに、それも「サシ」での面会めんかいけ、その治済はるさだの「たくらみ」もとい定信さだのぶけしかけ、そそのかして意知暗殺おきともあんさつはかろうといていることをげたのであった。

 それがまさ今頃いまごろであった。

「だとしたら如何いかにもまずいのではござりますまいか?上様うえさまたくらみを上様うえさまに…、公方くぼうさまである家治公いえはるこうさとられましては…」

 久田ひさだ縫殿助ぬいのすけがそうおうじた。それがまともな反応はんのうと言うべきものであろう。

 だがひなはそれとは正反対せいはんたい反応はんのうしめした。

「いえ、これは好機こうき…、絶好ぜっこう機会きかいやもれませぬぞえ…」

 ひなのその言葉ことば久田ひさだ縫殿助ぬいのすけひな意図いとはかりかね、

絶好ぜっこう機会きかいとな?」

 おもわず、そう聞返ききかえしていた。治済はるさだ久田ひさだ縫殿助ぬいのすけ同様どうようひな真意しんいからなかった。

左様さよう…、されば上様うえさまは…、寶蓮院殿ほうれんいんどのより上様うえさまたくらみをげられし家治公いえはるこうはきっと、越中えっちゅう殿どの山城殿暗殺やましろどのあんさつ断念だんねんせしにもかかわらず、上様うえさまはそうともらずに、いまでも越中えっちゅう殿どの山城殿暗殺やましろどのあんさつ執念しゅうねんえている…、左様さよう上様うえさま誤解ごかいしているものと、家治公いえはるこう左様さよう思召おぼしめされているはず…」

 ひながそう「絵解えとき」をしてせると、治済はるさだも「成程なるほどっ」とひざち、

家治公いえはるこう注意ちゅういが、この治済はるさだかられると、左様さようもうしたいわけだの?」

 ひなたしかめるようにそうたずねた。

 するとひなも、「御意ぎょい」とおうじたうえで、

「されば越中えっちゅう殿どの山城殿暗殺やましろどのあんさつ断念だんねんしたとはもうせ、いつまたそのねつが…、山城殿暗殺やましろどのあんさつ熱病ねつびょう再燃さいねんするともかぎらず、上様うえさまもそこを懸念けねんあそばされるに相違そういなく…」

 そうおうじた。

家治公いえはるこう注意ちゅういおも越中えっちゅう殿どのけられ、上様うえさまには注意ちゅういけられることはない…、よもや、そなた…、上様うえさまみずから、山城殿暗殺やましろどのあんさつ仕掛しかけるには絶好ぜっこう機会きかいだと…、その意味いみ好機こうき絶好ぜっこう機会きかいなどともうしたのか?」

 今度こんど久田ひさだ縫殿助ぬいのすけひなたしかめるようたずねた。縫殿助ぬいのすけ口調くちょうには怒気どきじっていた。

 それも当然とうぜんではあった。なにしろ上様うえさまこと治済はるさだよごさせようとしているからだ。

 だがひな平然へいぜんと、「如何いかにも…」とおうじた。

 意知暗殺おきともあんさつかんしては治済はるさだいま完全かんぜんに「ノーマーク」、将軍しょうぐん家治いえはる注意ちゅういからはずれていよう。

 家治いえはる注意ちゅういいまや、定信さだのぶそそがれるに相違そういなく、そうであれば治済はるさだみずかうごくに、つまりは治済はるさだみずからのよごすには絶好ぜっこう機会きかいと言えよう。

 久田ひさだ縫殿助ぬいのすけもその「理屈りくつ」は理解りかいしていたが、しかし、主君しゅくんあお治済はるさだよごさせることに流石さすが躊躇ちゅうちょした。

 一方いっぽう治済はるさだはと言うと、みずからのよごすことになん躊躇ちゅうちょはない様子ようすであった。

「それで山城おきともめがいきめられるのであらば、それにしたことはない…」

 治済はるさだはどこまでもきわめて「実利的じつりてき」な人間にんげんであった。

「ともうしてもだ、まさかにこの治済はるさだみずから、山城おきともめを刺殺さしころわけにもゆくまいて…」

 治済はるさだたしかに「実利的じつりてき」な人間にんげんであり、みずからのよごすこともいとわない性質タイプだが、しかし、そこまでよごすつもりはなかった。

 久田ひさだ縫殿助ぬいのすけにしても、主君しゅくんである治済はるさだにそこまでよごさせるつもりはなかったので、「たりまえでござりまする」と即座そくざにそうおうじた。

「されば、だれぞの…、定信さだのぶめにわるだれぞに山城おきともめを討果うちはたさせるとしてだ、だれいかの…、まさかに不逞ふてい浪士ろうしどもでもやとうて、山城おきともめが登下城とうげじょうおそわせるわけにもゆくまいて…」

 治済はるさだひとごとようにそうつぶやいた。

 たしかにそのとおりのはなしであった。これでかり意知おきともまう相良さがらはん上屋敷かみやしき御城えどじょうからはなれた場所ばしょにあれば不逞ふてい浪士ろうしども、つまりは失業中しつぎょうちゅう浪人ろうにんやとって、意知おきとも登城とじょうあるいは下城げじょういずれかのときねらって、意知おきとも討果うちはたすというもあろう。

 だが実際じっさいには相良さがらはん上屋敷かみやしき御城えどじょうからははなさき大手おおてもんそばにあるのだ。

 それゆえ意知おきとも登城とじょうあるいは下城げじょう浪人ろうにんども意知おきともおそおうとしても、そのまえ取押とりおさえられるのがオチであった。

 たとえば大手おおて門外もんそと周辺しゅうへん、それこそ大手おおてもんから相良さがらはん上屋敷かみやしきまでの道中どうちゅう日中にっちゅう大手おおて門番もんばんもとより、神田橋かんだばし門番もんばんひかっているのだ。

 そうであれば浪人共ろうにんども登下城とうげじょう意知おきともおそおうとしても、そのにて彼等かれら門番もんばん取押とりおさえられるか、あるいはせられるのがオチであろう。

 いや、そのまえ意知おきとも登下城とうげじょうねらおうとすれば、その近辺きんぺんにて、つまりは大手おおて門外もんそとあるいは神田橋かんだばし門内もんないにて意知おきとも待受まちうけねばならず、しかし、大手おおて門外もんそとあるいは神田橋かんだばし門内もんないという「一等地いっとうち」に浪人共ろうにんどもあつまって意知おきともるのを、その行列ぎょうれつっていればいやでもにつくといもので、やはりたとえば門番もんばんから「職務しょくむ質問しつもん」、誰何すいかけることになろう。

 かる次第しだい浪人共ろうにんどもやとうというのは―、浪人共ろうにんども意知おきとも討果うちはたさせるというのは失敗しっぱいする危険性リスクきわめてたかい。

「それよりはやはり…、城内じょうないにて討果うちはたさせるが一番いちばんか…」

 治済はるさだがやはりひとごとようにそうつぶやくと、久田ひさだ縫殿助ぬいのすけまさしく同感どうかんであり、「御意ぎょい」とおうじた。

しからば、具体的ぐたいてきにはだれ適任てきにんぞ?」

 治済はるさだからのその下問かもんたいして、久田ひさだ縫殿助ぬいのすけは、

「やはりここは番方ばんかた適任てきにんかと…」

 そう即答そくとうして、治済はるさだうなずかせた。

 城内じょうない―、御城えどじょうないにて意知おきとも暗殺あんさつ仕掛しかけるとすれば畢竟ひっきょう御城えどじょうつとめる幕臣ばくしん意知おきとも討果うちはたさせることを意味いみしていた。

 幕臣ばくしんには文官ぶんかんである役方やくかた武官ぶかんである番方ばんかたがあり、このうち、意知おきとも仕留しとめさせるには役方やくかた番方ばんかたのどちらが相応ふさわしいか―、役方やくかた番方ばんかたのどちらがより、意知おきとも暗殺あんさつ成功せいこうするかとわれれば、武官ぶかんである番方ばんかたいてほかにはないだろう。

 久田ひさだ縫殿助ぬいのすけは、番方ばんかた適任てきにんこたえたのはかる事情じじょうにより、その縫殿助ぬいのすけさらに、

番方ばんかた…、番方ばんかたなかでも新番しんばん相応ふさわしいかと…」

 そう補足ほそくして、治済はるさだうなずかせた。

 武官ぶかんである番方ばんかた大番おおばん書院番しょいんばん小姓こしょう組番ぐみばん新番しんばん小十人こじゅうにん組番ぐみばんの5つの番方ばんかたかれており、これを「番方ばんかた」としょうする。

 その「番方ばんかた」のうち、御城えどじょう本丸ほんまる殿てんにおける勤務きんむがあるのは、つまりは殿中でんちゅう警備けいび職掌しょくしょうとするのは大番おおばんのぞいた「四番方よんばんかた」、書院番しょいんばん小姓こしょう組番ぐみばん新番しんばん小十人こじゅうにん組番ぐみばんの4つの番方ばんかたであった。

 そしてこの「四番方よんばんかた」の勤務場所きんむばしょだが、書院番しょいんばん虎之間とらのま小姓こしょう組番ぐみばん紅葉之間もみじのま、そして小十人こじゅうにん組番ぐみばん紅葉之間もみじのまとなり檜之間ひのきのまといった具合ぐあいに、中奥なかおくからはなれているのにたいして、新番しんばん勤務場所きんむばしょである新番所しんばんしょ中奥なかおくちか場所ばしょ、つまりは若年寄わかどしより執務室しつむしつであるつぎよう部屋べやそばにあった。

 だとするならば、成程なるほど久田ひさだ縫殿助ぬいのすけが言うとおり、「番方ばんかた」のなかでも新番しんばんさむらいこそが意知おきとも仕留しとめさせるに最適任さいてきにんと言えた。「番方ばんかた」のなかでも新番しんばん、それに所属しょぞくするさむらい一番いちばん若年寄わかどしよりちか場所ばしょにいるからだ。

新番しんばんなれば…、矢部やべ主膳殿しゅぜんどの相談そうだんあそばされましては如何いかがでござりましょうや…」

 それまでだまっていたひながそこでまたくちはさんだ。

 それにたいして治済はるさだおなじことをかんがえていたので、ふかうなずいた。
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