天明奇聞 ~たとえば意知が死ななかったら~

ご隠居

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一橋治済の「天下獲り」の一環としての田安家における「反・田沼」の人脈(ネットワーク)作り。

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 一橋ひとつばし治済はるさだ中田なかた左兵衛さへえ萬年まんねん七郎左衛門しちろうざえもんかたらせた、

田沼たぬま策謀さくぼう…」

 すなわち、田安家たやすけぐことが期待きたいされていた賢丸定信まさまるさだのぶ白河松平家しらかわまつだいらけへといやられるのは田沼たぬま意次おきつぐ仕業しわざである―、その効果こうかおおきかった。

 まず、物頭ものがしら金森かなもり五郎右衛門ごろうえもん可言ありゆき真先まっさきに、それもはげしく反応はんのうした。

 金森かなもり五郎右衛門ごろうえもんがここまで反応はんのうしめしたのには理由わけがある。それと言うのも、

金森かなもり本家ほんけ取潰とりつぶされたのは田沼たぬま意次おきつぐ所為せいである…」

 そのよううらみ、正確せいかくには逆怨さかうらみをいていたからだ。

 所謂いわゆる郡上騒動ぐじょうそうどうにより郡上藩ぐじょうはんおさめていた金森家かなもりけ改易かいえきとなった。

 この一件いっけんにより、改易かいえき憂目うきめ金森かなもり本家ほんけもとより、金森家かなもりけながれ旗本はたもと金森家かなもりけ意次おきつぐふかうらようになった。

 それと言うのも、郡上騒動ぐじょうそうどう評定所ひょうじょうしょ審理しんりされたわけだが、その評定所ひょうじょうしょ審理しんり主導しゅどうしたのが当時とうじ御側御用取次おそばごようとりつぎであった田沼たぬま意次おきつぐであったのだ。

 それゆえ金森一党かなもりいっとうみな

金森かなもり本家ほんけ取潰とりつぶされたのは田沼たぬま意次おきつぐ所為せいである…」

 そううらようになったのだ。

 もっとも、金森家かなもりけ改易かいえきされたのはわば自業自得じごうじとくであり、しかも改易かいえき判決はんけつ意次おきつぐ独断どくだんくだしたものではない。意次おきつぐにそこまでの権限けんげんあたえられていない。

 にもかかわらず、金森一党かなもりいっとううらみ、それも逆怨さかうらみが意次おきつぐ一人ひとり集中しゅうちゅうしたのは、郡上騒動ぐじょうそうどう審理しんりかかわったものなかでも一番いちばん栄達えいたつげたのが意次おきつぐだからであろう。

 そこに意次おきつぐ逆怨さかうらみされる理由わけがあり、田安たやす物頭ものがしらつとめる金森かなもり五郎右衛門ごろうえもんもその一人ひとりであった。

 このことはただちに中田なかた左兵衛さへえより一橋ひとつばし治済はるさだへと内報ないほうされた。

 それにたいして治済はるさだは「やはりな…」とほくそんだものである。

 金森一党かなもりいっとう意次おきつぐ逆怨さかうらみしていることも、その一人ひとりである五郎右衛門ごろうえもん可言ありゆき田安家たやすけにて物頭ものがしらとしてつとめていることも治済はるさだあらかじ承知しょうちしていた。

 じつを言えば、金森一党かなもりいっとう一人ひとり重左衛門じゅうざえもん可久ありひさより聞及ききおよんでいたからだ。

 金森かなもり重左衛門じゅうざえもんなんと、治済はるさだ近習きんじゅうばんであり、意次おきつぐへのうらみ、逆怨さかうらみというてんでは田安家臣たやすかしん金森かなもり五郎右衛門ごろうえもんよりもこの、一橋ひとつばし家臣かしんである金森かなもり重左衛門じゅうざえもんほう上回うわまわっていた。

 金森かなもり重左衛門じゅうざえもんほう金森かなもり五郎右衛門ごろうえもんよりも取潰とりつぶされた金森本家かなもりほんけながれによりちかかったらだ。

 しかもこの金森かなもり重左衛門じゅうざえもん実兄じつのあにである彦四郎ひこしろう臺賢もとかたいま西之丸にしのまるにて家基いえもと書院番しょいんばんとしてつかえている。

 そのあまりの「ベストタイミング」に治済はるさだいまにもおどしたいほどであった。

「されば金森かなもり五郎右衛門ごろうえもんもうさば、内山うちやま七兵衛しちべえ永貞ながさだむすめなれば…」

 金森かなもり重左衛門じゅうざえもん主君しゅくん治済はるさだより中田なかた左兵衛さへえよりの「内報ないほう」をらされるや、そう補足ほそくした。

 内山うちやま七兵衛しちべえ永貞ながさだと言えば、安永2(1773)年5月のいま鷹匠頭たかじょうがしらつとめる内山うちやま七兵衛しちべえ永清ながきよ曾祖父そうそふたる。

 つまり金森かなもり五郎右衛門ごろうえもん実母じつぼはその内山うちやま七兵衛しちべえ永清ながきよ曾祖父そうそふむすめというわけで、大叔母おおおばたる。

 のみならず、内山うちやま七兵衛しちべえ永清ながきよ実姉じっし金森かなもり五郎右衛門ごろうえもん実兄じつのあに主膳可道しゅぜんありみちつまであった。

 生憎あいにくと、金森主膳かなもりしゅぜん妻女さいじょである内山うちやま七兵衛しちべえ永清ながきよ実姉じっしとのあいだには嫡子ちゃくしめぐまれぬまま歿ぼっしたために、そのおとうとである五郎右衛門ごろうえもんあに主膳しゅぜん養嗣子ようししとなって金森家かなもりけいだわけだが、かく金森家かなもりけ内山家うちやまけふときずなむすばれており、

「その金森家かなもりけ一人ひとりである田安たやす物頭ものがしら五郎右衛門ごろうえもんはん田沼たぬまに…、いままで以上いじょう意次おきつぐへのうらみをつのらせることが出来できれば、その五郎右衛門ごろうえもんたよりに内山家うちやまけにも触手しょくしゅを…」

 つまりは内山家うちやまけも「はん田沼たぬま」のカラー染上そめあげることが出来できると、金森かなもり重左衛門じゅうざえもん主君しゅくん治済はるさだにそう示唆しさしたのであった。

 すると金森かなもり重左衛門じゅうざえもんのこの示唆しさたいしては、重左衛門じゅうざえもん真横まよこにてひかえていた内山傳内永富うちやまでんないながとみが、

「すかさず…」

 金森主膳かなもりしゅぜん五郎右衛門ごろうえもん兄弟きょうだい実母じつぼ大叔母おおおば内山うちやま七兵衛しちべえ永清ながきよについて補足ほそくした。

 すなわち、内山うちやま七兵衛しちべえ永清ながきよ妻女さいじょについてであり、内山うちやま七兵衛しちべえ永清ながきよ田安家たやすけこおり奉行ぶぎょうつとめていた上坂うえさか安左衛門やすざえもん政形まさかた末娘すえむすめめとっていたのだ。

 上坂うえさか安左衛門やすざえもんすでいものの、しかしその孫娘まごむすめ内山うちやま七兵衛しちべえ永清ながきよ妻女さいじょにとってはめいいま田安家たやすけにて用人ようにんつとめる嶋村しまむら惣左衛門そうざえもん俊久としひさ嫡子ちゃくし市三郎いちさぶろう俊密としちかもとへととついでいたのだ。

 御三卿用人ごさんきょうようにんと言えば従六位じゅろくい布衣役ほいやくであり、その場合ばあい成人嫡子せいじんちゃくしりょう番入ばんいり、つまりは小姓組番こしょうぐみばんか、あるいは書院番しょいんばん、このりょうばんうちいずれかのばん就職しゅうしょく所謂いわゆる番入ばんいり出来できる。

 嶋村しまむら市三郎いちさぶろうもそのれいれずで、

ちちかげにより…」

 本丸書院番ほんまるしょいんばん取立とりたてられた。

 内山傳内うちやまでんない内山うちやま七兵衛しちべえ永清ながきよ実弟じっていであるために、

「ことほど左様さように…」

 内山家うちやまけとその縁者えんじゃについてくわしかったのだ。

 内山傳内うちやまでんない金森かなもり重左衛門じゅうざえもんへの「対抗心たいこうしん」からさら補足ほそくつづけた。

 それは田安家たやすけ用人ようにん嶋村しまむら惣左衛門そうざえもんについてであり、嶋村しまむら惣左衛門そうざえもんじつ大坂金奉行おおざかきんぶぎょうつとめた設樂したら喜兵衛きへえ正篤まさあつ庶子しょし次男じなんであった。

 そして設樂家したらけと言えば、いま、ここ一橋家ひとつばしけにて家老かろうつとめる設樂したら兵庫頭ひょうごのかみ貞好さだよしつらなる。

 つまり、嶋村しまむら惣左衛門そうざえもんをも、まずは「はん田沼たぬま」のカラー染上そめあげ、いで「しん一橋ひとつばし」のカラーにも染上そめあげることが出来できれば、その嶋村しまむら惣左衛門そうざえもんかいして、家老かろう設樂したら貞好さだよしまでも、「しん一橋ひとつばし」のカラー染上そめあげることが出来できるのではないかと、内山傳内うちやまでんない主君しゅくん治済はるさだにそう提案ていあんした。

 成程なるほど内山傳内うちやまでんないのその提案ていあん治済はるさだにとっては大変たいへん魅力的みりょくてきであった。

 それと言うのも、治済はるさだはこれから、

次期じき将軍しょうぐん家基いえもと暗殺あんさつ…」

 所謂いわゆる謀叛むほん天下謀叛てんがむほん着手ちゃくしゅしようとしていた。

 そのよう治済はるさだにとって家老かろう存在そんざいなんとも邪魔じゃまである。

 公儀ばくふよりの附人つけびと所謂いわゆる、「監視役かんしやく」である家老かろうひかっていては、

「おちおち…」

 家基いえもと暗殺あんさつたくらめまい。

 だがその家老かろうを、その一人ひとりである設樂したら貞好さだよし取込とりこめられれば、治済はるさだとしても家基いえもと暗殺あんさつに、

心置こころおきなく…」

 取組とりくめるというものである。

 内山傳内うちやまでんないの「補足ほそく」はさらつづく。

 あに内山うちやま七兵衛しちべえ永清ながきよつまには実姉じっしがおり、その実姉じっし本丸小姓組番ほんまるこしょうぐみばんつとめる坂部さかべ三郎兵衛さぶろべえ廣昌ひろまさもとへととついでいるのだが、その坂部さかべ三郎兵衛さぶろべえ廣昌ひろまさ実兄じつのあに坂部さかべ三十郎さんじゅうろう廣保ひろやすなん本丸ほんまる膳奉行ぜんぶぎょうつとめていたのだ。

 膳奉行ぜんぶぎょうと言えば毒見役どくみやくであり、本丸ほんまるともなれば、将軍しょうぐん毒見役どくみやくほかならない。

 治済はるさだはまずは家基いえもと暗殺あんさつ、それも毒殺どくさつ目指めざしていたが、家基いえもと暗殺あんさつ毒殺どくさつ成功せいこうしたならば、そのうえで、愛妾あいしょうひでいま身篭みごもっている治済はるさだ家基いえもとわる次期じき将軍しょうぐんえらばれたならば、治済はるさだとしては愈々いよいよ、「メインデッシュ」とも言うべき将軍しょうぐん家治いえはる暗殺あんさつ、それもやはり毒殺どくさつ着手ちゃくしゅするつもりでいた。

 そのことは治済はるさだ近臣きんしん自認じにんする内山傳内うちやまでんないであれば、それに金森かなもり重左衛門じゅうざえもんにしてもそうだろうが、心得こころえていた。

 そのさい本丸ほんまる膳奉行ぜんぶぎょういまから取込とりこんでおけば、将軍しょうぐん家治いえはる暗殺あんさつ毒殺どくさつもやりやすくなるというものである。

 内山傳内うちやまでんないはそのてん指摘してきし、坂部さかべ三十郎さんじゅうろう廣保ひろやすげたのだ。

 治済はるさだ内山傳内うちやまでんないのその抜目ぬけめのない提案ていあんにはやはりしたかされたが、同時どうじ苦笑くしょうさせられもした。

「まだはやいぞ…」

 治済はるさだ苦笑くしょうしつつ、内山傳内うちやまでんないにそうげた。

 成程なるほど内山傳内うちやまでんないのその提案ていあん如何いかにもはやいものでもあった。

 ともあれ、物頭ものがしら金森かなもり五郎右衛門ごろうえもん明確めいかくに「はん田沼たぬま」のカラー染上そめあげることが出来できたのは収穫しゅうかくと言えた。

 いや、それ以上いじょうに「大収穫だいしゅうかく」であったのは竹本たけもと要人かなめ正美まさよしであろうか。

 田安たやす家中かちゅうでも家老かろう要職ようしょく番頭ばんがしらにある竹本たけもと要人かなめ正美まさよしもまた、

田沼たぬま策謀さくぼう…」

 真赤まっかいつわりであるそれをけ、「はん田沼たぬま」の旗幟きし鮮明せんめいにした一人ひとりであった。

 そこには「素地そじ」があり、すなわち、竹本たけもと要人かなめもまた、金森かなもり五郎右衛門ごろうえもん同様どうようもとより田沼たぬま意次おきつぐたいする悪感情あくかんじょういていたのだ。

 それもやはり、「逆怨さかうらみ」であった。

 竹本たけもと要人かなめ正美まさよし実父じつのちち茂兵衛もへえ正堅まさかた田安家たやすけにて番頭ばんがしらつとめていた。

 つまり父子二代おやこにだいわたって、田安家たやすけ番頭ばんがしらつとめているわけで、そこには田安家たやすけ始祖しそ宗武むねたけとの「所縁ゆかり」があった。

 いま田安家たやすけ番頭ばんがしらである竹本たけもと要人かなめちち茂兵衛もへえ正堅まさかたには古牟こんなる実姉じっしがおり、この古牟こんこそがだれあろう、宗武むねたけ母堂ぼどう実母じつのははであった。

 それゆえ竹本たけもと茂兵衛もへえにとっては宗武むねたけ実姉じっしである古牟こんせがれということで、叔父おじおい関係かんけいたり、茂兵衛もへえせがれの竹本《たけもと》要人かなめとっては宗武むねたけ伯母おばせがれということで、従兄弟いとこ同士どうし間柄あいだがらであった。

 これだけならば、「はん田沼たぬま」の素地そじは、つまりは意次おきつぐへの「逆怨さかうらみ」は何処どこにも見受みうけられない。

 だがそこに竹本たけもと越前守えちぜんのかみ正章まさあきらという登場人物キャラクターくわわることで、竹本たけもと要人かなめに、いや竹本たけもと茂兵衛もへえ要人父子かなめおやこに、

意次おきつぐへの逆怨さかうらみ…」

 はん田沼たぬま素地そじとなるその感情かんじょうてさせたのであった。

 竹本たけもと正章まさあきらとは古牟こん竹本たけもと茂兵衛もへえ姉弟きょうだいにとって、実兄じつのあにたる竹本たけもと大膳亮たいぜんのすけ正綱まさつな嫡子ちゃくしであり、つまりはおいたる。

 竹本たけもと要人かなめ宗武むねたけとは従兄弟いとこ同士どうし間柄あいだがらであるのと同様どうよう、この竹本たけもと正章まさあきらもまた宗武むねたけとは従兄弟いとこ同士どうし間柄あいだがらであり、竹本たけもと要人かなめにしろ竹本たけもと正章まさあきらにしろ、宗武むねたけより年下とししたであるが、竹本たけもと正章まさあきらいまから5年前ねんまえの明和5(1768)年の7月に歿ぼっした。

 竹本たけもと正章まさあきらはその当時とうじ下三奉行しもさんぶぎょうともしょうされる、そのうちひとつ、普請ふしん奉行ぶぎょうポストにあり、普請ふしん奉行ぶぎょう在職中ざいしょくちゅう歿ぼっした。

 だがその竹本たけもと正章まさあきら普請ふしん奉行ぶぎょう前職ぜんしょくなんと、小姓組番こしょうぐみばんがしら格奥かくおくづとめ、つまりは御側御用取次見習おそばごようとりつぎみならいポストにあったのだ。

 竹本たけもと正章まさあきら御側御用取次見習おそばごようとりつぎみならい取立とりたてられたのは宝暦8(1758)年10月のことであった。とき九代くだい将軍しょうぐん家重いえしげ治世ちせいである。

御側御用取次おそばごようとりつぎ田沼たぬま意次おきつぐ稲葉いなば正明まさあきらえて…」

 田沼たぬま意次おきつぐ稲葉いなば正明まさあきら両名りょうめいよりまなようにとの、将軍しょうぐん家重いえしげよりの言葉ことばであった。

 本来ほんらいならばそのまま、御側御用取次おそばごようとりつぎへと昇格しょうかく出来でき位置ポジションであり、事実じじつ田沼たぬま意次おきつぐ稲葉いなば正明まさあきらの2人もともに、御側御用取次見習おそばごようとりつぎみならいから御側御用取次おそばごようとりつぎへと昇格しょうかくたしていた。

 にもかかわらず、竹本たけもと正章まさあきら一人ひとり御側御用取次おそばごようとりつぎへと昇格しょうかくたせなかったのはひとえに、

御側御用取次おそばごようとりつぎとして失格しっかく…」

 それにきた。

 そもそも、竹本たけもと正章まさあきら御側御用取次見習おそばごようとりつぎみならい取立とりたてられたのは御三卿筆頭ごさんきょうひっとう田安家たやすけ始祖しそ宗武むねたけとの「所縁ゆかり」によるわば、「縁故えんこ」であった。

 それでも御側御用取次見習おそばごようとりつぎみならいとして実力じつりょく発揮はっきすれば、いや

大過たいかなく…」

 それだけでい、つとげれば御側御用取次おそばごようとりつぎへと昇格しょうかくたせたことであろう。

 だが実際じっさいには竹本たけもと正章まさあきらおのれ御側御用取次見習おそばごようとりつぎみならいであることにくわえ、

御三卿筆頭ごさんきょうひっとう田安家たやすけ始祖しそである宗武むねたけとは従兄弟いとこ同士どうしである…」

 その「威光いこう」をひけらかし、あるいはかざしては賄賂わいろむさぼったのだ。

 いや、これが多少たしょう賄賂わいろならば、とき将軍しょうぐん家重いえしげつぶったであろうが、実際じっさいにはとてもつぶれる程度レベルのものではなく、あまるものであった。

 そこで家重いえしげ将軍職しょうぐんしょくするにあたり、まるで道連みちづれのよう竹本たけもと正章まさあきらをも御側御用取次見習おそばごようとりつぎみならいしょくゆるしたのだ。

 それは実際じっさいには解任かいにんであり、ただし、普請ふしん奉行ぶぎょうへと異動いどうたさせてやった。

 これは竹本たけもと正章まさあきら面子メンツおもんぱかっての温情おんじょう家重いえしげ温情おんじょうであったのだが、しかし竹本たけもと正章まさあきら当人とうにんはそれに感謝かんしゃするどころか、

おのれ追落おいおとしたのは意次おきつぐめに相違そういあるまい…」

 意次おきつぐをそう逆怨さかうらみする始末しまつであった。

 竹本たけもと正章まさあきら意次おきつぐ一人ひとり逆怨さかうらみしたのはほかでもない、御側御用取次おそばごようとりつぎなかでも意次おきつぐ稲葉いなば正明まさあきらよりも将軍しょうぐん家重いえしげ寵愛ちょうあいていたからだ。

 それゆえ意次おきつぐ将軍しょうぐん家重いえしげ讒言ざんげんしたに相違そういあるまいと、竹本たけもと正章まさあきらぬまで周囲しゅうい意次おきつぐへの怨言えんげんつづけた。

 その周囲しゅういには従弟いとこ竹本たけもと要人かなめふくまれており、それも竹本たけもと正章まさあきら歿ぼっする前年ぜんねんの明和4(1767)年はひどいものであった。

 そのとしの7月に意次おきつぐ側用人そばようにん昇格しょうかくし、のみならずその国許くにもとである相良さがら築城ちくじょうまでゆるされたのだ。

 天下てんが泰平たいへいのこの時代じだい築城ちくじょうなどおよそかんがえられないことである。

 武士ぶしにとっては最大さいだい名誉めいよとも言うべき築城ちくじょうがこともあろうに、

にっくき…」

 意次おきつぐゆるされたために、竹本たけもと正章まさあきら意次おきつぐたいする怨言えんげん益々ますますひど有様ありさまとなり、その翌年よくねん竹本たけもと正章まさあきら無念むねんげたのであった。

 かる次第しだい田安家たやすけ番頭ばんがしら竹本たけもと要人かなめ元来がんらい意次おきつぐたいする悪感情あくかんじょう、それも逆怨さかうらみをいており、そこへ、

賢丸定信まさまるさだのぶ田安家たやすけわれ、それも白河松平家しらかわまつだいらけへといやられるのは田沼たぬま意次おきつぐ仕業しわざである…」

 そのデマ、所謂いわゆる、「田沼たぬま策謀さくぼう」なるものがくわわったことから、竹本たけもと要人かなめもまた、「はん田沼たぬま」のカラー明確めいかく染上そめあげられたのだ。

 またはた奉行ぶぎょう三賀さんが監物長頼けんもつながよりをも「はん田沼たぬま」のカラー染上そめあげることが出来できた。

 もっとも、こちらは幸田こうだ友之助とものすけ親平ちかひらの「手柄てがら」によるものであると、中田なかた左兵衛さへえよりの「内報ないほう」にはそうあった。

 幸田こうだ友之助とものすけとは田安家たやすけこおり奉行ぶぎょうであり、はた奉行ぶぎょう三賀さんが監物けんもつとはしたしくしていた。

 その三賀さんが監物けんもつだが、金森かなもり五郎右衛門ごろうえもん竹本たけもと要人かなめとはことなり、

田沼たぬま意次おきつぐへの悪感情あくかんじょう…」

 それをいてはいなかったので、「田沼たぬま策謀さくぼう」なる「デマ」にせっしてもぐには、

「ピンとこない…」

 つまりはしんじられなかった。

 だがそこへ幸田こうだ友之助とものすけ三賀さんが監物けんもつたいして、

如何いかにも意次おきつぐのやりそうなこと…、意次おきつぐ賢丸君まさまるぎみ英邁えいまいさ…、おそおおくも宗武公譲むねたけこうゆずりの英邁えいまいさをおそれていたために…」

 そうささやいたことから、三賀さんが監物けんもつついにその「デマ」をけ、すると、

義憤ぎふんから…」

 はん田沼たぬまカラーまった。

 三賀さんが監物けんもつじつかつては宗武むねたけとぎとしてつかえていた。

 それがやがて小姓こしょうへとてんじ、物頭ものがしら長柄ながえ奉行ぶぎょうて、いまはた奉行ぶぎょうへと辿たどいた。

 三賀さんが監物けんもついまでも宗武むねたけ崇拝すうはいしており、その宗武むねたけもっと色濃いろこ受継うけついでいる賢丸定信まさまるさだのぶのことをも崇拝すうはいし、賢丸定信まさまるさだのぶもそんな三賀さんが監物けんもつしたっていた。

 その賢丸定信まさまるさだのぶ田安家たやすけ相続そうぞく出来できずに白河松平家しらかわまつだいらけへといやられる、しかもそれが田沼たぬま意次おきつぐ仕業しわざであると、三賀さんが監物けんもつはそう「洗脳せんのう」されるや、

義憤ぎふんから…」

 よう賢丸定信まさまるさだのぶへの忠誠心ちゅうせいしんから、意次おきつぐへのいかりにつつまれてしまい、結果けっか、「はん田沼たぬま」に染上そめあげられてしまった。

 そして三賀さんが監物けんもつを「はん田沼たぬま」に染上そめあげたのがこおり奉行ぶぎょう幸田こうだ友之助とものすけであり、三賀さんが監物けんもつ宗武むねたけとぎ、そして小姓こしょうとしてつかえているころには幸田こうだ友之助とものすけ近習きんじゅうばんとしてやはり宗武むねたけ側近そばちかくにつかえ、そのころより幸田こうだ友之助とものすけ三賀さんが監物けんもつしたしくなった。

 もっとも、三賀さんが監物けんもつ直情径行ちょくじょうけいこう典型的てんけいてき猪武者いのししむしゃであり、それゆえとぎ、そして小姓こしょうのち物頭ものがしら長柄ながえ奉行ぶぎょうと、

一貫いっかんして…」

 番方ばんかたばたけあるいたのにたいして幸田こうだ友之助とものすけはそれとは真逆まぎゃく怜悧れいりさで、近習きんじゅうばんのちはやはり、

一貫いっかんして…」

 役方やくかたばたけあるき、それも勘定かんじょう奉行ぶぎょう、そしてこおり奉行ぶぎょういたった。

 そして幸田こうだ友之助とものすけはその、

持前もちまえの…」

 怜悧れいりさから、一橋ひとつばし治済はるさだともつうじていたのだ。

 すなわち、幸田こうだ友之助とものすけ実弟じってい孫十郎まごじゅうろう親房ちかふさ一橋ひとつばし家臣かしん、それも馬役うまやくとして治済はるさだ側近そばちかくにつかえていたのだ。

 そこで幸田こうだ友之助とものすけ田安家臣たやすかしんでありながらひそかに一橋家ひとつばしけとも、それも当主とうしゅ治済はるさだともつうじており、のみならず、治済はるさだの「天下てんがり」にも協力きょうりょくする姿勢しせいせていたのだ。

 治済はるさだはその「天下てんがり」の一環いっかんとしての、

田安家中たやすかちゅうはん田沼たぬまカラー染上そめあげる…」

 その計画けいかく幸田こうだ友之助とものすけにも協力きょうりょくねがっていたのだ。
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湖灯
歴史・時代
1940年、遂に欧州で第二次世界大戦がはじまります。 前作『対米戦、準備せよ!』で、中国での戦いを避けることができ、米国とも良好な経済関係を築くことに成功した日本にもやがて暗い影が押し寄せてきます。 未来の日本から来たという柳生、結城の2人によって1944年のサイパン戦後から1934年の日本に戻った大本営の特例を受けた柏原少佐は再びこの日本の危機を回避させることができるのでしょうか!? 小説家になろうでは、前作『対米戦、準備せよ!』のタイトルのまま先行配信中です!

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