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意知釈放

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「やめろっ!」

 取調室内に不意にそう大声が響いた。意知も薄れゆく意識の中でその大声をしかと耳にした。

 するとその途端、意知の腹を殴り続けるサトーの拳が止んだかと思うと、「誰だっ!」とのこれまた大声が響いた。

「異世界警察の者だ」

「異世界警察?警察が何で勝手に…、土足で足を踏み入れてんじゃねぇよっ!」

「警務隊長のアタゴの許しなら得てある」

「なっ…、馬鹿な…」

「嘘だと思うなら確かめてみると良い」

 異世界警察の者、そう名乗る男が勝ち誇ったようにサトーに対してそう言うと、室内から遠ざかる足音が意知の耳に聞こえた。恐らく、実際に確かめるべくサトーが取調室内から出て行ったのだろうと、意知はそう当たりをつけた。

 そしてサトーが戻ってくるまでの間、意知は相変わらず目隠しされた状態で、身柄を拘束されたまま…、いや、サンドバッグにされたままであった。

 だがそれから間もなくして再び、室内に誰かが入って来る気配が感じられたかと思うと、意知の拘束が解かれた。

 意知は目隠しを解かれると、そこでようやく自分が鼻血を出したことに気付いた。

「オキトモ様でございますね?」

 意知の前に立ったその男はやけに丁寧な口調で意知にそう問いかけた。意知には見覚えのない男であり、つまりは財務省の人間ではないというわけで、

「この男が…、異世界警察と名乗った男…」

 意知はすぐにそうと察すると、「ええ…」と痛みに堪えながらも何とか首肯した。

「私、異世界警察…、所轄警察官のミトシと申します…」

「ミトシ…、刑事…」

「はい、これよりはオキトモ様の取調べにつきましては我々、警察が引き継ぎますので…」

「それでは…、ミトシ刑事が私を保護してくれると?」

「私と申しますよりは警察が取調べを引き継ぎます…」

 ミトシ刑事に笑顔でそう訂正した。保護ではなくあくまで取調べ…、それが建前なのであろうが、実際には保護と同義語であった。

 実際、「それでは…」とミトシ刑事は意知を気遣うように室内より連れ出し、それに対してサトーたちは実に口惜しそうに見送るしなかった。

 それから意知はミトシ刑事の介助を受けて財務省本省を出ると、財務省の前に横付けされていた馬車へと乗り込み、そしてミトシ刑事が勤務する所轄警察署へと足を運んだ。

 道中、意知はミトシ刑事から驚くべき事実を聞かされた。

「実は、サカシタなる財務省造幣局の職員の遺体が発見されまして…」

 サカシタならば意知も承知していた。一介の造幣局の職員ではあったが、意知の提案した金貨から紙幣への通貨の切り換えに最も反対した職人として、意知はその名を記憶に留めていた。それと言うのも意知は自ら造幣局へと足を運んで、紙幣の有用性を職員、いや、金貨造りの職人に対して説明したものであり、それに対して猛反発したのがサカシタというわけだ。

 そのサカシタが死んだ…、意知にはその現実が容易には受け入れ難かった。

「その…、警察が動いているということは…」

 意知が恐る恐るといった口調でそう口にすると、ミトシ刑事は意知が何を聞きたがっているのか察したようで、

「ご推察の通り、サカシタ氏は殺されました。それも刺殺され…」

「刺殺…」

「ええ…、帰宅途中に襲われたものと思われます。それを新聞配達員が発見致しまして…」

「そうでしたか…」

「しかも同じ頃に、オキトモ様が偽札事件の首魁であり、しかもその偽札を造らせた職人…、造幣局の職員たちを殺したなどと、とんでもない疑惑まで持ち上がり…」

 ミトシ刑事の言葉を意知は、「待ってください」と遮った。

「どうして…、ミトシ刑事はそのことを…」

 いや、その前に財務省本省の取調室に意知が押し込められ、拷問を受けていたことを部外者であるミトシ刑事が知っていうるのか、それが意知には分からなかった。

 するとミトシ刑事は底意地の悪い笑みを浮かべたかと思うと、「アタゴの馬鹿のお蔭ですよ」と絵解きをしてくれた。

 つまりはこういうことである。

 財務省警務隊長のアタゴは財務省造幣局職員のサカシタが殺害された、しかもその遺体がミトシ刑事が勤める所轄警察署へと運ばれたと知るや、所轄警察署へと赴き、そして事件を財務省で捜査する、つまりは警察から事件を召し上げるべく、サカシタの遺体を奪取しようとし、それに対してミトシ刑事がアタゴを公務執行妨害の現行犯で逮捕、結局、アタゴの公務執行妨害の件はなかったことにする代わりに、アタゴより何もかも事情を…、どうしてそうまでして事件を召し上げようとするのか、アタゴを締め上げて何もかも吐かせたとのことであった。

 その結果、意知の事件をミトシ刑事は知り…、それもサカシタ殺しまで意知の犯行であると、アタゴはそう筋読みしていることをミトシ刑事は知ると、さらにアタゴ釈放の条件として意知の身柄と交換との条件までつけたそうだ。

 結局、アタゴが折れる格好で意知の釈放を認めたわけだ。

「どうしてそうまでして…」

 ミトシ刑事は自分のことを救い出してくれたのか、それが意知には分からなかった。

 それに対してミトシ刑事はと言うと、

「なに、単純は話ですよ。オキトモ様に媚を売っておこうと思っただけですよ」

 冗談めかしてそう言った。いや、それは半分は冗談だろうが、しかし残り半分は本気であった。それと言うのも意知に媚を売るという発想は意知がシロであることが前提だからだ。

 つまりミトシ刑事は意知をシロと見ている何よりの証と言えた。

「ミトシ刑事は…、私を信じてくれるのですね?」

 意知は藁にも縋る思いでそう尋ねた。

「信じるというか…、匂いがしないんですよね…」

 ミトシ刑事は真顔で意外なことを口にした。

「匂い?」

「ええ。犯罪者特有の匂いがね…」

「それは…」

「まぁ、刑事の勘ってやつでしてね…」

「刑事の勘、ですか…」

「ええ。オキトモ様は笑われるかも知れませんが…」

「いいえ、とんでもない…、それで…、それはミトシ刑事は…、ミトシ刑事の勘は誰が真犯人だと?」

 意知が真顔でそう告げると、これにはミトシ刑事も思わず苦笑した。

「さぁ、そこまでは…、ただ…、どうにもアタゴは臭いですな…」

「警務隊長の?」

「ええ。これは勘と言うよりは、アタゴの動きからですが…」

「アタゴの動き…」

「ええ。かなり杜撰な捜査でオキトモ様の身柄を拘束したように見受けられますから…」

「それでは…、私が身柄を拘束された経緯についても…」

「ええ。アタゴより聞き出しました。何でもオキトモ様が住まう官舎の庭から偽札が発見され、挙句、その庭の向かい側にある広場には職人の遺体が…、9人もの遺体が、つまりは職員が発見され、だからオキトモ様が偽札造りの首魁であり、その偽札は遺体となって発見された9人の職員に造らせ、そして偽札が出来上がったと同時に、職員は口封じに殺された…、それがアタゴの筋読みですが…」

「ええ、正しくその通りです」

「仮にその通りだとしたら…、オキトモ様が偽札造りの首魁だとしたならば、出来上がった偽札は庭なんぞではなしに、もっと別の、見つかりにくい、人目にはつかない場所に隠すのが普通でしょう。それに隠すと言えば殺された職員の遺体にしてもそうです」

「埋めるなり何なりするはずだと?」

「そうです。それが実際には埋められもせずに地表に放置されたまま…、これではオキトモ様に罪を擦り付けようとする何者かの犯行…、そう筋読みするのが普通です。ところがアタゴの馬鹿はまるで、真犯人の意図に寄り添うかのような筋読みをしてオキトモ様の身柄を拘束した。これではまるで…」

 ミトシ刑事のその先の言葉は意知が引き取ってみせた。

「アタゴ警務隊長も下手人…、真犯人の一味だと?」

「ええ。そう考えると、何もかも合点がいくというもので…」
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