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静子は打算から正教との縁談に乗り気となり、母・静絵の反対の中、とりあえず正教と会うことにする。

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 義意は帰りの車中、田丸越山の倅、正教と娘との縁談に思いを馳せた。この結婚が調(ととの)えば、成程、確かに越山も示唆した通り、金の心配は要らなくなるだろう。だが問題は娘、静子の意向であった。

「静子は果たして何と思うであろうか…」

 静子が女子華族院をそろそろ卒業する頃だというのに、未だに婚約者も見つけずに勉学に打ち込んできたのはひとえに父、義意の意向の賜物と言えた。

「女子と言えども、これからは男子と同様、勉学に打ち込むべき。結婚だけが女子の幸せではない…」

 義意は事ある毎に静子にそう言い聞かせてきた。そして静子もそんな父、義意の言いつけを良く守り、勉学に打ち込み、今やさらに上の女子華族院高等科に進学すべく、さらに勉学に打ち込んでいる。

 そんな静子に正教との結婚をすすめたりすれば、静子はどう思うであろうか…、義意はそれを思うだけで心が重くなった。

 いや、と義意は即座に思い直した。それは他でもない。仮に静子が正教と結婚する運びとなった場合でも、静子には勉学を優先させてくれるらしい。他ならぬ、舅となる越山がそう示唆したからだ。

 そもそも越山が静子を、「倅の嫁に…」と言い出したのはひとえに越山の「虚栄心」によるものであった。すなわち、

「男爵になりたい…」

 との越山の虚栄心によるものであり、その虚栄心を満たすべく、侯爵である義意の娘の静子を倅・正教に娶らせることで少しでも有利に運ぼうとの魂胆に相違ない。

 そうであれば、越山は静子には家庭的なものを求めてはいないやも知れぬと、義意はそう自分に都合良く思い直したのであった。

 義意が赤坂にある私邸に帰り着いたのは午後3時頃のことであった。まだ、娘の静子は冬期講習から帰って来てはいなかったので、義意はまず、妻女の静絵に娘と正教との縁談を相談することにした。

 静絵は娘と正教との縁談について夫の義意より聞かされるや、激しい拒否反応を示したものである。

「冗談ではありませんわっ!田丸などと、どこぞの馬の骨とも知れぬ、それこそ車夫馬丁の類ではありませんか。そのような汚らわしい男の元へと何ゆえにこの由緒正しき吉良家の血を引く大事な娘をやらねばならぬのですかっ!」

 静絵はそう悲鳴を上げた。静絵は伯爵の上杉茂憲の継室の子であった。それだけに気位が高く、大事な娘を「成り上がり者」である田丸家に嫁入りさせるなど、その静絵からしてみれば、

「とんでもないこと…」

 であった。

 だが、義意はそんな静絵に対してこの縁談の「メリット」を懇々と諭したものであった。すなわち、経済的な心配がなくなることをアピールしたのであった。

「これからさらに学費が嵩むであろう…、その場合、今のように金利収入だけでは限界がある…、それよりは…」

「だから娘を田丸に差し出せと仰せなのですかっ!?」

 静絵は遮るようにそう声を張り上げた。その何とも露骨な表現に義意も眉をひそめたものだが、しかし、適確に言い当てていた。

「それほど金の心配をなさるなら、あなたご自身が働き口を探せば良いだけではありませんか」

「無茶を申すな。貴族院議員であるこの私を雇ってくれる会社が果たしてあるものか?いや、田丸の会社なら雇ってくれるやも知れぬがな…」

 義意が意地悪くそう言い返すと、さしもの静絵も黙り込んだ。

 すると義意は静絵が黙り込んだのを幸い、「ともかく、娘の意向を聞いてみようではないか…」と畳み掛けるようにそう言った。

 その娘の静子が帰宅したのは午後6時前であり、義意は夕食時の団欒に正教との縁談を切り出したのであった。

「…つまり、私がその正教さんと結婚すれば、我が家の家計が助かると、そういう話ですね?」

 静子は義意の話を聞き終えるや、そうまとめた。確かにその通りであり、義意は苦虫を加噛み潰したような表情で頷いた。

「仮に、私が正教さんと結婚したとしても、今まで通り、勉学に打ち込むことができるのですね?」

 静子はさらにそう確かめるように尋ねた。これに対して義意はおや、と思ったものである。わざわざ確かめるように尋ねるということは前向きな証であるからだ。

 母の静絵にしても義意と同様、それに気付いたらしく、「静子さん」と割って入った。

「まさか、あなた…、本気で正教さんと結婚するつもりじゃないでしょうね?」

「でもそれで…、我が家の家計が助かるなら、それでも構いません…、それに私、実は大学に…、女子大に進学しようかとも思っているんです…」

「女子大に?」

 娘がそんなことを考えていたとは義意には初耳であり、思わず聞き返した。

「ええ…、と言っても女子大の入学年齢は19歳からですから、まずは女子華族院の高等科で2年を過ごしてから、女子大に進学しようかと…」

 女子華族院の高等科は修業年限が2年であり、今、15歳の静子が翌年に入学し、卒業する頃には18歳になっている。なるほど、その間、女子華族院の高等科に進学し、そして女子華族院の高等科で2年、さらにその後、1年間、受験勉強に打ち込むのも悪くないだろう。女子大に入学するとなれば、今よりもさらに本格的に受験勉強をする必要があった。

 だがそうなると、いよいよもって学費が嵩むというものである。いや、学費だけでなく、生活費も嵩むというもので、そのことは誰よりも静子自身が一番良く自覚しているところであり、だからこそ正教との縁談に前向きな姿勢を示したのであった。

「それに正教さんは慶應の法科とのお話…、受験勉強のアドバイスもして下さるやも知れませんから…」

 結婚相手としてはともかく、家庭教師としては悪くないかも知れなかった。そんな打算が静子には働いた。

「とにかく一度、その正教さんと会うことにしますわ…」

 静子のその言葉に義意は漸くに愁眉が開かれる思いであった。

「会ってくれるか?」

「ええ…」

 静子が頷いたので義意も頷き返すと、「ともかく静子もこういう意向だし、会うだけでも…」と義意は未だ正教との結婚に大反対の静絵に水を向けた。すると静絵はそれに対して、「勝手になさいっ」とピシャリと答え、黙認してくれた。

 翌日、12月27日は午前10時11分より貴族院にて本会議が開かれた。今日の議題は全院委員長の選挙とそれに伴う常任委員の選挙、そして勅語奉答文の審議であった。

 だがその前に、

「これより諸般の報告を致させます…」

 との徳川議長の美声が本会議場に響いた。諸般の報告とは他でもない、前回、第49回帝國議会閉会後、今日までの事項であり、具体的には例えば、多額納税者議員にして交友倶楽部に所属する伊藤傳七が今年、8月13日に逝去したために3日後の16日に弔辞を贈ると同時に正六位を授与されたこと、あるいはやはり今年8月15日には公爵の一条實孝が貴族院議員に列せられたこと、また9月1日には同じく公爵の松方巖が貴族院議員に列せられたことなどである。

 但し、それら事項が徳川議長によって読み上げられることはなく、

「…はずでございますが、御異議がなければ省略いたします…」

 とし、これに対して議場より、「異議なしっ」との複数の声が返ってきたために、徳川議長はいよいよ本題に移った。

「これより本日の会議を開きます。昨26日開院式の節、賜りました勅語に対する奉答書案は例によりまして議長において起草致しましたから、これより朗読致しまして諸君にお諮りを致します…」

 徳川議長はそこで立ち上がると、恭しく奉答書案を読み上げ始めた。

「貴族院議長、臣、徳川家達、誠恐誠惶(せいきょうせいこう)謹(つつし)んで、叡聖(えいせい)文武(ぶんぶ)天皇陛下に上奏す…」

 そこで徳川議長は言葉を区切ると一呼吸してから続きを読み上げ始めた。

「第50回帝國議会の開会に際し、茲(ここ)に盛典を挙げさせられ、優渥(ゆうあく)なる勅語を賜う臣等、謹(つつしん)で叡旨(えいし)を奉答し、慎重審議協賛の任を竭(つく)し以(も)って、皇猷(こうゆう)を賛嚢(さんじょう)せんことを期す。臣、家達、恐懼(きょうく)の至(いたり)に任(た)えず、謹(つつし)んで奉答す…」

 徳川議長は奉答文を読み終えると、顔を上げて本会議場を見回しつつ、

「ただいま読み上げました奉答書案に同意の諸君の起立を請います…」

 そう命じたのであった。全員起立は分かっていたが、それでも一応、形式的にそう命じたのであった。案の定、全員が起立した。その中には勿論、義意も、それに越山もおり、徳川議長は「全会一致を認めます…」と宣したのであった。

 それから徳川議長は、

「これより議事日程に移ります。日程第一、全院委員長の選挙…、議長はこれより勅語奉答書を捧呈(ほうてい)のために東宮仮御所に参入いたしますから、この席を副議長に譲ります…」

 と言って、副議長の蜂須賀(はちすか)正韶(まさあき)に議長席を譲り、本会議場をあとにした。蜂須賀(はちすか)正韶(まさあき)も義意と同じく侯爵議員である。正韶(まさあき)は議長席に陣取るなり、

「本日は書記官を議席に差し遣わしますから投票をお渡し願います。尚、それには投票と名刺と両方をお入れ願います…」

 そう読み上げたのであった。果たして義意の元にも書記官が投票用紙を持って近付いて来たので、義意は投票用紙を受け取ると、それには何もかかず、あらかじめ用意しておいた名刺と共にその投票用紙を書記官に渡したのであった。

 やがて書記官がすべての投票用紙とそれに名刺を回収し終えると、開票作業に移った。そしてその結果が議長席に陣取る蜂須賀(はちすか)副議長に伝えられた。

「投票の結果を御報告致します。投票総数…、誤りました…」

 慣れない議長仕事のためか、まず名刺の数を読み上げ始めるべきところ、蜂須賀(はちすか)議長はそう言い間違えた。

「名刺の数が159票、近衛公に投ぜられたのが156票、二条公、細川侯に各々(おのおの)1票、無効が3票…」

 この結果に議場は少しどよめいた。それというのも名刺の数よりも投票用紙の方が多いからだ。貴族院議員の定数こそ390人だが、今、この貴族院の本会議場の議席に座っている議員は159人であった。他でもない、皇族議員や軍人議員などは出席しておらず、また、徳川議長と蜂須賀(はちすか)副議長もそれぞれの職分から議席には座らず、当然、投票にも参加せずで、それゆえ名刺の数と同じく159人の貴族院議員が今、この本会議場の議席に座っていた。

 そうであれば当然、投票総数もそれと同じく159票でなければならぬ。にもかかわらず、近衛公こと近衛文麿と二条公こと二条厚基、細川侯こと細川護立の3人に投じられたそれぞれの票を合算するとそれよりも2票も多い161票であるからだ。誰かが1人で3票も入れたか、あるいは2人で2票ずつ入れたかのどちらかであろう。不正があったと言われても仕方あるまい。

「…この際、諸君にお諮り致しますが、投票数が2票多いのでありまするが、選挙の結果としては何ら影響がないので、近衛公爵が当選せられたことと認めましてご異議ござんせぬでございましょうか…」

 蜂須賀(はちすか)副議長もその点を気にしつつも、近衛文麿はこの本会議場にいる殆ど全ての議員から支持された以上、投票数が2票多かったとしても、その多い分を仮に近衛文麿の得票数から差し引いたところで、大勢に影響はないと、そう判断して、近衛文麿が全院委員長に当選したことにしても良いかと呼びかけたのであった。

 それに対して、「異議なしっ」との声が方々から響いたものである。何しろ近衛文麿は圧倒的多数を占める研究会に推されて全院委員長候補に擬せられたのだ。元より、近衛文麿の当選は決まっていたと言えよう。

 それでも義意はあえて白票を投じたのであった。近衛文麿が果たして全院委員長に相応しい人物かどうか、義意には疑問に感じられたからだ。恐らくそんな「へそまがり」は自分一人だろうと、そう読んでいた義意にとって無効票が3票も出たことには素直に驚かされたものである。義意と同じく白票を投じた者が他にも2人いたからだ。

 ともあれこうして近衛文麿の全院委員長の当選が決まるや、続けて常任委員の選挙へと移った。常任委員は各部の互選によって選ばれる。

 すなわち、貴族院は第一部から第九部まで、それぞれ常任委員が置かれてあり、結果、義意は第二部の常任委員である請願委員に当選した。別段、義意が望んだことではなかったものの、それでも周囲に推されたためであり、義意としてもそんな周囲の声に耳を傾けないわけにもゆかず、そこで第二部の請願委員に手を挙げたした次第であり、見事に当選を果たすことができたわけだが、元より望んだ地位ではなかったので、それほどの感慨はわかなかった。

 一方、それとは正反対なのが越山であり、越山は念願であった第一部の予算委員に潜り込むことができた。やはり役付きの方が虚栄心が満たせるのであろう。それに予算委員は委員の花形でもある。越山がそんな予算委員を選んだのは至極、当然と言えた。

 常任委員の選挙は各部室にて行われ、皆、いったん本会議場をあとにし、5つある常任委員室並びに第一局から第四局までの部室へと移動した。すなわち5つある常任委員室では前回、第49回帝國議会の常任委員が互選を行い、一方で同じく前回無役の議員は第一局から第四局の部室において同じく互選を行うのであった。

 その結果、例えば、前回までは第四部の資格審査委員であった大久保利武は第二部の資格審査委員へと異動になり、あるいは義意と同じく前回は無役であった徳川義親は偶然にも義意と同じく第二部の請願委員に当選し、逆に前回は第三部の決算委員であった北河原公平は今回は落選し、無役となった。

 尚、その間、徳川議長は東宮仮御所から戻って来たので、蜂須賀(はちすか)副議長は議長席を徳川議長に明け渡したのであった。それぞれの部屋で互選が行われていた午前10時36分から午前11時22分の間のことであり、この間、議会は休憩していた。

 そして午前11時22分より再開した議会であるが、勿論、再び議長席に座った徳川議長が再開を宣した。

「これより会議を開きます…」

 徳川議長はここで言葉を区切るとなぜか誇らしげに胸を張って周囲を見回し、それから続けた。

「…議長は今朝、全会一致を以(も)って決議せられました勅語奉答書を携えまして、東宮仮御所に参入致しました。狩の間において摂政殿下に拝謁を賜り、御前において奉答書を朗読致しまして、捧呈致しましたところ、さらに勅語を賜る趣を以(も)ってご傳達がございました」

 これが徳川議長の誇らしげな理由であった。尤も、摂政殿下こと裕仁はあくまで貴族院全体に対してさらなる勅語をくれてやっただけであり、徳川議長個人にくれてやったわけではないが、しかし、徳川議長はまるで己一人にくれたものと勘違いしている様子であり、この辺も人望のなさとなっていた。

 ともあれ徳川議長は続けて、「これよりその勅語を奉読致します…」と宣して立ち上がると、皆も勿論、立ち上がった。

 そうして総員起立したところで、徳川議長はまるで己が摂政殿下にでもなったかのようにいよいよ胸を反らせて、それも後ろにひっくり返るのではあるまいかと心配になるほどに胸を反らせて勅語を読み上げ始めた。いよいよもって人望のなさがあらわれていた。

「…朕、貴族院の深厚なる敬礼を賀す…」

 たったそれだけの勅語であったが、しかし総員を敬礼させるに充分であった。義意も内心では馬鹿馬鹿しいと思いつつも頭を下げたものである。

 それから徳川議長は再び座り、そして議員も皆が腰をおろしたところで、

「これより各部において当選せられました常任委員の氏名を書記官をして朗読を致させます…」

 そう宣して、書記官の小林次郎に読み上げさせたのであった。

 小林書記官によって自分の名が読み上げられた義意は何の感慨も沸かず、それどころか先の過激社会主義取締法案の審議においてタッグを組んだ伊澤多喜男がどの委員にも入れなかったことに複雑な感情がわき上がった。

 伊澤多喜男は前回までは第三部の予算委員であった。それが今回はどの委員にも入れずに落選と相成った。

「やはり…、過激社会主義取締法案に反対したことが影響したか…」

 報復の二文字が義意の脳裏に浮かんだ。無論、報復を仕掛けたのは内務省、ひいては特高警察である。あくまで貴族院は独立した組織ではあるが、内務省がその気になれば簡単に手を入れられる。

「内務省、ひいては特高警察の悲願であった過激社会主義取締法案を潰した伊澤多喜男はどこの委員にも入れるな」

 内務省がそう貴族院に圧力をかければことは済む。何しろ貴族院の大半は内務省とベッタリの研究会所属の議員で占められているからだ。

 尤もそれなら伊澤多喜男と共に過激社会主義取締法案に反対の論陣を張った義意とて、その報復としてどの部の委員にも入れさせないとの内務省からの圧力が働いても良さそうなものだが、そうはならなかったあたり、

「己はそれほど…、伊澤多喜男ほどには重要視されていないということか…」

 義意は胸の中でそう苦笑したものであるが、すぐに、「いや…」と思いなおした。

 それと言うのも義意は前回も、それどころか前々回もどの部の委員にも入っていなかった。それは義意自身が手を挙げなかったからであり、また誰からも推されなかったためであるが、しかし、今回に限って己を第二部の請願委員に推す声が澎湃(ほうはい)として湧き上がり、結果、見事に第二部の請願委員に当選を果たした。

「もしかして…、内務省の意向か…」

 飴と鞭…、その言葉が続けて義意の脳裏に浮かんだものである。義意は成程、確かに伊澤多喜男と共に過激社会主義取締法案に反対の論陣を張ったものの、しかしその内実たるや、伊澤多喜男が精緻な法理論によって徹底的に政府委員を攻撃したのに対して、義意の反対たるや、伊澤多喜男の精緻な反対論に比べるとどうしても見劣りし、はっきり言って感情論と捉えられても仕方がないだろう。

 無論、義意も充分に政府委員を攻撃し、存分に政府委員にダメージを与えたとの自負があるものの、しかし、伊澤多喜男の攻撃と比べるやどうしても見劣りする。

 内務省もその点を考慮し、そこで内務省にとって完全に邪魔でしかない伊澤多喜男に対しては徹底的に干し上げるという鞭を振るい、一方、義意に対してはそれとは逆に請願委員という飴をくれてやったということだろう。いや、この飴は「棚上げ」を意味する。前回はどの委員にも入っていなかったからこそ、過激社会主義取締法案特別委員会の委員に選ばれた面があった。だが今回、請願委員ともなれば、仮に内務省が過激社会主義取締法案に代わる新たな法案を提出すべく、特別委員会を貴族院に開いてもらうとなれば、請願委員となった義意がその委員に選ばれる可能性は少なかった。

 いや、伊澤多喜男など、前回は予算委員とその過激社会主義取締法案特別委員会の委員を兼任しており、それゆえ決して常任委員と特別委員会の委員が両立しないわけではなかった。

 さりとてそれは極めて有能な井澤多喜男なればこそ可能であり、義意はそこまで要領は良くないし、第一、仮に内務省が過激社会主義取締法案に代わる新たな法律案を通してもらうべく、貴族院にその法律案を審議する特別委員会を設置するよう圧力をかけたとして、その委員に義意は、それに伊澤多喜男も絶対に選ばれるはずがなかった。

 ともあれこれで義意の口を封じたと、内務省、ひいては特高警察はそう思っているのやも知れなかった。

 さて、徳川議長が「本年の議事は本日を以(も)って終りと致しまして…」と終了を宣し、その上で、

「明年は1月20日まで休会と致したいと考えます。ご異議ございませぬか?」

 そう皆に呼びかけ、それに対してもやはり、「異議なしっ」の声が重なり、

「ご異議なしと認めます。本日はこれにて散会致します…」

 徳川議長が改めて終了を宣したのは午前11時32分のことであった。

 それから議員は三々五々、本会議場をあとにした。

 義意はと言うと、昨日の静子の返事を越山に聞かせるべく、越山を探していたところ、「吉良先生」と徳川義親から声をかけられた。

「ああ。これはこれは、徳川先生…」

 義意は義親に対して深々と頭を垂れた。それに対して義親も頭を下げた。

「同じ部の請願委員としてよろしくご指導のほどを…」

 義親は義意にそう告げると、またしても頭を下げたのであった。

「何の…、私から徳川先生に教えて差し上げることなど何も…」

 義意は謙遜でも嫌味でもなく真実、そう思っていた。すると義親もそうと察してか、頭を振った。

「いえいえ…、過激社会主義取締法案に身命を賭して反対された吉良先生のその経綸と何より気概には大いに学ぶところがあります…」

 やはりそうかと義意は思ったものである。それは他でもない、やはり徳川義親も過激社会主義取締法案に反対であったのか、という点である。

「いや、それなら伊澤多喜男先生の尽力の賜物と言うべきでしょう…」

 これもまた謙遜ではなかった。

「確かに伊澤先生のご尽力も大でしょうが…」

 義親はそう認めた上で、「それにしても伊澤先生はどの部の委員にも選ばれませんでしたな…」と声を潜ませたものである。義親にしても義意と同じく、内務省、ひいては特高警察の報復だと考えている様子であった。

「来年には普選案が審議予定ですが、このまま内務省、ひいては特高警察が黙ってこれを見過ごすとも思えませんなぁ…」

 義親は声を潜ませたまま続けた。

「過激社会主義取締法案に代わる新たな法律案を…、社会主義者を取り締まる法律案を普選案と抱き合わせで審議させるつもりかも知れませんね。内務省、それも特高警察は…」

 義意がそう応じると、義親は深く頷いた。

 そして義親がさらに義意に何か話しかけようとしたところで、「吉良大先生っ」と己を呼ぶ野太い声がしたもので、それで義親も「それではこれで…」とそそくさ、義意の元を立ち去ったものである。それは他でもない、野太い声の主である、そして義意が探していた田丸越山を義親は苦手としていたからだ。

 ともあれ義意は越山の方へと振り向くと、まずは頭を下げたもので、越山も勿論、頭を下げた。

「ところで大先生、昨日のことですが…」

 越山はそう切り出した。正教と静子との縁談を指していることは明らかであった。

「実は私もその件でお伝えしたいことがありまして、田丸先生を探していたのですよ…」

 義意が正直にそう伝えると、「そうですかっ!」と越山はさらに大きな声を上げたものである。どうやら脈アリと見たようだ。そしてその見立ては正しかった。

「あれから静子にも正教さんとの縁談を話しましたところ、一度、会いたいと…」

「静子さんがそのようにっ!?」

 越山は目を輝かせて問い返した。

「ええ。まずは会ってみないことには…」

「ご尤もです」

「それでいつ会いましょうかと…」

「無論、吉良大先生、いや、静子お嬢様のご都合のお宜しい時で構いませぬよ…」

 越山は揉み手をしながらそう返した。その様子に義意は内心、やれやれと苦笑せずにはいられなかった。

 ともあれ静子の予定に合わせるという、越山の申し出はありがたく、義意は素直にその厚意を受け取ることにした。

「静子の冬期講習が終わります12月30日、その後でどうでしょう…、静子とも改めて相談の上、正式に田丸先生にお伝え致しまして、それから場所も決めては…」

 義意がそう提案すると越山は、「それで結構でございます」と今にも土下座しそうな勢いで応じたのであった。
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