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勝田光寛が若君様こと勝田麟太郎を引き取った理由 1
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「若君様はまだ見つからぬのかっ!」
ここ永田馬場にある3千石もの大身旗本である勝田家の屋敷にて主・光寛の声が、いや、怒声が響いた。
それに対して家老を始めとする家臣一同、ただただ恐懼するばかりであった。
するとすかさず、「静かにして下さいましっ!」という、光寛にそれこそ、
「負けず劣らず…」
怒声がこれまた屋敷中に木霊した。その怒声の主は他ならぬ光寛の妻女の智慧のそれであった。智慧はそれこそ、
「足音を響かせて…」
主・光寛の許へと近づくなり、怒声を響かせたのであった。
「米之助の手習の邪魔になるではありませぬかっ!」
智慧は続け様、そう怒鳴った。
米之助とは今年…、元文3(1738)年で齢七つとなるこの智慧が産んだ子、それも嫡男のことであった
智慧はその米之助のために四書五経を自ら手解きしていた。
智慧は典型的な「教育ママ」であり、米之助が5歳となって袴に身につけた同時に自ら、米之助の「教育」に乗り出したのであった。
「今は学問こそが身を立てる術…」
それが智慧の「ポリシー」であり、それゆえ愛息・米之助の立身、つまりは「出世」のために、母である智慧が自ら米之助の「教育」に乗り出したというわけだ。
「お前のその怒声の方が余程に米之助の手習の邪魔になろうぞ…」
光寛は心の中でそう呟いた。声に出せないのは光寛がこの智慧に完全に、
「尻に敷かれていた…」
それゆえであり、光寛はその代わりに、「ああ、済まぬ…」とこともあろうに妻女に頭を下げるという有様であった。家老を始めとする家臣一同の目の前であるにもかかわらず、である。それは最早、
「醜態を演ずる…」
というレベルであった。
本来ならば妻女である智慧が主たる光寛にそのような醜態を演じさせないようにすべきところであり、それこそが妻女たるものの役割であった。つまりは、夫を立てるべきところであった。
だが生憎と言うべきか、智慧はそのような貞淑なる妻女ではなかった。
智慧は光寛にそれこそ、
「乞われて…」
その妻女として迎えられたという、
「強み…」
光寛からすれば「弱み」があり、その上、光寛との間に嫡男をあげたという「強み」も相俟って、いよいよ主・光寛に強く出たものであり、それに対して光寛もそれを当然のこととして受け止めていた。
「もしや…、左京の許にでもいるのではあるまいか?」
光寛はそれまで怒鳴りつけていた家臣一同に対して一転、それがまるで嘘であったかのように、救いを求めるかのように声をかけた。
実際、光寛は妻女の智慧が登場するやいなや、家臣一同に救いを求めた。
すると、それに対して家臣一同の中から、
「畏れながら…」
そう声が上がった。
光寛・智慧夫妻の前にて控える格好となった家臣一同、その中でも筆頭である家老の白須喜内がその声、その前置きの主であり、喜内はその前置き通り、
「恐る恐る…」
そのような体であった。
「おお、喜内か。許す、腹蔵なく申せ…」
光寛は救われた思いで喜内に発言を促した。
「されば…、周防守様の許へと足を運ばれましたのであれば、馬ではのうて徒歩かと…」
喜内が今、口にした「周防守様」と、主・光寛が口にした「左京」とは同一人物である。
即ち、光寛とは遠縁、それも分家筋に当たる、
「勝田周防守元著」
であり、元著は今から24年前の正徳4(1714)年12月、15歳の折に、
「従五位下諸大夫・周防守」
その位に叙任される前までは、
「勝田左京元著」
そう名乗っており、ゆえに光寛は今でも元著のことを、
「左京…」
ついそう呼んでしまう。
いや、それは多分に意識的なものであった。
それと言うのも光寛は未だに従五位下諸大夫に叙されてはいなかったからだ。元著よりも年上にして、何より元著の本家筋に当たると言うのに、である。
光寛にはそれが癪であり、ゆえに元著のことを、
「周防守…」
その官職名で呼ぶことにどうしても抵抗があり、いや、はっきり言って悔しく、そして妬ましく、ゆえに未だに、
「左京…」
その名で呼んでいたのだ。
そして付け加えるなら、光寛が「若君様」こと勝田麟太郎を引き取ったのもその辺に理由があった。
ここ永田馬場にある3千石もの大身旗本である勝田家の屋敷にて主・光寛の声が、いや、怒声が響いた。
それに対して家老を始めとする家臣一同、ただただ恐懼するばかりであった。
するとすかさず、「静かにして下さいましっ!」という、光寛にそれこそ、
「負けず劣らず…」
怒声がこれまた屋敷中に木霊した。その怒声の主は他ならぬ光寛の妻女の智慧のそれであった。智慧はそれこそ、
「足音を響かせて…」
主・光寛の許へと近づくなり、怒声を響かせたのであった。
「米之助の手習の邪魔になるではありませぬかっ!」
智慧は続け様、そう怒鳴った。
米之助とは今年…、元文3(1738)年で齢七つとなるこの智慧が産んだ子、それも嫡男のことであった
智慧はその米之助のために四書五経を自ら手解きしていた。
智慧は典型的な「教育ママ」であり、米之助が5歳となって袴に身につけた同時に自ら、米之助の「教育」に乗り出したのであった。
「今は学問こそが身を立てる術…」
それが智慧の「ポリシー」であり、それゆえ愛息・米之助の立身、つまりは「出世」のために、母である智慧が自ら米之助の「教育」に乗り出したというわけだ。
「お前のその怒声の方が余程に米之助の手習の邪魔になろうぞ…」
光寛は心の中でそう呟いた。声に出せないのは光寛がこの智慧に完全に、
「尻に敷かれていた…」
それゆえであり、光寛はその代わりに、「ああ、済まぬ…」とこともあろうに妻女に頭を下げるという有様であった。家老を始めとする家臣一同の目の前であるにもかかわらず、である。それは最早、
「醜態を演ずる…」
というレベルであった。
本来ならば妻女である智慧が主たる光寛にそのような醜態を演じさせないようにすべきところであり、それこそが妻女たるものの役割であった。つまりは、夫を立てるべきところであった。
だが生憎と言うべきか、智慧はそのような貞淑なる妻女ではなかった。
智慧は光寛にそれこそ、
「乞われて…」
その妻女として迎えられたという、
「強み…」
光寛からすれば「弱み」があり、その上、光寛との間に嫡男をあげたという「強み」も相俟って、いよいよ主・光寛に強く出たものであり、それに対して光寛もそれを当然のこととして受け止めていた。
「もしや…、左京の許にでもいるのではあるまいか?」
光寛はそれまで怒鳴りつけていた家臣一同に対して一転、それがまるで嘘であったかのように、救いを求めるかのように声をかけた。
実際、光寛は妻女の智慧が登場するやいなや、家臣一同に救いを求めた。
すると、それに対して家臣一同の中から、
「畏れながら…」
そう声が上がった。
光寛・智慧夫妻の前にて控える格好となった家臣一同、その中でも筆頭である家老の白須喜内がその声、その前置きの主であり、喜内はその前置き通り、
「恐る恐る…」
そのような体であった。
「おお、喜内か。許す、腹蔵なく申せ…」
光寛は救われた思いで喜内に発言を促した。
「されば…、周防守様の許へと足を運ばれましたのであれば、馬ではのうて徒歩かと…」
喜内が今、口にした「周防守様」と、主・光寛が口にした「左京」とは同一人物である。
即ち、光寛とは遠縁、それも分家筋に当たる、
「勝田周防守元著」
であり、元著は今から24年前の正徳4(1714)年12月、15歳の折に、
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そう名乗っており、ゆえに光寛は今でも元著のことを、
「左京…」
ついそう呼んでしまう。
いや、それは多分に意識的なものであった。
それと言うのも光寛は未だに従五位下諸大夫に叙されてはいなかったからだ。元著よりも年上にして、何より元著の本家筋に当たると言うのに、である。
光寛にはそれが癪であり、ゆえに元著のことを、
「周防守…」
その官職名で呼ぶことにどうしても抵抗があり、いや、はっきり言って悔しく、そして妬ましく、ゆえに未だに、
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