天明繚乱 ~次期将軍の座~

ご隠居

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養父と実父 2

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 準松のりとしはそこまで…、次期将軍となる実子・豊千代とよちよの「遊び相手」となる御伽おとぎ衆の人事に実父・治済はるさだ容喙ようかい、つまりは口をはさむに違いないと、そこまで読み切ったからこそ、本来の人事権者である幕閣ばっかくに対する「工作」と同時に、治済はるさだに対する「工作」をも進めていたのだ。言わば、

二正面にしょうめん作戦」

 であり、それがこうそうしたからこそ、晴れて鶴松つるまつの名がその御伽おとぎ衆の推薦すいせん名簿に登載とうさいされるにいたったのだ。

「まぁ、父親なれば我が子の栄達えいたつを望むは当然のことなれば、この程度の工作は当然というものにて…、何しろ横田家は名門でもあるからのう…」

 準松のりとしのその言葉はさしずめ、

するどとげとして…」

 源太郎の心を深くえぐったものである。

「おのれは鶴松つるまつの父親づらをしているようだが…、それも実父である俺以上に鶴松つるまつの父親として、さも相応ふさわしいかのようなつらをしているが、その実、父親らしいことは何一つしていないではないか…」

 そう言われたも同然だからだ。

 それゆえ源太郎げんたろうは思わず、実父・準松のりとしへの対抗心、いやそのような上等なものではなくあてつけから、

「出世だけが人生ではござるまい」

 そう反駁はんばくしようとして、慌てて口をつぐんだものだ。

 なぜならそれは負け惜しみにしか過ぎなかったからだ。準松のりとしの工作のその「正否」はともかく、鶴松つるまつのために己の手を汚した準松のりとしに対して何もしていない…、手を汚すこともしていない源太郎げんたろうが今さら何を言ったところでそれは負け惜しみに過ぎなかったからだ。

 すると準松のりとしさとい男だけにそんな源太郎げんたろうの心の動きを瞬時しゅんじにしてさとるや、実に満足気まんぞくげな表情を浮かべたものである。

 だがそれもつかの間、準松のりとしはすぐに表情を引き締めた。

「いや、もしかしたら、身共みどものその工作がかえってあだとなるやも知れぬのだ…」

あだ?」

 源太郎げんたろうは首をかしげた。

「左様。今も申した通り、身共みども鶴松つるまつをいずれは西之丸にしのまる入りを果たされるであろう豊千代とよちよぎみ御伽おとぎ衆にし加えられるよう、幕閣ばっかくや、さらには一橋ひとつばし様にまで…、実父にてあらせられる治済はるさだ卿にまで工作をいたしたわけだが…、つまりは豊千代とよちよぎみが…、一橋ひとつばし家出身の豊千代とよちよぎみ将軍家しょうぐんけ御養君ごようくんに…、次代の将軍になられしことを前提に動いていたというわけだ…」

 準松のりとしは一々、念押ねんおしするようにそう言った。

「それが何か?」

「分からぬか…、仮にだが、これで万が一、豊千代とよちよぎみ西之丸にしのまる入り、それが沙汰さたみと相成あいなればどうなると思う?」

「どうと申されても…」

 源太郎げんたろうは政治向きのことにはとんとうとかった。元より、政治は興味がなかったからだ。

 一方、準松のりとしはそんな源太郎げんたろうの政治的無関心さ、ひいては政治的なかんにぶさに深い溜息ためいきをついた後、源太郎げんたろうにも分かるようにくだいて説明することにした。

「良いか?豊千代とよちよぎみ西之丸にしのまる入り、それが沙汰さたみとなるということはだ、それはひとえに豊千代とよちよぎみが次の将軍にはなれぬということだ…」

「それはつまり、大納言だいなごん様を殺害せしが一橋ひとつばし卿であると明らかになった場合でござるな?」

 源太郎げんたろうがやはりそう単刀たんとう直入ちょくにゅうに切り込んだので、準松のりとしは困ったような表情を浮かべ、

「まぁ、ともかく豊千代とよちよぎみが次の将軍になれぬと仮定した場合だ…」

 準松のりとしはやはりさらりと源太郎げんたろうのその過激な言葉をかわしてそう繰り返した。

「その場合、豊千代とよちよぎみに取って代わる将軍家しょうぐんけ御養君ごようくんは…、次の将軍は誰だと思う?」

 準松のりとしのその問いに対しては流石さすが源太郎げんたろう即答そくとうできた。

「それは何と申しても清水卿…、重好しげよし卿でござろうな…、何しろ血筋の点から言えば豊千代とよちよぎみは元より、豊千代とよちよぎみの実父の治済はるさだ卿よりも上様の御血筋おちすじに近いのだから…」

「左様…、されば重好しげよし卿が仮にだが、将軍家しょうぐんけ御養君ごようくんとして西之丸にしのまる入りを果たされるとして、その時、重好しげよし卿には果たして、御伽おとぎ衆が必要と思うか?」

「いや、重好しげよし卿は既に、確か…、御齢おんとし36なれば、御伽おとぎ衆は不要でござろう…」

「左様…、されば身共みどもが工作は…、鶴松つるまつ豊千代とよちよぎみ御伽おとぎ衆にとの、その工作もすべて水泡すいほうすというものにて…」

 準松のりとしからそう言われて、源太郎げんたろうもそれは理解できたので、「ああ、確かに…」と応じた。

「それはそれはお気の毒にて…」

 源太郎げんたろうはそんな感想も口にした。準松のりとしは果たして嫌味いやみとらえて怒り出すであろうか…、源太郎げんたろうはふと、そう思ったりもしたが、はずれた。

「いや、気の毒では済まされぬのだ」

「はっ?」

「分からぬか…、最前さいぜん申した通り、御伽おとぎ衆は…、豊千代とよちよぎみ附属ふぞくせし御伽おとぎ衆は既に決まっておるのだ…」

「その一人が鶴松つるまつと…」

「左様…、他にもここ本丸にて小納戸こなんど相勤あいつとむる松平まつだいら小十郎こじゅうろう定胤さだたね一子いっし小八郎こはちろう定経さだつね、同じく本丸の小納戸こなんど相勤あいつとむる加藤かとう玄蕃げんば則陳のりのぶが一子の寅之助とらのすけ則茂のりもちの二人が御伽おとぎ衆に内定しておる…」

「左様で…、つまりは鶴松つるまつを含めて三人と…」

「左様…、そしてそれは…、御伽おとぎ衆の人事については既に幕閣ばっかくが名簿として…、つまりは鶴松つるまつとそれに今の二人の名がしたためられし名簿として、これを上様へと捧呈ほうていして、上様の御裁可ごさいかを得たのだ…」

「はぁ…」

 源太郎げんたろうにはどうにも話の先が見えず、生返事なまへんじ終始しゅうしした。すると準松のりとしもそうと気付いたらしく、源太郎げんたろうのそのにぶさに準松のりとし苛立いらだちはピークに達しようとしていた。
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