天明繚乱 ~次期将軍の座~

ご隠居

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公事上聴 2

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 さて、評席ひょうせきすべての「メンバー」がそろったところで、将軍・家治と一橋ひとつばし治済はるさだ、清水重好しげよし評定所ひょうじょうしょ留役とめやく組頭くみがしら江坂えさか孫三郎まごさぶろう正恭まさゆきの案内により誓詞之間せいしのまへと足を踏み入れた。

 通常、評定所ひょうじょうしょの事実上のトップとも言うべき留役とめやく組頭くみがしらが案内役を買って出ることなどあり得ない。

 評定所ひょうじょうしょ留役とめやく組頭くみがしら勘定かんじょう吟味ぎんみ役、あるいは勘定かんじょう組頭くみがしらとの兼務けんむであった。

 つまり今日のような評定所ひょうじょうしょ式日しきじつにおいて、評定所ひょうじょうしょ留役とめやく組頭くみがしら兼務けんむする、勘定かんじょう吟味ぎんみ役、あるいは勘定かんじょう組頭くみがしらがここ辰ノ口たつのぐち評定所ひょうじょうしょへと足を運ぶ必要がある場合には、勘定かんじょう吟味ぎんみ役、あるいは勘定かんじょう組頭くみがしらから評定所ひょうじょうしょ留役とめやく組頭くみがしらへと、

出向しゅっこう

 の形を取っていたのだ。

 そして家治一行を誓詞之間せいしのまへと案内した江坂えさか孫三郎まごさぶろうの場合は、勘定かんじょう吟味ぎんみ役との兼務けんむであった。

 その勘定かんじょう吟味ぎんみ役としての顔も持つ江坂えさか孫三郎まごさぶろうはしかし、直属の上司に当たる公事くじ方勘定奉行…、勘定かんじょう吟味ぎんみ役は勘定かんじょう奉行と同じく、老中が直属の上司であるものの、評定所ひょうじょうしょ留役とめやく組頭くみがしらとしては公事くじ勘定かんじょう奉行の支配下に入る…、その公事くじ勘定かんじょう奉行が今日のような式日しきじつ、あるいは三奉行さんぶぎょうのみで審理する立合たちあいにおいて、評席ひょうせきへと足を向ける際、わざわざ案内することはない。

 いや、相手がさらに上の老中であっても案内することはない。せいぜい、評定所ひょうじょうしょにおいて雑務ざつむにな評定所ひょうじょうしょ内同心が案内する程度であった。

 評定所ひょうじょうしょ留役とめやく組頭くみがしらはそれだけ独立性が極めて高いのだが、しかし、今日は別である。将軍や、それに加えて御三卿までが今日の評定ひょうじょうを見学すべく、評席ひょうせきのすぐ隣の部屋である誓詞之間せいしのまへと足を運ぶとなると、その案内役は評定所ひょうじょうしょ内同心に任せるわけにはゆかず、そこで評定所ひょうじょうしょの事実上のトップである留役とめやく組頭くみがしら江坂えさか孫三郎まごさぶろうが案内役を買って出たというわけだ。

 さて、いつもは余り使われることのない誓詞之間せいしのまに将軍・家治と、それに家治を真ん中にはさむ格好で一橋ひとつばし治済はるさだと清水重好しげよしの三人が姿を見せると、評席ひょうせきにてひかえていた老中たちは皆、平伏へいふくした。

 そして評席ひょうせきにて老中たちが皆、平伏へいふくする中、家治一行も腰をおろすや、

一同いちどうの者、おもてを上げぃ…」

 治済はるさだが将軍・家治に成り代わり、そう命じた。いや、将軍にでもなったかのようにそう命じた。

 ともあれ治済はるさだのその声により、評席ひょうせきにて平伏へいふくしていた老中たちは皆、頭を上げた。

「本日はおそれ多くも上様が特に公事くじ上聴じょうちょうなされる。左様、心得こころえぃ…」

 やはり治済はるさだがそう命じた。家治を真ん中にはさんで座る重好しげよしも何か言いたげな様子であったが、治済はるさだはそれを許さぬといった様子で仕切しきった。

 ともあれ治済はるさだのその言葉に対して評席ひょうせきにてひかえる老中たちはやはり、平伏へいふくこそしなかったものの、それでも、

「ははぁっ」

 と叩頭こうとうして応じた。

 それからすかさず顔を上げた南町奉行の牧野まきの成賢しげかた治済はるさだを見、それに対して治済はるさだうなずいてみせたので、成賢しげかたうなずき返すや、体の向きを誓詞之間せいしのまのそれも真ん中に陣取じんどる将軍・家治の方へと変え、

おそれながら申し上げまする…」

 成賢しげかたは将軍・家治に対してそう声をかけた。

 それに対して治済はるさだは今にも「許す…」と言いそうになり、慌てて口をつぐんだ。その言葉は将軍にのみ許された言葉であるからだ。いや、御三卿ごさんきょうや、それに大名も家臣から声をかけられた折にはそれを口にすることもあったが、しかし、将軍を前にしては例え、御三卿ごさんきょうと言えども、いや、御三家と言えどもその言葉を口にすることは許されなかった。

 さて、家治は「許す」と応じるや、成賢しげかた早速さっそく、本題を切り出した。

「されば昨晩…、暮六つ(午後6時頃)のことでござりまするが、奥医師おくいし池原いけはら長仙院ちょうせんいん法印ほういんが何者かにられまして…、り殺されましてござりまする…」

 成賢しげかたの思わぬ「告白」に事情を知らぬ老中や寺社奉行、公事くじ勘定かんじょう奉行とそれに監察かんさつ役として陪席ばいせきしていた目付と、さらに重好しげよしが驚きの表情を浮かべた。

 一方、相役あいやく…、同僚の北町奉行、曲淵まがりぶち甲斐守かいのかみ景漸かげつぐは非番であったが、それでも事件そのものは既に配下の定町じょうまちまわり同心より聞いており、把握はあくしていた。確かに今月は南が月番で、北は非番であるものの、それはあくまで民事訴訟を受け付けないという意味であり、それゆえ刑事事件をになう、例えば定町じょうまちまわり同心は町奉行所が非番の月であろうとも、市中見廻りを欠かさずに行い、勿論、下手人げしゅにん探索たんさくにも当たる。

 もっとも、昨晩の奥医師おくいし池原いけはら良誠よしのぶ斬殺ざんさつの一件については最初に通報を受けたのが市中見廻り中の南の定町じょうまちまわり同心で、その南の定町じょうまちまわり同心が事件に最初に手をつけたために、北は…、北町奉行所は下手人げしゅにん探索たんさくにかかわることはできなかった。

 無論むろん、これが逆の場合であったならば、すなわち、非番の北の定町じょうまちまわり同心が最初に事件に手をつけたならば、例え南が月番であろうとも、その非番の北の探索たんさくに口を出すことは許されず、せいぜい、探索たんさくの様子を遠巻とおまきにながめては事件を把握はあくするのが精一杯せいいっぱいであり、昨晩がそうであった。

 すなわち、景漸かげつぐ配下の北の定町じょうまちまわり同心の高木たかぎ伊助いすけもまた、非番とは関係なしに江戸市中を見廻っており、その最中さなか愛宕下あたごしたにて奥医師おくいし池原いけはら良誠よしのぶが殺害された現場に際会さいかい、その時には既に南の定町じょうまちまわり同心の原田はらだ和多五郎わたごろうが事件の探索たんさく指揮しきに当たっており、高木同心は原田同心とは旧知きゅうち間柄あいだがらであり、そこでそのよしみで原田同心から事件の概要がいようを聞き出した高木同心はそれをそのまま、奉行の曲淵まがりぶち景漸かげつぐに伝えたのであった。

 景漸かげつぐが事件の概要がいよう把握はあくしていたのはそのためであり、それゆえ景漸かげつぐ成賢しげかたから今、こうして事件の概要がいようを伝えられても、さして驚かなかったわけだ。

 そんな中、成賢しげかたはさらに「告白」を続けた。

「その奥医師おくいし池原いけはら長仙院ちょうせんいんでござりまするが、ご老中、田沼様のお屋敷への往診おうしんの帰りであったと…」

 成賢しげかたのその「告白」にはさしもの景漸かげつぐも驚かされた。そこまでは景漸かげつぐも高木同心から報告を受けてはいなかったからだ。それはすなわち、高木同心にしても原田同心からそこまでの情報は伝えられなかったということだが、それ自体は当然と言えた。事件の探索たんさくにおいては徹底的な秘密保持、所謂いわゆる保秘ほひが大原則だからだ。
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