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承前 夏の人事 ~御三卿家老を巡る人事・岡部一徳の後任の清水家老として側用人の本多忠籌は北町奉行の初鹿野河内守信興を推挙す 15~
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ともあれ、京極高久は事件を揉消そうとする忠籌の蠢きに当然激昂し、目付に事件の探索を命じたのであった。既にその時には南町奉行の山村良旺の手によって事件が閉じられようとしていたが、京極高久はそれには構わずに目付にも事件の探索を命じたのであった。
高久はその際、
「仮令、探索の過程において御側御用人の本多弾正様が不首尾まで明らかになろうとも構わぬ。全ての責はこの京極が負うゆえに、存分に探索せよ…」
目付に対してそう「御墨付」を与えたのであった。
直属の上司たる若年寄の京極高久のこの言葉に目付ら…、十人目付らは燃えた。
とりわけ、初鹿野信興と「不仲」な曲淵勝次郎は高久の言葉に対する感動とも相俟って愈愈燃えた。
だが敵もさるもの、目付の動きを察知した側用人の忠籌は、
「更なる一手」
を繰り出したのであった。
「山村信濃が探索を元にし、三手掛にて裁く」
忠籌は何とそう決裁したのであった。
これは言うまでもなく、
「完全なる…」
事件の迷宮入りを狙ってのことである。
即ち、山村良旺の手による、つまりは南の町奉行所の探索の結果は、
「被疑者不詳」
高力修理とその足軽を襲った下手人が誰であるのか分からない、というものであり、このような探索結果を元にして評定所にて事件を裁くと言うことは、
「永遠に下手人は分からない…」
つまりは事件の迷宮入りを確定させてしまうことに外ならない。それと言うのも評定所での裁きは、
「一事不再理」
それが大原則であり、それゆえ、
「被疑者不詳」
という探索結果を元にした裁きともなれば、高力修理とその足軽に乱暴狼藉の限りを尽くした下手人である初鹿野信興配下の北の町方である与力や同心らを、
「灰色無罪」
にしてしまうことであり、忠籌はそれを狙ってそのように決裁したのであった。
当然、目付らは大激怒した。もしそんなことになれば、目付の探索により彼奴等、北の与力や同心らの犯罪が立証されたとしても、もう二度と裁くことは出来ないからだ。
いや、それ以前に目付による探索さえも許されないであろう。
それゆえ目付は揃って若年寄の京極高久の下へと出向いて、不完全な探索を元にして評定所にて裁くなどと、そのような莫迦な真似は止めさせて欲しいと陳情、懇願したものである。
それに対して京極高久はと言うと、無論、目付から陳情、懇願されるまでもなくそのつもりでいたので、そのことを目付に伝えると同時に、安心して探索に専念するようにも伝えたのであった。
かくして京極高久は直属の上司とも言うべき若年寄筆頭たる安藤信成を飛び越えて老中首座の松平定信に掛け合った。
それに対して定信は「任せておけ」と請合ってくれた。実を言えば高久を若年寄へと取立ててくれたのは外ならぬ定信であり、それゆえ高久も、
「越中様なれば…」
己の頼みなら聞いてくれるに違いないと、そう期待出来たからこそ、安藤信成の「頭越し」に定信にその儀、頼んだのであった。
こうして定信は忠籌に対して「再考」を促すと同時に、将軍・家斉に対しても「再考」を願ったのであった。
南町奉行の山村良旺が手による探索結果を元にしての三手掛での裁き、その「言いだしっぺ」こそ忠籌であったが、最終的にこれを決裁したのは将軍・家斉だからだ。
それゆえ定信は忠籌が「再考」に応じぬ場合に備えて、最終決裁権者である将軍・家斉に対しても「再考」を願ったのであった。
すると忠籌は信じ難き行動に出た。
何と、登城せずに屋敷に引きこもったのであった。
「側用人たる身が判断を撤回されては勤め難し…」
それが「引きこもり」の口実であり、将軍・家斉に対して、
「側用人たるこの身を取るか、それとも定信を取るか…」
そう迫っていたのだ。
結局、将軍・家斉はこの時は忠籌に軍配を上げたのであった。
家斉は定信のことを父とも兄とも慕っていたが、同時に側近たる忠籌をも頼りにしていたのだ。
その家斉にとっては忠籌が登城しないのは極めて大きな「心理的ダメージ」となり、一刻も早くに再び登城して貰わないことにはこの少年将軍たる家斉は将軍としての気根が続かず、そこで家斉は忠籌に再び登城して貰うべく、忠籌に軍配を上げたのであった。
こうなっては如何に定信とて引き退がらざるを得なかった。
いや、定信にも忠籌同様、
「引きこもり」
という切札が使えないわけではなかったものの、しかし、定信の自尊心がそれを許さなかった。
高久はその際、
「仮令、探索の過程において御側御用人の本多弾正様が不首尾まで明らかになろうとも構わぬ。全ての責はこの京極が負うゆえに、存分に探索せよ…」
目付に対してそう「御墨付」を与えたのであった。
直属の上司たる若年寄の京極高久のこの言葉に目付ら…、十人目付らは燃えた。
とりわけ、初鹿野信興と「不仲」な曲淵勝次郎は高久の言葉に対する感動とも相俟って愈愈燃えた。
だが敵もさるもの、目付の動きを察知した側用人の忠籌は、
「更なる一手」
を繰り出したのであった。
「山村信濃が探索を元にし、三手掛にて裁く」
忠籌は何とそう決裁したのであった。
これは言うまでもなく、
「完全なる…」
事件の迷宮入りを狙ってのことである。
即ち、山村良旺の手による、つまりは南の町奉行所の探索の結果は、
「被疑者不詳」
高力修理とその足軽を襲った下手人が誰であるのか分からない、というものであり、このような探索結果を元にして評定所にて事件を裁くと言うことは、
「永遠に下手人は分からない…」
つまりは事件の迷宮入りを確定させてしまうことに外ならない。それと言うのも評定所での裁きは、
「一事不再理」
それが大原則であり、それゆえ、
「被疑者不詳」
という探索結果を元にした裁きともなれば、高力修理とその足軽に乱暴狼藉の限りを尽くした下手人である初鹿野信興配下の北の町方である与力や同心らを、
「灰色無罪」
にしてしまうことであり、忠籌はそれを狙ってそのように決裁したのであった。
当然、目付らは大激怒した。もしそんなことになれば、目付の探索により彼奴等、北の与力や同心らの犯罪が立証されたとしても、もう二度と裁くことは出来ないからだ。
いや、それ以前に目付による探索さえも許されないであろう。
それゆえ目付は揃って若年寄の京極高久の下へと出向いて、不完全な探索を元にして評定所にて裁くなどと、そのような莫迦な真似は止めさせて欲しいと陳情、懇願したものである。
それに対して京極高久はと言うと、無論、目付から陳情、懇願されるまでもなくそのつもりでいたので、そのことを目付に伝えると同時に、安心して探索に専念するようにも伝えたのであった。
かくして京極高久は直属の上司とも言うべき若年寄筆頭たる安藤信成を飛び越えて老中首座の松平定信に掛け合った。
それに対して定信は「任せておけ」と請合ってくれた。実を言えば高久を若年寄へと取立ててくれたのは外ならぬ定信であり、それゆえ高久も、
「越中様なれば…」
己の頼みなら聞いてくれるに違いないと、そう期待出来たからこそ、安藤信成の「頭越し」に定信にその儀、頼んだのであった。
こうして定信は忠籌に対して「再考」を促すと同時に、将軍・家斉に対しても「再考」を願ったのであった。
南町奉行の山村良旺が手による探索結果を元にしての三手掛での裁き、その「言いだしっぺ」こそ忠籌であったが、最終的にこれを決裁したのは将軍・家斉だからだ。
それゆえ定信は忠籌が「再考」に応じぬ場合に備えて、最終決裁権者である将軍・家斉に対しても「再考」を願ったのであった。
すると忠籌は信じ難き行動に出た。
何と、登城せずに屋敷に引きこもったのであった。
「側用人たる身が判断を撤回されては勤め難し…」
それが「引きこもり」の口実であり、将軍・家斉に対して、
「側用人たるこの身を取るか、それとも定信を取るか…」
そう迫っていたのだ。
結局、将軍・家斉はこの時は忠籌に軍配を上げたのであった。
家斉は定信のことを父とも兄とも慕っていたが、同時に側近たる忠籌をも頼りにしていたのだ。
その家斉にとっては忠籌が登城しないのは極めて大きな「心理的ダメージ」となり、一刻も早くに再び登城して貰わないことにはこの少年将軍たる家斉は将軍としての気根が続かず、そこで家斉は忠籌に再び登城して貰うべく、忠籌に軍配を上げたのであった。
こうなっては如何に定信とて引き退がらざるを得なかった。
いや、定信にも忠籌同様、
「引きこもり」
という切札が使えないわけではなかったものの、しかし、定信の自尊心がそれを許さなかった。
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