2 / 15
第1章 一生の後悔があるとしたら
2. 困った、完璧だ
しおりを挟むもしも一生の後悔があるとしたら。
それはあの日、君を手放したことだろう。
◇
青年、カラン・シュタットはシュタット子爵家の長男である。年は二十一、商売人とは思えぬほどのほほんとした両親、五つ上のしたたかな姉、真っ白な大型犬ポトフに囲まれてすくすくと育った。
シュタット家は何代か前のご先祖様が商売――主に魔法素材や魔導具、魔法薬を取り扱う――で成功して成り上がった、領地を持たない名誉貴族だ。カランは嫡男として代々受け継がれてきた商いを継げる立場にあったものの、姉の方が圧倒的に商才があると悟り早々に後継を辞退した。
これには身体の問題もあった。生まれつきの疾患で体が弱かったのだ。
幸いにも成長に伴い、疾患はすっかり鳴りを潜めた。十三から通うことが叶った全寮制のアカデミーでは気の合う友人たちにも恵まれ、これといった問題もなく、和気あいあいと平穏な日々を過ごして卒業に至っている。
アカデミー在学中に興味を持ったのは魔法薬学。幼い頃から身近にあったものに心が傾くのは自然なことだ。カランは才気煥発と褒めそやされる姉のようにとびきり頭がいいというわけではなかったけれど、好きなものに一途になれる才能は持っていた。
たゆまぬ猛勉強の末、偶然や運にも恵まれ、今は王立の魔法薬学研究所で新薬の開発に従事している。
さて、清々しい夏の夜明けをしとやかに迎えつつある王都、その一角にある魔法薬学研究所、東から昇ってきた白い光が舐めるように石造りの窓から差した、とある研究室にて。
「できた……! 僕、とうとうやったんだ……!」
ところせましと並べられたフラスコ、放られた銀の薬さじ、立ち並ぶ試験管、シャーレに培養されたいくつかの植物、不思議な色の果実、ひしゃげた木の根、謎の生物のしっぽ、毒々しい色の粉末……多種多様な素材と大量の資料の山に埋もれながら、カランは快哉を上げた。
やわらかなキャラメル色の髪に指を埋め、ちいさく震えながら頭を抱える。彼のアメジストの瞳には涙さえ滲んでいた。そう、それくらいの苦労があったのだ、今日ここまで至るには。
瞬きもせず見つめた先、ディープブルーの透きとおった液体が漏斗を伝い、ゆっくりとフラスコにしたたり落ちていく。それはひび割れた大地に降る雨滴の最初の一粒のように尊く、今のカランにとってこの世で最も価値のあるものだった。
寝る間も惜しんで調合を試みること半月、ようやく完成したのだ。
既存の惚れ薬と記憶抹消薬を掛け合わせた、オリジナルの複合魔法薬。
――この魔法薬を飲んだ人間は一定時間、最初に目が合った者を恋人だと思い込み、その者の言うことをなんでも聞いてしまうようになる。
ただし効果が切れた後、飲んだ人間はそのあいだの記憶を綺麗さっぱりすべて忘れてしまう。
ああ、魔法薬ってとってもすばらしい。無限の可能性と、ありとあらゆる夢に満ち溢れている。――僕ってやっぱり調薬の才能だけはあるんだ! カランは己が唯一他者に誇れる才能を心から自画自賛した。苦労を重ねて魔法薬調合師の免許を取得したのは今日この日のためだった、そうに違いない。
使いようによっては完全犯罪すら可能になりそうなグレーゾーンぎりぎりの効能。レシピは絶対に外には出せないし、仕事場で私的な調合をしていたのが所長にバレたら大目玉を食らいそうな案件だが、それはそれ。どうせ怒られるなら事を為したあとに怒られたい、じゃないと怒られ損である。
「お、例のやつできたのか?」
アカデミー時代からの付き合いである同僚のジュイが眼鏡を押し上げ、湯気の立つマグ片手に声をかけてくる。
彼は仮眠室で寝ていたはずだがいつの間にか戻ってきていたらしい。労務規定なんてこの研究所ではあってないようなもの。クライアントからの信頼と期待に応えるため、フロアの各研究室では才能ある研究者たちが朝となく夜となく働いている。
「このところ死に物狂いって感じで作ってたけど、結局どんな魔法薬なんだ?」
「それを教える前に、」
カランはジュイの肩に力強く両手を置いて語りかけた。
「ジュイ、我が親愛なる友よ、どうしても聞いてほしい頼みがあるんだけど」
「あーはいはいはい、みなまで言うな。魔法薬が正しく作用するか確かめたいから実験台になれって話だろ」
「は、話が早い……!」
今まさに打診しようとしていたことをジュイはすべて察してくれていた。さすが、これまで幾度となく苦楽を共にしてきた大親友。瞳を潤ませながら両手を胸の前で組んでお願いのポーズを取ろうとしていたカランは感動した。
効果の分からない魔法薬を飲むなんて普通ならごめん被るだろうが、ジュイは普通ではない。好奇心旺盛な研究オタクで、命に関わらなければなんでも自分の身体で試したいと思うタイプの狂人だ。
なによりありがたいことに、ジュイはカランの善性と倫理観と魔法薬の調合の腕を信じてくれている。
「そうだな……培養植物の世話当番を半月、エルスール・ル・ヴァリエの限定プリン五個で手を打ってやってやろう」
「なんだ、そんなものお安い御用だよ、焼き菓子もつけるから。神様王様ジュイ様ありがとう!」
「はっはっは、軽いなー。天下のエルスールをお安い御用とは」
ジュイが半笑いで言うのも当然だ。魔法素材を組み合わせたことによる幻想的で美しい見た目と摩訶不思議な効能を楽しめることで一世を風靡した、今やそこらの宝石よりも入手困難とさえ言われているエルスール・ル・ヴァリエのスイーツ。でも、カランは簡単に入手できる。なぜならその店を経営しているのは、他ならぬカランの姉なのだから。
――――姉さん。
幼い頃から大好きな姉さん。優しく頼りがいがあって、いつどんなときでもカランの味方でいてくれる人。商人兼投資家として素晴らしい先見の明と豪胆さを持ち合わせ、今や既存の魔法素材を扱う事業を拡大してブティックやパティスリーなどさまざまな事業を展開、その見目の麗しさも相まって『黄金を生む薔薇』の異名をとっている。
ミリア・シュタット。
アポイントが取れるのは半年先と噂され、茶会や夜会に出向けばあっという間に人だかりができるという社交界の中心人物。
さっさと後継の座を譲って本当によかった。平凡な自分と同じ血が流れているのか、ほとほと疑いたくなってしまう。
カランがこうしてやりたいことができているのも、姉が家業を継いでくれたおかげだ。いずれはカランも彼女の事業を手伝うつもりではあるが、今は研鑽の日々である。
「ほら、そうと決まればさっさとやるぞ」
ジュイの言葉で我に返る。
そうだ、早くテストをしてみなければ。
「毎回お前を信じて被検体になってることを忘れるなよ、ハイパーポーション博士?」
「あはは、僕のことそう呼ぶの、ジュイだけだよ」
「去年のアカデミー卒業生講演でも呼ばれてただろ」
「そうだったっけ?」
ハイパーポーションはカランが卒業制作として作った魔法薬だ。既存の回復ポーションの改良版で、開発できたのはひとえに偶然と運のおかげ。既存より安価に入手できる上に回復力が高いので、光栄なことに今では回復魔法薬の主流として流通している。
と、それはさておき。
フラスコに浅く溜まった貴重な魔法薬をガラスピペットで抽出し、ジュイが飲んでいたカフェオレに慎重に必要な分だけ溶かす。さほど長い時間は必要としない。本番も、十分あればじゅうぶんだと思っている。
味を確かめてもらったが普通のカフェオレと変わらないらしい。味や見た目に有意な変化なし、と。第一関門はクリア。さて、問題はここから。
ひと息にカフェオレを飲み終えると、ジュイがわずかに顔を顰めた。しかしすぐに元通りになる。変化があったのは瞳で、うっすらと青みがかっていた。魔法薬が発動している証だ。
「えーっと、ジュイ、僕のこと好き?」
まずは惚れ薬の効果から。
「そりゃ、好きに決まってるだろ?」
何を当たり前のことを、と言いたげに返される。「わ、わあ……」思わず声が出てしまった。内容だけなら普段のジュイでも頼めば言ってくれそうだが、その甘い声色とやわらかな表情が明らかに友人の「好き」ではないことを示している。
「そんなに驚いて、どうしたんだ?」
「あ、ああ、ごめん。ちょっと気になって」
「急に? へんなカラン……この世の誰より愛してるって、伝わってなかったか?」
「ひっ……あ、ご、ごめん、でもいきなり頬っぺた触られるのは、ちょっとその、今日まだ顔洗ってないから」
「そんなの気にしない。頬っぺたって、かわいい言い方だな」
「……」
「……どうした? 今日のカランは本当に変だな」
いや、へんなのは君のほうなんだ。さっきから笑いと鳥肌が止まらないよ。
手を繋ぐ、抱きしめるなどの身体接触を求めてもなんら問題はなかった。拒絶されることもなく、むしろ積極的にそれ以上のことをされそうになってとても焦った。向こうは恋人のつもりだから、止めないと勝手に先に進もうとするらしい。カランはまだファーストキスを大事にとってある。こんなところで失うわけにはいかない。
――うーん、あとはジュイが嫌がって絶対にやらないようなことまでやってくれるかどうか、試してみるか。
「よし、四つん這いになって五回回ってワンワンっ! て鳴いてみて」
「いいけど………………ワンワンっ!」
「あははははっ」
……いや、笑っちゃだめだ。唇を噛んで笑いを堪え、犬のふりをしているジュイを見つめる。そして、なんだか懐かしい気持ちになった。
――いま思えば、よく大人しく撫でさせてくれたな。
ぴったり十分が経つと、ジュイは立ったまま急に眠そうにした。そして少しのあいだ頭を押さえていたかと思うと、自分が婚約者以外に愛を囁いたことも犬になって鳴かされたこともちっとも覚えていなかった。……うん、やっぱりこのレシピは闇に葬ろう、危険すぎる。
「飲んだ後ってどんな感じだった?」
「そうだな……急に頭がぼやっとして、気づいたら今だ」
効果は飲んだ直後に現れる、記憶も最初から抹消されている、と。カランは震えた。
困った、完璧だ。自分の才能が末恐ろしくなってきた。
1
あなたにおすすめの小説
従僕に溺愛されて逃げられない
大の字だい
BL
〈従僕攻め×強気受け〉のラブコメ主従BL!
俺様気質で傲慢、まるで王様のような大学生・煌。
その傍らには、当然のようにリンがいる。
荷物を持ち、帰り道を誘導し、誰より自然に世話を焼く姿は、周囲から「犬みたい」と呼ばれるほど。
高校卒業間近に受けた突然の告白を、煌は「犬として立派になれば考える」とはぐらかした。
けれど大学に進学しても、リンは変わらず隣にいる。
当たり前の存在だったはずなのに、最近どうも心臓がおかしい。
居なくなると落ち着かない自分が、どうしても許せない。
さらに現れた上級生の熱烈なアプローチに、リンの嫉妬は抑えきれず――。
主従なのか、恋人なのか。
境界を越えたその先で、煌は思い知らされる。
従僕の溺愛からは、絶対に逃げられない。
テメェを離すのは死ぬ時だってわかってるよな?~美貌の恋人は捕まらない~
ちろる
BL
美貌の恋人、一華 由貴(いっか ゆき)を持つ風早 颯(かざはや はやて)は
何故か一途に愛されず、奔放に他に女や男を作るバイセクシャルの由貴に
それでも執着にまみれて耐え忍びながら捕まえておくことを選んでいた。
素直になれない自分に嫌気が差していた頃――。
表紙画はミカスケ様(https://www.instagram.com/mikasuke.free/)の
フリーイラストを拝借させて頂いています。
[BL]憧れだった初恋相手と偶然再会したら、速攻で抱かれてしまった
ざびえる
BL
エリートリーマン×平凡リーマン
モデル事務所で
メンズモデルのマネージャーをしている牧野 亮(まきの りょう) 25才
中学時代の初恋相手
高瀬 優璃 (たかせ ゆうり)が
突然現れ、再会した初日に強引に抱かれてしまう。
昔、優璃に嫌われていたとばかり思っていた亮は優璃の本当の気持ちに気付いていき…
夏にピッタリな青春ラブストーリー💕
婚約者の心の声を聴きたくない【改稿版】
ゆい
BL
王宮魔法具師ノイリスの元に、一つの指輪が届く。鑑定の依頼だった。
見たことがない術式で、王宮の書庫で術式の本を隈なく漁るが、どの本にも載っていなかった。
危険はなさそうなので、ノイリスは自分の指に嵌めてみる。
どの指にも合わず、唯一すっぽり嵌ったのが左手の薬指だった。
改稿しましたので、一から出直します。
いいねやエール・感想をいただきましたが、再出発させていただくことにしました。
応援をしてくれた皆様には申し訳ございませんが、改稿前でいただいたいいねなどをそのまま引き継ぐことは違うんではないかな?と、手前勝手な考えで、改めて投稿させていただきました。
話の序盤は、ほぼ変わっていません。
あまり変更していないところは、1日1話で投稿します。その後はのんびりと気ままな更新となりますが、お付き合いいただけたら、嬉しいです。
王妃の椅子~母国のために売られた公子
11ミリ
BL
大陸で一番の強国であるディルア王国には男の王妃がいる。夫婦間は結婚当時より長年冷え切っていた。そんなある日のこと、王のもとへ王妃がやってきて「わたしを殺させてあげよう」と衝撃な一言を告げる。けれど王は取り合わない。
喜んでもらえると思っていただけに意外だった王妃は自分の離宮に帰り、人生を振り返る。
かつて弱小公国の美しい公子だったライル(後の王妃)は強国へ貢がれた。強制的に戦へ参加させられ、人には騙され、第六王子には何かと絡んでくる。そしてある日目が覚めたら王子妃に……。
■■■
ハピエンですが、前半の人生は辛いことが多いです。一人で耐えて耐えて生き抜く主人公を気にする不器用第六王子が傍にいます。
長年の片思いと鈍感のコンビ夫婦です。
話の都合上、途中で名前がライル(男名)からライラ(女名)に変わります。
鳥の姿に変化できる「ニケ」という特異な体質が出てきます。
愛してやまなかった婚約者は俺に興味がない
了承
BL
卒業パーティー。
皇子は婚約者に破棄を告げ、左腕には新しい恋人を抱いていた。
青年はただ微笑み、一枚の紙を手渡す。
皇子が目を向けた、その瞬間——。
「この瞬間だと思った。」
すべてを愛で終わらせた、沈黙の恋の物語。
IFストーリーあり
誤字あれば報告お願いします!
劣等アルファは最強王子から逃げられない
東
BL
リュシアン・ティレルはアルファだが、オメガのフェロモンに気持ち悪くなる欠陥品のアルファ。そのことを周囲に隠しながら生活しているため、異母弟のオメガであるライモントに手ひどい態度をとってしまい、世間からの評判は悪い。
ある日、気分の悪さに逃げ込んだ先で、ひとりの王子につかまる・・・という話です。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる