握るのはおにぎりだけじゃない

箱月 透

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引っ越しにて

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「お、覚えててくれたの……?」
 信じられない気持ちで康介は尋ねる。
 彼はドアを閉めて外に出てきたから、少しくらいは会話する気があるのだろう。
 紙袋片手にただ立っているだけなのに、まるでモデルのように見えてしまうのは惚れた欲目というやつだろうか。ありふれたグレーのパーカーすらどこかのブランド物に見える。
「まあな。試験直前に参考書落とすなんて、縁起の悪いやつだなあって」
「へ、へへ……」
 その通りとは言え辛辣だ。康介は苦笑いしながらぽりぽりと頭をかいた。
「ガッチガチに固まってたから、よっぽど緊張してんだなって思ってたんだけど」
 顔を覗き込まれながら告げられて、康介は痛いところを突かれた気分になる。あのとき固まっていたのは緊張のせいではなく、目の前の彼に心を奪われていたからだ。気恥ずかしさがこみ上げて、目が泳いでしまう。
 彼がくすりと笑った。
「でも、合格したんだな。おめでとう」
 柔らかな声にハッと彼を見る。彼はふわりとした笑みを浮かべていた。
 顔立ちが整っているから、ふとした仕草や表情がすべて絵になる。目を奪われてしまう。
 ぼうっと見入っていると、彼がこてんと首を傾げた。康介は慌てて口を開く。
「あっ、ありがとう──ていうか、あの、本当にありがとう」
 下手くそな言葉に、目の前の彼がますます首を傾ける。
 もう一度会いたいと願い続け、改めてお礼が言いたいと思い続けた人に会えたのだ、きちんとあの日の感謝を伝えたい。康介は必死に言葉を探して組み立てる。
「俺が合格できたのって、たぶん、君のおかげなんだ」
「え?」
「君が参考書とかを拾ってくれたから、それまでの緊張が吹き飛んだんだ。だから、ありがとう」
 そう告げながら、康介は頭を下げた。すると頭上でふふ、と小さく笑う声が聞こえた。
「こちらこそ、おにぎりありがと。まさかあんなもの貰えるなんて思わなかったから驚いたけど、助かった」
 「いやいやこちらこそ……っていうか君も合格だよね、おめでとう」
「ん、サンキュ」
 軽く頷いた後で、彼は小さく目を伏せた。
 どうしたのだろう。康介は内心で首をひねる。
 長いまつ毛が目元に影を落として、どこか儚げに見える。ゆらゆらと視線を彷徨わせていた彼は、桜色の唇を一度きゅっと引き結んだ後、意を決したように口を開いた。
「なあ、あの着物の人って……」
 ああなんだ、そんなことか。
 気まずげに目を逸らしながら告げられた言葉に、康介は思わず苦笑をもらした。
 入試のとき、迎えに来てくれた松雲と一緒にいたところを見られていたらしい。彼はすぐに帰ってしまったと思っていたけれど、勘違いだったのだろう。それに松雲はとても目立っていたから、まあ彼が覚えていたとしても不思議はない。
 今、彼が問いたがっているのは、今までも何度も聞かれてきた『あの人は何者?』ということだろう。
 それは、着物姿という風変わりな松雲の格好のことでもあり、どう見ても父親には見えない松雲と康介の関係のことでもある。松雲は三十三歳という若さに加えて、童顔なのだ。二人で並んでいても間違いなく親子だとは思われないし、しかし兄弟というには歳が離れすぎている。
 親戚であり養父である、といういつもの答えを口にしようとしたとき。
 目の前の彼がふと顔を上げた。
 その涼しげな目には、どこか切羽詰まったような、縋るような色が浮かんでいた。
 それまでの飄々とした態度を覆すような目の色に、ドキッと心臓が跳ねる。康介はビクリと小さく肩を揺らした。
 けれど、それは一瞬のうちにかき消された。
 彼はふっと笑った。その細められた目には、すでに切迫も縋る様子も感じられなかった。
「あの人、着物がすごく似合うよな」
 どこか遠くを見ながら彼が微笑む。
 その眼差しになぜか胸がざわついて、「え?」と問い返そうとするが、その声は彼の声によってかき消された。
「なあ、もしよかったら仲良くしてくれる? 大学も同じだし、家も隣なんだし」
 それは願ってもいない提案だった。
 まさか彼の方からそんなことを言ってくれるなんて、考えてもいなかった。ドキドキと痛いほどに心臓が高鳴る。康介は慌てて頷いた。
「もっ、もちろん! こちらこそ、これから仲良くしたい!」
 食い気味で詰め寄るように告げると、彼は少しだけ呆れたみたいに笑った。
 二人の間を、少しだけ肌寒い春の風が通り過ぎてゆく。
「俺は高倉涼。これからよろしく、な」

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