11 / 43
口実カレー
⑤
しおりを挟む二人がかりの洗い物はすぐに終わった。
連れ立って部屋に戻ったとき、涼がまた「あ」と声を上げた。
「もうこんな時間だ。随分長い時間おじゃましちゃったかな」
テレビボードの上の時計を見やりながら呟かれた言葉につられるように、康介もそちらへ視線を向ける。二つの針は八時を少し過ぎたことを示していた。
「ゆっくりしてけばいいのに」
せっかく隣の部屋なのだから。そんな思いから、引き止める声は思った以上に未練がましい響きを含んでいた。慌てて誤魔化すように咳払いをする。
くす、と口元を緩めた涼は、「明日英語の授業で小テストがあるから、勉強しなきゃヤバイんだ」と肩をすくめてみせた。
用事があると言われてしまうと無理に引き止めるわけにもいかない。康介は「そっか」すごすごと引き下がる。
「誘ってくれてありがとう。手料理食べたの久しぶりだったから新鮮だった」
玄関先でくるりと振り返った涼が、微笑みながらもう一度お礼を言った。肩を落としていた康介は途端にパッと顔を輝かせる。
少しぶっきらぼうだけれど、でもこうした人一倍律儀で気配りのできるところが垣間見えるたびに、どうしようもなく深く惹かれてしまう。ぎゅっと心臓を鷲掴みにされたみたいな心地になるのだ。
「こちらこそ。急に誘っちゃったから迷惑だったかなって思ったけど、喜んでもらえたみたいで嬉しいよ」
「迷惑なんかじゃねぇよ。康介の作ったカレー、食べたかったから」
さらりと告げた涼は、じゃあな、と言ってドアを開ける。
その背中に康介は思わず「なあ」と声をかけていた。
中途半端に開いたドアに細長く切り取られた夜空バックに、涼がきょとんと目を瞬かせる。室内のほの白い明かりが彼の端正な顔にくっきりと印影を映すのが、ひどく鮮明だった。
「これから毎週、水曜日は一緒に晩ご飯食べようよ。一人分作るのも二人分作るのも変わらないし、それに誰かに食べてもらった方が張り合いがあるし」
まっすぐに涼の目を見ながら告げた康介は、それからにこっと笑った。
とっさの提案の理由には、普段自炊をしないと言う彼のインスタントばかりの食生活が心配だから、というのもある。
けれど一番の理由は、彼のためにご飯を作りたいと思ったから。
本当は、「誰か」に食べてほしいわけじゃない。他でもない彼のために、『康介の作ったカレーが食べたかった』と言ってくれた涼のためにご飯を作りたいのだ。
呆気にとられたように立ち尽くす涼に、康介は答えを促すように少し首を傾げてみせる。二秒間くらい三和土のあたりに視線をさまよわせた涼は、その後、ちらりと康介を見た。迷子になった子どもみたいな目だった。
「俺は、ありがたいけど……。康介はいいの?」
「よくなかったらわざわざこんな提案しないだろ」
わずかに眉を下げる涼の掠れた声を、康介は軽い調子で笑い飛ばす。
涼はまた少し下を向いた。開きっぱなしのドアから、アパートのすぐ側を通る自転車の車輪の音が響いてくる。
きゅ、と一度唇をひき結んで、涼は口を開いた。
「……わかった」
呟いた後、こくりと小さく、けれどたしかに頷いた。
バタン、とドアが閉められたのを見届けて、康介は大きなため息を吐きだした。
思わず突拍子もない約束を取り付けてしまった。やっぱり少し強引すぎたかもしれない。ずるずるとその場にしゃがみ込む。
けれど、どうしてももっと涼に近づきたかった。
迷いながらもこくりと頷いた彼の姿が脳裡によみがえる。頷いてくれてよかった。受け入れてくれて、よかった。顔を覆う手のすきまから、安堵の息が細くもれる。
さて、来週の水曜日は何を振る舞おうか。
0
あなたにおすすめの小説
【完結】愛されたかった僕の人生
Kanade
BL
✯オメガバース
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
お見合いから一年半の交際を経て、結婚(番婚)をして3年。
今日も《夫》は帰らない。
《夫》には僕以外の『番』がいる。
ねぇ、どうしてなの?
一目惚れだって言ったじゃない。
愛してるって言ってくれたじゃないか。
ねぇ、僕はもう要らないの…?
独りで過ごす『発情期』は辛いよ…。
イケメンモデルと新人マネージャーが結ばれるまでの話
タタミ
BL
新坂真澄…27歳。トップモデル。端正な顔立ちと抜群のスタイルでブレイク中。瀬戸のことが好きだが、隠している。
瀬戸幸人…24歳。マネージャー。最近新坂の担当になった社会人2年目。新坂に仲良くしてもらって懐いているが、好意には気付いていない。
笹川尚也…27歳。チーフマネージャー。新坂とは学生時代からの友人関係。新坂のことは大抵なんでも分かる。
【完結】毎日きみに恋してる
藤吉めぐみ
BL
青春BLカップ1次選考通過しておりました!
応援ありがとうございました!
*******************
その日、澤下壱月は王子様に恋をした――
高校の頃、王子と異名をとっていた楽(がく)に恋した壱月(いづき)。
見ているだけでいいと思っていたのに、ちょっとしたきっかけから友人になり、大学進学と同時にルームメイトになる。
けれど、恋愛模様が派手な楽の傍で暮らすのは、あまりにも辛い。
けれど離れられない。傍にいたい。特別でありたい。たくさんの行きずりの一人にはなりたくない。けれど――
このまま親友でいるか、勇気を持つかで揺れる壱月の切ない同居ライフ。
人気アイドルグループのリーダーは、気苦労が絶えない
タタミ
BL
大人気5人組アイドルグループ・JETのリーダーである矢代頼は、気苦労が絶えない。
対メンバー、対事務所、対仕事の全てにおいて潤滑剤役を果たす日々を送る最中、矢代は人気2トップの御厨と立花が『仲が良い』では片付けられない距離感になっていることが気にかかり──
【完結】口遊むのはいつもブルージー 〜双子の兄に惚れている後輩から、弟の俺が迫られています〜
星寝むぎ
BL
お気に入りやハートを押してくださって本当にありがとうございます! 心から嬉しいです( ; ; )
――ただ幸せを願うことが美しい愛なら、これはみっともない恋だ――
“隠しごとありの年下イケメン攻め×双子の兄に劣等感を持つ年上受け”
音楽が好きで、SNSにひっそりと歌ってみた動画を投稿している桃輔。ある日、新入生から唐突な告白を受ける。学校説明会の時に一目惚れされたらしいが、出席した覚えはない。なるほど双子の兄のことか。人違いだと一蹴したが、その新入生・瀬名はめげずに毎日桃輔の元へやってくる。
イタズラ心で兄のことを隠した桃輔は、次第に瀬名と過ごす時間が楽しくなっていく――
僕の恋人は、超イケメン!!
刃
BL
僕は、普通の高校2年生。そんな僕にある日恋人ができた!それは超イケメンのモテモテ男子、あまりにもモテるため女の子に嫌気をさして、偽者の恋人同士になってほしいとお願いされる。最初は、嘘から始まった恋人ごっこがだんだん本気になっていく。お互いに本気になっていくが・・・二人とも、どうすれば良いのかわからない。この後、僕たちはどうなって行くのかな?
【完結】アイドルは親友への片思いを卒業し、イケメン俳優に溺愛され本当の笑顔になる <TOMARIGIシリーズ>
はなたろう
BL
TOMARIGIシリーズ②
人気アイドル、片倉理久は、同じグループの伊勢に片思いしている。高校生の頃に事務所に入所してからずっと、2人で切磋琢磨し念願のデビュー。苦楽を共にしたが、いつしか友情以上になっていった。
そんな伊勢は、マネージャーの湊とラブラブで、幸せを喜んであげたいが複雑で苦しい毎日。
そんなとき、俳優の桐生が現れる。飄々とした桐生の存在に戸惑いながらも、片倉は次第に彼の魅力に引き寄せられていく。
友情と恋心の狭間で揺れる心――片倉は新しい関係に踏み出せるのか。
人気アイドル<TOMARIGI>シリーズ新章、開幕!
フローブルー
とぎクロム
BL
——好きだなんて、一生、言えないままだと思ってたから…。
高二の夏。ある出来事をきっかけに、フェロモン発達障害と診断された雨笠 紺(あまがさ こん)は、自分には一生、パートナーも、子供も望めないのだと絶望するも、その後も前向きであろうと、日々を重ね、無事大学を出て、就職を果たす。ところが、そんな新社会人になった紺の前に、高校の同級生、日浦 竜慈(ひうら りゅうじ)が現れ、紺に自分の息子、青磁(せいじ)を預け(押し付け)ていく。——これは、始まり。ひとりと、ひとりの人間が、ゆっくりと、激しく、家族になっていくための…。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる