握るのはおにぎりだけじゃない

箱月 透

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好きな食べもの

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 五月を迎えたばかりの空は、どこまでも青く濃い色だ。青空へと枝を伸ばす木々の新緑もまぶしく、陽光は少しずつ温度を上げてちらちらと夏の気配を漂わせはじめている。
 少しだけ汗ばんだ額を手の甲でぬぐいながら、康介は久しぶりの実家を見上げた。ゴールデンウィークの連休を利用して、置きっ放しにしていた夏服や本なんかを取りに帰ってきたのだ。
 たった一ケ月しか離れていないというのに、無駄に大きくなりすぎた庭のツツジの木も、しかつめらしい門も、なんだか妙に懐かしい。康介は思わずふっと口元を緩ませた。
 門をくぐり、赤とピンクが入り交じって咲くツツジの脇を通る。玄関の戸を勢いよく開けて、康介は奥の部屋に向かって声を上げた。
「ただいまー」
 家の中に一歩足を踏み入れると、木と太陽の香りが一緒になったような、実家特有の懐かしい匂いがふわりと鼻をかすめた。
「おかえりなさい。早かったですね」
 廊下の奥にある仕事場のドアが開き、着物姿の松雲がパタパタとやってくる。まだ締切まで余裕があるようで、やつれた様子もなく顔色も良い。康介は内心でほっと安堵の息をもらした。
「うん、乗り換えが上手くいったから」
「それは良かった」
 松雲がにっこりと微笑む。
 下宿先から実家までは、特急列車と普通列車を乗り継いで約二時間。隣県だからそう遠く離れてはいないが、カジュアルに行き来ができるわけでもない。
「疲れたでしょう、おやつに柏餅を買ってますよ」
「やった」
 端午の節句が近づく今の時期、いつも松雲は近くの和菓子屋で柏餅を買ってくる。優しい味のそれは康介のお気に入りである。
 リビングに向かい、肩に掛けていたボストンバッグを床に下ろす。そのまま上着も脱がないでダイニングテーブルの上に置かれた柏餅のパックを開ける。手に取れば、厚い葉っぱ越しでも餅の柔らかさが手に伝わってくる。ごくりと喉を鳴らして、まっしろでふわふわした餅にかぶりつく。
 もっちりと伸びる柔らかな餅としっかりされたなめらかな餡子が見事に調和している。ふわりと鼻に抜ける優しい甘さに、康介はうっとりと目を閉じた。
「こら、行儀が悪いですよ」
 いつのまにか背後にいた松雲にペシッと後頭部をはたかれる。
「まったく食いしん坊なんですから」
「いや大盛りカレー五杯平らげる人に言われたくないんだけど」
 反論しつつも、康介は上着を脱いで椅子に腰を下ろした。松雲は怒ると怖いのだ。
 松雲も康介の向かいの椅子に腰掛けて、柏餅を手に取った。原稿の合間のおやつタイムなのだろう。大食らいの松雲は甘いものもよく食べる。書くという行為は想像以上に体力を使うんです、というのが彼の弁だ。
「向こうではきちんと三食食べているんですか」
 神経質に柏の葉っぱを剥がしながら松雲が尋ねる。
「毎日三食食べてるよ。ていうか松雲こそきちんと食べてる? カップラーメンだけで済ましたりしてないだろうな」
「ははは、まさかそんな」
 わざとらしい笑い声を上げる松雲の、柏の葉っぱを剥く手がピクリと跳ねたのを、康介は見逃さなかった。小さくため息をつく。
「今日は俺がちゃんとしたもん作るから」
「面目無いですね」
 肩をすくめた松雲は、コホンとわざとらしい咳払いをした後「向こうでも自炊頑張ってるんでしょう? えらいですね」と言ってにっこり笑った。話をそらしてはぐらかそうという魂胆らしい。康介はじっとりとした視線を送りつつ、「うん」と頷いた。
「そうだ、おばさんに康介が帰ってくるって言ったらとても会いたがってましたよ」
 ようやく柏餅にかぶりつきながら松雲が言う。
 松雲の言う「おばさん」とは正真正銘彼の叔母のことだ。松雲の父の妹である彼女は康介たちが暮らすこの一軒家の大家であり、ここの近所で「清水屋」という小さな定食屋を営んでいる。康介の母は松雲の母方の従姉妹なので、「おばさん」と康介には血の繋がりはないが、けれど彼女は昔から康介を本当の孫のように可愛がってくれるのだ。
「ほんと?」
「はい。また一緒に料理を作りたいとも言っていましたよ」
「よかった、俺もまた料理教わりたいと思ってたんだ」
 松雲の言葉に、康介はパアッと顔を輝かせた。
「ちょうど明日、清水屋は定休日ですね」
 松雲がダイニングテーブルの端の卓上カレンダーに視線をやった。清水屋の定休日は毎週火曜日で、今日は月曜日だ。
「明日行ってもいいか、後で電話してみるよ」
 二つ目の柏餅に手を伸ばしながら康介は頷いた。
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