握るのはおにぎりだけじゃない

箱月 透

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大事にしたい

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「で、どういうことなんだ?」
 目の前で菓子パンの袋を開けている菅田に向かって、康介はぐっと身を乗り出した。脚の傾いた小さなテーブルが揺れてお茶のペットボトルがタプンと音を立てる。
 あの後、ぼう然と立ちすくむ康介に菅田が「昼休み、ラウンジで飯食おーよ。そんときに説明する」と肩を叩いた。昨日のメッセージや涼に話しかけていたこと、そして「そうなっちゃったかぁ」という言葉から考えても、菅田が何か知っていることは明白だ。ぐるぐると混乱した頭のまま、康介はこくりと小さく頷いた。
 昼休みだというのに、文学部の学部棟のラウンジは閑散としている。棟自体が購買から遠いことに加えて、最上階なので人が集まりにくいのだ。周りを見回してみても、端の方の離れた席に女子二人が座っているだけでその他に人影は見当たらない。暗い空から打ちつけるように降る雨の音だけが、がらんとした空間に寒々しく反響している。このラウンジを待ち合わせ場所に指定したのは菅田だ。わざわざ人気のない場所を選んだということは、今から話そうとしていることはあまり聞かれたくないこと──聞かれたらマズいことなのだろうか。康介はごくりと唾を飲んだ。口の中がカラカラに渇いている。のん気にパンをかじる菅田をじっと見つめる。
「んーと……」
 ゆっくりとクリームパンを咀嚼しながら、菅田が宙を見上げた。何から話すべきか考えるように、じっと空中を見つめる。
「まず、昨日の四限の授業終わりにチャリの鍵無くしたことに気づいて、俺必死で探してたのね。三限の空きコマに図書館で借りた本を中庭のベンチで読んでて、そんときにリュックの中を漁ったりしてたから、中庭を捜索してたの」
 そこまで話した菅田が、「まぁお昼食べなさいよ」とあごをしゃくり、康介の前に広げられた手付かずの弁当を示す。
「早く食べないと時間無くなるぞぉ」
「うん」
 康介は頷き、ビニール袋から割り箸を取り出してパキンと割る。学内のコンビニではなく食堂で販売されているこの弁当は、食堂で作られたできたての料理が詰められていて、栄養バランスもしっかり考慮されている。ヘルシーでありながら味も美味しいので、多くの学生から人気が高い。康介もお気に入りの一品なのだが、今はあまり味を感じない。日替わりメニューである鮭の塩焼きのかけらをなんとか飲み下して、「それで?」と話の続きを促す。
「で、ベンチの裏の植え込みを探してたとき、ちょうど本屋から出てきた高倉と目が合って、なんとなく会釈したら高倉がこっち来て。『探し物?』って聞くから『うん、鍵なくした』っつったら、『どんなやつ?』って。いやあ、驚いたね。まさか一緒に探してくれるとは思わなかったよ。植え込みの木の根元とか草の陰とか、しゃがみこんで草かき分けながら探してくれてさぁ」
 わずかな興奮を滲ませた声で語る菅田が、食べかけのパンを左右に振った。パンからはみ出したクリームがふるふると小さく揺れている。
 康介は箸を持つ指に力がこもるのを感じた。さりげなく近づいてきて当たり前のように一緒に鍵を探しはじめる涼の姿を、まるで実際に見たかのようにはっきりと思い浮かべることができる。そういう人なのだ、彼は。
「で、その甲斐あって無事に鍵も見つかって、お礼にジュースでも奢ろうと思って買いに行ってる間に、見られちゃったんだよね」
「何を?」
 ごくりと口の中のものを飲み込んで、康介はまっすぐに目の前の菅田を見る。パンをかじった菅田が、小さく眉を寄せた。
「芝崎が高倉のことで井上から喧嘩売られてる、って内容のメッセージ」
「え」
 思わず絶句してしまう。するりと箸が指先から滑り落ちそうになって、慌てて握りなおす。心臓の音が頭の中でドクン、ドクンと大きく響いていた。
「昨日四限後に言い争いしてたんだろ?」
「それは、そうだけど……」
「俺のサークルの友達がその現場見てたらしくて、メッセージで教えてくれたんだよね。そしたら運悪くその通知画面が見えちゃったみたいで」
 桃色のパックジュースから飛び出たストローをくわえながら、菅田がかすかに目を伏せる。ズッ、とジュースを吸う音が騒々しい雨音の中に弱々しく溶けていく。
「『ごめん、メッセージ見てしまった』って謝られたけど、正直俺の方が謝りたい気分だったよ。で、まあ、気にしないでいいよとかそんな感じのこと言って、その後すぐ別れて。だけどそんときの高倉の様子が気がかりで、それで昨日芝崎にメッセージ送ったの」
「うん」
 康介は眉を寄せながら力なく頷いた。
「で、お前は高倉から何も言われてないみたいだし、どうするつもりなんだろうって思って。俺も一応見なくていいもん見せた罪悪感みたいなのがあるし、それで今朝授業終わりに話しかけに行って……で、あとはご存じの通り」
 菅田が小さく肩をすくめる。空っぽになった菓子パンの袋をくるくると器用に縛る手を眺めながら、康介はぽつりと呟いた。
「……昨日のことを自分のせいだと思ってるのか、涼は」
 言いながら、胸の奥が鈍く痛む。テーブルの上に投げ出していた、薄く汗ばんだ左手をぎゅっと固く握りしめた。
「今朝のあの態度を見る限り、まぁそうなんだろうね」
 ズココ、とほとんど無くなったジュースを啜る音が派手に響く。パックジュースに刺さったストローには、いくつも噛み跡がついているのが見て取れた。
 康介は重いため息を吐き出した。箸を置き、テーブルの上で両手を組む。
「俺に迷惑かけないようにするために、わざと距離を取ってんだな」
 授業後に話しかけたときの、さっと小さく身を引いた涼の姿が蘇る。目も合わせないまま早口で告げられた言葉は、今にして思えばかすかに掠れていた気がする。
 端の方に座っていた女子学生二人はいつの間にか姿を消していた。ラウンジの向かい側にある吹き抜け部分から聞こえる階下のざわめきが、ドッと一際大きくなった。窓の外の雨音は、相変わらずザアザアと大げさなほどに空気を反響させている。どこか遠くに聞こえるそれらの音の中心で、康介たちのいるテーブルだけが落ち着き払ったような静寂を守っている。
「なんつーか……案外不器用なやつだね、高倉って」
「……うん」
 苦笑まじりに呟かれた菅田の言葉に、康介は噛みしめるように頷いた。
「正直俺は、井上とか吉村がこれ以上芝崎に絡んでくることは無いと思ってる。単純にダサいし、女子の目を気にするあいつらがそんな八つ当たりみたいなことを大っぴらにするはずがないからね」
「それはそうだな」
「で、陰で何かしてくることもないと思う。芝崎は顔が広いし人気もある。高倉だって同じでしょ。そんなことしたら自分たちの株が大幅に下がることになるって分かってるだろうしね」
 空になったパックを両手でもてあそびながら、菅田がちらりと康介の顔を見る。康介は小さく顎を引いた。菅田がくすっと笑う。
「お前らが揉めてるって連絡してくれたやつも、『俺、仲裁とかした方がよかったのかな、芝崎落ち込んでないかな』って慌ててた。丸岡ってやつなんだけど、芝崎も知り合いだろ?」
「うん」
「そういうやつらが芝崎たちの周りにはいっぱいいるし、それに俺とか嶋田とかもいる。だからまあ大丈夫だろうなって俺は思ってるんだけど」
「うん……さんきゅ、な」
「まあお友達ですからねぇ」
 へへっ、と歯を見せて笑った菅田に、康介も強張っていた頬の力を緩めた。
 両手をほどき、背もたれにどっと体重を預ける。古いパイプ椅子がぎしりと鈍い悲鳴を上げた。バラバラと打ち付ける雨の音がラウンジの空気ごと重い毛布のように体を包み込んでいる。
「……もし仮にまた何か言われても、また正面から言い返してやるのに」
 呟いた声は、思いの外に拗ねたような声音になってしまった。菅田が口端を上げてにやっと笑う。
「知ってるよ、芝崎はそうだろうって」
「涼、俺のことなんて心配する必要ないのに」
「不器用っつーか何というか、下手くそだな。器用そうに見えるのに。昨日手伝ってくれたのだってめちゃくちゃスマートだったのになぁ」
「優しいんだよ、すごく」
「そうなんだろーねぇ」
 ぽつりぽつりと雨だれのような会話を交わす。康介はちらりと窓の外へと視線を向けた。相変わらずの鈍色の空はどんよりと暗く、雨脚はさらに激しくなったような気さえする。世界を洗わんとするばかりのいくつもの雫たちを眺めながら、康介は告げた。
「ちゃんと話し合わないと、な」
「うん。まあ大丈夫だよ、なるようになるさ」
「お前はまた適当な……」
「ちーがうよ、本心本心」
「ほんとかよ」
 軽い口調で言ってみせながら、二人は口元に小さな笑みを浮かべた。
 分厚い灰色の雲のかすかな切れ間からは、か細い光がまっすぐに射し込んでいた。
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