握るのはおにぎりだけじゃない

箱月 透

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大事にしたい

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『菅田から話聞いたよ。ちゃんと話がしたい』
 帰宅後、リュックを下ろすや否や、康介はすぐにポケットからスマホを取り出した。急いでチャットアプリを開いて、涼とのトークルームの一番下に表示されている文章を読み返す。昼休みの終わりに送ったそのメッセージに、まだ既読は付いていない。康介は重いため息を吐き出しながらベッドへと倒れ込んだ。
 倒れ込んだまま首を横に向けて、テレビボードの上の時計を見やる。二つの針が示す時刻は六時半すぎ。メッセージを送ってからもう五時間以上が経過している。たしか前に、火曜日はバイトのシフトは入っていないと話していたはずなのに。他に何か予定があるのか、それとも、大学外でも──井上たちの目がないところでも頑なに俺と距離を置くつもりなのか。
 康介は低いうなり声をあげた。もし後者であるなら、元の距離に戻ることはおろか話し合うことすら難しいだろう。どうか返事だけでも返ってきますように。枕に顔をうずめながら、祈るような気持ちで目を閉じる。
 と、そのとき、枕元のスマホが軽い音で鳴り響いた。慌てて飛び起きて、チャットアプリを開く。
『ごめん寝てた』
『わかった』
 表示された、二つの小さな吹きだし。相変わらずの簡素な文章だ。寝てた、と書いているが、これは事実かそれとも方便なのか。短くて素っ気ないメッセージからは感情を読み取るのが難しい。頭を悩ませながら、『じゃあ明日、晩ご飯のときに話し合おう』と打ち込んで送信ボタンを押そうとした、ちょうどそのとき、ピコンともう一つ吹きだしが表れた。
『今、部屋行っていい?』
 それは思ってもみない提案だった。ドクンと心臓が跳ね上がる。
 急にどうしたのだろう。動揺が波紋のようにじわりと胸に広がっていく。涼は、何を話すつもりなのだろう。嫌な予感ばかりがもやのように頭の中に立ち込めてきて、手のひらに薄く汗が滲む。
 けれど、会って話がしたいと言ったのは自分だし、何にせよ話し合わなければいけないことに変わりはない。ごくりと唾を飲み込んで、『もちろん、いいよ』と返事をした。
 それから一分もしないうちにインターホンの音が響いた。急いで玄関へと向かい、ドアを開ける。
「ごめん、急に」
 そう言ってかすかに首をすくめてみせる涼。それはいつかのような所在なさげな姿ではなかった。黒い瞳には芯の通った光があり、まっすぐに康介を見つめている。なにか、覚悟とも呼べるほどの確固たるものを秘めている目。康介は思わずたじろいだ。
 何を話すつもりなのだろう。何を伝えにきたのだろう。ぎゅっと心臓を掴まれたような心地になりながらも、それをひた隠しつつ康介は絞り出すように「全然大丈夫、どうぞ入って」と呟いた。
 カーペットの上に腰を下ろした涼はやはり普段とあまり変わらないように見える。いや、ゆったりと足を抱えて座る彼の姿は、むしろいつもよりくつろいでいるようにさえ感じる。覚悟を決め、腰を据えて話そうとしているのがその態度からひしひしと伝わってくるようだ。
 康介は胡坐をかいた脚の上の両手を握りしめた。話がしたいと言ったのは自分の方なのに、今では、涼が口火を切る瞬間を恐れている。彼が何を決断して何を伝えようとしているのか分からなくて、導火線に点いた火をじっと見守るようにじりじりと胸を焼かれる。
 と、おもむろに涼が口を開いた。
「今朝はごめん。嫌な態度だっただろ」
 涼がふと康介を見る。まっすぐで静謐な眼差し。何と返せばいいか分からなくて、康介はぎこちなく首を動かした。「いや、ええと」という曖昧な言葉が口からこぼれる。
 涼はかすかに唇を曲げて笑った。
「俺、康介から距離を置くつもりだった。理由は――、菅田から聞いてるなら分かってるよな」
「……うん」
 康介は小さく頷いた。すぐ横にある涼の目を見ていられなくて、そっと目を伏せる。グレーの靴下に包まれた自分の足先が、ひどく心許なく見える。
 涼もそっと目を逸らしたのが気配で分かった。少しだけ俯いたその小さな頭を、黒い髪がさらさらと流れる。
「人付き合いとか上手くない自覚あるし、敵を作りやすいのも分かってるし。だから、これ以上康介に迷惑かけて嫌な思いさせたくないって、そう思って」
 訥々と告げられる言葉に、きゅ、と喉のあたりが苦しくなる。握りしめていた両手に力がこもる。
 そんなこと、言わないでほしい。
 卑下でも自嘲でもなく、レポートを読み上げるようにただ事実を述べるみたいな口調で、そんなこと言わないでよ。願うように内心で呟いた言葉は、けれど声になることはなかった。今は、涼の言葉を聞くべきだと分かっている。康介はわずかに頷きながら「うん」と小さく相槌をうつ。
「でも」
 唇から零れ落ちるように告げられた言葉は、すっと空気に溶けてしまいそうなほど静かで、けれどひどくまっすぐで。思わず顔を上げて、涼を見る。
 静けさと強さを湛えた黒い瞳が、康介を捉えてわずかに揺れた。華奢な喉ぼとけが小さく上下する。
「離れたくないって思った。もうここで一緒にご飯食べられないとか、そんなの嫌だって」
 喉の奥から絞り出すように告げられた、少し掠れた言葉。
 はっ、と息をのむ。長いまつげの下で細められた目は、泣き笑いのかたちだった。
「自分勝手で、ごめん」
「謝るなよ」
 かすかに強張って震える涼の薄い肩を康介は必死で掴んだ。
 うすく水の膜が張った瞳の奥を、ひたすらに覗きこむ。静謐な覚悟をさせるに至った、もろく儚い本音をまっすぐ見つめたい。ちゃんと受け止めて、報いたい。康介は涼へと体を寄せた。
「俺、嬉しいよ。涼が離れたくないって思ったこと。自分勝手じゃない、俺も離れたくないよ」
 目を見つめたまま必死で伝える。本心だと分かるように、涼に信じてもらえるように。鼻の奥の方がツンと痛い。肩を掴んだ指に力がこもる。ひゅ、と息を吸い込んだ。
「何言われようと関係ない、俺は涼のそばにいたいし一緒にご飯食べたい。昨日の事だって俺がやりたいようにやっただけだ、もし万が一同じような事があっても何回だって正面から言い返してやる」
 だから、離れていこうとするなよ。離れたくないと思ったことを謝るなよ。
 康介は捲したてるように言い募った。胸に溢れた想いを、余すことなくすべて伝えるために。絞り出した声は、最後の方は少し鼻声になってしまった。すん、と鼻を鳴らす。
 涼がわずかに目を見開いた。その潤んだ瞳の中に小さく自分が映っているのが見える。じわりと胸のあたりが熱くなった。きゅ、と唇を引き結ぶ。
 涼の強張っていた肩からすっと力が抜けていくのが手のひらごしに伝わる。ふぅ、とかすかに息を吐いた涼は、それから眉を下げて笑った。
「……うん。康介は、そういうひとだったな」
 こぼすように呟いた彼が、ほどけるように頬を緩める。
 ほんの少し赤く染まった目尻と頬の、ふわりと柔らかい色がひどく綺麗だった。

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