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Case2【山石琴里】歪な形のブロックピース

後編

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そう思ってからは早かった。全てを滅ぼす星がもう見えるのではないかと家を出て、公園に向かって歩いていくと出会ったのはクラスメイトの風間くんだった。学校で話すことがあまりなかった彼が、こんなところにいるのも予想の外だった。少しだけ跳ね上がる心臓を無視して、二人で夜の空を見上げていた。

 公園のベンチに座る私の近くにある鉄棒に体を預けながら、風間くんはどこか遠くを見るような目をしていた。彼の視線は時折どこかに移る。街灯の光に照らされた風間くんは、なんだかとても寂しそうに見えた。

 書割の奥に隠されたスピーカーから虫達の鳴き声と風の音がエンドレスリピートしている。世界を囲むように奏で続けている非常に不快なコーラスに辟易している私の頭上には、赤い星が爛々と光っていた。赤い星は時折明るさが少し変わり、まるで心臓の鼓動のように妖しく煌めく。

 もしかしてこれが嘘で覆われた壁を破る機械仕掛けの神である大きな大きな流れ星なのだろうか。そう思うと少しだけ、夜空を見上げる勇気が出てきた気がする。思い切って視線を書割に向けると、赤い星と近くに眩く光る星が三つ見えた。これは一体なんの星だろうか。もしかしたら風間くんは知っているのかもしれない。聞いてみようと口を開くと、私の口からは全く別の言葉が出ていた。

「明日のこれぐらいの時間に、ここに、また来れる?」

 何故、そんな言葉が自分自身の口から出てきたのかわからなかった。たまたま会っただけの、もう二度と会うこともないと思っていた同級生の何処に後ろ髪を引かせる要素があったのか。後になって思えば、彼の纏う何もかも諦めてしまったような物悲しさの中にほんの少しだけ、ほんの少しだけの未練のようなものを感じたからかもしれない。

 『たとえ明日、世界が滅亡しようとも今日私は林檎の樹を植える』という神学者の言葉。その表面上の意味を愚直に悔いを残すことなく過ごそうとしているというか、約束を守る為に頑なに行動を続けようとする意思のようなものを感じたのだ。虚構かもしれない世界の登場人物が、書割でできた空を見上げている、身長に対して少しだけ丸々とした体型をした男の子。

 学校で目にしていた紺色のブレザーや、白いワイシャツと緑色をした崩れたネクタイではなく、ブラウンのポロシャツと膝が見える短めのズボンというある意味で新鮮な姿をした嘗てのクラスメイトは、教室の隅の方から視界に入っていた姿とはかなり違って見えている。

正直なところ、彼の事は少しだけ苦手意識を持っていた。クラスの中心グループの一人で、いかにもお調子者というようか、道化を演じているようにいつも馬鹿みたいにゲラゲラ笑っている姿が印象に残っている。そういえばよく手を素早く動かしてなにかハンドサインのようなことをしていたけれど、あれは何なのだろうか。癖のようなものだと思っていたけれど、先程まで話していた彼はそのようなことをしていなかった。だとしたら、あれは一体……? 何かのシグナルだろうか。それが何なのか少しだけ気になったけれど、そんなことだけに声をかける気がしなかった。

 少し前の記憶を辿る私を見ることなく、遠くの星を見つめているときの風間くんの顔はいつもクラスの中心で男友達と笑っていた顔とは全く違う人のような表情をしていて。それがなんだか気になって、少しだけ興味が出てきたかもしれないという可能性もある。果たして――今、私の水晶体が映し出された視覚情報が神経を経由して脳に届けられることによって認識している目の前の少年と、私の海馬の奥に記憶されている記憶の中の少年そのどちらが風間孝太郎という一人の人間を構成する本質なのか。それとも全てがホンモノか――またはただのニセモノなのか。決して識別できないことだけれど、機械仕掛けの神様による世界の真実の答え合わせの手助けになるような気がしたのだ。

 私の言葉を背中で受け止めた風間君は振り返ることもなく、右腕だけ上げて立ち去っていく。先程ここから歩いて三十分程度と言っていた。二キロメートルあるかないか程度、だろうか。

 腕時計を見ると確かに二十三時四十六分を指していた。もう、かなりの夜更けだ。都内の方では私と同じぐらいの年の若者が連日遊び歩いているというが、ここはそんな都会ではない……というか結構な田舎町に夜遊びをするような施設などないし、そもそも私自身が夜遅くまで遊び歩きたいと思うような性格ではない。何が楽しいか、よくわからない。これ以上夜道を出歩くというのは彼の言うとおり、あまり良くないことなのだろう。そう思って私は自宅に向かって足を向ける。実のところ、私の家は風間くんの家よりかなり近いところにある。公園から歩いて二十分もかからないのだ。

 相変わらず、書割の奥に隠されたスピーカーから不快なコーラスが流れ続けている。単調なメロディに辟易している私の頭上には、赤い星が爛々と光っている。その赤い星は、遥か遠くの光だけれど、宇宙の彼方から私の向かって楚々がれているらしい。今でもそれは信じることができない。それが本当かどうかは、きっと機械仕掛けの神様が、教えてくれるだろう。それだけを、楽しみに日々を過ごしていこう。

 二十四時になる。日付が変わる。七月三十日。

 私が総てを理解するまで、あと十二日。
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