【R18】あるTS病罹患者の手記

Tonks

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5月29日(月)快晴 『アジール』

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 栗谷のマンションへの出入りを許されたことで、僕の生活は信じられないほど快適なものになった。栗谷は僕に鍵を預けてくれたのである。これにより、僕は放課後になれば自由にマンションを訪れてシャワーを浴びることができるようになった。

 なにげにこれは僕にとって劇的なQOLの改善だった。校則違反を気にせず、不意に入ってくるかも知れない男の影に怯えることなく、鼻歌を歌いながらのびのびとシャワーを浴びられることがこんなにも幸せなことだったなんて!

 あのマンションはまさに栗谷が僕のために用意してくれたアジールだ。

 アジール――権力によって侵されることのない聖域。けれども僕にとってそこは、男によって犯されることのない女子のに他ならない。

 できるならこの先ずっとあのワンルームで暮らしていきたい、というのが偽らざる僕の本音だ。そして僕の理解が正しければ、真剣に頼めば栗谷は僕がそうすることを許してくれる気がする。

 そうすれば僕にはこの先、バラ色の生活が待っている。

 僕は紺野の目を気にすることなくあのマンションで自由を謳歌できる。シャワーのあと裸のまま部屋に戻ってくることも、ほてりが冷めるまで下着だけで過ごすことも、寝る前にゆったりした服装で寛ぐことも、もう我慢しなくていいのだ!

 ……だが色々なしがらみを考えると、そんなのは夢物語だということがわかる。

 週末だけならともかく、平日も部屋にいないとなると親に連絡がいく。そうならないためには寮を出るしかないが、そうしたらそうしたで当然それは親の知るところとなる。つまり、どうあれ僕が何らかの問題を抱えていることが両親に伝わってしまうのだ。

 必然的に僕は両親に呼び出され、事情の説明を余儀なくされるだろう。あの両親から追及されて病気のことを隠し通す自信は、僕にはない。結果、僕がTS病に罹患していることが親にバレ――そこから地獄のように面倒な展開になるのは目に見えている。

 そう……両親の希望通り名門男子校を男子のまま卒業したいだの何だのと、そんなのはきれい事だ。

 本当のところ僕は、TS病に罹患していることが親にバレることによって生じる様々な軋轢――なぜ今まで黙っていたか厳しく責められることだとか、今すぐ今後の人生のプランを一緒になって考えようと言われることだとか、そういった面倒臭い親との折衝と向き合うのが嫌で、両親への告知を拒否したのかも知れない。

 ……それにしても親の庇護の元にある未成年の子供が、望まないのであれば親への告知を拒否できるという事実は、TS病という疾病の難しさを象徴しているように思う。

 TS病がまだ広く世の中に知られていなかった頃、TS病罹患者である子供とその親との間の感情の行き違いにより自殺者が多発したのは有名な話だ。それを防止するための苦肉の策として、親権者への告知拒否権を罹患者に認めるという国際的なガイドラインが定められたのだということも。

 その弊害がいまだに議論されるいわくつきのガイドラインではあるが、僕としてはそのガイドラインに救われていると感じるところが多々ある。同じ病を抱える身として、過去に悲しい選択をしてしまった同病者の気持ちが、少しだけわかるからだ。

 TS病の好発年齢は16~18歳であり、それはちょうど高校生の年齢と重なる。その年頃にある僕が言うのもなんだが、もう子供ではなく、かと言って大人にもなり切れない難しい年齢だ。別の言い方をすれば異性との向き合い方に大きな変化が生じ、一定数の者が性的な初体験を迎える年齢でもある。

 そんな微妙な年齢にある者が、性にまつわることについて親にとやかく言われるのを嫌うということは、TS病罹患者であるとないとを問わず変わらない。ましてついこの間まで同性だった男に強く惹かれはじめたタイミングでそれをいやらしいだの何だのと親に咎め立てされれば、たぶん僕だって死にたくなる。

 性別が女になるのはもう仕方がない。けれども女になった僕の身体と心は他の誰のものでもない、僕だけのものだ。

 両親からも、他の誰からも離れて、僕は自分の新しい性と向き合いたい。多感な年頃に過酷な疾病にみまわれた一人の人間として、せめてそれくらいは許して欲しいと思う。

 それだけに、女子として気兼ねなく過ごせるあのマンションは、僕にとって何にも代え難い貴重な場所と言えるのだ。

 ……ただ、栗谷の厚意に甘えてあのマンションに依存し過ぎるのは、おそらく賢明ではない。帰宅部の僕があまりにも寮の部屋に寄りつかなければ、ルームメイトの紺野に変に怪しまれるからだ。

 自由にシャワーを浴びられるようになっただけで充分に天国なのだ。その天国を追放されないためには、欲張り過ぎないことが重要であるように思う。

 ちょっとコンビニに立ち寄るくらいの時間でさっとシャワーを浴びて帰ってくる――そのくらいの熱量で付き合ってゆくのがちょうどいいのだろう。

 いずれにしても栗谷には感謝してもしきれない。栗谷はそんなもの求めていないのかも知れないが、恩には恩で返さなければならない。とりあえず差し障りのない範囲で、実は栗谷はいいやつだという噂をそれとなく流すことからはじめてみようと思う。
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