【R18】あるTS病罹患者の手記

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6月6日(火)雨 『自慰』

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 時計は午前2時をまわろうとしているが眠れない。

 例によって紺野の寝息が聞こえ始めてからベッドを抜け出し、この日記を書いている。

 今日もまた紺野とのからみでややこしい事件が起きてしまった。……と言うより、いよいよ来るところまで来てしまったと言うべきかも知れない。

 事件のはじまりは、消灯後に紺野がオナニーをはじめたことだった。真っ暗になった部屋で、男なら誰もが身に覚えのある乾いた摩擦音と、くぐもった荒い息づかいが聞こえはじめたのだ。

 それだけならまだいい。……いや、僕が同じ部屋にいるというのにオナニーする時点で常軌を逸しているのだが、ただ単に紺野が自慰行為に耽っていただけなら僕は聞かなかったことにしてスルーしていただろう。

 問題は、紺野が僕の名前を呼びながらオナニーしていたことだ。

 もちろん、押し殺したような小さな声だ。けれどもかすかな衣擦れの音に紛れて、紺野がうわ言のように何度も僕の名前を呼んでいるのを、暗闇の中にはっきりと聞いたのだ。

 同じ部屋で寝起きするルームメイトが自分の名前を呼びながら自慰行為に耽っている。言うまでもなくそれは大事件だ。

 だが、今夜この部屋で起きた事件の本質はそこではない。問題はそうした紺野の行為ではなく、その行為を受けて僕がとった行動にある。

 自慰行為のさなかに僕の名前を呼ぶ紺野に気づいたとき、さすがに最初は驚きのようなものがあったが、その驚きからくる心臓の鼓動は、すぐさま僕の中に別の感情を引き起こした。

 おそらく想像の中で僕と淫らな行為を繰り広げているだろう紺野が切ない声で僕の名前を呼ぶのを聞きながら、僕はそれに嫌な気持ちを感じないばかりか、甘ったるこい粘性質のもやもやした情動に襲われたのだ。

 その結果、僕は同じ空間の中に紺野がいるこの部屋で、しかも明らかに僕とのセックスを想像しながらオナニーしている彼の隣で、すでに湿り気を帯びはじめていた下着の中に指を伸ばしてしまったのである。

 そうして僕は紺野とシンクロするように、この部屋で紺野に犯される自分を想像しながらオナニーに耽った。

 ただ、前後を省みずそんな愚かな行為にのめり込みながらも、僕の中に残った最後の理性が、その行為を紺野に気づかせることを拒んだ。

 僕は声も、さらには息さえも殺し、身じろぎひとつしないように細心の注意を払いながら、小さな指先の動きだけでクリトリスに刺激を与えたのだ。

 だから僕があたかも紺野の劣情を受け容れるように同じ部屋の中でオナニーしていたことは、最後まで紺野には気取られずに済んだと断言できる。

 そう……はっきりそう断言していい。なぜならもし紺野がそのことに気づいていたら、紺野は確実に僕のベッドに潜り込んできていたからだ。

 その場合、僕はおそらく紺野を拒めなかった。

 想像の中の淫らな行為はその時点で現実のものとなり、僕は紺野によって性的な初体験を迎えていたことだろう。そしてかなり高い確率で、今も紺野を相手に切ない声をあげながら裸で絡み合っていたのだと思う。

 今にして思えば、そうなっていたとしても何もおかしくなかった。逆にそうならなかったのは、紙一重の結果に過ぎない。

 ……いずれにせよ、色々な意味でこの生活にも限界がきているようだ。いつ紺野に襲われてもおかしくない、そういったある種の瀬戸際に僕が立っているのは間違いない。

 僕一人でどうにかできる問題ではない。誰か信頼できる大人に頼るべきなのかも知れない。そして今、僕が信頼できる大人は栗谷だけだ。

 大きな迷惑をかけてしまうと思って踏み出せなかった。だが、その迷惑を承知で栗谷に頼るべき時期が来ているのかも知れない。
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