盗みから始まる異類婚姻譚

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26. 闇オークション

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「リュカ、出かけるぞ」

 ある朝突然、蘇芳がそう言い放った。常の如く暇を持て余し、卓上の竜の置物をじっと眺めていたリュカは緩慢な動きで、赤鬼に顔を向けた。怪訝そうに薄目を開け、眉間には皺が寄っている。
 てっきり顔を輝かせて喜ぶのを想像していた蘇芳は、少年の反応に片眉を跳ね上げた。

「何だよ。嬉しくねえのか」
「場所による。沙楼羅さんのとこに行くなら嬉しいけど、一族の会合なら行きたくない」
「沙楼羅のとこでも会合でもねえよ」
「じゃあ、どこ?」

 リュカが目をぱちりと開く。平静を装ってはいるが、好奇心が全身からにじみ出ている。

「闇オークションだ」
「闇おーく……、何だそれ」
「この世の珍品名品、物から生き物までありとあらゆるものが集まる競りだ。そこなら銀の瞳を持つ種族のことも何か分かるかもしれねえ」
「本当か?なら行く。面白そうだし」

 少年は竜の置物を所定の位置である、戸棚の上に戻すと、赤鬼の元へ駆け寄った。セキシに見送られ、蘇芳に続いて馬車に乗る。光が点在する闇の中を駆け抜け、馬車はとある空間に出た。

「俺、自分で歩ける。ほら、ちゃんと二本の足ついてるだろ!」

 馬車から出ようとした途端に、蘇芳に抱き上げられそうになり、少年は抵抗した。最近、やたらと腕に抱きたがる気がしていたのだ。まるで赤ん坊のような扱いに、気分を害してしまう。
 不満を露に赤鬼を見上げるが、彼は呆れたような表情で溜息を吐いた。

「あのなあ、闇競りって言うからには客もやべえ奴ばっかなんだよ。お前、見た目はどこからどう見ても人間だ。掻っ攫われて、より酷い扱いの奴隷に戻りたいか」
「ぐ…っ」
「攫われて、俺の嫁ってことで人体実験されるかもな。なんせ鬼の契角をつけた人間なんざそうそういやしねえ。生きたまま頭の中開かれて、内臓を引きずり出され……用済みになれば、そこらの犬の餌だ」

 抑揚のない声に、リュカの喉は引き攣った。契角の輪郭を辿るように指を這わされて、身震いしてしまう。

「て、手ぇ繋ぐ!要は、蘇芳から離れなきゃいいってことだろ?」
「…まあ、そうだな」

 少年は渋々といった様子で頷く赤鬼の手を握った。蘇芳はまだ不満を露にしていたが諦めたのか、再び溜息を吐いて石畳を歩き始めた。周囲を見れば、二人と同様に異形達がわんさかと自分たちの車から降りている。確かに蘇芳の言葉通り、テル・メルの客とは違う雰囲気を持つ異形ばかりだ。おどろおどろしささえ感じる。
 皆が目指すのは、ひと際目を引く巨大な円形の建造物だった。あの中でオークションなる競りが行われるのだろうか。何だか少し怖いが、好奇心で胸が躍る。
 不意に、赤鬼と繋いだ方ではない手を思い切り引っ張られた。体がつんのめりそうになるのを、足裏に力を入れてどうにか踏ん張る。己の手首をしっかりと掴む人物を目にして、リュカは目を見開いた。

「あ、やっぱり!まさかこんな所で会うなんて」

 黒く大きな瞳に、真白い肌。紅を引いたかのように真っ赤な唇に、首元には柔らかそうな真白い綿毛のような襟巻。背中に生えた大きな蝶の羽。
 蝶の異形のステラだった。
 弾んだ声を出して思わぬ再会を喜ぶステラは、驚きに言葉も出ないリュカなどお構いなしに、少年を抱きしめた。密着する体から鼻をつくような甘い香りが漂ってくる。

「…てっきり野垂れ死んだと思ってたのに、まだ生きてるなんて。害虫並みにしぶといね」
「…ぃっ」

 頬がくっつく程に顔を寄せてきたステラは、ひっそりと耳打ちした。首元に絡みつく腕に力が込められ、むき出しの肌に強く爪を立てられた。リュカは痛みのあまり漏れそうになる悲鳴を飲み込んだ。ステラの声は侮蔑に満ちていたが、抱擁を解いた時には何事もなかったかのように笑みを浮かべていた。

「相変わらず元気そうで良かった!あっ、突然お引き止めしてしまって申し訳ございません!旧友に会えたのが嬉しくて、つい…」

 ステラは蘇芳に視線を移すと、頭を下げて謝罪した。頬を紅潮させ、大きな瞳で上目遣いに彼を見る。蝶の少年の背後から、燕尾服に身を包んだ、ふくよかな体の男が現れた。頭にかぶっていた帽子を胸に当て、ステラに倣って軽く会釈をする。太っているせいか、顔が妙に肌艶が良い。彼がステラの身請け人のようだ。

「やあ、うちのステラが無礼を働いて済まない。幼き子のしたこと、どうか許してやってはくれまいか」
「…別に、気にしてねえ」
「それは良かった」

 男は蘇芳のぶっきらぼうな返事に気分を害することもなく、人好きのしそうな笑みを浮かべた。きちんと整えられた、鼻の下の立派な髭が、男が話す度に動いている。
 ふと男の目がリュカを捉えた。灰色の瞳にじっと見つめられる。足先から頭のてっぺんまで、まるで舐め回すかのようなねっとりとした視線に、生理的な嫌悪感を抱いた。嫌らしい顔をして今にも舌なめずりしそうな男に、底知れない気持ち悪さを感じる。

「まだ、何か用か」

 蘇芳にぐっと引き寄せられ、リュカはようやく呼吸ができた。背中に感じる体温が心強く思える。繋いだ手をぎゅっと握れば、それに応えるように力強く握り返される。男の注意が、明らかに不快感を示す赤鬼へと移った。

「ああ、これは失礼。可愛いステラの友人はどのような子なのか興味があってね。いやあ、失礼」
「そうかよ。じゃあな」

 男はまだ会話を続けたそうな雰囲気を滲ませていたが、蘇芳はばっさりと切り捨てた。リュカを腕に抱き上げ、その場を後にする。先程までは抵抗を示していた少年だが、もはやそんな気も起らなかった。またね、と手を振るステラの顔は邪悪そのもので、リュカは思わず赤鬼の首にぎゅっと抱きついていた。
 蘇芳やセキシ、沙楼羅に九鬼丸。誰一人、リュカのことを蔑んだりはしない。種族など関係なしに、優しくしてくれる。蘇芳だけは例外で意地悪だが、基本的には優しいのだろうと思う。
 そんな生活に慣れてしまって、悪意を向けられるのがどんなものかすっかり忘れていた。思わぬ再会のせいもあり、少年の心は激しく乱されていた。

「ややっ、これはこれは蘇芳様。ようこそお越しくださいました」

 建物の中に入ると、揉み手をするゴブリンに迎えられた。緑色の肌に異様に長い耳、顔のほとんどを大きな目が占め、顔はあばただらけで禿げた頭には数本の髪の毛しかない。骨と筋だけの体にはボロのような布切れを纏っている。

「蘇芳様のご活躍、こちらまで届いておりますぞ。先の戦争でも、武勲をおたてになったとか。さらに目出度いことに、伴侶も娶られたとか。ややっ、そちらがお噂の奥様ですかな?」
「相変わらず耳が早いな」
「ええ、ええ、勿論ですとも!大事なお客様のことですから、どんなに些細な出来事も逃しません。想像に違わず、何とも愛らしい御方ですなあ!」

 ゴブリンの大きく裂けた口の両端がニタリと吊り上がる。隙間から細かい鋭利な歯がびっしりと生えているのが見えた。

「奥様は、我がオークションに参加されるのは初めてですかな?本日も世界各地から様々な物を取り寄せております。きっと、お気に召していただけるでしょう!」
「今日の出品の中に、銀の目を持つ奴はいるか」
「さあてどうでしょう。興を削いではいけませんので、本日の出品内容に関しては一切お答えできません。悪しからず。…はてさて、蘇芳様は銀の目を持つ生物をお探しで?」
「ああ。こいつに、何でもお願いを聞いてやる代わりに、世にも珍しいものを寄こせと言われてな」
「ははあ、愛おしい奥様のおねだりともあれば、無下にはできませぬなあ。仲睦まじいようで、微笑ましいことです」
「生物そのものでなくとも、銀の目を持つ種族に関する情報なら何でもいい。何か分かれば、優先的に教えてくれ」
「本来であれば、特定のお客様への特別扱いは禁止されているのですが…」
「まあそう堅いこと言うなよ。俺とお前の仲だろ、なあ。こいつの喜ぶ顔が見てえんだよ。礼は弾む。戦争でくすねた宝を横流ししてやってもいい」

 よくもまあすらすらと口から出まかせが出てくるものだとリュカは感心した。全くつっかえることなく、流れるように出てきている。
 ゴブリンは顎に手を当て、しばらく考え込んでいたが、やがて頷いた。

「わかりました。何か分かった暁には、すぐにご連絡差し上げましょう」
「頼む」
「他でもない蘇芳様のためとあらば、どうってことございません。ささっ、お好きなお席にどうぞ。オークションは間もなく始まりますゆえ」

 ゴブリンは自分の背後のカーテンを開いた。蘇芳は緑色のモンスターの横を通り、暗闇の広がる中へと入っていく。

「…あのゴブリン、すげえおしゃべり」
「まあな。ただお喋りなだけで害はねえ。あらゆる情報を収集してるからな、少なくとも話を聞くだけなら一緒にいて退屈はしねえぞ」

 ゴブリンは、今後ともご贔屓に~、と手を振って二人を見送っている。リュカの呟きを耳にして、蘇芳はくつくつと喉を鳴らして笑った。カーテンをくぐった先は、円形ホールのようになっていた。中央には丸い大きな舞台があり、その舞台を囲むように客席のようなものが設けられている。どこの席からでも舞台がよく見えるよう、中央から外側に向けて高くなっていた。巨大なホールだが、客席はほとんど埋まっていた。
 蘇芳はその中から手近な空席に腰かけた。必然的に、リュカは赤鬼の膝の上に下ろされる。ステラのせいで心を乱していた少年だったが、おしゃべりなゴブリンの登場でだいぶ和らいでいた。落ち着いた途端、まるで子供のように赤鬼の膝の上に座っていることが急に恥ずかしくなってしまう。幸いにも蘇芳の隣の席は空いている。

「よう、隣、いいか?」

 蘇芳に下ろすよう頼もうとした瞬間、誰かに声をかけられた。
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