運命の番を殺した英雄

XCX

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14. 医学的にも説明がつかない

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「運命の番の影響でしょうね」

 髪が薄くなりつつある医者の眼鏡に光が反射する。それに気を取られて、発言の内容が頭に入ってこなかった。いや、集中していても理解できたかどうかは分からない。
 もう一度聞き返す。

「シグルドさんが過度な飲酒習慣が急激に改善したのは、運命の番による影響と断定して間違いないかと」

 もう一度聞いても医者の説明は変わらなかった。ユテと顔を見合わせる。彼もまた驚いたらしく、目を大きく見開いていた。
 俺達は診療所にいた。残り少ない抑制剤の処方を受けに行くというユテに同行するついでに、自身の体の変化について診察してもらっての発言だった。

「先生すまねえ。よく分からん」
「酒に溺れるのは精神的な要因が主です。不安や悲しみ、苦しみや怒りが酒を飲むことで緩和、もしくは忘却できるからです。シグルドさんの場合、番であるユテさんの存在によって精神が安定したために、お酒が必要なくなったのでしょう。とは言え、今のところ断酒に成功しているのはここ数日とのことですから、油断せずに継続なさってください」

 医者はそう言ってにこりと笑った。隣に座るユテが決意を新たにするかのようにぴっと背筋を正すのを、視界の端に捉える。
 俺はと言うと、思考がまだ混乱のさなかにいた。

「いちゃもんをつける訳じゃねえんだけどよ……医者の説明としては根拠が乏しく雑に聞こえてしょうがねえんだが…?それに、俺はまだユテのうなじを噛んでねえ。正式な番にはなってねえんだ」

 無意識に眉間に力が入る。温厚そうな医者を睨みつけそうになり、額に手を当て目元を覆う。
 俺の混乱っぷりがよほどだったのか、医者は気分を害することなく笑みさえこぼした。

「シグルドさんが戸惑いになられる気持ちも当然ですね。往々にして、運命の番同士ではおよそ現実とは思えないようなことが起こるのですよ。うなじを噛んでいようがいまいが、我々医学界の常識でも測れない、それこそ奇跡としか言いようのないことが。なんでも、傍にいるだけで互いの心身に様々な好影響を及ぼすのだとか。およそ医者にあるまじき発言で申し訳ないのですが……。私が旧知の医師から聞いたのは、原因不明の病で余命わずかだったアルファが運命の番と一緒になり家庭をもうけたことで寿命まで生きた症例があると。」
「マジかよ……」

 医者の口から飛び出す突拍子のない話に、俺は愕然としていた。
 だってそうだろう?朝、食事の席で確かにユテの愛情のおかげかもなと言いはしたが、冗談のつもりだった。まさかその冗談が事実で、かつ医者から肯定されることになると誰が予想できる?

「えっ、すごい…!じゃあ、シグとは歳が離れてるけど、もしかしたら僕の寿命までシグも生きる可能性もあるかも……!?」

 ……いや、それはねえだろ。ユテが八十まで生きたら俺は百だぞ。
 期待に輝く大きな瞳をユテが向けてくるが、反応に困ってしまい無表情になる。ふざけて言っているのではなく、真剣に純粋に喜ぶのが伝わって来るから尚更。否定の言葉を吐いたところで悲しむのは目に見えている。あまり野暮なことは言いたくなかった。

「ははは、医師としては肯定も否定もできませんが、シグルドさんの不摂生が改善されているのは事実ですからね。クマがなくなり顔色が良くなったのも、髪のツヤや肌のキメが戻ったのも。診察する限り、極めて健康な状態ですよ。ユテさんの存在だけではなく、栄養バランスの取れた食事と十分な睡眠、適度な運動の効果もあってのことでしょうから、どうぞ継続してください」
「任せてください!」

 自信満々な顔で胸を拳で叩くユテの姿がおかしくて、思わず笑ってしまう。細い体に宿る頼もしさがたまらなく眩しい。
 俺は世界一の果報者だと思った。運命の番を失ったかと思えば、生まれ変わった姿で会いに来てくれて、俺と番になってくれると言う。何日経っても、幸せ過ぎるせいか夢のように思えて仕方がない。
 だが触れると温かくて、目の前のユテは現実の存在なんだと実感する。

「……先生、一つ教えて欲しいことがある。ユテが運命の番だと分かったのは、ヒートフェロモンを嗅いでからだ。それまでも傍にいたが、運命の番どころかオメガであることすら分からなかったんだ。そんなことあり得るのか?先生のさっきの説明からすると、運命の番ってのは、もっとこう……なんていうか…」

 頭の中に渦巻いていることをうまく言語化できず、手振りが大きくなってしまう。
 あの時、あの戦場でリュキテと対峙するまで運命の番であることに気づけなかったのは、酷い雨のせいだった。……そう思いこんでいた。だが、実際は違うとしたら?
 リュキテを失った悲しみで、どんなオメガのフェロモンにも反応しない勃起不全になったのだと思っていた。本当は俺に元々何らかの欠陥があったからなんじゃねえかとの考えがよぎり始めた。

「ユテが運命だとすぐに気づけなかったのは、俺がアルファとしてポンコツなんじゃねえかって……」
「違うよ、シグっ!そんなこと絶対ないっ…!どうしてそんな悲しいこと言うの……!?」

 ユテの悲痛な声に俺の発言は遮られた。今にも泣きそうな顔を浮かべるユテの頭を優しく撫でる。
 失敗した、と思った。ユテを部屋の外で待たせるべきだった。だけど疑問を持たずに、聞かずにはいられなかった。
 医者の話によると、運命の番同士には不思議な力が働く。それを聞いて、リュキテがユテに生まれ変わったことにも納得がいった。自分の常識を超える出来事で、未だに信じられない気持ちだけどな。だけど信じざるを得ない。現に今、俺の体にも起こっているし。
 だけど、尚更考えちまう。不思議なことが起こる程に互いを引き寄せ合うなら、ユテを初めて目にした時、なんで俺は気づけなかった?オメガとさえ気づけなかった?気づいてしかるべきだろ?

「運命の番に関してはまだまだ未知なことが多いのですが、私でも答えられそうな質問で安心しました。シグルドさんがユテさんを運命の番とすぐに気づけなかったのは、複合的な要因によるものでしょう。第一に、長年に渡る過度の飲酒で嗅覚が鈍くなっていたこと。第二に、ユテさんが強めにフェロモンを抑える薬を服用していたこと。第三に、オメガが本格的に匂いを放出し始めるのは成年を迎えてからであること。さらに正確に言えば、成年後に迎える初めてのヒートの後ですね。ユテさん、初めてのヒートを迎えたのは……?」
「この間です。あの日、初めてヒートになった…」

 ユテの言葉は尻すぼみになっていったが、視線は熱っぽく真っ直ぐ俺に向けられていた。
 あの日。俺がユテのフェロモンに抗えずに抱いた日。そして俺達の気持ちが交差した日。
 それを知って内心胸を撫で下ろす。ユテの初めての発情期に居合わせることが出来て良かった。ユテの頬を撫でると、嬉しそうに目が細められる。

「そうでしたか。ではやはり、これら三つの要因が偶然重なってしまったためかと」
「今、発情期でもねえのにユテからいい匂いがするのは……」

 ユテの首元に顔を近づけて匂いを嗅ぐと、小さな肩が上下に震えて竦められる。突然のことで驚いたのか、頬にさっと赤みが差した。

「あ、ヒートの後から抑制剤飲んでないから、だと思う…」
「ええ。例えユテさんが匂いを抑制する薬を飲んだとしても、今のシグルドさんであればユテさんの匂いを嗅ぎ分けられると思いますよ。自分の番にきちんと反応できているのですから、シグルドさんは至って正常ですよ。決してポンコツではありません。医師として断固否定させていただきます」
「先生の言う通りだよ!もう二度と、自分のことそんなふうに思わないで…っ!」

 眉を吊り上げながらも顔を真っ赤にして、今にも名に出しそうに目を潤ませるユテが力強く腕を掴んでくる。怒りと悲しみが混在する表情に、途端に罪悪感がこみあげる。だが、俺にとっては必要な工程だった。……ただ、確かにユテの前で訊く話じゃなかったかもしれない。

「分かった、悪かったよ。疑問も解消できたし、もう言わねえって」

 宥めようと頭を撫でてやる。しばらく唸り声が聞こえたが、やがて小さな頭が上下に振れた。
 訊きたいことは全て訊けたと腰を浮かした瞬間、医者に名前を呼ばれた。

「……シグルドさん、実は私もドーランとの先の戦争に軍医として従軍していたのです」

 医者の告白に、本日何度目かわからない衝撃に見舞われる。

「所属隊も同じで貴方のご活躍がこの目に焼き付いているのはもちろん、軍を退き自暴自棄の生活を送っていたことも聞き及んでいました。私も今でも戦時下のことを夢に見るくらいですから、シグルドさんともなれば、その苦しみはいかほどか私には図り知れません。何か自分にできることはないかと気をもむばかりで、行動には移せませんでしたが……。そんな貴方が運命の番と巡り会い、こうしてお元気な姿をお目にかかることができ、とても嬉しく思います。医師としても、同じ隊に所属した軍人としても」

 温かな眼差しと言葉が、じんと胸に響く。以前の俺であれば、俺をシグルドともてはやしたり称えるような言動を見聞きすれば、俺を英雄するなと吠えて全方位に対して牙をむいて反抗していた。ザヤたちの心配すらもうっとうしいと思っていた。罵倒や誹りしか受け入れられなかったのだ。
 だが今は、医者の心配りをすっと受け入れることができた。苛立ちもわずらわしさも感じない。ただ、彼の労わりをありがたく思った。
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