運命の番を殺した英雄

XCX

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22. マスカレード

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 完全な誤算だった。
 ようやく光明が見えてきたかと思ったのに、あっという間に分厚い黒雲に包まれてしまった。
 国王主催の夜会、往生の執事とリースロークの前で拒否できるはずもなく、仮面を着けるしかなかった。
 飲み物の入ったグラスを受け取り、大広間に通される。参加者の多さに圧倒されると共に、何よりその照明の暗さに驚かされた。天井から吊り下げられた豪奢なシャンデリアとは対照的に、暖色の柔らかな光が光源が壁や天井を照らしている。
 これだけ暗ければ人混みに紛れてリースロークの目を誤魔化せそうなのに、仮面のせいで見分けがつかず、ザヤ様がどこにいるのか全くわからない。

「ユテ、傍を離れるな」

 腰に巻きつく腕で強引に抱き寄せられる。リースロークに密着する体勢に、衣装の下で肌が粟立つ。嫌悪感で胃がずんと重くなった。

「今宵のような凝った趣向の夜会は久しぶりですな。エルフィード陛下は簡素な催しを好まれるから新鮮だ」

 背の高い老紳士がグラス片手に近づいてきた。リースロークと彼は互いに名乗ると、親交の握手を交わした。

「貴殿がファロー少将か!噂はかねがね。飛ぶ鳥を落とす勢いと評判の貴殿とここで知り合えるとはなんたる僥倖!この巡り合わせを機に、今後とも懇意にさせていただきたいものだ。……ところで貴殿はまだ独り身と聞いたが、どうかね?私にはどこに出しても恥ずかしくないオメガの孫娘がいるのだが…」
「ああ、紹介が遅れました。婚約者のユテです。ジゼア・クライゼル卿のご令孫の。近く籍を入れる予定です」
「…お初に、お目にかかります…」

 出来ることなら影のように気配を消していたかった。失礼とは思いつつも、微笑んで会釈だけで済ませたかった。予想外の事態の連続で心が落ち着かなくて、思考にモヤがかかっていたからだ。
 だけどリースロークに背中をつねられ、痛みで現実に引き戻される。
 おじい様の名前が出た瞬間、人懐っこそうな笑みを浮かべていた老紳士の表情がわずかに強張ったように見えた。

「ああ、ジゼア卿の…!いやはや目出度い!是非とも式に参列させてくれたまえ。若い二人の門出を祝福したい」
「願ってもない申し出です。是非」

 老紳士の言葉にリースロークはにこやかな表情を浮かべて爽やかに応えた。

「見たかい?クライゼルの家名を出した途端に怯んだ顔を。下級貴族の娘が、将来は国軍大将と目される俺に見合うと思ってるなんて烏滸がましいと思わないか?」

 老紳士を笑顔で見送るリースロークの口から次々と飛び出すのは、聞くに耐えない嘲りの言葉の数々だった。入れ替わり立ち代わりで挨拶にやって来る人々の前では、柔らかな物腰の感じの良い人物を演じては、二人きりになった瞬間に彼らを小馬鹿にして笑う。否応なしに絶えず毒を聞かされて、耳が腐っていきそうだった。

「俺の参加を聞きつけて、誰もが自分の存在を知ってもらおうと群がって来る。芳しい花にたかる虫のようにね。この場に集まる誰からも一目置かれる俺と婚姻を結ぶんだ。アンタだって良い思いが出来る。一生何の不自由もなく暮らすことができるんだ。その幸運を少しは有り難がったらどうだい?」

 リースロークの言い草に虫唾が走る思いだった。

「……人酔いしてしまったみたいです。気分が悪いので、窓際に行かせてください」
「それを聞いて僕が許すと思っているのかい?僕から離れる口実かもしれないのに信じると?」

 リースロークがぐっと顔を近づけてくる。囁き声は低くて氷のように冷たい。仮面の隙間から覗く、見開かれた瞳は怒りに燃えて瞳孔が開いていた。
 そう簡単に承諾してくれないことは分かっていた。だけど嘘じゃない。胃の不快感がどんどん強くなって、吐き気が止まらない。

「嘘じゃない。本当です…。あなたのことは嫌いだけど、この社交場で僕の吐瀉物まみれにして恥をかかせたいと願うほど落ちぶれていません」

 男の目を真っ直ぐに見つめ返す。
 互いの腹の中を探るような睨み合いが数十秒続いたかと思うと、彼がふと目を細めた。

「…妙な気を起こそうなどと考えない方が身のためだよ。貞操帯の鍵を俺が握っているのは見せただろう?常に見ているからな」

 行け、と顎で合図され、僕はゆっくりとリースロークから離れた。背中に彼の強烈な視線を感じていたけど、物理的な距離が取れてようやく息を吐くことができた。
 窓際に行き、壁に体を預ける。少しだけ開いた窓の隙間から差し込む、ひんやりとした夜風が気持ちいい。
 目だけを動かしてザヤ様の姿を探す。リースロークの監視下で怪しまれずに人探しをするのは困難を極めた。仮面と照明という悪条件も相まって。
 記憶を頼りに背格好の似た人物に目を止めるも、着飾った姿だと判別が難しく確信が得られない。誰かがザヤ様のことを話題にしていないかと耳をそばだてるも、成果は得られなかった。
 間違えられない。機会は一度だけ、失敗は許されない。そう考えれば考えるほど、二の足を踏んでしまう。
 ザヤ様はもしかすると今夜の夜会には参加していないのかもしれない。
 焦燥に見舞われて、先程のリースロークの言葉がふと頭をよぎる。
 自分が恵まれてるのは嫌と言うほど分かってる。リュキテの時とまるきり違って、衣食住に困ることはなかった。
 でも僕の幸せはそこにはない。僕の望みはただ一つ。十八年間ずっと変わらない。
 運命の番であるシグルドにうなじを噛んでもらって、死ぬまでずっと一緒にいること。
 今まではシグルドの情報をたくさん集めても、運命の番と一緒にいること、愛し愛されることがどんなものなのか、妄想の域を超えることはなかった。
 だけど実際に会って、瞳を見つめて、言葉を交わして、その熱に触れて……。
 シグルドと一緒に暮らしたのは短い期間だったけど、今まで生きてきた中でこの上ない幸福の時だった。シグルドの深い愛情に身も心も満たされて、夢のようなひととき。
 英雄と讃えられているけど、その肩書きと現実の自分のギャップに苦しむ彼は、自分たちとそう変わらない一人の人間だった。
 彼が見せてくれた弱さや涙さえも愛おしい。幻滅なんて少しもしなかった。優しいがゆえ罪の意識を一生背負っていくであろうシグルドを隣で支え守りたい。
 知ってしまったからには、もう戻れない。最愛の人を愛し愛される喜びを身をもって知った今、他の誰にも満たせない。

「…シグじゃなきゃ、嫌だ…っ!」

 両手でグラスをぎゅうと握りしめる。僕の呟きは、客たちの喧騒に紛れて消えてしまう。
 …窓から逃げ出したとしても、すぐに衛兵に捕まるだろうな。そう理解していても、考えずにはいられない。
 だって夜会を終えて屋敷に戻ったが最後、僕はリースロークの番にされてしまう。もう檻から出られることは二度と叶わなくなる。
 袋の鼠同然に、自分がどんどん追い詰められていくのが分かる。恐怖に硬直している間に逃げ道がなくなっていく。怖い。怖くてたまらない。
 決めないと。王城を離れて屋敷に戻るまでの間に。
 その時、ある匂いが鼻をくすぐった。
 微かだけど、嗅いだことのある匂い。
 嘘……、嘘だ。そんな、あり得ない。こんなところで。とうとう頭がおかしくなってしまったんだ。だって、だって……っ!
 頭はそう否定しているのに、僕の本能が反応する。
 間違いない。間違えようがない。
 ずっと……ずっと焦がれていた香り。世界一大好きな、良い匂い。
 それがこの会場で漂っていた。
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