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後日談:補佐ジェイドの職場事情
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俺の名前はジェイド。どこにでもいるような普通のベータ。
試用期間を経て、オメガ専用シェルターで責任者のシグルドさんの事務補佐として働いている。
目が半分しか開いてないような顔のせいで、職を転々としてきた。やる気がないと決めつけられ、どんなに頑張って成果をあげても認められない。それどころか、誰しもがやってるような些細なミスを槍玉に上げられて激しく叱責されることもしばしば。眠そうな顔が目につくのか、業務外のくだらない注意も多かった。
どこの職場でも似たような仕打ちを受けて、俺はとうとう頑張るのを辞めた。やるべきことだけやって、必要以上にでしゃばらない。だって頑張ったところで評価されないし、目に付きやすくなって難癖をつけられるだけだし。
だから、今の仕事も正式採用されると思わなかった。
だって、オメガ専用の避難施設ということで、問題を抱えたオメガが日々やって来る。個々の問題に合わせた柔軟な対応が必要とされる繊細な仕事だ。なのに眠そうな顔の俺がいたら、安心感どころか不快感しか与えない。
試用期間で切られると高を括っていた俺は、次の仕事どうしようとぼんやり考えながら、オメガ用の寝室でサボっていた。それを雇い主のシグルドさんにばっちり見られてしまった。その場でのお咎めはなかった(それどころか何も言われなかった)けど、試用期間中の賃金ももらえないかもしれない、と絶望に打ちひしがれて、終わったと思った。
…………のに、正式採用された。
真面目だったり熱血漢だったり、この職に向いてそうな候補者が他にもいたのに、採用されたのは俺だけ。
「お前、サボってたから」
採用が信じられなくて反射的に質問すると、シグルドさんはでっかい執務机越しにそう言った。あまりに予想外すぎる理由が理解の範疇を超えていて、条件反射でアホ面を晒してしまう。
戦争の後遺症で、この人は頭が狂ってしまったんだと思った。割と真面目に。
「真面目くんも熱心くんも、働きとしては申し分なかったんだけどな~。けど、そういう奴ほどオメガたちの身の上に同情して深入りしすぎる。で、結果自分も病んでポッキリいっちまう。あと、色恋沙汰の問題もあってな。熱心に面倒見てもらえると、オメガたちも勘違いしちまうんだよ。痴情のもつれが原因の泥沼騒動にもなりかねねえ。俺、ユテの悲しむ顔見たくねえから、万に一つの可能性も摘んでおきたくてよ~」
えっ、俺だとオメガと恋愛関係に発展しなさそうってこと?これ褒められてるんじゃなくて、侮辱されてない?
「そこで俺はジェイド、お前に一番適性があると見た。常に眠そうで無気力そうで、いかにも今時の若者って感じの」
「え、突然の悪口」
急に指をさされて、つい心の声を口に出してしまった。やば、と思ったが時すでに遅し。採用取り消しを恐れて青ざめる俺の心配とは裏腹に、シグルドさんはケラケラ笑っていた。
「それ。思ったことを即座に口に出すってことは、一人抱え込むタイプじゃねえだろ?サボりについても同じで、力の抜き方を分かってるってことだ。義務を果たさずに怠けるのは許せねえしサボりだが、ジェイドはそうじゃねえしな。やるべきことはちゃんとやったうえでぐうたらすんのは、休憩だ。存分にしろ。あと、お前の無気力っつーか緩い雰囲気も、相手に肩肘張らせねえから警戒心を解きやすい。ここに来るのは皆訳ありだからな、そういうのが意外と大事なんだ」
目から鱗だった。今までそんな風に言われたことがなかったから。どの上司にも欠点だと指摘されてきたし、俺自身もそう思っていた。まさかそんな見方があるなんて、思いもしなかった。
うわ、やばい。なんか胸がジーンとする…。
「あとお前、万年鼻炎で鼻が利きにくいって言ってただろ。それってつまりオメガのヒートフェロモンの影響を受けないってことだ。それは本気でデカい」
鼻炎の治療とかすんなよ、便利なんだから。とゲラゲラ笑う姿はまるで悪魔みたいで、覚えた感動が一瞬にして無に帰した。
こうして俺は補佐として働き始めた。仕事は大変だけど、人の役に立ってる実感が得られてやりがいがある。給料もその大変さに見合って充実してる。これ本当に助かる。同僚も真っ当な人ばかりで、職場環境にも恵まれてる。
上司のシグルドさんは即断実行で俺達部下への指示も的確。ミスったとしても部下に責任を押し付けたりしない。ここらへんはさすが軍の元将軍だっただけある。オメガ専用施設ってことで、よからぬことを考えるはぐれアルファやベータへの対応も自らやる。むしろ嬉々としてやる。いい憂さ晴らしだ、とある時言っていた。怖。元軍人、怖。
英雄シグルドの名は有名ではあるけど、人柄や私生活については情報が少なすぎてどんな人物なのか身構えてた時期もあったけど、いい意味で裏切られた。自分の戦功を鼻にかけることも驕ることもないし、むしろあんまりよく思ってない節すらある。粗暴だし、ぐうたらな時もいい加減な時も多い。なんか全然英雄っぽくない。
でも関係は上々だ。軽口なんかも気軽に言い合えて、兄がいるってこんな感じかなーって思ったりしてる。
俺の失言も笑って受け流してくれて、上司としても頼りがいのあるシグルドさんだけど、奇行については何年経っても慣れることができない。
奇行その一、鍛錬と称した筋トレを執務部屋で四六時中し始めた。床の上に置いた書類を読みながらプランク、俺からの報告を聞きながらスクワット、建物内の移動もダンベルを持って腕を鍛えながら……。
なんでも、番であるユテさんの手料理を食べ過ぎてしまうので、体型を維持するために始めたらしかった。本人は至って深刻そうだったけど、俺にはノロケ混じりの自慢話にしか聞こえなかった。
「ジェイド、晩飯食いに来る──……あ、やっぱ無し。ジェイドが美味そうに食うのを見て喜ぶユテの可愛いとこ見せたくねえ」
「お願いなんで、箪笥の角に足の小指ぶつけて苦しんでもらえないですか。本当に、ガチで」
「おい、地味に痛い呪詛かけんのやめろ。性格悪いぞ」
うるさい、リア充は爆散しろ。
日々筋トレに勤しむ上司だが、一番怖かったのは酒に酔った男が冷やかし目的でシェルターに現れた時だ。いつもなら速攻で叩きのめして追い出すのに、暴漢の手に木剣を握らせて打ち合いを始めた。過去とは言え元英雄からの猛攻に、男がたまらず膝をついて降参しても、力づくで立たせて木剣を叩き込んでいた。
今にも泡を吹いて倒れそうな男とは対照的に、シグルドさんはめちゃくちゃ笑顔だった。心底楽しそうで、それが逆にたまらなく怖くて、見てるこっちまでチビりそうだった。
更には、命からがらとばかりに逃げ出す男に、また明日も来いよと仰天発言をした。暴漢とのやりとりすら鍛錬として利用するシグルドさんの狂気とえげつなさに、俺はしばらく悪夢にうなされる羽目になった。
奇行その二、それは現在進行形で発生中だ。
シグルドさんの髪は背中につくくらいに長くて、これまでは無造作に流しているか、緩く一つに結わえているかのどちらかだった。それが最近、今までにない髪型で出勤している。
最初はお団子、高い位置でのポニーテール……女児みたいなツインテールで姿を現した時はさすがに腹を抱えて爆笑してしまった。半殺しにされた。俺、もやしなんだから手加減してほしい。
連日の可愛い髪型は、子息のアルトくんによるものらしい。
「アルトくん、器用っすね…、まだ五歳でしたよね?」
「ああ、何でか今髪いじりに夢中みたいでな。俺とイーシャの髪整えるって毎朝聞かねえんだよ。イーシャはともかくユテにはせずに、何で俺もなのかは全然分かんねえんだけど」
イーシャちゃんは息女。アルトくんと双子の。
シグルドさんは書類の束に目を通しながら、やれやれと言わんばかりに溜息を吐いているが、口元は緩んで口角が上がっている。内心可愛くて仕方ないって思ってるのが丸わかりだ。
「今日のはまた一段と手が込んでるっすね。三つ編みに花が編み込まれてて」
「……前は夕方には花が萎れて捨てたら拗ねちまって、ご機嫌取るのに苦労したから、今回は夜まで持たせねえと」
そう言う上司は目を細めて虚空を見つめていた。救国の元英雄ともあろう人物も、番と子供たちには頭が上がらないらしい。
噂をすれば影とはよく言ったもので、職員がやってきて、シグルドさんの家族の来訪を告げた。部屋を出ると、前方から小さな塊がすごい勢いで突進してくるのが見える。
先頭を走るのはイーシャちゃん、その後ろにアルトくん、最後尾を歩くのはユテさんだ。
「ととさまーっ!」
「おー。よく来たなお前ら~」
膝をついて腕を広げるシグルドさんの懐にイーシャちゃんが飛び込む。ドゴォッ、と幼児とは思えない重い衝撃音がして思わず身震いしてしまう。もはや人間弾頭。デレデレの笑顔を浮かべたまま難なく受け止めるシグルドさんも怖い。
対して自分と同じくらいの大きさのクマのぬいぐるみを腕に抱いたアルトくんは直前で立ち止まり、じっと己の父親を見つめた。……目尻の垂れた大きな目が三つ編みに向けられているのは俺の勘違いではないはず。
男児による審判の間、痛いほどの沈黙。誰も一言も発せず、ぴくりとも動けない。永遠とも思える時間の後、アルトくんの表情が一気に綻んだ。満面の笑みで父親に抱きついていることから、どうやら合格らしかった。
全員がほっと安堵の息を吐く中、ユテさんと挨拶を交わすと布で覆われたバスケットが差し出された。
「アップルパイを焼いたんです。まだ温かいので、是非皆さんで」
「まじっすか!ありがたくいただきます。うわ、うまそー」
黄金色に輝く甘い香りの菓子に気分は一気に最高潮。オメガ専用シェルターは二人が共同で運営していることもあり、ユテさんが時折こうして差し入れをくださる。
それがまた絶品で、福利厚生として申し分ない。シグルドさんが食べ過ぎて太るのを心配するのも無理はない。俺もご相伴に預かりたいから、正直めちゃくちゃ晩飯に誘ってほしい。
強烈な視線を感じて顔を上げると、上司が今にも射殺しそうなくらいに鋭い目で俺とバスケットを交互に見ていた。
条件反射でパイを背後に隠す。これは俺ら職員に、ってもらったものなんで。
「シグの分は帰ったら焼いてあげる。出来立てを食べてほしいから」
わー、甘い雰囲気ごちそうさまでーす。
勝ち誇ったような満足そうな表情の上司に目を細めて見せる。
「イーシャもたべる~」
「ぼくも…」
「二人はさっき食べたのに、まだ食べるの?」
「うん!あつあつのをパパとアルトといっしょにたべて、しあわせ~ってなったから、こんどはととさまといっしょにしあわせ~ってしたいのよ!ね、アルト」
「うん」
シグルドさんに片腕ずつ抱き上げられたイーシャちゃんが激しい身振り手振りで訴えかける。足もパタパタ動かして、今にも落っこちそうでハラハラする。
「そりゃあ嬉しいが、好き嫌いせずにちゃんと晩飯食ってからだぞ。じゃなきゃ俺が全部食べて幸せ~ってしちまうからな」
「だめっ。いっしょにしあわせ~ってするのよ」
「のこさずぜんぶたべるもんっ」
「おーそれは楽しみだ」
頬を膨らませてぷりぷりする子供たちの足が、興奮のあまりパタパタと動いている。シグルドさんの脇腹に容赦なく何度も突き刺さっているけど、当の本人は一切ダメージを負ってない様子で笑っている。…すげえ痛そうなのに。
「ジェイドさん、施設のことでシグに相談したいことがあるんです。少しの間、子供たちを見ててもらえませんか?」
「全然いいっすよ~ごゆっくり。お子さんたちと遊ぶっていう至急かつ最優先の仕事ができたんで、今日期限の報告書、明日でいいっすよね?」
父親の腕から下りた幼児二人は、俺の名前を連呼しながら俺を中心にしてぐるぐる走り回ってる。
俺の邪な意図に気づいたシグルドさんは、呆れ交じりの苦笑を浮かべた。ちゃっかりしてやがる、と心の声が聞こえてくるようだったけど、最終的に承諾してくれた。
してやったり。まだ着手してなかったから助かった~。
「シグ…僕、シグが帰って来るのを待った方が良かったかな?」
「いや、いい。気にすんな。来てくれて嬉しいぜ」
ユテさんを抱き寄せるシグルドさんの姿を、スキップする子供達に手を引かれながら、閉じていく扉の隙間から見た。
シグルドさんの顔がいつになく優しく、穏やかだ。番に向ける眼差しは柔らかくて、愛おしいと思っているのが雄弁に伝わって来た。
「イーシャちゃんの髪、すごく素敵っすね~」
アップルパイを食した後、休憩所に移動して子供達の相手をする。パイを食べてる間ずっと、羨ましそうな視線が突き刺さっていた。
もう食べたし、夜にもまた食べるんだよね…?俺にもおすそわけください…。
「そうでしょ!アルトがやってくれたのよ~」
ユテさんと同じ髪色のイーシャちゃんの長い髪は、シグルドさんと同様に生花つきの三つ編みだ。俺に褒められたイーシャちゃんは誇らしげに胸を張ってから、双子の兄をぎゅーっと抱きしめた。アルトくんは照れくさそうだけど、どこか得意げだ。
「アルトくんはユテさんの髪には何もしないのかな?シグルドさんより可愛い髪型似合うよ、きっと」
ユテさんの髪型は一家の中で一番と言ってもいいくらいに短い。顔立ちが整っているからそれでも似合っているけど、髪を伸ばしても可憐だと思う。
純粋な気持ちでの質問だったんだけど、突然目の前に小さな手のひらを突き出された。目を閉じたアルトくんがふるふると頭を左右に振っている。急に凛々しい表情になって、分かってないとでも言いたげだ。
「パパはもうかわいいから、よけいなことしないの。ととさまとイーシャは強くてかっこいいから、かわいさもあったらさいきょうになる!だからかわいいあたまにしなきゃいけないの!」
いつも控えめでおとなしいアルトくんが、珍しく興奮した様子で力説する。彼の情熱によって、ぶんぶん振り回されたり、顔が潰れる程にきつく抱きしめられる相棒のテディベア。
黒いボタンでできた目が俺に助けを訴えてるように見えた。
「うーん、まあ確かに最強かもしれない…」
イーシャちゃんは文句なしにそうだけど、シグルドさんは違う方向の最強だと思う。面白おかしい、って意味の。だって髭面ツインテールなんて、他じゃ見られないし。
「でしょ!ととさまはさいきょう!」
「イーシャもさいきょう!」
アルトくんがキラキラおめめをぱっちりと見開く。曇りのない純粋な視線に、彼の父親を面白がってることに罪悪感が湧いて胸が痛んだ。
その後興奮状態に陥った双子にあまりの元気さに振り回され、シグルドさんたちの姿が見えた時には、天の助けだと思った。
「じゃあジェイド、俺はもう上がるから後はよろしくな」
「ジェイド、さよなら~」
軽く会釈をするユテさんの隣で、シグルドさんの腕に抱き上げられた双子たちがニコニコ笑顔で手を振ってくれる。…ま、満足させられたようで良かった…。
同じく手を振り返しながら、雇い主一家を見送る。激しい疲労を感じながらも、馬車に乗り込む一家の幸せそうな姿に、自然とこっちまで笑みが浮かんでくる。
俺もいつかはシグルドさんみたいな家庭を築きたいな、と心から思うのだった。
試用期間を経て、オメガ専用シェルターで責任者のシグルドさんの事務補佐として働いている。
目が半分しか開いてないような顔のせいで、職を転々としてきた。やる気がないと決めつけられ、どんなに頑張って成果をあげても認められない。それどころか、誰しもがやってるような些細なミスを槍玉に上げられて激しく叱責されることもしばしば。眠そうな顔が目につくのか、業務外のくだらない注意も多かった。
どこの職場でも似たような仕打ちを受けて、俺はとうとう頑張るのを辞めた。やるべきことだけやって、必要以上にでしゃばらない。だって頑張ったところで評価されないし、目に付きやすくなって難癖をつけられるだけだし。
だから、今の仕事も正式採用されると思わなかった。
だって、オメガ専用の避難施設ということで、問題を抱えたオメガが日々やって来る。個々の問題に合わせた柔軟な対応が必要とされる繊細な仕事だ。なのに眠そうな顔の俺がいたら、安心感どころか不快感しか与えない。
試用期間で切られると高を括っていた俺は、次の仕事どうしようとぼんやり考えながら、オメガ用の寝室でサボっていた。それを雇い主のシグルドさんにばっちり見られてしまった。その場でのお咎めはなかった(それどころか何も言われなかった)けど、試用期間中の賃金ももらえないかもしれない、と絶望に打ちひしがれて、終わったと思った。
…………のに、正式採用された。
真面目だったり熱血漢だったり、この職に向いてそうな候補者が他にもいたのに、採用されたのは俺だけ。
「お前、サボってたから」
採用が信じられなくて反射的に質問すると、シグルドさんはでっかい執務机越しにそう言った。あまりに予想外すぎる理由が理解の範疇を超えていて、条件反射でアホ面を晒してしまう。
戦争の後遺症で、この人は頭が狂ってしまったんだと思った。割と真面目に。
「真面目くんも熱心くんも、働きとしては申し分なかったんだけどな~。けど、そういう奴ほどオメガたちの身の上に同情して深入りしすぎる。で、結果自分も病んでポッキリいっちまう。あと、色恋沙汰の問題もあってな。熱心に面倒見てもらえると、オメガたちも勘違いしちまうんだよ。痴情のもつれが原因の泥沼騒動にもなりかねねえ。俺、ユテの悲しむ顔見たくねえから、万に一つの可能性も摘んでおきたくてよ~」
えっ、俺だとオメガと恋愛関係に発展しなさそうってこと?これ褒められてるんじゃなくて、侮辱されてない?
「そこで俺はジェイド、お前に一番適性があると見た。常に眠そうで無気力そうで、いかにも今時の若者って感じの」
「え、突然の悪口」
急に指をさされて、つい心の声を口に出してしまった。やば、と思ったが時すでに遅し。採用取り消しを恐れて青ざめる俺の心配とは裏腹に、シグルドさんはケラケラ笑っていた。
「それ。思ったことを即座に口に出すってことは、一人抱え込むタイプじゃねえだろ?サボりについても同じで、力の抜き方を分かってるってことだ。義務を果たさずに怠けるのは許せねえしサボりだが、ジェイドはそうじゃねえしな。やるべきことはちゃんとやったうえでぐうたらすんのは、休憩だ。存分にしろ。あと、お前の無気力っつーか緩い雰囲気も、相手に肩肘張らせねえから警戒心を解きやすい。ここに来るのは皆訳ありだからな、そういうのが意外と大事なんだ」
目から鱗だった。今までそんな風に言われたことがなかったから。どの上司にも欠点だと指摘されてきたし、俺自身もそう思っていた。まさかそんな見方があるなんて、思いもしなかった。
うわ、やばい。なんか胸がジーンとする…。
「あとお前、万年鼻炎で鼻が利きにくいって言ってただろ。それってつまりオメガのヒートフェロモンの影響を受けないってことだ。それは本気でデカい」
鼻炎の治療とかすんなよ、便利なんだから。とゲラゲラ笑う姿はまるで悪魔みたいで、覚えた感動が一瞬にして無に帰した。
こうして俺は補佐として働き始めた。仕事は大変だけど、人の役に立ってる実感が得られてやりがいがある。給料もその大変さに見合って充実してる。これ本当に助かる。同僚も真っ当な人ばかりで、職場環境にも恵まれてる。
上司のシグルドさんは即断実行で俺達部下への指示も的確。ミスったとしても部下に責任を押し付けたりしない。ここらへんはさすが軍の元将軍だっただけある。オメガ専用施設ってことで、よからぬことを考えるはぐれアルファやベータへの対応も自らやる。むしろ嬉々としてやる。いい憂さ晴らしだ、とある時言っていた。怖。元軍人、怖。
英雄シグルドの名は有名ではあるけど、人柄や私生活については情報が少なすぎてどんな人物なのか身構えてた時期もあったけど、いい意味で裏切られた。自分の戦功を鼻にかけることも驕ることもないし、むしろあんまりよく思ってない節すらある。粗暴だし、ぐうたらな時もいい加減な時も多い。なんか全然英雄っぽくない。
でも関係は上々だ。軽口なんかも気軽に言い合えて、兄がいるってこんな感じかなーって思ったりしてる。
俺の失言も笑って受け流してくれて、上司としても頼りがいのあるシグルドさんだけど、奇行については何年経っても慣れることができない。
奇行その一、鍛錬と称した筋トレを執務部屋で四六時中し始めた。床の上に置いた書類を読みながらプランク、俺からの報告を聞きながらスクワット、建物内の移動もダンベルを持って腕を鍛えながら……。
なんでも、番であるユテさんの手料理を食べ過ぎてしまうので、体型を維持するために始めたらしかった。本人は至って深刻そうだったけど、俺にはノロケ混じりの自慢話にしか聞こえなかった。
「ジェイド、晩飯食いに来る──……あ、やっぱ無し。ジェイドが美味そうに食うのを見て喜ぶユテの可愛いとこ見せたくねえ」
「お願いなんで、箪笥の角に足の小指ぶつけて苦しんでもらえないですか。本当に、ガチで」
「おい、地味に痛い呪詛かけんのやめろ。性格悪いぞ」
うるさい、リア充は爆散しろ。
日々筋トレに勤しむ上司だが、一番怖かったのは酒に酔った男が冷やかし目的でシェルターに現れた時だ。いつもなら速攻で叩きのめして追い出すのに、暴漢の手に木剣を握らせて打ち合いを始めた。過去とは言え元英雄からの猛攻に、男がたまらず膝をついて降参しても、力づくで立たせて木剣を叩き込んでいた。
今にも泡を吹いて倒れそうな男とは対照的に、シグルドさんはめちゃくちゃ笑顔だった。心底楽しそうで、それが逆にたまらなく怖くて、見てるこっちまでチビりそうだった。
更には、命からがらとばかりに逃げ出す男に、また明日も来いよと仰天発言をした。暴漢とのやりとりすら鍛錬として利用するシグルドさんの狂気とえげつなさに、俺はしばらく悪夢にうなされる羽目になった。
奇行その二、それは現在進行形で発生中だ。
シグルドさんの髪は背中につくくらいに長くて、これまでは無造作に流しているか、緩く一つに結わえているかのどちらかだった。それが最近、今までにない髪型で出勤している。
最初はお団子、高い位置でのポニーテール……女児みたいなツインテールで姿を現した時はさすがに腹を抱えて爆笑してしまった。半殺しにされた。俺、もやしなんだから手加減してほしい。
連日の可愛い髪型は、子息のアルトくんによるものらしい。
「アルトくん、器用っすね…、まだ五歳でしたよね?」
「ああ、何でか今髪いじりに夢中みたいでな。俺とイーシャの髪整えるって毎朝聞かねえんだよ。イーシャはともかくユテにはせずに、何で俺もなのかは全然分かんねえんだけど」
イーシャちゃんは息女。アルトくんと双子の。
シグルドさんは書類の束に目を通しながら、やれやれと言わんばかりに溜息を吐いているが、口元は緩んで口角が上がっている。内心可愛くて仕方ないって思ってるのが丸わかりだ。
「今日のはまた一段と手が込んでるっすね。三つ編みに花が編み込まれてて」
「……前は夕方には花が萎れて捨てたら拗ねちまって、ご機嫌取るのに苦労したから、今回は夜まで持たせねえと」
そう言う上司は目を細めて虚空を見つめていた。救国の元英雄ともあろう人物も、番と子供たちには頭が上がらないらしい。
噂をすれば影とはよく言ったもので、職員がやってきて、シグルドさんの家族の来訪を告げた。部屋を出ると、前方から小さな塊がすごい勢いで突進してくるのが見える。
先頭を走るのはイーシャちゃん、その後ろにアルトくん、最後尾を歩くのはユテさんだ。
「ととさまーっ!」
「おー。よく来たなお前ら~」
膝をついて腕を広げるシグルドさんの懐にイーシャちゃんが飛び込む。ドゴォッ、と幼児とは思えない重い衝撃音がして思わず身震いしてしまう。もはや人間弾頭。デレデレの笑顔を浮かべたまま難なく受け止めるシグルドさんも怖い。
対して自分と同じくらいの大きさのクマのぬいぐるみを腕に抱いたアルトくんは直前で立ち止まり、じっと己の父親を見つめた。……目尻の垂れた大きな目が三つ編みに向けられているのは俺の勘違いではないはず。
男児による審判の間、痛いほどの沈黙。誰も一言も発せず、ぴくりとも動けない。永遠とも思える時間の後、アルトくんの表情が一気に綻んだ。満面の笑みで父親に抱きついていることから、どうやら合格らしかった。
全員がほっと安堵の息を吐く中、ユテさんと挨拶を交わすと布で覆われたバスケットが差し出された。
「アップルパイを焼いたんです。まだ温かいので、是非皆さんで」
「まじっすか!ありがたくいただきます。うわ、うまそー」
黄金色に輝く甘い香りの菓子に気分は一気に最高潮。オメガ専用シェルターは二人が共同で運営していることもあり、ユテさんが時折こうして差し入れをくださる。
それがまた絶品で、福利厚生として申し分ない。シグルドさんが食べ過ぎて太るのを心配するのも無理はない。俺もご相伴に預かりたいから、正直めちゃくちゃ晩飯に誘ってほしい。
強烈な視線を感じて顔を上げると、上司が今にも射殺しそうなくらいに鋭い目で俺とバスケットを交互に見ていた。
条件反射でパイを背後に隠す。これは俺ら職員に、ってもらったものなんで。
「シグの分は帰ったら焼いてあげる。出来立てを食べてほしいから」
わー、甘い雰囲気ごちそうさまでーす。
勝ち誇ったような満足そうな表情の上司に目を細めて見せる。
「イーシャもたべる~」
「ぼくも…」
「二人はさっき食べたのに、まだ食べるの?」
「うん!あつあつのをパパとアルトといっしょにたべて、しあわせ~ってなったから、こんどはととさまといっしょにしあわせ~ってしたいのよ!ね、アルト」
「うん」
シグルドさんに片腕ずつ抱き上げられたイーシャちゃんが激しい身振り手振りで訴えかける。足もパタパタ動かして、今にも落っこちそうでハラハラする。
「そりゃあ嬉しいが、好き嫌いせずにちゃんと晩飯食ってからだぞ。じゃなきゃ俺が全部食べて幸せ~ってしちまうからな」
「だめっ。いっしょにしあわせ~ってするのよ」
「のこさずぜんぶたべるもんっ」
「おーそれは楽しみだ」
頬を膨らませてぷりぷりする子供たちの足が、興奮のあまりパタパタと動いている。シグルドさんの脇腹に容赦なく何度も突き刺さっているけど、当の本人は一切ダメージを負ってない様子で笑っている。…すげえ痛そうなのに。
「ジェイドさん、施設のことでシグに相談したいことがあるんです。少しの間、子供たちを見ててもらえませんか?」
「全然いいっすよ~ごゆっくり。お子さんたちと遊ぶっていう至急かつ最優先の仕事ができたんで、今日期限の報告書、明日でいいっすよね?」
父親の腕から下りた幼児二人は、俺の名前を連呼しながら俺を中心にしてぐるぐる走り回ってる。
俺の邪な意図に気づいたシグルドさんは、呆れ交じりの苦笑を浮かべた。ちゃっかりしてやがる、と心の声が聞こえてくるようだったけど、最終的に承諾してくれた。
してやったり。まだ着手してなかったから助かった~。
「シグ…僕、シグが帰って来るのを待った方が良かったかな?」
「いや、いい。気にすんな。来てくれて嬉しいぜ」
ユテさんを抱き寄せるシグルドさんの姿を、スキップする子供達に手を引かれながら、閉じていく扉の隙間から見た。
シグルドさんの顔がいつになく優しく、穏やかだ。番に向ける眼差しは柔らかくて、愛おしいと思っているのが雄弁に伝わって来た。
「イーシャちゃんの髪、すごく素敵っすね~」
アップルパイを食した後、休憩所に移動して子供達の相手をする。パイを食べてる間ずっと、羨ましそうな視線が突き刺さっていた。
もう食べたし、夜にもまた食べるんだよね…?俺にもおすそわけください…。
「そうでしょ!アルトがやってくれたのよ~」
ユテさんと同じ髪色のイーシャちゃんの長い髪は、シグルドさんと同様に生花つきの三つ編みだ。俺に褒められたイーシャちゃんは誇らしげに胸を張ってから、双子の兄をぎゅーっと抱きしめた。アルトくんは照れくさそうだけど、どこか得意げだ。
「アルトくんはユテさんの髪には何もしないのかな?シグルドさんより可愛い髪型似合うよ、きっと」
ユテさんの髪型は一家の中で一番と言ってもいいくらいに短い。顔立ちが整っているからそれでも似合っているけど、髪を伸ばしても可憐だと思う。
純粋な気持ちでの質問だったんだけど、突然目の前に小さな手のひらを突き出された。目を閉じたアルトくんがふるふると頭を左右に振っている。急に凛々しい表情になって、分かってないとでも言いたげだ。
「パパはもうかわいいから、よけいなことしないの。ととさまとイーシャは強くてかっこいいから、かわいさもあったらさいきょうになる!だからかわいいあたまにしなきゃいけないの!」
いつも控えめでおとなしいアルトくんが、珍しく興奮した様子で力説する。彼の情熱によって、ぶんぶん振り回されたり、顔が潰れる程にきつく抱きしめられる相棒のテディベア。
黒いボタンでできた目が俺に助けを訴えてるように見えた。
「うーん、まあ確かに最強かもしれない…」
イーシャちゃんは文句なしにそうだけど、シグルドさんは違う方向の最強だと思う。面白おかしい、って意味の。だって髭面ツインテールなんて、他じゃ見られないし。
「でしょ!ととさまはさいきょう!」
「イーシャもさいきょう!」
アルトくんがキラキラおめめをぱっちりと見開く。曇りのない純粋な視線に、彼の父親を面白がってることに罪悪感が湧いて胸が痛んだ。
その後興奮状態に陥った双子にあまりの元気さに振り回され、シグルドさんたちの姿が見えた時には、天の助けだと思った。
「じゃあジェイド、俺はもう上がるから後はよろしくな」
「ジェイド、さよなら~」
軽く会釈をするユテさんの隣で、シグルドさんの腕に抱き上げられた双子たちがニコニコ笑顔で手を振ってくれる。…ま、満足させられたようで良かった…。
同じく手を振り返しながら、雇い主一家を見送る。激しい疲労を感じながらも、馬車に乗り込む一家の幸せそうな姿に、自然とこっちまで笑みが浮かんでくる。
俺もいつかはシグルドさんみたいな家庭を築きたいな、と心から思うのだった。
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あらすじ
魔力がなく、義母達に疎まれながらも必死に生きる少年アシェ。
ある日、義兄が騎士団長ヴァルドの徽章を盗んだ罪をアシェに押し付け、身代わりにされてしまう。
死を覚悟した彼の姿を見て、冷徹な騎士ヴァルドは――?
傷ついた少年と騎士の、温かい溺愛物語。
番に見つからない街で、子供を育てている
はちも
BL
目を覚ますと、腕の中には赤ん坊がいた。
異世界の青年ロアンとして目覚めた「俺」は、希少な男性オメガであり、子を産んだ母親だった。
現世の記憶は失われているが、
この子を守らなければならない、という想いだけははっきりと残っている。
街の人々に助けられ、魔石への魔力注入で生計を立てながら、
ロアンと息子カイルは、番のいない街で慎ましく暮らしていく。
だが、行方不明の番を探す噂が、静かに近づいていた。
再会は望まない。
今はただ、この子との生活を守りたい。
これは、番から逃げたオメガが、
選び直すまでの物語。
*本編完結しました
虚ろな檻と翡翠の魔石
篠雨
BL
「本来の寿命まで、悪役の身体に入ってやり過ごしてよ」
不慮の事故で死んだ僕は、いい加減な神様の身勝手な都合により、異世界の悪役・レリルの器へ転生させられてしまう。
待っていたのは、一生を塔で過ごし、魔力を搾取され続ける孤独な日々。だが、僕を管理する強面の辺境伯・ヨハンが運んでくる薪や食事、そして不器用な優しさが、凍てついた僕の心を次第に溶かしていく。
しかし、穏やかな時間は長くは続かない。魔力を捧げるたびに脳内に流れ込む本物のレリルの記憶と領地を襲う未曾有の魔物の群れ。
「僕が、この場所と彼を守る方法はこれしかない」
記憶に翻弄され頭は混乱する中、魔石化するという残酷な決断を下そうとするが――。
人族は一人で生きられないらしい――獣人公爵に拾われ、溺愛されて家族になりました
よっちゃん
BL
人族がほとんど存在しない世界に、
前世の記憶を持ったまま転生した少年・レオン。
獣人が支配する貴族社会。
魔力こそが価値とされ、
「弱い人族」は守られるべき存在として扱われる世界で、
レオンは常識の違いに戸惑いながらも必死に生きようとする。
そんな彼を拾ったのは、
辺境を治める獣人公爵アルト。
寡黙で冷静、しかし一度守ると決めたものは決して手放さない男だった。
溺愛され、守られ、育てられる日々。
だが、レオンはただ守られるだけの存在で終わることを選ばない。
学院での出会い。
貴族社会に潜む差別と陰謀。
そして「番」という、深く重い絆。
レオンは学び、考え、
自分にしかできない魔法理論を武器に、
少しずつ“並び立つ覚悟”を身につけていく。
獣人と人族。
価値観も、立場も、すべてが違う二人が、
それでも選び合い、家族になるまでの物語。
溺愛×成長×異世界BL。
読後に残るのは、
「ここに居場所があっていい」と思える、あたたかな幸福。
いい加減観念して結婚してください
彩根梨愛
BL
平凡なオメガが成り行きで決まった婚約解消予定のアルファに結婚を迫られる話
元々ショートショートでしたが、続編を書きましたので短編になりました。
2025/05/05時点でBL18位ありがとうございます。
作者自身驚いていますが、お楽しみ頂き光栄です。
巻き戻りした悪役令息は最愛の人から離れて生きていく
藍沢真啓/庚あき
BL
11月にアンダルシュノベルズ様から出版されます!
婚約者ユリウスから断罪をされたアリステルは、ボロボロになった状態で廃教会で命を終えた……はずだった。
目覚めた時はユリウスと婚約したばかりの頃で、それならばとアリステルは自らユリウスと距離を置くことに決める。だが、なぜかユリウスはアリステルに構うようになり……
巻き戻りから人生をやり直す悪役令息の物語。
【感想のお返事について】
感想をくださりありがとうございます。
執筆を最優先させていただきますので、お返事についてはご容赦願います。
大切に読ませていただいてます。執筆の活力になっていますので、今後も感想いただければ幸いです。
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