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20. 儚い果樹
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「ドニ、ごめん。歯止めが効かなくて無理させちまった。体、どこかおかしくないか?」
優しく背中や腰を撫でられる。
あの後も、長いことロウシェさんに抱かれた。こんなにしたのは初めてで、何度射精したのかわからない。最後の方は精液が出ないまま達するようになってしまった。全身くまなく触られて、唇でも口づけられて、エルカンさんの感触は一切なくなっていた。
汗や体液でぐしゃぐしゃになった体を泉で綺麗にした後、今はロウシェさんのベッドで抱きしめられながら寝転がっている。
「大丈夫です。…たくさんしてもらいたかったので、嬉しいです」
心配そうに眉を垂らす彼に安心してもらえるよう、笑いかける。少し倦怠感はあるけれど、我慢しなくていいと言ったのは僕だし、責任を感じてもらいたくない。
「あの、ロウシェさんは体、大丈夫ですか?僕、たくさん神気もらっちゃって…」
「平気。さっきアムの実ちょっと食った」
ほっと胸を撫で下ろすと、鼻の先に唇を落とされた。抱き寄せられて、ロウシェさんの胸に顔を埋める形になる。トクントクン、と規則的な心音が聞こえて心地良い。
「あら、まだ寝てるの?お寝坊さんね」
「ドニじゃないか。いらっしゃい~」
弾けるような音と共に、ロウシェさんの精霊たちが現れた。リーダーと思われる勝気そうな少女の精霊は、腰に両手をあて、呆れた表情で僕達を見下ろしている。その隣の柔和な顔立ちの少年が、にこやかな笑みを浮かべて手を振って来る。お邪魔してます、と軽く頭を下げた。
「おい邪魔すんな」
しっしっ、とまるで虫を追い払うかのような彼に、精霊たちは憤慨したように眉を吊り上げた。
「何だよーもう朝だから起こしに来たんじゃないか!」
「夜通し起きてたから、今から寝るんだよ」
「えーっ。夜更かしなんて悪い子だなあ」
「俺の生死に関わる一大事があったんだよ。とにかく、今からドニと一緒に寝るから、他の奴らには今日は休みだって伝えといてくれ」
「いつまで経っても仕方のない子ねえ。ついでにドニの精霊たちにも伝えてくるわ。彼らはドニがここにいること知らないんでしょう?」
「あっ、ありがとうございます!」
「ドニは何て良い子なのかしら~。ドニは素直にお礼を言えるのに、ロウシェってば…」
「眷属ってそんなに偉いのかなあ~」
「…悪かったよ。よろしくお願いします。いつもありがとうございます」
精霊たちの恨みがましい視線にいたたまれなくなったロウシェさんは、間を置いて素直にお詫びした。精霊たちは一転して満足そうな表情で飛び去って行った。
彼らのやりとりがおかしくて、笑いがこみ上げてくる。
「騒がしくてごめん。あいつら口が達者で…」
「全然です。ロウシェさんが言い負かされてる珍しいところが見れて、得した気分です」
「そうか?俺、ドニにはいつも負けてるけど。惚れた弱みか、ドニ相手だと途端にたじろいじまう」
「え…?」
まるで心当たりがなくて、じっとロウシェさんを見つめてしまう。間抜け面を晒していたからなのか、風神の眷属は軽く息を噴き出した。
「自覚ないのか?植物を育てるのに風は役立たずだって言った時、真剣に怒ってくれたろ」
「あっ」
指摘されて初めて思い出す。確かに、自分のことを卑下する彼を泣き喚きながら責めた。まるで癇癪を起こした子供のような恥ずかしい振る舞いを思い出して、羞恥で消え入りたくなってくる。
「わ、忘れてください…!僕、あの時どうかしてて…!」
「何で?俺、めちゃくちゃ嬉しかったんだけど。まるで自分のことみたいに怒ってくれるドニが格好よすぎて、改めて惚れ直した。忘れたくても絶対に忘れられねえ。ありがとうな」
額を合わせて、ロウシェさんが目の前で微笑む。うなじを優しく撫でられている。甘い声と手つきが気持ち良くて、全身から力が抜けていく。
お礼を言いたいのは僕の方だ。そうやって僕が思いもしなかったところを掬いあげて、褒めて気づかせてくれる。その優しさに何度救われたかわからない。
「…ロウシェさん、好きです」
「うん。俺も」
自然とお互いにキスを交わす。唇を啄むような軽いキスでも、心が充足感でいっぱいになる。
「ひと眠りしたら、一緒にエメの木の様子を見に行こうぜ」
「はい!あ、僕、エルカンさんのところにも行きたいです」
「エルカン?」
「はい。謝りたいのと、お礼を言いたいです。エルカンさんが背中を押してくれたから、ロウシェさんに打ち明けることができたので」
「…確かに俺も謝罪はしなきゃな。思いっきり殴っちまったし。…。ドニにしたことは納得いかねえけど。いくら何でも、自分が担当する見習いに怖い思いをさせる奴があるかよ」
苦い表情のロウシェさんは、大きな溜息を吐いた。
僕はもう気にしてないのにな。ロウシェさんが助けてくれたし、両想いだと分かって、エルカンさんの感触も全部上書きされて充足感でいっぱいだ。むしろ、少し前の出来事なのにすっかり忘れていたくらい。
「ロウシェさん、エルカンさんが自分は猫だって言ってたんですけど、何か知ってますか?眷属になる前は動物だったんですかね…?」
目の前の人物は一瞬目を丸くすると、次いで声を上げて笑った。
「違う違う。そっちの猫じゃなくて、ネコな」
全く違いがわからなくて、余計混乱してしまう。
「ネコって言うのは、性行為で尻の中にチンコを突っ込まれる立場のことだ」
「性行為…」
「そ、性行為。さっきドニと俺がした行為のことな」
ロウシェさんの顔を見つめたまま、情報を整理しようと脳が高速で動いている。
お尻の中に性器を入れられる方がネコ…。さっきの僕がまさしくネコってことだよね?で、エルカンさんも入れられる側…。
こんなにも身近な人の性事情を知ってしまって、罪悪感でいっぱいになってしまう。何ともいたたまれない気持ちになった。
「ネコは、突っ込まれねえと満足できねえし、イけない。だからエルカンもドニに最後までするつもりはさらさらなかったってことだな。アイツが自分で暴露しなきゃ、俺も知らなかったけど。にしても、アイツなりに俺らに協力するにしても他にやり方いくらでもあるだろ…」
詳しいところまでは理解が及ばなかったけど、エルカンさんが僕とロウシェさんのために一肌脱いでくれたことはわかった。
「はー止めだ止めだ。頭では理解できても、誰かが性的な意味でドニに触れたと思うとモヤモヤしちまう。ドニ、寝るぞ」
僕以上に僕のことで怒ってくれるロウシェさんに笑いを禁じえない。本当に大切に思われてるんだなと実感できて、少しくすぐったかった。ぎゅっと抱きしめられながら、眠りについた。
**********
「嘘……」
口を開けて呆然としながら、前にも同じ反応をした気がするとぼんやり思った。目の前でどっしりと構えるエメの成木は以前の様子とは異なっていた。青々と茂る葉はそのままに、赤い小さな実がそこかしこで成っている。
つい数日前まで、花のつぼみでさえできている様子さえ欠片もなかったのに。開花から実が成るまでの工程が早すぎる。
「いい匂いがする。もう成熟してるんじゃねえか?」
ロウシェさんは果実のところまで浮き上がり、顔を寄せて匂いをかいでいる。声をかけられて我に返った僕も、実が成っている部分へと近づいた。
エメの実は眩しい程に鮮やかな赤色だった。親指と人差し指で輪っかを作ったくらいの大きさで、一口で食べられそうだった。その小さい実はいくつも寄り集まって、房を成している。アムの実とは全然違う。ロウシェさんに倣って匂いをかいでみると、甘い濃い香りがした。食欲をそそる香りに、口の中に唾液があふれてくる。
試しに枝から伸びる蔓を引っ張ると、驚く程簡単に房ごと取れた。実を房から一粒ちぎると、指の間ではちきれそうに力強い弾力を感じる。
「ロウシェさんの言う通り、匂いからすると今がちょうど食べごろみたいです。……あの、でも、味の保証はできないので、やっぱり僕が先に味見…」
地面に降り、近づいてきたロウシェさんを見上げる。果実の味の保証ができない。甘い匂いをさせておいて、実際に食べたら渋いかもしれない。果樹の急速な成長に困惑を隠せず、途端に不安が押し寄せてくる。
「駄目だ。俺が一番最初にもらう。そういう約束だったろ」
「でも本当に完熟してるかわからないですよ?」
「いいから」
渋る僕の言葉を聞き流したロウシェさんは、腰をかがめて口を開けた。彼に押し切られて、観念してもぎとったエメの実を口の中にそっと入れた。
彼が咀嚼する度に、シャクシャクと聞こえる音は小気味よくておいしそう。じっくりと味わう様子を、僕はドキドキしながらじっと見つめた。
「めちゃくちゃうまい。こんなにうまい果実、生まれて初めて食べた」
手放しで褒めそやしてくれるが、内心お世辞だと思った。にわかに信じられなくて、ロウシェさんの顔をじっと見つめる。ロウシェさんは優しいから、僕が傷ついたりしないように気を遣ってくれているんだ。
「ドニ、俺のこと疑ってるだろ。ひでえな。本当だって。ドニも食べてみ」
不審に思っているのが顔に出ていたのか、ロウシェさんは苦い顔をしながら笑った。長い指が僕の手の中から小さな粒をもぎ取って、口元に差し出してくる。言われるがまま口に含んだ。
「!」
ひと噛みした途端、口の中が果汁でいっぱいになった。アムの実も果汁たっぷりで甘くておいしいけど、エメの実はそれ以上だった。濃厚でコクのある甘さだけど、クドすぎるわけでもなく、酸味もあってむしろ爽やか。果汁を飲みこむたびに全身に神気がみなぎっていく感覚がした。
「すごく、おいしい!」
「な?俺、嘘言ってないだろ?」
頭を撫でられて、何度も頷く。本当に大げさじゃないくらいにおいしい。ロウシェさんが今まで食べた果実の中で一番おいしいと言うのも頷ける。
一度口にすると止まらなくて、互いに食べさせ合う。あっという間に一房を二人で食べきってしまった。
「他の皆にも食べてもらいたいんですけど、あげてもいいですか?」
「ああ、勿論。エメの木が成熟したのはドニの世話のおかげなんだし、ドニの好きなようにしたらいい」
許可を得て、早速皆のために収穫する。だけど二房取ったところで、異変が現れた。枝からぶらさがっていたたくさんの果実の房が一斉に枯れ始めたのだ。茶色く変色した果実はみるみるうちにしぼみ、種だけがバラバラと地面に落ちた。
「驚いたな…どういうからくりなんだ?」
あまりにも突然のことに、驚きを隠せずに硬直してしまう。それはロウシェさんも同じなようだった。種を拾い上げて、目を丸くしている。だけど枯れたのは果実だけだった、樹自体は見るからに元気で、変わった所はない。手元にある二房の果実も無事だった。
とにかく早くミレイユ様やエルカンさんのところに届けなきゃ!これもいつ消えてなくなるかわからない!
頭の中は真っ白で状況は全く飲みこめなかったけど、慌てて二人の元へ向かった。
優しく背中や腰を撫でられる。
あの後も、長いことロウシェさんに抱かれた。こんなにしたのは初めてで、何度射精したのかわからない。最後の方は精液が出ないまま達するようになってしまった。全身くまなく触られて、唇でも口づけられて、エルカンさんの感触は一切なくなっていた。
汗や体液でぐしゃぐしゃになった体を泉で綺麗にした後、今はロウシェさんのベッドで抱きしめられながら寝転がっている。
「大丈夫です。…たくさんしてもらいたかったので、嬉しいです」
心配そうに眉を垂らす彼に安心してもらえるよう、笑いかける。少し倦怠感はあるけれど、我慢しなくていいと言ったのは僕だし、責任を感じてもらいたくない。
「あの、ロウシェさんは体、大丈夫ですか?僕、たくさん神気もらっちゃって…」
「平気。さっきアムの実ちょっと食った」
ほっと胸を撫で下ろすと、鼻の先に唇を落とされた。抱き寄せられて、ロウシェさんの胸に顔を埋める形になる。トクントクン、と規則的な心音が聞こえて心地良い。
「あら、まだ寝てるの?お寝坊さんね」
「ドニじゃないか。いらっしゃい~」
弾けるような音と共に、ロウシェさんの精霊たちが現れた。リーダーと思われる勝気そうな少女の精霊は、腰に両手をあて、呆れた表情で僕達を見下ろしている。その隣の柔和な顔立ちの少年が、にこやかな笑みを浮かべて手を振って来る。お邪魔してます、と軽く頭を下げた。
「おい邪魔すんな」
しっしっ、とまるで虫を追い払うかのような彼に、精霊たちは憤慨したように眉を吊り上げた。
「何だよーもう朝だから起こしに来たんじゃないか!」
「夜通し起きてたから、今から寝るんだよ」
「えーっ。夜更かしなんて悪い子だなあ」
「俺の生死に関わる一大事があったんだよ。とにかく、今からドニと一緒に寝るから、他の奴らには今日は休みだって伝えといてくれ」
「いつまで経っても仕方のない子ねえ。ついでにドニの精霊たちにも伝えてくるわ。彼らはドニがここにいること知らないんでしょう?」
「あっ、ありがとうございます!」
「ドニは何て良い子なのかしら~。ドニは素直にお礼を言えるのに、ロウシェってば…」
「眷属ってそんなに偉いのかなあ~」
「…悪かったよ。よろしくお願いします。いつもありがとうございます」
精霊たちの恨みがましい視線にいたたまれなくなったロウシェさんは、間を置いて素直にお詫びした。精霊たちは一転して満足そうな表情で飛び去って行った。
彼らのやりとりがおかしくて、笑いがこみ上げてくる。
「騒がしくてごめん。あいつら口が達者で…」
「全然です。ロウシェさんが言い負かされてる珍しいところが見れて、得した気分です」
「そうか?俺、ドニにはいつも負けてるけど。惚れた弱みか、ドニ相手だと途端にたじろいじまう」
「え…?」
まるで心当たりがなくて、じっとロウシェさんを見つめてしまう。間抜け面を晒していたからなのか、風神の眷属は軽く息を噴き出した。
「自覚ないのか?植物を育てるのに風は役立たずだって言った時、真剣に怒ってくれたろ」
「あっ」
指摘されて初めて思い出す。確かに、自分のことを卑下する彼を泣き喚きながら責めた。まるで癇癪を起こした子供のような恥ずかしい振る舞いを思い出して、羞恥で消え入りたくなってくる。
「わ、忘れてください…!僕、あの時どうかしてて…!」
「何で?俺、めちゃくちゃ嬉しかったんだけど。まるで自分のことみたいに怒ってくれるドニが格好よすぎて、改めて惚れ直した。忘れたくても絶対に忘れられねえ。ありがとうな」
額を合わせて、ロウシェさんが目の前で微笑む。うなじを優しく撫でられている。甘い声と手つきが気持ち良くて、全身から力が抜けていく。
お礼を言いたいのは僕の方だ。そうやって僕が思いもしなかったところを掬いあげて、褒めて気づかせてくれる。その優しさに何度救われたかわからない。
「…ロウシェさん、好きです」
「うん。俺も」
自然とお互いにキスを交わす。唇を啄むような軽いキスでも、心が充足感でいっぱいになる。
「ひと眠りしたら、一緒にエメの木の様子を見に行こうぜ」
「はい!あ、僕、エルカンさんのところにも行きたいです」
「エルカン?」
「はい。謝りたいのと、お礼を言いたいです。エルカンさんが背中を押してくれたから、ロウシェさんに打ち明けることができたので」
「…確かに俺も謝罪はしなきゃな。思いっきり殴っちまったし。…。ドニにしたことは納得いかねえけど。いくら何でも、自分が担当する見習いに怖い思いをさせる奴があるかよ」
苦い表情のロウシェさんは、大きな溜息を吐いた。
僕はもう気にしてないのにな。ロウシェさんが助けてくれたし、両想いだと分かって、エルカンさんの感触も全部上書きされて充足感でいっぱいだ。むしろ、少し前の出来事なのにすっかり忘れていたくらい。
「ロウシェさん、エルカンさんが自分は猫だって言ってたんですけど、何か知ってますか?眷属になる前は動物だったんですかね…?」
目の前の人物は一瞬目を丸くすると、次いで声を上げて笑った。
「違う違う。そっちの猫じゃなくて、ネコな」
全く違いがわからなくて、余計混乱してしまう。
「ネコって言うのは、性行為で尻の中にチンコを突っ込まれる立場のことだ」
「性行為…」
「そ、性行為。さっきドニと俺がした行為のことな」
ロウシェさんの顔を見つめたまま、情報を整理しようと脳が高速で動いている。
お尻の中に性器を入れられる方がネコ…。さっきの僕がまさしくネコってことだよね?で、エルカンさんも入れられる側…。
こんなにも身近な人の性事情を知ってしまって、罪悪感でいっぱいになってしまう。何ともいたたまれない気持ちになった。
「ネコは、突っ込まれねえと満足できねえし、イけない。だからエルカンもドニに最後までするつもりはさらさらなかったってことだな。アイツが自分で暴露しなきゃ、俺も知らなかったけど。にしても、アイツなりに俺らに協力するにしても他にやり方いくらでもあるだろ…」
詳しいところまでは理解が及ばなかったけど、エルカンさんが僕とロウシェさんのために一肌脱いでくれたことはわかった。
「はー止めだ止めだ。頭では理解できても、誰かが性的な意味でドニに触れたと思うとモヤモヤしちまう。ドニ、寝るぞ」
僕以上に僕のことで怒ってくれるロウシェさんに笑いを禁じえない。本当に大切に思われてるんだなと実感できて、少しくすぐったかった。ぎゅっと抱きしめられながら、眠りについた。
**********
「嘘……」
口を開けて呆然としながら、前にも同じ反応をした気がするとぼんやり思った。目の前でどっしりと構えるエメの成木は以前の様子とは異なっていた。青々と茂る葉はそのままに、赤い小さな実がそこかしこで成っている。
つい数日前まで、花のつぼみでさえできている様子さえ欠片もなかったのに。開花から実が成るまでの工程が早すぎる。
「いい匂いがする。もう成熟してるんじゃねえか?」
ロウシェさんは果実のところまで浮き上がり、顔を寄せて匂いをかいでいる。声をかけられて我に返った僕も、実が成っている部分へと近づいた。
エメの実は眩しい程に鮮やかな赤色だった。親指と人差し指で輪っかを作ったくらいの大きさで、一口で食べられそうだった。その小さい実はいくつも寄り集まって、房を成している。アムの実とは全然違う。ロウシェさんに倣って匂いをかいでみると、甘い濃い香りがした。食欲をそそる香りに、口の中に唾液があふれてくる。
試しに枝から伸びる蔓を引っ張ると、驚く程簡単に房ごと取れた。実を房から一粒ちぎると、指の間ではちきれそうに力強い弾力を感じる。
「ロウシェさんの言う通り、匂いからすると今がちょうど食べごろみたいです。……あの、でも、味の保証はできないので、やっぱり僕が先に味見…」
地面に降り、近づいてきたロウシェさんを見上げる。果実の味の保証ができない。甘い匂いをさせておいて、実際に食べたら渋いかもしれない。果樹の急速な成長に困惑を隠せず、途端に不安が押し寄せてくる。
「駄目だ。俺が一番最初にもらう。そういう約束だったろ」
「でも本当に完熟してるかわからないですよ?」
「いいから」
渋る僕の言葉を聞き流したロウシェさんは、腰をかがめて口を開けた。彼に押し切られて、観念してもぎとったエメの実を口の中にそっと入れた。
彼が咀嚼する度に、シャクシャクと聞こえる音は小気味よくておいしそう。じっくりと味わう様子を、僕はドキドキしながらじっと見つめた。
「めちゃくちゃうまい。こんなにうまい果実、生まれて初めて食べた」
手放しで褒めそやしてくれるが、内心お世辞だと思った。にわかに信じられなくて、ロウシェさんの顔をじっと見つめる。ロウシェさんは優しいから、僕が傷ついたりしないように気を遣ってくれているんだ。
「ドニ、俺のこと疑ってるだろ。ひでえな。本当だって。ドニも食べてみ」
不審に思っているのが顔に出ていたのか、ロウシェさんは苦い顔をしながら笑った。長い指が僕の手の中から小さな粒をもぎ取って、口元に差し出してくる。言われるがまま口に含んだ。
「!」
ひと噛みした途端、口の中が果汁でいっぱいになった。アムの実も果汁たっぷりで甘くておいしいけど、エメの実はそれ以上だった。濃厚でコクのある甘さだけど、クドすぎるわけでもなく、酸味もあってむしろ爽やか。果汁を飲みこむたびに全身に神気がみなぎっていく感覚がした。
「すごく、おいしい!」
「な?俺、嘘言ってないだろ?」
頭を撫でられて、何度も頷く。本当に大げさじゃないくらいにおいしい。ロウシェさんが今まで食べた果実の中で一番おいしいと言うのも頷ける。
一度口にすると止まらなくて、互いに食べさせ合う。あっという間に一房を二人で食べきってしまった。
「他の皆にも食べてもらいたいんですけど、あげてもいいですか?」
「ああ、勿論。エメの木が成熟したのはドニの世話のおかげなんだし、ドニの好きなようにしたらいい」
許可を得て、早速皆のために収穫する。だけど二房取ったところで、異変が現れた。枝からぶらさがっていたたくさんの果実の房が一斉に枯れ始めたのだ。茶色く変色した果実はみるみるうちにしぼみ、種だけがバラバラと地面に落ちた。
「驚いたな…どういうからくりなんだ?」
あまりにも突然のことに、驚きを隠せずに硬直してしまう。それはロウシェさんも同じなようだった。種を拾い上げて、目を丸くしている。だけど枯れたのは果実だけだった、樹自体は見るからに元気で、変わった所はない。手元にある二房の果実も無事だった。
とにかく早くミレイユ様やエルカンさんのところに届けなきゃ!これもいつ消えてなくなるかわからない!
頭の中は真っ白で状況は全く飲みこめなかったけど、慌てて二人の元へ向かった。
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