くしゃみの獣は夜明けを運ぶ

XCX

文字の大きさ
54 / 107

53. お色気作戦

しおりを挟む
 翌日、オルヴァルの部屋で皆と遊んでいると来客を知らせるノック音が響いた。アサドが扉を開けるとそこにいたのはベネディクタスだった。

「オルヴァル殿下、お時間を頂いてもよろしいですかな?」
「勿論」

 にこりと笑みを浮かべて承諾する王子に、エミル達は即座に扉へと向かった。

「ほらロティも。主人の邪魔をしてはならんぞ」

 プリヤが手を差し出してくるが、ローディルは小さな牙を剥き出しにして鳴き、オルヴァルの後ろに隠れた。つい今しがた仲良く遊んでいた獣からの威嚇に、プリヤは目を丸くした。
 実力行使に出ようとする女隊長を制止するかのように、ベネディクタスは大きな咳ばらいを発した。全員の注意が片眼鏡の紳士に向く。

「殿下の傍を離れたくないのであれば、いてもらっても構いません」
「気遣いかたじけない、ベネディクタス卿」

 苦い笑みのオルヴァルに対し、貴族の男は沈黙で応えた。背筋はきれいに伸び、高慢そうに顎をツンと上げて、後ろ手を組んでいる。
 アサドに声をかけられたプリヤはローディルをじっと見つめたまま、渋々と言った様子で退室した。そのさまを目で追いながら、獣は己の胸がちくりと痛むのを感じていた。

(プリヤ、悲しそうな顔してたな…。やりすぎたかな…。ごめん、でも俺絶対ここにいなきゃいけないんだ…!)

 いつも凛とした彼女の見たことのない表情に罪悪感を覚えるが、己の役割を思い返し気を持ち直す。二人はローテーブルを挟んで長椅子に腰を下ろした。ローディルは当然の如く長椅子の上へと跳躍し、オルヴァルにぴたりと寄り添うようにお座りをした。

「…殿下、単刀直入で申し訳ありませんが来訪の目的を伺いましょう」

 老人の目つきは鋭く、真っ直ぐにオルヴァルを見据えている。彼の厳しい視線を受け、王子は短く息を吐いた。

「ではこちらも率直に。物資の支援や民の受け入れを願いたい」
「…以前お話を伺った時は物資の支援のみのはずでしたが。一度断られているにも関わらず、更なる依頼をなさろうとしているのですか」
「ええ、そのまさかです。現状トートルード卿に助力いただいていながら、以前よりも事態は悪化の一途。物資は足りず、王都からも民がヘジャズ領内へと流れて来ており、領民の生活を圧迫しているのです」
「そこでマルティアトも負担を受け入れろ、と」
「……平たく言えば」

 室内の雰囲気が緊張感に満ちる。トートルードとの接見の際と同じだった。能面のようなベネディクタスの顔には無数の深いシワが刻まれ、オルヴァルからの要請に不快感を覚えているのが明らかだった。
 ローディルは体毛がぴりぴりするのを感じながらも、床へと下り、貴族の男の足に頭を擦りつけた。彼の視線がオルヴァルから逸れ、獣に注がれる。男の目を真っ直ぐ見つめ返し、ローディルは短く鳴き声を上げた。

「ロティはベネディクタス卿のことを気に入ってるようだ」
(う、うん、俺あんたのこと気に入ってる!)
「それはそれは…」

 微笑むオルヴァルに同意する形で元気に鳴いてみる。ベネディクタスはただでさえ大きな目を見開き驚いているが、嫌とは思っていないらしい。雰囲気が柔らかくなるのを感じる。

「ベネディクタス卿、もちろん無理なお願いとは承知のうえです。貴殿にもマルティアトの民にも負担を強いることになる」
「…以前お伝えしてからも私の考えは変わっていません。吾輩は王家に従属する身ではありますが、忠誠を誓うのは王に対してです。ダガット王と殿下が反目している今、要請を受けると叛意を抱いていると思われかねません」

 オルヴァルが喋り始めるのと同時に、ローディルはベネディクタスの膝に乗り上げる。彼の腹部に顔や体を擦りつけ、ゴロゴロと咽喉を鳴らして甘えた。途端に男の体が硬直するのが分かる。だが彼は己を叱咤するかのように咽喉を鳴らし、毅然とした態度で答えた。

(オルヴァル~本当にこの作戦うまくいくのかよ~…!?)

 不安になった獣は主人を振り返る。だがオルヴァルは強い意志を宿した目でじっとローディルを見つめた。言葉はなくとも、作戦続行を示唆している。

「ベネディクタス卿の懸念はもっともです。しかし国は王家によって成り立っているのではない。国とはすなわち民です。このまま王におもねて現状から目を背ければ、民はメルバを見限り国を捨てるでしょう。国は崩壊し、隣国からの介入を許す羽目になる。そうなれば貴殿も処刑を免れない。貴方はとても高潔なお方だ。隣国に隷属なさることはないでしょうから…」

 オルヴァルの口から不穏な言葉が次々とこぼれていく。初めて耳にする内容に、ローディルは内心戦慄していた。平和で穏やかな日常が続いていくと思っていたのに、最近はきな臭い話ばかりが耳に入るようになった。

(隣国って、アルシュダとバルブロ…?メルバのことを狙ってるのか?…あ、そう言えば俺の体質を明かしたとき、俺のことを隣国の密偵じゃないかってアサドが疑ってたっけ…)
「……ええ、その通りですとも。吾輩は敵に媚を売るなどと生き恥を晒すくらいなら死を選びます」
「私も同意見です。ですが、民はそうもいかないでしょう。泥水をすすることになろうとも、自分たちの生活を守るでしょう。王や貴族の首がすげ変わろうと気にせず、それどころか新たな支配者の求めに応じて、貴方が尽力して築き繁栄させてきたマルティアトを壊すのも厭わないでしょう」
「…殿下、それは脅迫ですか?従わなければ武力行使に出ると?」
「ま、待ってください。とんでもない誤解だ。そのようなつもりは全くありません」

 ベネディクタスの声は低く、地を這うようだった。オルヴァルは驚きに呆然としていたが、すぐに両手を挙げて掌を見せた。老齢の男はそれでも疑わしそうに片眉を吊り上げて、胡乱な目で王子を見ている。

「私は事実を述べているだけです。思慮深いベネディクタス卿のこと、最悪の事態も既に想定しているのでは?」
(おっちゃん!お願いだからオルヴァルに協力してくれよ!処刑とか死ぬとか武力行使とか、俺怖いよ!嫌だよっ!)

 王子の指摘に、ベネディクタスは何かを考えこむように押し黙ってしまう。獣はその重い沈黙に耐え切れず、けたたましく鳴き、初老の男の体にじゃれついた。抱いていた不安もどこへやら、死に物狂いで目の前の紳士の誘惑を試みる。
 男の膝の上でごろりと寝転がり、ふかふかの毛で覆われた腹部を露出して見せる。動物好きならば顔を埋めたり、撫でたりしたいはずだ。ベネディクタス卿の指がそっと腹に触れる。

(よし!そのまま存分に撫でて堪能してくれ!)

 撫で方は遠慮がちだったが、ひとまず触れてくれたことにローディルは内心歓喜していた。

「それに私は王と反目しているつもりは全くありません。確かに私は追放された身です。ですが、王の助けとなれるよう腕となり足となり、支えていきたい。その志は今も昔も変わっておりません。貴方への助力を要請するのも、ひいては王のためです。陛下が正気に戻られた際、国は半壊状態で民の心が離れていると知れば……」

 オルヴァルは最後まで言葉を紡がず、こめかみに指を添えて頭を振った。ベネディクタスは膝の上の獣に視線を落としたまま、依然として沈黙している。室内にはローディルの甘えるような鳴き声だけが響いている。皮膚のたるんだ骨ばった手に前脚を絡めて、抱っこをせがむ。

「ベネディクタス卿、どうか考え直してもらえないでしょうか。対価として私が提供できることはさほどありませんが、ラルツレルナとの交易にかかる税金を軽減いたします。……それにロティがここまで懐くのも珍しい。この子のためにも無下に断ることだけはしないでいただきたい」
(うん、うん!おっちゃん、お願い!うん、って頷いてくれるだけでいいんだぞ!)

 主人の言葉に反応を示すようにぎゃうぎゃうと媚びた鳴き声を発し、ローディルはベネディクタスの腕に抱かれながら彼の顔をペロペロと舐め回した。
 尚もベネディクタスの表情は変わらず、何を考えているのか全く窺えなかった。長い沈黙の後、ようやく開いた口から出てきたのはため息だった。

「……分かりました。殿下がそこまでおっしゃるのであれば、吾輩の補佐役に相談し検討することにしましょう」
「それはありがたい!」
「検討にそれ程時間をかけません。結果をお伝えするまで、滞在していかれるとよろしいでしょう」
「それはまたとない申し出だ。是非お言葉に甘えさせてください」
(これはいいことなのか?…オルヴァル嬉しそうだし、いい方向に向かったってことでいいのか?)

 貴族の男の表情は変わらず硬いものだったが、一方の王子はにこやかな笑みを浮かべている。二人の顔を交互に見ながら、ローディルはダメ押しとばかりにベネディクタスの顔に頬擦りしてゴロゴロと咽喉を鳴らしたのだった。
しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

やっと退場できるはずだったβの悪役令息。ワンナイトしたらΩになりました。

毒島醜女
BL
目が覚めると、妻であるヒロインを虐げた挙句に彼女の運命の番である皇帝に断罪される最低最低なモラハラDV常習犯の悪役夫、イライ・ロザリンドに転生した。 そんな最期は絶対に避けたいイライはヒーローとヒロインの仲を結ばせつつ、ヒロインと円満に別れる為に策を練った。 彼の努力は実り、主人公たちは結ばれ、イライはお役御免となった。 「これでやっと安心して退場できる」 これまでの自分の努力を労うように酒場で飲んでいたイライは、いい薫りを漂わせる男と意気投合し、彼と一夜を共にしてしまう。 目が覚めると罪悪感に襲われ、すぐさま宿を去っていく。 「これじゃあ原作のイライと変わらないじゃん!」 その後体調不良を訴え、医師に診てもらうととんでもない事を言われたのだった。 「あなた……Ωになっていますよ」 「へ?」 そしてワンナイトをした男がまさかの国の英雄で、まさかまさか求愛し公開プロポーズまでして来て―― オメガバースの世界で運命に導かれる、強引な俺様α×頑張り屋な元悪役令息の元βのΩのラブストーリー。

異世界で8歳児になった僕は半獣さん達と仲良くスローライフを目ざします

み馬下諒
BL
志望校に合格した春、桜の樹の下で意識を失った主人公・斗馬 亮介(とうま りょうすけ)は、気がついたとき、異世界で8歳児の姿にもどっていた。 わけもわからず放心していると、いきなり巨大な黒蛇に襲われるが、水の精霊〈ミュオン・リヒテル・リノアース〉と、半獣属の大熊〈ハイロ〉があらわれて……!? これは、異世界へ転移した8歳児が、しゃべる動物たちとスローライフ?を目ざす、ファンタジーBLです。 おとなサイド(半獣×精霊)のカプありにつき、R15にしておきました。 ※ 造語、出産描写あり。前置き長め。第21話に登場人物紹介を載せました。 ★お試し読みは第1部(第22〜27話あたり)がオススメです。物語の傾向がわかりやすいかと思います★ ★第11回BL小説大賞エントリー作品★最終結果2773作品中/414位★応援ありがとうございました★

【完結】愛されたかった僕の人生

Kanade
BL
✯オメガバース 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 お見合いから一年半の交際を経て、結婚(番婚)をして3年。 今日も《夫》は帰らない。 《夫》には僕以外の『番』がいる。 ねぇ、どうしてなの? 一目惚れだって言ったじゃない。 愛してるって言ってくれたじゃないか。 ねぇ、僕はもう要らないの…? 独りで過ごす『発情期』は辛いよ…。

異世界転移した元コンビニ店長は、獣人騎士様に嫁入りする夢は……見ない!

めがねあざらし
BL
過労死→異世界転移→体液ヒーラー⁈ 社畜すぎて魂が擦り減っていたコンビニ店長・蓮は、女神の凡ミスで異世界送りに。 もらった能力は“全言語理解”と“回復力”! ……ただし、回復スキルの発動条件は「体液経由」です⁈ キスで癒す? 舐めて治す? そんなの変態じゃん! 出会ったのは、狼耳の超絶無骨な騎士・ロナルドと、豹耳騎士・ルース。 最初は“保護対象”だったのに、気づけば戦場の最前線⁈ 攻めも受けも騒がしい異世界で、蓮の安眠と尊厳は守れるのか⁉ -------------------- ※現在同時掲載中の「捨てられΩ、癒しの異能で獣人将軍に囲われてます!?」の元ネタです。出しちゃった!

ウサギ獣人を毛嫌いしているオオカミ獣人後輩に、嘘をついたウサギ獣人オレ。大学で逃げ出して後悔したのに、大人になって再会するなんて!?

灯璃
BL
ごく普通に大学に通う、宇佐木 寧(ねい)には、ひょんな事から懐いてくれる後輩がいた。 オオカミ獣人でアルファの、狼谷 凛旺(りおう)だ。 ーここは、普通に獣人が現代社会で暮らす世界ー 獣人の中でも、肉食と草食で格差があり、さらに男女以外の第二の性別、アルファ、ベータ、オメガがあった。オメガは男でもアルファの子が産めるのだが、そこそこ差別されていたのでベータだと言った方が楽だった。 そんな中で、肉食のオオカミ獣人の狼谷が、草食オメガのオレに懐いているのは、単にオレたちのオタク趣味が合ったからだった。 だが、こいつは、ウサギ獣人を毛嫌いしていて、よりにもよって、オレはウサギ獣人のオメガだった。 話が合うこいつと話をするのは楽しい。だから、学生生活の間だけ、なんとか隠しとおせば大丈夫だろう。 そんな風に簡単に思っていたからか、突然に発情期を迎えたオレは、自業自得の後悔をする羽目になるーー。 みたいな、大学篇と、その後の社会人編。 BL大賞に応募しましたので、見て頂けると嬉しいです! ※本編完結しました!お読みいただきありがとうございました! ※短編1本追加しました。これにて完結です!ありがとうございました! 旧題「ウサギ獣人が嫌いな、オオカミ獣人後輩を騙してしまった。ついでにオメガなのにベータと言ってしまったオレの、後悔」

【完結】悪役令息の伴侶(予定)に転生しました

  *  ゆるゆ
BL
攻略対象しか見えてない悪役令息の伴侶(予定)なんか、こっちからお断りだ! って思ったのに……! 前世の記憶がよみがえり、反省しました。 BLゲームの世界で、推しに逢うために頑張りはじめた、名前も顔も身長もないモブの快進撃が始まる──! といいな!(笑) 本編完結、恋愛ルート、トマといっしょに里帰り編、完結しました! おまけのお話を時々更新しています。 きーちゃんと皆の動画をつくりました! もしよかったら、お話と一緒に楽しんでくださったら、とてもうれしいです。 インスタ @yuruyu0 絵もあがります Youtube @BL小説動画 プロフのwebサイトから両方に飛べるので、もしよかったら! 本編以降のお話、恋愛ルートも、おまけのお話の更新も、アルファポリスさまだけですー! 名前が  *   ゆるゆ  になりましたー! 中身はいっしょなので(笑)これからもどうぞよろしくお願い致しますー!

希少なΩだと隠して生きてきた薬師は、視察に来た冷徹なα騎士団長に一瞬で見抜かれ「お前は俺の番だ」と帝都に連れ去られてしまう

水凪しおん
BL
「君は、今日から俺のものだ」 辺境の村で薬師として静かに暮らす青年カイリ。彼には誰にも言えない秘密があった。それは希少なΩ(オメガ)でありながら、その性を偽りβ(ベータ)として生きていること。 ある日、村を訪れたのは『帝国の氷盾』と畏れられる冷徹な騎士団総長、リアム。彼は最上級のα(アルファ)であり、カイリが必死に隠してきたΩの資質をいとも簡単に見抜いてしまう。 「お前のその特異な力を、帝国のために使え」 強引に帝都へ連れ去られ、リアムの屋敷で“偽りの主従関係”を結ぶことになったカイリ。冷たい命令とは裏腹に、リアムが時折見せる不器用な優しさと孤独を秘めた瞳に、カイリの心は次第に揺らいでいく。 しかし、カイリの持つ特別なフェロモンは帝国の覇権を揺るがす甘美な毒。やがて二人は、宮廷を渦巻く巨大な陰謀に巻き込まれていく――。 運命の番(つがい)に抗う不遇のΩと、愛を知らない最強α騎士。 偽りの関係から始まる、甘く切ない身分差ファンタジー・ラブ!

異世界にやってきたら氷の宰相様が毎日お手製の弁当を持たせてくれる

七瀬京
BL
異世界に召喚された大学生ルイは、この世界を救う「巫覡」として、力を失った宝珠を癒やす役目を与えられる。 だが、異界の食べ物を受けつけない身体に苦しみ、倒れてしまう。 そんな彼を救ったのは、“氷の宰相”と呼ばれる美貌の男・ルースア。 唯一ルイが食べられるのは、彼の手で作られた料理だけ――。 優しさに触れるたび、ルイの胸に芽生える感情は“感謝”か、それとも“恋”か。 穏やかな日々の中で、ふたりの距離は静かに溶け合っていく。 ――心と身体を癒やす、年の差主従ファンタジーBL。

処理中です...