くしゃみの獣は夜明けを運ぶ

XCX

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55. 噂の人物との対面

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 ローディルとアサドが留守番をする一方、残りの三人はマルティアトの街へと繰り出していた。

「ロティ、大丈夫っすかね…」

 エミルは丘の上に建つベネディクタスの屋敷を何度も振り返る。

「大丈夫だ。アサドが一緒についている」
「アサドさんがいるとは言え、作戦ではベネディクタス様とロティは二人きりになるんすよね!?ベネディクタス様がロティの可愛さに耐え切れなくて、監禁しちゃったり、譲ってくれなんて言い出したりしたら……っ!」
「全く、アサドと言いお前達はロティのこととなると異常なほどに過保護になるな」

 顔面蒼白で両手で頭を抱えて震えるエミルに、プリヤは両手を腰にあてて呆れた表情を浮かべる。

「当たり前っす!あんなに可愛くて人懐っこくて甘えん坊で無防備なんすよ!?過保護にならないほうがおかしいっすっ!プリヤさんはロティのことを愛くるしいって思わないっすか!?」
「思うには思うが…そこまで過激な感情は持ってないな」

 女兵長の返答に、今度は従者が呆気に取られる番だった。愛玩獣を愛くるしいと思いながら、なぜ心配にならないのか理解できないと言わんばかりの青年に、プリヤはムスッと唇を尖らせた。

「エミル、落ち着け。気持ちは分かるが、ベネディクタス卿は礼節を欠いた行動はしない方だ。いくらロティが魅力的とは言え、心配しているような事態にはならない」

 意見の相違で睨み合う二人に、オルヴァルは苦笑する。だがその笑みは布の下に隠れていた。ターバンで顔をぐるぐる巻きにし、かろうじて確認できるパーツは目だけだ。他二人は軽装だが、王子だけは極力肌を見せない格好をしていた。
 王子の仲裁に、二人は冷静を取り戻す。オルヴァルを警護するように前後で彼を挟んで通りを歩く。

「私が心配してるのはロティの身の安全よりも、作戦の要を獣一匹に任せることに対してだな。大事な作戦なのだろう?屋敷を離れていいのか?」
「プリヤが心配に思うのも尤もだ。だが、午前の接見で自分の想いは伝えたし、手ごたえも感じている。あとはロティの愛くるしさに触れた卿の心が完全に堕ちてくるのを待つだけだ。何せ会話の最中も、じゃれついてくるロティが気になって仕方ないようだったからな」
「だが一度は断られたのだろう?たかが獣一匹がいるいないで意志を覆すような人物には見えないが」
「以前とは状況が違っているからな。それに、彼は厳しいが根は義理堅いんだ。根底にある、領民を始め自領を守り主君である王に仕えるという貴族としての責務を忘れてはいないはずだ。その矜持が揺るぎかねない事態が起こり得るとなれば、さすがのベネディクタス卿も否が応でも協力せざるを得ない」
「ベネディクタス様の心は既に決まっていて、念押しでロティの存在が必要ってことっすかね?」
「その通りだ」

 青年の言葉に、全身布づくめの男が頷く。頭の後ろで手を組むプリヤは話を理解しようと空を仰いでいたが、すぐに大きく息を吐いた。

「相変わらずお偉方が考えてることは理解できんな。全て拳で解決できたらどんなにいいか…」
「そうなるとプリヤさんが覇権を握りそうっすね!」
「よせよせ、照れるだろうが!」
「ヴェッ!!」

 エミルの真っ直ぐで他意のない発言に、プリヤは満更でもなさそうだった。麗しい顔に赤みが差し、元来の美しさがより際立つ。だがその可憐な姿とは裏腹に、ターバンの青年の腹に叩きこまれたボディブローは凄まじいものだった。その音も衝撃も。エミルの口からはこの世の物とは思えない声が発せられた。
 腹部を両腕でかばいながら震える彼を、オルヴァルは不憫に思いながら背中をさすってやる。プリヤは背後で起こっている状況に全く気がついていないらしく、上機嫌そうに鼻歌を口ずさんでいた。

「久々にマルティアトに来たが、ラルツレルナとは違った活気に満ちてて、いいな」
「ああ、それに潮風が気持ち良い」

 潮風にたなびく長い桃色の髪をかき上げるプリヤに、オルヴァルも同意する。
 桟橋には船がずらりと並ぶ光景は壮観だ。海に面したマルティアトは多くの人が出入りしている。人の往来が激しいのは交易地であるラルツレルナも同様だが、肌の色や人種の多様さで言えばマルティアトが上だ。他国から仕入れる食べ物も多く、独特の食文化が形成されており、まるで異国にいるのではないかと錯覚を覚える。

「そこの美しいお嬢さん、今朝揚げたばかりの魚介の串焼きはどうだい?食べ歩きにピッタリだよ!」
「確かに良さそうだ。せっかくマルティアトに来たのだから新鮮な魚介を堪能したいとは思うが、少し財布が厳しいなあ。魚の姿焼きもいいし、こっちも脂が乗っているな。貝も捨てがたいし、イカやタコまであるのか。どれもこれもおいしそうで選べないな…」

 網の上で焼かれている魚介の串焼きを見つめる整った美貌が残念そうに歪む。ゆっくりとした動きで長い睫毛が上下し、紫色の瞳が屋台の主人に向けられる。まるで星が散っているかのようにキラキラと輝く瞳に加えて、桃色の長い髪を耳にかける色っぽい仕草に、店主は心臓が大きく拍動するのを感じていた。

「よし、特別に半額にしてあげよう!たくさん買ってくれたら、サービスで二本追加しちゃうよ!」
「いいのか、店主!?」
「もちろんだとも!マルティアトの魚介のうまさは他に引けを取らない!お嬢さんにはここでの滞在をぜひ楽しんでほしいからね!」
「嬉しいなあ。従者、支払いを!」
「はいはい~」

 蕾が綻び花開くような笑みを全身に浴びた店主は、まるで恋の天使に心臓を矢で貫かれたかのような腑抜けになっていた。鼻の下はでれでれと伸び、エミルから金を受け取り破格の安さの商品を手渡す。

「他の者にもこの屋台を宣伝しておく!よい一日を!」
「オゥフッ」

 プリヤは去り際に片目を瞑り、投げキッスを送った。美女からのサービスに、屋台の主人はとうとう胸を押さえて膝から崩れ落ちてしまった。

「見事な手腕だな…。店主が厚意で値を下げてくれたぞ」
「ふっふっふ、どうだ見たか。私の力は武術だけじゃないのさ。ん!うまいな」

 プリヤは悪戯っぽい笑みを浮かべながら、串を一本ずつ二人に手渡した。甘辛く味付けされて焼かれた貝や小さなタコは香ばしく、素材の旨味が口の中に広がる。

「しかし残念だったな、オルヴァル。ローディルも連れて来たかったのだろう?まさかこのタイミングで里帰りとは」

 舌鼓を打つ男二人は彼女の口から出た名前にぴたりと静止した。急に動かなくなった男達に、プリヤは眉をひそめた。

「何だ、二人そろって唖然とした顔をして。何かおかしなことを言ったか?あの青年、こういうの好きそうだろう」
「ああ…確かにな。いつもみたいに顔をキラキラさせて喜びそうだ」

 オルヴァルの隣でエミルが何度も頷く。二人が思わず言葉に詰まったのは、そういう設定にしていたのを忘れていたからだ。
 ローディルとロティが同一人物であることはオルヴァル達三人しか知らない。ロティだけを連れ出しているのに、ローディルの姿が屋敷にもないとなれば不審に思う者も出てくる可能性がある。妙な疑いを持たれないよう、ローディルは出身部族の元に里帰りをするという話をでっちあげたのだった。

「ろ、ローディル、マルティアトに来れなくてすごく残念そうにしてたっすよね!」
「ああ、ロティも残されて不満そうにしていたし、彼らへの土産を買って機嫌を取らねばな」
「そこの雑貨屋にでも入ってみるか?」

 串焼きを食べ終えた一行はプリヤが指差す店へと向かった。店内に足を踏み入れようとすると、中から出てきた客とぶつかりそうになり、女兵長は急停止した。後ろを歩いていた王子とその世話係はプリヤの反射神経に反応しきれず、ぶつかる形になってしまう。だが女武人がバランスを崩すことはなかった。

「おっと、すまないご婦人。怪我はないかい?」
「大丈夫だ。こっちこそ悪かった」

 とんでもない、と目の前の男は柔和な笑みを浮かべた。
 華のある男だな。オルヴァルが抱いた第一印象はそれだった。背がすらりと高く、銀がかった長い白髪を三つ編みにし、全身にジャラジャラと装飾品を身に着けている。過剰と言える量だが下品には見えず、男の存在は煌びやかな装飾にも負けていない。精悍というよりも、人好きのしそうな柔らかさを備えた甘い顔立ちをしている。
 顔を覆う布の奥で無意識に男を観察していたオルヴァルだったが、背後からのエミルの大声に我に返った。

「アンタは…!ロ、ローディルにキスした…!」

 ワナワナと震えながら指を差すエミルに目の前の男はきょとんと首を傾げている。だが、すぐに何か気づいた様子を見せ、にっこりと笑った。

「ああ、あの時ローディルを追いかけて来た子だね。確か…エミル、だったかな?君がいるってことは、ローディルもいるのかい?」

 エミルの発言に、目の前の男が噂のセヴィリスなのだとようやく合点がいく。
 見るからに臨戦態勢で警戒心を露にする青年に対し、気づいているのかいないのか男はにこやかな表情を浮かべたままだ。きょろきょろと視線を彷徨わせ、ローディルを探そうとしている。
 それが面白くなくて、オルヴァルはプリヤを下がらせ、セヴィリスと対峙した。
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