くしゃみの獣は夜明けを運ぶ

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59. 大鷲に導かれて

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「アサド、ラズレイ来た!」

 ある日、ラルツレルナの収支について部下からの報告に耳を傾けていたオルヴァルの元に、ローディルが駆けこんで来た。待ち人の来訪に、三人で青年の部屋へと向かう。
 ローディルに続いて彼の私室に足を踏み入れた二人は驚いた。大きく立派な鷲がバルコニーの欄干に止まっていたのだ。

「ラズレイ、あのさ、俺とアサドをセヴィリスのところまで連れて行ってくれないか?」

 青年は何ら物怖じする様子もなく鷲に近づき、自身とアサドを指し示す。鷲の黄色い目が向けられ、アサドは思わずギクリとする。獣さながらの迫力に、硬直してしまう。
 だがそれも一瞬のことで、鷲は興味を失くしたようにすぐにローディルに視線を向けた。そして承諾したとばかりに、ひと鳴きすると、折りたたんでいた大きな翼を広げた。

「あっ、待った待った。支度するから、ちょっと待っててほしい!」

 今すぐにでも飛び立たんとする猛禽はローディルの制止の言葉に、短く鳴いて翼を納めた。その行動に大人二名は舌を巻いた。

「人語を理解しているというのは本当のようだな」
「…ええ、驚くべきことではありますが。先程も殿下には目もくれず、真っ直ぐ私のことを見ていましたよ」

 アサドは執務の途中であったが、またとない機会を逃すことはできなかった。主君に断りを入れて切り上げる。ローディルの外出着への着替えを手伝う間も、ラズレイは欄干の上で大人しく待っていた。いくら人に飼われているとは言え、こんなにも従順にさせられるものだろうかと不思議に思う。
 終始大人しかった鷲だが、青年の着替えが終わった途端にけたたましく鳴き始めた。

「うわっ、ど、どうしたんだラズレイ?待ちくたびれて、怒った?もう終わったから出発できるよ!」

 ローディルが宥めにかかるも、ラズレイは興奮した様子で室内へと飛び入ってきた。襲われるのではないかと思い、アサドは咄嗟に青年の手を引き、背に庇った。
 所詮は猛獣で、人間と相容れることなどできないのだ。ローディルは特別だっただけで。
 衝撃に見舞われるのを覚悟していたアサドだったが、彼の予想に反して鷲は一直線に棚へと向かった。何かを咥え、床の上に着地する。
 太く鋭い黄色の嘴からぶら下がっていたのは、透き通った黒色の腕輪だった。ラズレイはそれを床の上に落とし、何かを訴えるように鳴いた。

「あ、セヴィリスにもらった腕輪。失くしそうだからって置いてたんだ。会うならつけて行ったほうがいいかな」

 男の背後からするりと抜け出したローディルは腕輪を拾い、手首を通した。彼の言葉に返事をするかのように、鷲がクエーと鳴く。満足したらしいラズレイはピョンピョンと跳ねながら、バルコニーの欄干へと戻った。
 まるで人間のような賢さにアサドはただただ驚嘆させられた。

「俺も一緒に行きたかったっす…!ローディルとお揃いのターバンを着けて見せびらかしたかったっす…!」

 出発を知らせに執務室へ行くと、エミルが苦悶の表情で歯ぎしりをしていた。護衛として二人について行きたい気持ちと毛嫌いするセヴィリスに会いたくないという究極の選択のはざまで葛藤しているらしい。

「今度お出かけするときに、お揃いにしよーぜ!約束!」

 エミルに見立ててもらったターバンを頭に巻いたローディルは、屈託のない笑みでそう言い放った。その一言に世話係は感激したらしく、青年をぎゅうときつく抱きしめる。ケラケラ笑いながら自分よりも年上の青年の背中を叩くローディルを横目に、アサドとオルヴァルは視線を交わした。
 獣の青年にその気はないのだろうが、うまいことエミルの手綱を握っている様子が可笑しかったのだ。

「じゃ、行ってくるな!」
「アサドがついているから心配はしていないが…。気を付けるんだぞ。決して傍を離れたりしないようにな」

 オルヴァルは元気よく頷く青年の頬を優しく撫でた。
 アサドから注意事項の説明を受けつつ、玄関へと向かう。オルヴァルのことを話す時は、偽名のルーを使うこと。マルティアトにいた目的や、ローディルの故郷について聞かれても答えたりしない。どう返せばいいか分からないときはアサドに任せることなどを確認する。
 外に出ると、ラズレイが空を旋回していた。ローディルが声をかけると、鷲はついて来いと言わんばかりにピュイーと鳴いて滑空を始めた。はぐれないように手を繋ぎ、人波の間を縫うように追いかける。鷲は二人がついて来ているか確認するかのように、時折その場で旋回をした。
 やがてラズレイはとある建物の屋根に止まった。その足元では人だかりができており、その中心には伝え聞く外見と一致する男がいた。
 男は奇術を披露している最中だった。少年から預かった硬貨を拳の中に握り呪いのような文言を唱えると、硬貨の絵柄が裏も表も変わってしまう。インチキを疑う少年や観衆が齧ったり表面を擦ってみても何の細工もされていないようだ。
 目の前で起こる不思議な出来事に、観衆は感嘆の声を漏らす。アサドの隣からも、すごいと感動の声が聞こえる。目をキラキラと輝かせる子供たちに微笑みかけながら、セヴィリスは同じ動作を行って硬貨を元に戻すと、少年に返した。

「えーっ!兄ちゃん、元に戻しちゃったのかよ。さっきのが良かったのに!」
「でも絵柄が変わってしまったら使えないよ?大事なお金でしょう?」
「あっ、それもそうか…。俺だけの特別なものって感じで良かったのにな~…」
「今度はもっと小さい貨幣を持っておいで。その絵柄を変えてあげよう」

 セヴィリスは、残念そうに肩を落とす少年の頭を優しく撫でた。男の提案に彼は瞬く間に元気を取り戻し、笑顔で大きく頷いた。

「さ、今日はこれでおしまいだよ。来てくれてありがとうね」

 仕事や家事へと戻る大人たちは感想を言いながら、男の傍に置かれた容器にお金を入れていく。だが子供たちはもっと見たいと不満の声を上げて、その場から動こうとしない。

「ごめんね、友人が久しぶりに会いに来てくれたんだ。またそのうちに開くよ。今度はもっと驚く奇術を用意しておくから、ね?」

 柔らかな声音と甘い微笑みに、聞かん坊だった子供たちは頬を染めて見惚れていた。まるで魔法にでもかかったかのように素直に頷き、惚けた顔でその場から去って行く。

「ローディル!会いに来てくれたんだね、嬉しいよ」

 観衆を一人残らず見送ったセヴィリスは、ローディルの元へと駆け寄りぎゅっと抱きしめた。
 なるほど、とアサドは思った。二人は一回会っただけと聞いているが、まるで長年の友人に久々に再会したかのような親密さ。エミルが嫌悪を示すのも無理はない。
 かく言う男の眉も、怪訝そうに吊り上がり、目は細められていた。だが青年は不快に思っていないようで、親しみをこめて背中に両腕を回して応えている。

「セヴィ、さっきのすげえ!あのさ、あのさ、俺のお金にもやってほしい!」
「あはは、あんなもので良ければ喜んで。おっと、ここで財布を出しちゃいけないよ」

 三つ編み髪の男は、興奮した様子で懐から財布を取り出そうとするローディルを嗜める。観衆たちに見せていた笑みとは違い、目元が柔らかく垂れている。
 その真っ青な瞳を向けられ、アサドは小さく頭を下げた。

「ローディル、彼は君の連れかい?」
「うん、アサドだよ」
「初めまして、アサドと申します。マルティアトで主人のルーにお会いになられたかと思いますが、彼の補佐をしております」

 アサドは外行きの微笑みを顔に貼り付け、手を差し出した。もう片方の手でさりげなくローディルの体を抱き寄せる。

「これはご丁寧にどうも。セヴィリスと言います」
「ローディルと懇意にされていると聞いて挨拶に伺ったのですが、もし良ければ一緒に食事などいかがでしょう?何でも、奇術師としてあちこちを旅されているとか。ぜひお話を聞かせていただきたいのですが…」
「勿論!ローディルとももっと話がしたいと思っていたので」

 男の提案にセヴィリスの表情は一瞬で明るくなった。大きく見開かれた青い瞳は喜びにあふれた輝きを放っている。彼はにこにこと笑いながら、青年の手を取り指を絡ませるように繋いだ。
 アサドは、隙あらばローディルに触れようとする彼に少なからず何度か苛立ちを覚えた。その度に、客観的にセヴィリスのことを見極めるのだ、本来の目的を思い出せと己を叱咤しなければならなかった。
 セヴィリスの贔屓の店があるとのことで、三人は露店が立ち並ぶ大通りから一本外れた道を歩いた。食べ物の店が多く軒を連ねるその通りは昼時ともあって、多くの人が行き交う。割と大きな店構えをした食堂に入ると、看板娘らしき女性が奥まった席へと案内してくれた。
 席についたローディルが物珍しそうにきょろきょろと店内を見回す。客は地元市民よりも行商でラルツレルナにやって来た人々が多いようだった。腕の太い、物々しい装備を身に着けた屈強な男達がそこかしこで酒を呷っている。
 奥まった席で良かったとアサドは思った。本音を言えば、柄の悪い男達の集う店にローディルを近づかせたくなかったのだが。

「騒がしいけれど、手頃な価格帯のわりに料理がおいしいんだ。客層も様々だから、色んな話が利けて楽しいしね。孤独な流浪の身だから、彼らの経験からくる情報はとても貴重なんだ」

 成程、と王子の補佐は心の中でこぼした。自身が潔癖ゆえに柄の悪い地域は避けてしまう嫌いがあったが、こういった店を情報源に活用するのもいいかもしれないと思った。皆、気前よく酒を奢ってやれば饒舌に語ってくれそうだ。

「さて、僕のおすすめでいいかい?嫌いなものはある?」
「俺、なんでも食べられるよ~」

 同じく大丈夫だと頷くと、セヴィリスは良かったと安堵した様子の笑みを浮かべた。彼は注文を通すと、料理が楽しみだとリズムよくテーブルを叩くローディルの手を握った。

「マルティアトでは会えなくて残念だったなあ。里帰りしていたんだって?どこの出身なんだい?」
「えっと、ここからずっと北のほう。地図にも載ってないような、めちゃくちゃド田舎なんだ」

 早速想定していた質問がきた。予行演習通りに青年が答える。

「へえ。そんな辺鄙な土地で暮らしていたのに、どういう経緯でルーさんの元で働くことになったんだい?」
「この子の後見人がルーの遠縁にあたるのですが、後見人が亡くなってしまい身寄りがなくなるとのことで呼び寄せたのです」
「…そうか。それは辛かったね、ローディル」
「うん……。でも、おかげでルー様とアサドとエミルと会えたから、それはすごく嬉しい」

 ギョルム氏に話が及ぶと、ローディルはテーブルに視線を落とした。にこやかだった表情は翳り、夜明けのような色の瞳には確かな悲しみが滲んでいる。オルヴァルとギョウムが遠縁というのは嘘だが、それ以外はおおむね真実だ。演技でもなんでもない本当の感情が現れている。
 偽りのない笑顔の青年に、セヴィリスもまた微笑む。

「そうか。強いね、ローディルは。だけどそのおかげで僕もローディルに会えたのだから、ルーさんには感謝しないといけないな」
「あ、じゃあ俺伝えとく!セヴィリスもありがとうって言ってたって」

 ローディルの返しが予想外だったのか、派手な身なりの男は面白いとばかりに咽喉を鳴らして笑う。すぐに二人きりの世界へと持ちこもうとする彼に、アサドの口角はどんどん下がっていく。
 そこへ注文した食事が届いた。ローディルの意識は即座に食べ物へと向けられた。
 セヴィリスがローディルを口説こうとしているのはあからさまだが、青年本人は全く気付いていないどころか、意識すらしていないように見える。性格の悪いことだが、色恋よりも食べ物に夢中なローディルに、少しだけ安堵を覚えたのだった。
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